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日本人はなぜ多重人格なのかコミュの日本人における人格崩壊

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マイミクさんのつぶやきに『人格はゆっくりと出来上がるものだが、一瞬のうちに壊れてしまうものでもある』という名言を発見しました。小説家のフェイス・ボールドウィンという人の発言のようです。このフェイス・ボールドウィンという人がどんな小説を書くのかについては何も知らないのですが、映画の台本になるような現代風の小説を書いているようです。

で、この名言に接して私がまず考えたのは、人間の人格はどのような時に崩壊するのだろうかということです。最初に連想したのは、まず犯罪を犯した時でしょう。盗みや殺人を犯すと、いっぺんで信用を失い、人格崩壊に至るということが予想されます。あるいはもっと身近なところでは、癇癪をおこしたときです。癇癪の程度にもよるが、激しい癇癪をおこしたときは人格崩壊に近いことが起こるのではないでしょうか。

ここで注意しなければならないのは、そもそも人格崩壊が起こるためには、崩壊する前の人格がちゃんとあることが前提です。人格が形成されていない人には人格崩壊はあり得ないのです。このことは例えて言えば、ビルが崩壊するためには、ビルが建っていなければならないわけです。では、「人格がある」ということはそもそもどういうことなのでしょうか。

私はその本質要件として「自律的な精神を持っていること」、「ある程度の一貫性があること」ということを挙げたい。「自律的な精神を持っている」とは、日常に即して具体的に言うと、例えば自分の行動や自分の発言や自分のありよう等について、人のせいや状況のせいにしない、というようなことです。

竹内靖雄(経済学者)は、日本人は「あのときはああするよりしかたなかった」という弁解が成立しそうになるまで、自発的能動的な行動はしない、という傾向があるということを指摘しています(中島義道著『対話のない社会』P173)。この指摘が正しいとすると、日本人の人格は自律的とは言えないと思う。そうすると、日本人の人格はもともと溶解ぎみだといえます。

逆に言うと、人間が自発的能動的に行動しようとすると、哲学が要るのです。言い換えれば、人間は自己に哲学を課すことによって、自分の人格を形成していくことができるわけです。また、その人にある程度の一貫性があることも大事です。そのためにも人間は自己に哲学を課すということが重要になりましょう。このように、人格と哲学とは密接な関係があると言えるのではないでしょうか。

コメント(1)

上のことに関連して、「人格」と「性格」とは違うということも指摘しておきたいと思います。

日本人について言えば、一般的には、「性格」は穏和で善良、勤勉で礼儀正しい。しかし「人格」は状況功利主義的で、ある意味でずるがしこく、こすっからく、ふにゃふにゃしているという側面があるのではないでしょうか。

「状況功利主義」については、中島義道著『対話のない社会』P172を参照してください。

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