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日本人はなぜ多重人格なのかコミュのフィンランドでの教育体験

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以下はフィンランドに留学している、まだ現役の大学生のブログ日記ですが、
日本の教育の歪みについて実に的確に指摘していますので、引用します。

息を吹き返す「個性」
http://www.iec.co.jp/fin/001.html
協調性ではなく社交性
http://www.iec.co.jp/fin/003.html
反対意見が言えない空気  −視点の交換の必要性
http://www.iec.co.jp/fin/004.html

上記の一節を引用。

>日本ではしばしば、自分の意見をはっきりと声に出して言うと、
「協調性がない」という言葉を返されることがある。その意見が
集団の意思とは反対だと、なおさらつよい向かい風となる。
ここで意味する協調性とは、集団の運営がスムーズにいくように
自分を抑え、他人に合わせることなのだろう。こういった犠牲精神が、
人々を疲れさせ、他者に対してオープンであることを億劫にさせる。
そんなことから私は、フィンランドで小学校から育まれているそれを、
協調性(Cooperativeness)ではなく、あえて社交性(Sociability)
と呼びたいと思う。

>同質化され、集団意思に素直に従う個人やそのような人々で成りたつ
社会は、たしかに効率が良いかもしれない。しかしその効率のよさの裏
には、少しでも一定の基準を外れれば「自分勝手」という摩擦で削ら
れるという現実がある。集団が個人よりも重んじられ、個人の単独行動
や私的な思考の一切が抑制されているのだ。そのような、どれだけ集団
の規範に近づけるかどうかが、人間の価値を決めるような世界では、
生きる意味も希望も見いだせない個人が出てきても不思議ではないだろう。
人は、他者に認められたい生き物だが、それ以上に自分自身に認められ
たい生き物だ。他者に認められることを優先し、自分自身が認めることの
出来ないような自分と生きていくほど、辛く空しいことはないかもしれない。

> 今日の日本では、特に若者の間で、仲間に対して反対意見が言えない、
そんな雰囲気がないだろうか。考え方が違えば、「あなたと私は違う」と
境界線が引かれ、意見が合ってこそ同じ仲間だと認識される。同じ意見の
者同士が集うのは、確かに心地よいだろう。周囲に自分たちを脅かす存在
もないから、不安もない。しかし、なぜ自分がそういう意見を持っている
のか自分自身にすらろくに説明できない状態で、ただひたすら自分は
正しいと信じ込んでも良いのだろうか。他者に問われ、それに答えようと
しながら、自分の信じるものを常に磨き続けていかなければいけないよう
に私は思う。
そのためには、他者の異なる見解が必要不可欠だということに気がついてから
は、何だか今まで以上に生きることを楽しめそうな気がしてきたのだった。



コメント(5)

ご紹介のブログの著者の方、ミクシィにいらしゃいますね。アドレスはこちら(↓)。

http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1577028
教育の歪みというより これが日本だっていうことよね
私は常に皆と違うから

同じ仲間でいたいということは鎖国を望んでいるようなもの
いつの時代の話やら 退行しているのかしらん
>同じ仲間でいたいということは鎖国を望んでいるようなもの…

岸田秀という心理学者は、「日本人は心の奥底では鎖国を望んでいる」と言っています。
日本の学校教育の基本は、自分殺して上の人に従順で、自虐的で、みんなと同じ外見、意見、行動をしろっていう教育。権力者に都合のいい人を作る場所。

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