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日本人はなぜ多重人格なのかコミュのヒントの宝庫、教育学

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私は最近、教育関連の問題を考察することは、人間を考察する切り口として非常に優れた、いわばヒントの宝庫ではないかと考えるようになりました。教育学は教師を育成するための学問なのでしょうが、教師を目指すわけではない人でも、教育関連の問題をいろいろ考察してみると、そこから人間とは何か、社会とは何か、人の育成とは何かが見えてくるような気がします。

で、私が最近読んだ教育関連の本に『小学校でなぜ英語?』というのがあります。この本は、学校教育の英語の授業のありかたにおいては、小学校の高学年から英語に接するようにするべきだという特に産業界からの要請があり、小学校の5,6年において、「英語活動」という時間が設けられるようになりました。この「活動」というのはまだ「教科」という扱いではなく、必ずしも英語教育の専門家ではない各クラス担任教師が媒介役となって、児童生徒に英語に接する時間を設けるというものです。

産業界等からの要請は高まり、「活動」を「教科」に格上げすることも検討されているようです。そういった風潮に対して、英語教育の専門家が警鐘を鳴らしている、というのが本書です。この本には、「小学校に英語教育を導入するのであれば、その前にやっておくことがある」という意味で、次のような記述があり、大変印象的でした。

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「たとえ相手が先生であっても、おかしいことはおかしい、と言える雰囲気、友達と意見が違っていても平気で議論できる土壌、たどたどしくても一生懸命話したことを聞いて理解してくれる周囲の人びと。こういった環境で自由にものを言える子供たちを育てていかないと、大学生になって突然、英語でスピーチだ、ディベートだ、といっても、戸惑うばかりです。母国語である日本語で言えないことは、外国語である英語で言えるわけはないのです」(P44)


「まず、ことばを使って意志疎通をはかる意欲を小学校段階で身に付けさせるよう工夫すべきです。言語の価値が低い「察し」の文化で育った人間が、言語にこそ価値をおいて主張する文化と渡り合うことはきついものです」(P45)
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私は、上の文章は、「英語教育の前に言語教育を」と言っているものと受け取ることが可能だと思います。このコミュニティのさまざまなトピックで指摘され議論されてきた日本人のある意味における「特異性」は、日本における言語教育の未成熟に起因するという見方もできるのではないかと考えますがいかがでしょうか。

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