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日本人はなぜ多重人格なのかコミュの日本人はだまされやすい

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『日本人はなぜナメられるのか』(中山治著,洋泉社)に列挙されていました。
日本人のだまし方です。




(1) 言葉の言い換え

(2) 根拠のない希望的観測

(3) 「大本営発表」や「ウチとソトの使い分け」といった情報操作

(4) 悟りとあきらめのメッセージを流して怒りの牙を抜く

(5) 大事なこととくだらないことをすり替えて「真の敵」を見失わせる

(6) リップサービスでおだてる

(7) 適度に「ガス抜き」させる






みずからだまされたがるのが日本人の特徴。
民ばかりでなく指導者までもがだまされやすいのが日本の悲劇。

コメント(17)

>(4) 悟りとあきらめのメッセージを流して怒りの牙を抜く

作家の五木寛之がまさにこういう人間であったといえるでしょう。五木に対して批判的な人は、五木のこの点について批判的ですね。

これ、私もそのひとりです(笑
ウォルフレンなども五木を同じ切り口で批判していますね。


>(6)リップサービスでおだてる

これって「ほめ殺し」のことですか?
地位のある方で「豚もおだてりゃ」という方も多いですね。


>(7)適度に「ガス抜き」させる

これも居酒屋などに接待して「まあまあ一杯」とかいう
やつですよね(笑


こうした「騙され」に共通するのは、言葉の意味内容に対して
無頓着で、むしろ相手の態度とか人柄で物事を判断する傾向が
強い(見せかけへの依存)からだと言えます。

言葉の真意を分析・批判するリテラシー能力を磨けば、
こうした「騙され」はまず起こらないと思います。
やはり日本人の多くは論理的な頭脳を持ち合わせないということでしょう。長い封建・身分社会(戦前・戦中を含む)時代の後遺症というところですかね。 今後日本人が個を確立することはまずないでしょう。脳やられてますから劣化の一途でしょう。
>こうした「騙され」に共通するのは、言葉の意味内容に対して無頓着で、
>むしろ相手の態度とか人柄で物事を判断する傾向が強い

これは私も強く感じます。例えば私が何かを訴えているとします。すると、その訴えの内容をきちんと受け止めようとはせずに、私が「訴え」の行動をとっていることをさして、「協調的でない」とか「穏やかでない」といった人格の問題にすり替えるわけです。

こういう問題の「すり替え」が頻繁に行なわれている。
>長い封建・身分社会(戦前・戦中を含む)時代の後遺症というところですかね。

上のMARE☆さんのコメントからも、中島義道が『対話のない社会』で紹介していた福田恒存の発言、すなわち、

−−
私がくりかへし述べてきたことですが、近代日本の弱点は、その封建制にもとづくものではなく、ひとへにその似非近代性にもとづくものなのであります。つまり性急な近代化、無批判な近代化、そこに混乱の原因があるのです。
(『日本をおもふ』文春文庫)
−−

を思い出します。「封建社会の後遺症」という言葉を使ってしまうと、どうしても「日本人は長い封建制社会の歴史をもっているから仕方がないんだ…」という主張の成立を許してしまうような気がします。

やはり、「封建社会の長い歴史なんて関係ないんだ。歴史上は比較的最近の『似非近代性』こそ問題なんだ」という問題意識を持たなければならないような気がします。
例えばヨーロッパの場合は封建制を克服するきっかけがあったんですね。たとえばマルチン・ルターの宗教改革などは封建制を克服に非常に貢献しているように思います。あとフランス革命のような革命も起きています。代わって日本史には革命は一度も起きていない…。
「大前研一:国民をだます国、日本」
http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz07q3/539337/

国が国民をだますやり方のパターンが書かれています。
このトピックと関連するのでリンクを載せておきます。
>9 Michael C さん

ご指摘のとおり、ネットの選挙活用や市民運動のネットワーキングなど、政治的分野では韓国のほうが進んでいるようです。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1412/rd/kankokuhouan.html
http://www.ne.jp/asahi/com/f/future/2000/n11-0006/korea.htm

ところが問題は日本国内の情報源が少なすぎて大手マスコミが関心を寄せないために、こうした重要な既成事実がいつまで立っても知らされずに「よその国の話」として片付けられてしまっていることです。

韓国では全国一律の住民投票法も日本より先に導入されています。(日本は自治体ごとに条例を制定しなければならない)
これはアジアでは画期的な法律ですね。
http://mindan.org/sidemenu/sm_sansei_view.php?newsid=3194&subpage=33

ちなみに「公選法」については日本と逆で「公示前の選挙運動」に対する制限が、最近選管から通達されたようです。
http://journal.mycom.co.jp/news/2007/06/18/020/
吉本隆明が「国家は宗教の最終形態だ」ということを言っているそうです。そうだとすると、日本という国もまぎれもなく国家ですから、なんらかの宗教の最終形態なんでしょうね。ではどういう宗教の最終形態なのか。

山本七平が日本人は日本教徒だということを言っています。そうだとすると、日本という国は「日本教」という宗教の最終形態だということになると思います。

日本人は市民運動をそれほど活発にはやらないですよね。これは市民運動が政府当局によって抑圧されているからではないと思います。日本人はもともと市民運動をそれほど活発にはやらない教徒なのだと思います。
10番にJUN。さんより日本の官僚の国民を騙す手口についての記述があります。

日本人はみな日本教徒という考え方に立つと、日本教徒は政府官僚等に騙されることにそれほど憤りを感じないのだと思う。ここで「騙されることに憤りを感じないように飼い馴らされているのだ」という見解はある点で間違っていると思う。どういうことかというと、もし日本人が「飼い馴らされている」のだとすると、「飼い馴らした」主体がいるはずでしょう。ところが、「飼い馴らした」主体は事実上存在しないと思う。

これは宗教の一つの本質的特徴です。

たとえば中東やインドネシアにはイスラム教徒が多数います。彼らをイスラム教に教化した主体は存在するのでしょうか。これはそのような教化の主体を特定することは不可能だと思われます。これが宗教の一つの特徴であると思われるのです。
>「神ながらにして言挙げせず」を国是としてきた日本では、そのような教義の文書化を拒否してきた歴史がある

日本では状況倫理が変な地位を得ていますね。このため、倫理がうさんくさい性質をもつ結果になっている。

中島義道の『対話のない社会』(PHP新書)に匿名のルールについての言及があります。

−−
自分が状況をよくとらえ賢く動いていると信じていても、周りの人々との動き方がズレているとき、われわれはたちまち不安になる。自分の状況のとらえ方が、すぐに信じられなくなる。この国では、第1の表層のルールではなく第二の匿名のルールがわれわれを縛りつける現実的力をもっているのである。(90〜91ページ)
−−

私はこれは支配階級の人間の甘えの結果起こっていると考えています。もし文書の形でルールが客観的な存在となると、その支配階級の人間もそのルールを遵守しなければならなくなるでしょう。支配階級の人間としては、それは願い下げということではないでしょうか。いつも隠然たる影響力を行使していたいのでしょう。
上の言葉使いで、「支配階級」という言葉は不適切でした。むしろ、ここは中島義道の言葉使いをそのまま使用するのがよいと思います。すなわち「マイノリティ」と「マジョリティ」です。

「マイノリティ」とはさまざまな意味で社会的に報われていないのであるが、個人の言葉を抑制し小心翼翼と社会に適応しているフツーの「善良な市民」を指します。また「マジョリティ」とは個人の言葉を意図的に(ズル賢く)控えて社会的利益を受けているフツーの「善良な市民」を指すものとします(『対話のない社会』176ページ)。

で、面白いことに、中島義道はマイノリティもマジョリティもともに日本の「対話のない社会」の犠牲者だとしていますね。前者が犠牲者であるのは容易に想像できますが、後者も犠牲者だというのです。その理由は、「対話のない社会」ゆえに自分の思考を失い、自分の言葉を失い、多様な他者とのいきいきとした関係が結べなくなり、他者が見えなくなっているというのです。

しかも自分の存在は他者との関係において確認できるのだから、自分も見えなくなっている。自分は何を考えているのか、何を求めているのか、何をしたいのか、何を感じているのかが実感できなくなっている。だからマジョリティも実は犠牲者だというのです。

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