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ケインズコミュのProbabilityをめぐる用語論

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ケインズの"A Treatise on Probability"(『確率論』/『蓋然性論』)に関する用語などについて、意見交換をしたいと思います。成果は、『蓋然性(確率)論』研究会のwikiに反映させていきたいと思います。
http://w.livedoor.jp/keynes-probability/

コメント(8)

■probability

「蓋然性」または「確率」と訳される。
一般的には、「確実性」あるいは「確からしさ」の度合のことを言う。
数学で取り扱うような数量化できるものとして扱われる場合、「確率」と訳されることが多い。
逆に、数量化できないものや主観的なものを含むときには、「蓋然性」と訳されることが多い。

「probability」は、まさにケインズの著作「A Treatise on Probability」の研究対象そのものである。
この著作の中でケインズが取り扱っている「probability」は、客観的であり論理的なものであるが、必ずしも数量化できるとは限らないものである。その意味では、この著作のタイトルは『確率論』ではなく『蓋然性論』と訳されるべきであるという意見も根強くある。(たとえば浅野栄一『ケインズの経済思考革命―思想・理論・政策のパラダイム転換』勁草書房、2005など)

ケインズは、「不可能(性)=impossibility」と「確実(性)=certainty」の間にあるものとして蓋然性(probability)を説明している。不可能を数字の「0」とし、確実を数字の「1」とすれば、その間の数値で表されるのは、我々が数学などで馴染み深い「確率」である。しかし、ケインズは「数値化できない蓋然性(non-numerical probabilities)」についても「A Treatise on Probability」の中で取り扱っている。
> 紅之豚さん なかなか良い切り口ですね。あと、蓋然性のうち極大のものを「確実=1」という観点も入れると良いと思います。あと、1=認識knowledgeに相当するという事もケインズは書いてた気もします。ウィキに成果がたまったら、何処かに発表しましょう!
いずいず様
「knowledge」は、独立した項目として説明してもよいかも知れませんね。
訳語としては「知識」でしょうか。

色々と考えてみると、「用語集」は日本語を見出し語にするよりも、ケインズ自身が使っている英語を見出し語にした方が作りやすそうです。どうしても、英語と日本語が「1対1」の対応にはならないんですよね。

ところで、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』に次のような一節がありました。

「qからpが帰結するとき、命題qの下での命題pの確率は1である。論理推論の確実性は、確率の一方の極である」(5.152)

これは、ケインズの確率論と整合的な説明ですね。

同じ節に「これはトートロジーと矛盾にも適用される」と書いてあって、僕にはチョッと意味が分からなかったのですが、ある解説書を立ち読みしたら、「トートロジーの場合は、確率が1」「矛盾の場合には確立は0」というようなことが書いてありました。なかなか面白いです。
用語集の各用語ごとの構成ですが、ざっと次のような感じでしょうか。

A.短く一般的な説明。
B.少し詳しい説明。
C.ケインズにおける用法・用例などの紹介。
D.やや踏み込んだトピック。たとえば学説史的な説明など。
E.参考文献。
■subjective probability or subjective theory of probability
=主観的確率(論)、確率にかんする主観説

A.確率を個人の信念の度合とみなす理論、学説。
B.確率を個人の心理的なもとする見方もある。主観説によれば、スポーツの勝敗、気象に関する事柄、政治的事象などのように「繰り返し」が不可能であるようなものについても確率を考えることができる。 英国ケンブリッジのフランク・ラムジーやイタリアのブルーノ・デ・フィネッティによって発見される。
C.『確率論』においてケインズは「論理学にとって重要な意味において、確率は主観的ではない。つまり、確率は人間の気まぐれに左右されるものではない」(『確率論』第1章・第2節)と書いて、主観説を退けている。しかし、ラムジーは、ケインズの『確率論』を批判的に検討することから主観説を展開した(ラムジー「真理と確率」)。後にはケインズもラムジーによる批判の一部を受け入れている(『人物評伝』「ラムジー」)が、ケインズが主観説までを受け入れたかどうかは明確ではない。
D.主観説は、フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによる「ゲーム理論」における効用測度の公理化やサヴェッジの「意思決定理論」における確率測度の公理化の試みに対する先駆的理論であるとも評価されている。

E.参考文献
伊藤邦武『ケインズの哲学』
ギリース『確率の哲学理論』
■objective probability or objective theory of probability
=客観的確率(論)、確率にかんする客観説

A.確率を分量や質量のような物的世界の性質とみなす理論、学説。
B.狭い意味では、「人間から完全に独立したもの」について言い、「完全に客観的なもの(に関する確立)」と呼ばれる。例としては「一定時間あたりに特定の放射性原子の分裂する確率」などがある。
「客観的」という言葉をより広くとらえる場合もあり、「物的な世界に存在するが、人間と自然の相互作用である」(人工物的な)確率や、あるいは「合意に至った社会集団の持つ信念の度合」といった(間主観的な)確率を「客観的確率」に含めることもある。
C.確率を「命題間の論理的関係(に対する合理的な信念の度合)」と考えたケインズの『確率論』においては、確率は客観的なものとされている。しかし、その意味合いは必ずしも明確ではない。命題間の論理的関係について狭い意味での客観性(物的世界の性質)を考えることは難しい。「論理学にとって重要な意味において、確率は主観的ではない。つまり、確率は人間の気まぐれに左右されるものではない」(『確率論』第1章・第2節)とするケインズが、合理的個人であれば共有可能なものとして確率を考えていたとするならば、ケインズの確率論を間主観的なものとして考えることが出来るかも知れない。

E.参考文献
伊藤邦武『ケインズの哲学』
ギリース『確率の哲学理論』
■intuition
=直観

A.対象を他の認識方法の媒介なしに直接にとらえること。
B.感性的直観:カントは、対象から触発される仕方で表象(presentation,representation)を受け取る能力を「感性(sensibility)」と呼び、感性のみが我々に直観を与えるとした。
知的直観:プラトンやアリストテレスは、理性が観想(テオリア、contemplation)によって、存在の究極の根拠や原理などといった超感性的なものを直接的に把握できると考えた。
ラッセルは、『哲学入門』(The Problems of Philosophy)において直観的知識について論じている。「直観的知識」には、(1)感覚に与えられたことをただ述べるだけのもの、(2)ある抽象的な論理学・算術の知識、(3)いくつかの倫理学の命題、などがある。(2)の実例としては、「2+2=4」といった単純なものがある。また、ラッセルは多少の留保をつけつつ、「私たちは善を追及すべきだ」という命題を(3)の例としている。
D.西洋哲学においては「直観」と「直感」を区別することがあるので注意を要する。
『確率論』の邦訳では、第7章・第7節などで「intuition」を「直感」と訳している。

E.参考文献
カント『純粋理性批判』
ラッセル『哲学入門』
『岩波哲学小辞典』(1979年)

http://www.weblio.jp/content/Intuition+(knowledge)
「西洋哲学における直観
西洋哲学(philosophy)において、直観(Intuition)は直感と区別された用語である。一方で直感は、感覚的に物事を瞬時に感じとることであり、「感で答える」のような日常会話での用語を指す。他方で、直観は五感的感覚も科学的推理も用いず直接に対象やその本質を捉える認識能力を指し、認識論上の用語として用いられる。第六感という表現は、ほぼ後者を指す。その混同は注意されることが一般的だが、特に(排中律)論理志向の強い研究者のなかにはこだわらない者もいる。」
■intersubjective probability or intersubjective theory of probability
=間主観的確率(論)、確率にかんする間主観説

A.合意に至った社会集団(共同体)が持つ信念の度合を言う。確立にかんする主観説と客観説の間にあるものとも言われている。「間主観説」が独立して考えられるようになる前までは、客観説の枠内で捉えられていたこともある。
B.社会集団が間主観的確率を形成するためには、いくつかの条件が必要であるが、特に以下の2つは重要である。
(1)共通の利益(目的):集団の構成員を結びつけるものとして。
(2)情報の流れ:集団の構成員の間のコミュニケーション。
C.ケインズが『一般理論』(第12章・第5節)で論じた「美人投票」の話は、「間主観的」な現象の一例であるとも解釈できる。その例では、「個人的に美人だと思うこと」(主観的)や「特定の基準や理念に照らして美人であること」(客観的)が問題とされるのではない。また、単純に集計的な「平均的意見」が問題となるのでもない。ここで問題となるのは、「平均的な意見は何が平均的な意見になると期待しているかを予測して知恵を絞る」ことである。
D.ただし、このような間主観的な確率(蓋然性)や期待が形成されるプロセスについては、必ずしも明確ではない。また、このような確率や期待が「合理的」と言えるのか、また、これらは安定的なのか不安定的なのかという問題についても、まだ充分な解明はなされていない。

E.参考文献
伊藤邦武『ケインズの哲学』
ギリース『確率の哲学理論』
ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』

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