ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

藤堂高虎コミュの藤堂高虎の室を教えて下さい

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ウィキを覗いてみたら、本妻しか掲載されていませんでした。彼には、妾は1人もいなかったのでしょうか?藤堂高虎の室(本妻と妾)をご存知の方がいましたら、どうかご教授ください。掲載されている書籍も、よろしければ教えて下さい。よろしくお願いします。

コメント(7)

はじめ、久芳という夫人を迎えますが、子供が授からず、のちに松寿夫人を側室として娶りました。
その二人以外の女性を側室にしたりする事は無かったそうです。

詳しくは藤田達生先生著の「江戸時代の設計者 異能の武将・藤堂高虎」に載っていますよ。価格もお手ごろです。
三重県内で結構売れた本だと思います。

この著書は詳しく高虎の軌跡が書かれているのでオススメです!
ありがとうございます。とても参考になりました。おすすめの本を、一度読んでみたいです。
家譜なので内容には慎重な取り扱いが求められますが一応公式な系図なので
参考にしてください。



『寛政重修諸家譜』
第十四巻藤堂の項目


>室は長越越前守連久が女(むすめ)

と記載あります。間に4人ほど子供を設けたようですが、自分が今持っているのがコピーで途中までなのでこれ以上わかりません。すいませんあせあせ(飛び散る汗)

正室は一色修理太夫の娘の久芳夫人。秀長配下で中国攻めに従事している時代。高虎26歳の頃です。この夫人との間に子供は出来ませんでした。
側室は長連久の娘の松寿夫人。この方、宮部継潤の側室で継潤の死後に高虎が引き取った形になりました。時に高虎44歳。関ヶ原の前年の話です。この松寿夫人との間に高次を始め4人の子をなしました。
高虎の室はこの2人とされています。
が、紀州粉河時代に侍女に手をつけて子供を作ってしまってます。高虎待望の実子ですが、高虎は久芳夫人に遠慮してか家臣に引き取らせるんです。
この辺りは戦国武将としては珍しいですね。
橘さん、ダブさん、書き込みどうもありがとうございます。

私の手元の本には、あまり詳細がなく、妾のことは「妾腹1人」とだけ掲載されていて、妾が誰なのか、その子は誰なのか、わかりません。正室、継室は、皆さんから教えていただいた情報で満足しています。できれば、この妾となった女性が誰なのかを突き止めたく思っています。



津市教育委員会が編集発行した『高虎さんのはなし』によると、件の侍女は粉河村の武井忠兵衛の娘だそうです。
嫁いだ先で男子を生み、夫が亡くなると、家臣の石田清兵衛が母子を引き取り育てたそうです。
その子は長じて石田才助、後に三郎左衛門武清を名乗りました。
高虎と武清は、伊勢伊賀入府の折り、武清16才の時に対面したそうです。
高虎は武清に200石を与え近臣とし、翌年には100石加増、大坂の陣の功などで、やがて千石取りになりました。
石田家は清兵衛の実子が継ぎ、武清は別家を立てますが、延宝九年の疑獄事件の咎で伊賀奉行の清兵衛は切腹となり、清兵衛家は断絶。しかし、別家の三郎左衛門家に咎めはなく、清兵衛に替わって伊賀奉行に任じられたとか。
ダブさん、度々ありがとうございます。お陰様で、謎が解けました。感謝します。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

藤堂高虎 更新情報

藤堂高虎のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング