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尾崎翠『こほろぎ嬢』製作上映コミュのもりまりこさんの『こほろぎ嬢』評

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 シネマアートン下北沢でのアンコール上映が、5月18日で終わりました。応援してくださったすべての皆さんに感謝します。
 モーニングの1回上映なので、なかにはお客さんがただ一人という日もありましたが(しかし、なんと九十九里から来てくれたのです! この日も挨拶したわたしは、とても気持ちの良い対話を交わすことが出来ました)、土日曜や最終日には多くの方がつめかけてくれました。
 そう、浜野監督が挨拶した最終日には、町子のお祖母さんの家の外観を撮影した、若桜町の木島邸の親族の方も、数人見えました。親族だと名乗られた年輩の女性と、子供のころ毎年夏に遊びに行っていたという、当主の姪のお二人とは、たまたま同じ日に観に来られたとか。旧家の古いお屋敷は、東京で育った少女たちの冒険心を、大いにくすぐったようです。(なお、お祖母さんの家の内部は、同じ若狭町の「若狭郷土文化の里」にある三百田氏住宅です)

 1月のお正月ロードショーの際に、作家の盛田隆二氏と共に観に来てくれた歌人のもりまりこさんが、ご自分のHPで『こほろぎ嬢』評を、エッセイに書いてくれていました。この映画で描かれている登場人物たちの孤独が、いかなる質の孤独であるか、とても正確に言葉にされていると思いました。
 そのなかの、わたしに印象的だった一節を引用します。

「でもあの映画に描かれていたのは、つがいになれない
孤独とかでは決してなくて、もともとひとりだったじゃない
あなたもわたしもってことをそっと耳もとで囁かれた時の
ふいをつかれた感じに似ていたのだ。」

 他にも、立ち止まって考えてみたいフレーズが多くありますので、ぜひご一読ください。なお、もりさんの歌集には『ゼロ・ゼロ・ゼロ』(フーコー)があります。

「もりまりこのうたたね日記」
http://www.sakaorirenga.gr.jp/mmp/07fol/mmp161.html

コメント(2)

拝読しました。

「あの映画の中に通奏低音のように流れていたのは
風通しのいい孤独だった。」

という一文に共感です。
孤独という観点をつきつめながら、悲痛にも悲壮にならず、希望が仄見えているところに、もりさんのエッセイの鮮やかさがあると思いました。ひとりであることの、しんみりした開放感とでも言ったらいいでしょうか。
『第七官界彷徨‐尾崎翠を探して』のときには、林あまりさんが推賞してくれましたが、女性歌人と尾崎翠は、どこかつながるものがあるのかも知れません。

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