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理趣経研究コミュの神護寺、善通寺に行ってきました。

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神護寺、この紅葉は、例えるのもない位の美しさである。目を見張る、という言葉があるが、そのとおりである。私は最近、慣れない車関係の仕事で、失明の恐れがあった。このようにして両目で、しっかりと紅葉を見れた、ありがたいと思う。空海と最澄、そして泰範の会話が、どのようになされたか、思いを巡らした。空海にとって神護寺は、どのような存在であったのか?
33歳から47歳まで、空海密教の構築、布教に東奔西走の日々であったろう。

コメント(18)

ホントだ!
真っ赤な紅葉が綺麗ですね

78910さん、御返事ありがとうございます。神護寺は多分、空海にとって高野山は修行の場、神護寺は「国家鎮護」に思いを馳せるところではなかったかと思います。
理趣経事件の舞台は本当に神護寺であったのか、ということを調べております。
めるろーさん、どうですか?
弘仁4年11月25日に
最澄から空海に宛てて、『釈理趣経』の拝借と『文殊讃法身礼』、
『方円図』、ならびに『注義』の拝借を申し出ています。

最澄が、思考する方法論と同時に体験する『釈理趣経』の拝借を申し出る。

空海は、この経典が多くの誤解を生み、<男女の和合の境地に菩薩の位>を
与えるなど いわく付きの経典であることを承知していた。
そして、『釈理趣経』の世界が、
事細かに追って説明しながら師から受ける者に伝授すべきものである。
と思っていた。

この経典の真意を書写で理解できるとした最澄と
伝授で無いと危険極まりないという空海の相違があったとみます。

これは多くの密教研究者が言っておられるので、
知られているところですが、出典を明示している御本は少ないですね。

最澄は、「高雄阿闍梨」と空海のことを読んでいます。
秘密経典の借り出しは、密教の真髄の探究であり、
入唐で密教の傍系を学んだ最澄にとって、大変希求したことでしょう。

その同じ年の空海が最澄に宛てた書簡(12月16日)では、
空海40歳の中寿にあたって自らが「中寿感興詩」を読み、
最澄が「和韻」を送ったことに、礼を書いているのですね。

理趣経事件、正確にいうと『釈理趣経』の事件ですね。

チベットにおいても実際に性愛を交えて伝授する派と観想する派に分かれていたようですね
めるろーさん WROTE
>この経典の真意を書写で理解できるとした最澄と
伝授で無いと危険極まりないという空海の相違があったとみます。
これは多くの密教研究者が言っておられるので、
知られているところですが、出典を明示している御本は少ないですね。

めるろーさん、渾身の投稿、ありがとうございます。感謝です。出典の明示がないという事は単なる風評で終わる可能性もあるということですね。この「釈理趣経事件」、ここを徹底的に掘り下げてゆきたいと思います。

78910さん、貴重な情報、ありがとうございます。これからも、よろしく、お願い申しあげます。

78910さん
インド仏教の発展形である密教は、チベットに行くと現地の民間信仰と融合し、
ラマ教(現在のチベット密教)になったのですね。
しかし、元よりの観法からの実践が残っているところもありますね。

日本に空海が齎した密教も真言密教ですし、
その根本は、真言を唱えるというタントリズムにあるのですね。
そのタントリズムは、祈願することにあり、民衆の現世利益の祈願にあります。
祈願により、例えば雨を降らせると言うのは二次的な要素ですね。
(外から見れば超能力に見えるでしょうが・・・。)
密教の修行は、自然の観察という面も含まれていて、
その自然観察により、雨の降るらしい局面を心得ていたと思われます。
その実現の意味のタントリズムですね。
真言(タントラ)を唱えることは、自己の観法でもあり、他者への観法でもあります。雨が降ることを祈願する意味は、奇跡を起こすことではなく、
民衆の祈願を実現することであるのですね。

空海は、延暦17年以降から延暦23年の間は、
山野で修行をしていたものと思われます。
体感よりの自然観察は、他者へのタントリズムに大変重要な意味を与えたと思われます。

「類聚国史」の延暦23年4月9日に
「東大寺戒壇院に於いて、元興寺僧伝燈大法師泰信に従いて、
具足戒を受け、空海と諱す。」とあります。
本当は、ここからが、「空海」と呼べる時代ですね。
>空海は、延暦17年以降から延暦23年の間は、山野で修行をしていたものと思われます。体感よりの自然観察は、他者へのタントリズムに大変重要な意味を与えたと思われます。

めるろーさん、投稿ありがとうございます。 タントリズムは、関心あるところです。

仏教の発展が自利、という自己の修行に基づく解脱というものと
利他、自己だけでなく他者に向けての修行も行う。(菩薩行)
という発展形態をとったのと同じくして、密教におけるタントリズムも
自己が三摩地に至る方法としてのタントリズムと
利他、何か他の人の助けになるように唱える他者へのタントリズムがあるのですね。

雨乞いをして雨が降らない場合もあります。
タントリズムを唱えるという行としては成り立っているのですね。
しかし、雨が降ることのみを望む超自然的なものは、
やはり難しいのですね。
東寺と西寺の雨乞いの行は、密教史において歴史的なものだったでしょう。


タントラとは、緯糸のことです。経糸がスートラが経典のことですね。
経典を紡いでいく、行のことですね。
空海の請来に限りますと、「行タントラ」という大日経に由来するものと
「瑜伽タントラ」という金剛頂系に由来するものを請来するものです。

そういう意味での<タントリズム>は、上の二つの行を指しているのですね。
いずれも最終は大日如来に行きつく、そういう意味での三摩地の境地に行きつく
行のことですね。
>空海の請来に限りますと、「行タントラ」という大日経に由来するものと
「瑜伽タントラ」という金剛頂系に由来するものを請来するものです。

めるろーさん、投稿、ありがとうございます。ここの文章と三摩地の境地の関係はどうなりますかね?



神護寺は空海が結界を張っていたところだと思っております。
先日、大阪に「セルフブランドの創り方」で講演に行ったのよろうと思ったが、ちょっとスケジュールが合わず行けなかった。あの紅葉は、瞼に焼き付いている。
秋は神護寺を思い出させる。あの紅葉を最澄、空海は、どのような思いで見ていたのか?
空海と泰範が初めに出会った場所は神護寺だったのか?

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