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日本人はなぜ多重人格なのかコミュの愛国心について

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昨日(11月14日)、NHKの『クローズアップ現代』という番組で、今回の教育基本法の改正に伴い、子供に愛国心を教えることを明定することの是非についてとりあげていましたがご覧になりましたか。私はこの番組を見ていて、自民党政府がやろうとしていることの狭隘さをかいま見たような気がして、胸が悪くなりました。

まず番組では、教育現場をレポートする例が3つほど出てきました。このレポートが紹介している事例に沿って検討してみます。

ひとつ目の事例は、伊勢神宮の近くにある学校で、そこでは教育勅語を筆写させる、毎週月曜朝の朝礼では伊勢神宮の方向に向かって生徒全員に礼をさせる、などの神道をバックグラウンドにした「愛国心教育」が行なわれている様のレポートでした。また、教育勅語が述べている「親を大切にしましょう」などの「教義」を教え込んでいました。

私はこのような教育方針は時代遅れで狭隘だと思います。例えば「親を大切にしましょう」などの「教義」を教え込むのは弊害のほうが多いような気がします。親は粗末にしなければそれで十分だと思います。むしろ、親や先輩ジェネレーションに対する批判精神を持つことのほうが大切だと考えます。なぜかと言うと、子供や若い人というのは、世の中の変革の担い手だからです。

最近私はアメリカの教育学者ジョン・デューイに関心を持つようになりました。彼は、「教育で最も大切なことは、子供達にこの社会をどのように変革していけばよいかについて考える力を養うことだ」と言っています。社会に真の変革のエネルギーが蓄えられるためには、子供にそのような思考力や実行力を植えつけてやることが必要なのではないでしょうか。そのためには、親や先輩ジェネレーションに対する批判精神を持つことは大切です。「親を大切にしましょう」などの「教義」をあまり強く教え込みすぎると、社会の変革に向けての思考力や実行力の育成が妨げられる可能性がある。これは日本国民全体にとって非常にマイナスです。

教育現場のレポートの2番目の事例は、キリスト教をバックボーンにした中高一環教育の例です。ここでは、相手が日本人であろうと外国人であろうとわけへだてなく接することの大切さを教えていました。私は、こういった教育こそが国際社会に巣立つ生徒に必要な教育なのではないかと思います。

日本という国に対する愛国心を持つことは、それ自体は肯定的なことです。だが愛するに値する国は何もこの日本だけではないのです。すなわち、他国の人も自分の国に対する誇りや愛情をいだく権利があり、自分が愛国心を持つ限りは、他国の人の愛国心に対する理解や尊重が必要であると言えます。愛国心について教えるのなら、このことをいっしょにきちんと教える必要がある。自民党政府が「愛国心」などというときは、どうも狭隘でうさんくさいものになるような気がします。

教育現場のレポートの3番目の事例は、日本の典型的な教育現場での「愛国心教育」のレポートでした。そこでは女性の教師が登場し、富士山の四季の写真を子供に見せて、「日本には四季があり、こんなに美しい国なんだからこの国を愛しましょう」ということを教えていました。このレポートを見たとき、日本の教師はここまで幼稚になり、その知性はここまで低くなり下がったのかとあきれ果てました。

このレポートでは、生徒の中に「世界には四季がないけれども美しい国もある。なぜ日本だけが『四季があるから美しい』などと決め付けられるのか」という疑問を呈する子供も登場しました。この子供の言うことはきわめてまともです。

私はここであらためてシオランの言う「我々は国土の中に住むのではない。国語の中に住むのだ」という言葉を思い起こします。このシオランの言に沿って愛国心を考えるのなら、まず我々が実際に話したり書いたりしている国語を知性的で格調のあるものにする必要がある。そのためには子供はもちろんのこと、日本国民全体が幅広い教養と思考力を養うことが不可欠です。

富士山の四季の写真を子供に見せて、「日本には四季があり、こんなに美しい国なんだからこの国を愛しましょう」などと幼稚きわまりない教育をしているヒマがあるのなら、他にやるべきことはたくさんある。まず日本の古典的な文学作品をどんどん読ませる。さらにスピーチの訓練などを通じて自分の意見発表能力を高める訓練をする。そういった訓練を通じて、日本人の日本語力を高めることが重要だと考えます。

コメント(8)

>「親を大切にしましょう」などの「教義」を教え込むのは弊害のほうが多いような気がします

そんなことはないでしょう。かなり苦しい言い訳です。

「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ」

保守派の中には上の表現を賛美する人もいますが、教育勅語のこの箇所は、聖書など他の文献にも同様のものがあり、とりたててどうと言うこともなく平凡であって、もちろん有害なものではありません。

終わりの、

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

というところが、結局は教育を国に奉仕するものだと定義づけているのが問題だったわけです。

西園寺公望文部大臣は、教育勅語が余りにも国家中心主義に偏り過ぎて「国際社会における日本臣民(国民)の役割」などに触れていないという点などを危惧していました。

教育勅語それ自体は、それほど有害なものではないでしょう。
>教育勅語それ自体は、それほど有害なものではないでしょう。

それは一応賛成します。しかし、こんなことを熱心に教えているヒマがあったらもっと大事なことを教えるべきだということです。トピック柱書きでも紹介したように、デューイは「教育で最も大切なことは、子供達にこの社会をどのように変革していけばよいかについて考える力を養うことだ」と言っています。私はこのデューイの思想を深く支持します。

しかし、「この社会をどのように変革していけばよいかについて考える力を養う」といっても、その実践は大変なものです。多様でかつ周到な方法を考えなければなりますまい。教育者としては、そのことに全力を傾けるべきです。そうすると、教育勅語の講読だの筆写だのをやっているヒマはないはずだ、ということなのです。
>「親を大切にしましょう」

相次ぐ「いじめによる自殺」をなくすための国が思いつく対策として、「命の大切さをどう教えるか」というのも、あってもなくても特に変わらない(つまり実効性のない)ナンセンスで幼稚なものだと感じました。


そのような教育は中学生にもなればとっくに受けているはずです。
そのうえでいじめが行なわれている、と考えたほうがいいでしょう。
情緒に訴えかける教育はもはや限界にきていると言ってもいいと思います。
>相次ぐ「いじめによる自殺」をなくすための国が思いつく対策として、
>「命の大切さをどう教えるか」というのも、あってもなくても特に変わらない
>(つまり実効性のない)ナンセンスで幼稚なものだと感じました。

「日本人は何教徒なのか」というトピックの7番で、JUNさんは、「空虚な言語の例は?」と問うておられますね。この「空虚な言語」の例が「命の大切さをどう教えるか」のようなお題目なのではないでしょうか。
>富士山の四季の写真を子供に見せて、
>「日本には四季があり、こんなに美しい国なんだからこの国を愛しましょう」
>ということを教えていました。

この種の言説に取り込まれる日本人は多いと思います。
(現に僕の周囲にも年齢を問わずそういう人はいるので)
中山氏も指摘している“誉め言葉に弱い日本人”といったところでしょう。

問題はそのせいで、この国が抱えている問題の数々が見えなくなってしまうことです。

この種の“刷り込み”が成功して一番喜んでいる者は誰か、ということを少しでも考えてみて欲しいですね。



>生徒の中に「世界には四季がないけれども美しい国もある。
>なぜ日本だけが『四季があるから美しい』などと決め付けられるのか」
>という疑問を呈する子供も登場しました。

素晴らしいですね!
この時、先生は何と返事したのでしょうか。
>素晴らしいですね!
>この時、先生は何と返事したのでしょうか。

生徒はそれほどはっきりとメッセージを出せたわけではありません。ちょっと口ごもりながら「日本には四季があるから美しい」という命題に異議を唱えていただけです。だが、その意味するところを明確に言うと、「世界には四季がないけれども美しい国もある。なぜ日本だけが『四季があるから美しい』などと決め付けられるのか」という意味になるのです。教師も明確な返答はしていませんでした。

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