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古伊万里と焼き物コミュの『しりとり』やきものに関する言葉で

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【しりとり、やきものに関する言葉で】のコナーを設けたいと思います。

しりとりをやりながら、やきものの知識を深めていければ、
これほど楽しいことはありません。

○やきのもに関する言葉であれば、なんでも結構です。
○おなじ言葉を何回使っても、かまわない事にします。
○最後が、『やかん』など『ん』で終わる場合は、『かん』で始まる言葉とします。

(たとえば、産地・種類・道具・やきものに関するモノなんでも・・)


   一人でも多くの方々の、ご参加をお待ちしております。

     (画像は、入れても入れなくともかまいません)


                  ☆宜しくお願いいたします。
                 



               参考・蛸唐草色絵猪口・江戸中期頃、口径約8cm×高さ約7cm                     

コメント(468)

まをうけまして
「窓絵」といきます。
え です。
え、うけましょう。
絵御本えごほん、です。
次は、ほん、でお願い致します。

たまには、所持品を紹介します。笑


ぼんぼん様
絵御本ですね。  御本とは、見本を出して作らせたと言うものですね。
立鶴の様に絵の見本を出したのでしょうか?  李朝の染付にも撫子の絵がありますが、この絵は日本的な絵みたいですね。  割り高台も面白いですね。
かなり軽い茶碗のようですが・・・・私が作った割高台の赤志野茶碗は普通の重さですが。(写真)     
さて「ほん」で継ぎましょう。
「本手堅手、ほんてかたて」で参ります。
別に堅手でなくても良いのですが、「本手」とは本筋のと言う意味ですね。
「本手」の反対は「いえ手」と呼びます。
例えば伊羅保なら、本手とは伊羅保の約束がきっちりと茶碗に出ているものを指します。   土が粗いとか、釉肌がざらつくとか、轆轤目が細かく千筋があるとか、口にべべら(口の部分に出た石を取った跡)・・・などがそれです。

そんな約束は満たしていないけれども、伊羅保茶碗に似た茶碗を「いえ手伊羅保」と呼びますが、格はずっと下に見ます。  「まがい物の意味です」

それ程本手を大切にして、区別したのですね。  昔の茶人は、「本手」と「いえ手」の混じる事を避けたのです。

次は「て」で宜しく。   
随分長く止まっておりますね。
一寸擽って動かしてみましょうか?
「て」でしたね。  「鉄面皮」「天下御免」と言いたい放題。
「鉄青磁」で参ります。  青磁の発色は、ほぼ1%ほどの鉄分が還元作用で青く発色する事は御存知でしょうね。
たった1%の微量の鉄分で何故青く見えるのでしょうか?
殆ど透明に近いものですね。  厚味のある透明ガラスを正面から見ると、透明で向こうがはっきりと見えますが、厚味のある側面は青い色をしていますね。
青磁の釉薬は普通の釉薬の倍の厚味で掛けますから青く見えるのです。
そして釉薬の配合を細かい泡が多量に発生して、その泡を逃がさない様に粘りのあるようにします。   すると無数の泡が光を乱反射して少し白さのある青色になります。  これが砧青磁の色なのですよ。

ここで鉄青磁と書いたのは、他に酸化銅を酸化で焼いた「銅青磁」や酸化クロムを使って緑掛かった青磁を焼きますが「クロム青磁」と言うものが存在するからです。
つぎは「し」か「じ」でお願いします。   動いて下さいね。
し、うけましょう。
七官青磁と受けようと思ったのですが、、なんとまた、し・・・・・。
ちょっと能が無いかなと思い、七宝とうけましょう。
次は、う、でお願い致します。
こんばんは。(おはようございます・・・かな?)

う ですね。

「上絵」(うわえ)にて・・・。

次は、え  で お願いします。


上絵は、一度っきりしか経験していません。
緊張しますね・・・。

P.S 超初歩的な言葉しか知らずすみません(汗)
たまには西洋の焼き物もいかがですか。

エンボスド・クイーンズウェア

クイーンズウェアはもともとクリーム・ウェアと呼ばれ、
初代ウェッジウッドが在来の陶器を改良した硬質陶器です。
非常に高品質でしかも大量生産されたので高い人気を呼び、
発表後あっという間に西欧大陸諸窯のファイアンス陶器を駆逐してしまいました。
シャーロット王妃のお気に入りとなったので、
クイーンズウェアと呼ばれるようになったと言われています。
世界初の高品質大量生産陶器です。

エンボスド・クイーンズウェアは、その中でもレリーフが施されたもので、
一見ジャスパーウェアにそっくりですが、
厚くポッタリと施された釉薬が、またまったく違うやわらかさをかもし出しています。

次は「あ」で。
「あ」ですね。  「当り」「当り前だのクラッカー」これは古い、分かりますか?  さて「朝日焼き窯」また「き」になるので、窯まで行きました。
朝日焼きは京都の宇治にある焼き物窯です。
小堀遠州七窯の一つで、かれが指導して淀の城主の永井信斎の庇護によって栄えました。  当時から「御本手」茶碗の写しを作っておりました。
「御本手」には、「御本」と呼ばれる赤い斑点があるものが喜ばれたので、その技法を研究して茶碗を焼きました。   御本は僅かに鉄分を含んだ粗土で茶碗を作って、薄い灰釉を掛けて少し中性炎で焼き上げると土から出た気泡の縁に薄い鉄の滲みが出ます。   それが「御本」と呼ばれます。
朝日焼きでは、大きな御本が沢山出たものを「鹿背」小鹿の背中の斑点に似ているとしております。

次ぎは「ま」です。  上手く尻取りが遣り難い字がある様ですね。

停まっているときには、出来るだけ参加して尻取りを続けましょう。
いつも、みなさまご参加ありがとうございます。m(__)m

益子焼の湯呑です。


これは、民芸運動で有名な、濱田庄司氏の作品です。

8,5?×6,5?


  つぎは、益子の『こ』で願います。
初カキコさせていただきます。
益子の「こ」を受けて

「コンプラ瓶」

海外輸出用の酒や醤油を詰めるために、波佐見で作られたものです。
コンプラ瓶は、オランダ本国や、オランダの植民地下にあったインドネシアなどからは数多く発見されていますが、日本国内における出土例は、長崎を除けばほとんどありません。
しかし唯一の例外が蝦夷地(北海道)でした。
松前城下や北辺防備のために建てられた陣屋、アイヌと和人の交易地であった「場所」などからコンプラ瓶が出土しています。
なぜ海外輸出用のものが、しかもこれほど離れた場所で集中して発見されるのか・・・謎の多い焼き物です。

画像は手持ちが遺跡出土のものしかないのでアップできませんが、画像検索でかなりヒットするので、興味のある方はどうぞ。

というわけで、次は「びん」でおねがいします。
あっちゃん様
コンプラ瓶には、二種類あります。
ひとつは「zake酒」でもう一つは「zouya醤油」の名前が書いてありますよ。
焼いたのは九州の平左焼き(字が違ったかも知れません)のものだから、
蝦夷の地に行ったのは、多分松前藩に納めた醤油か酒の容器だったものか、
侍が嗜好品として、持ち込んだものでしょうね。

「尻取り」に為らなくて済みません。
椎の木窯の親父 さん、詳しいご説明ありがとうございます。

では、あっちゃんさんの、『ビン』をつぎまして、

『ビンツケ油のあぶら壺』

つぎは、『ぼ』または、『ほ』で願います。  m(__)m
「ほ」を受けて「ぼたもち」で参ります。
食べる牡丹餅ではなくて、備前などの棚板(焼物を焼く時に耐火度の高い土で板を作って、棚を窯の中に組んで作品を置いて焼く道具)の上に徳利や壷を置いて焼くと置いた跡が円形に赤くなるのが、「ぼたもち」と呼ばれて珍重されます。

最近では窯変を出す部屋を窯の二の間に作り徳利や壷や花生などを横積みして重ね焼きしますと色んな変化が出ますが、ぼたもちは意識して出す事が可能になりました。  昔は何故出るのか分らなかった様ですね。
次ぎは「ち」でお願いします。   写真を載せ損ないまして済みません。
椎の木窯の親父 さん

手元にありましたので載せました。

備前の「牡丹餅」 江戸時代の大皿
倉敷案内人様、ぼたもちの写真有難う御座いました。 立派な大皿ですね。

最近、或る方の質問を答える為に「美濃焼の歴史」を写真や古い資料などと私の拙い経験から得た知識を披露させて貰ってますので、宜しければ覗いて見て下さい。    現在は黄瀬戸関係の話ですが、これをマスターすればかなりの知識が得られると思います。あせあせ

「ち」「千種伊羅保ちぐさいらぼ」いらぼの中では最高のものです。
京都の千種宰相が持っていたので「ちぐさ」の名があります。 伊羅保釉と井戸釉との掛け分けになっており、井戸釉の部分に白い刷毛目が有るのが特徴です。
火間や千筋もあり、井戸釉の高台脇には梅華皮(かいらぎ)まであり、なかなか豪快な茶碗です。

次ぎは「ほ」「ぼ」でお願いします。
また、「ほ」にしてしまった責任を取ります。
「焙烙または、炮烙、ほうろく」でまいります。
素焼きの土鍋の一種でものを炒るのに使う台所用品。
茶の湯では、炭手前に使う。
炉や風炉の灰を入れて、炭杓手を添えて持ちだすものです。

次ぎは「く」で宜しく、
☆いつも椎の木窯の親父 さん、ありがとう御座います。

   では、『く』を引き継ぎまして・・

       郡中十錦手(ぐんちゅうじゅっきんで)

伊予市郡中に開窯。
精巧な十錦手上絵付窯。
創始者・(現在の伊予市灘町の)薬種問屋小谷屋友九郎(寛政年間生)。
天保、嘉永、文久の間を最盛期として、明治の初め頃まで焼成。
清朝上絵の十錦手を写したもので磁器釉表に青、責緑、赤桃、褐、薄コパルト青白盛、脂、月燕黒、金彩など上絵具を厚く塗り、その上に錐花をして焼いたそうです。

つぎは、『て』まだは、『で』でお願いいたします。
「て」で参りましょう。
鼎(かなえ=てい)です。
中国の古代国家の殷・周時代の青銅で作られた三脚の上に盥を置いて両側に棒を通して持ち運び出来るように四角い取っ手を付けたものです。
主に肉などを煮るのに使いました。
例の「鼎の軽重を問う」と言う有名な言葉は、鼎に准えて君子の能力を試した言葉です。
次ぎは「い」で御願いします。
いをうけまして、「いげ皿」

あれ?以前、出ましたかね?
楽焼
また「き」になってしまったようですが・・
黄瀬戸でねがいます。

で、つぎは『と』でお願いいたします。

「トルネード」なんて懐かしいですね。  「のもちゃんの世界」
余談は、さて置き「500番」とは楽しいですね。

「陶枕=とうちん」で参ります。
中国の唐時代からある陶器の枕ですね。
中は中空になっており、小さな玉が入れてあり振ると音がします。
宋時代のものが多く、こんな日常に使われたものが良く残ったもの・・しかも数が多いのは何故か?
簡単な話ですが、古墳からの発掘品だから結構綺麗に残されているのですね。

次ぎは「ちん」か「ち」で御願い致します。
あけましておめでとうございます。

今年もしりとり楽しませてください。

さっそく、すごく安易ですが、「ちん」をうけまして→沈壽官さん。薩摩焼の陶工です。

「かん」でお願いいたします。
すっかり明けちゃいましておめでとうさんです。

今年も性根を入れて「しりとり」しなければ・・・・・

「かん」と来れば「勘」ですかね。

「カンナ目」で参りましょう。

中国の最も素晴らしい焼物が生まれた宋時代の焼物ですが。

この写真は白土の上に鉄化粧し、半乾きの状態の時にゼンマイで作ったカンナを壷に直角に当てて、カンナを振動させながら轆轤を回すと、カンナが細かく飛んで連続の跡が綺麗に付きます。

これを宋時代には「飛白文」と呼びますが、日本では、九州方面に朝鮮から連れて来られた陶工がこの技術を伝えております。
現在では、民芸品として販売されておりますが、タイミングの難しい作業が必要ですね。  私も時々思い出した様に「飛びカンナ」で作品を作ることがあります。

次ぎは「め」で御願い致します。
「め」をうけまして、「めあと」といきます。

あれ?また「と」になりました。
「と」ですかね?
これは皆さんが世話になっている「陶芸教室」ですね。
私も仕方なく「陶芸講座」を遣っておりますが、十年遣っている方もおられますが、一年目は私のカリキュラムに従って教えますし、生徒の好きな「ゴッドハンド」を良く使いますから作品は其れなりのものになりますが・・・・
私の作って使う釉薬が40種類ほどありますから、皆さんは何時も迷ってばかりですね。  でも特殊窯で私が焼く志野釉などは使わせません。
まあ「陶芸教室」ほど、ピンから錐まであるものは少ないでしょうね。

次ぎは「つ」で御願い致します。
つ、うけまして、土味と行きます。
この土味と言うのは、最初器が好きになった時に耳にいたときは、何のこっちゃ!!!と思いましたが、次第に、分かるようになってきました。
なにごとも、たくさん見て行くことが大事ですね。(^^)V

次は、し、もしくは、じ、で御願いいたします。
「のだめカンタビーレ」ではいけませんかね。
さてと「の」ですね。  「の」は余り有りませんから御用心あれげっそり
「登り窯」で参りましょう。
最初に日本に伝えられたものは、現在でも丹波立杭にある「蛇窯」の様な形のものです。   朝鮮の割り竹式の穴窯で、丁度竹を半分に切って半分地面の下に埋めたような形の窯です。  竹の節の部分で隔壁が出来て下側に火の通る穴が数個開けてありますから、火はその穴から次ぎの部屋に抜けて行き、次々と部屋が焼けて行き燃料が非常に経済的な窯です。うれしい顔

最初は朝鮮の陶工が、唐津の岸岳城の麓に窯を築いて焼き始めたものです。
後に方々の窯の見本になった窯ですが、私は唐津だけでは無くて同時に各地に帰化朝鮮陶工がこのタイプの窯を作って焼き始めたのではないかと考えます。

美濃の織部焼を始めた窯が岸岳系の有段式の登り窯と同じなのですが、近くにもう少し古いタイプの無段式の登り窯が存在するのです。
窯の中に段が無い方が形としては古いタイプなのです。
織部焼の窯が唐津から習って来て作った元屋敷窯?では可笑しいのですね。

次ぎは「ま」で御願いします。
では、松井康生でお受けます。

長野県に生まれた松井康成は、10歳代後半より茨城県笠間に住み、30歳の頃には同市内の古刹月崇<げっそう>寺の住職となりました。3年後には境内に窯を築いて中国や日本の古陶磁器研究を本格的に始め、やがて練上の技法に研究の的をしぼって、日本伝統工芸展や個展を中心に作品を発表しました。そして、1993年にはこの「練上手」<ねりあげで>の技術保持者として重要無形文化財(人間国宝)の認定を受けるに至っています。
しかし、2003年に故人となりました。

つぎは、『い』で願いいます。
糸底でおねがいします

自作の肩衝茶入れです。

次は「こ」です
「こ」ですね。  香合で参ります。

香合は焼き物で出来たものと、古材や漆塗りのものとが有ります。

焼物の方は、練った香を入れますが、古材や漆塗りのものには香木を入れます。

どちらも炉や風呂の炭火の上に置き、その香を楽しみます。

香合だけは、茶道具の中でも制約が少ないので気楽に遊んで作れます。

写真は、私の出来の悪い香合達です。

次ぎは「う」で御願い致します。
「う」わーまた渋滞していますね。
「雨過天青=うかてんせい」
つまり雨が上がった後の青空の様な色の釉薬のことですね。
中国の後周柴窯の青磁釉のことで、伝説では世宗が「雨の後の青空の様な青磁の色を出せ」と言ったとか・・・・
まあ途轍もなく難しい青磁の色の事です・・・・
次ぎは「い」で御願いします。
メール椎親父 さん。
いつも、ご参加ありがとうございます。m(__)m

『いしはぜ』でお受けします。

ご存知のごとく、素地のなかの砂石が、はぜて景色となったものです。
水が漏らないものは、むかしの茶人が、珍重したものです。

つぎは、『せ』または。『ぜ』でお願いいたします。

「せ」ですね。
「背高泡立ち草釉」セイタカアワダチソウの灰を使って作った釉薬です。
自分が作った薬なので、恐縮ですが昭和49年に創作して中日新聞に載ったものですが。
写真の様にマット調になります。
面白い釉薬ですが窯によって、釉調が違います。
二重壁の特殊窯では、こんな感じになり呉須や鉄の発色も良く、赤絵も上手く載りますが、普通のガス窯ではざらっとした釉調になりますが、鉄が鉄砂みたいに発色しますし唐津風に上がります。
次ぎは「う」で御願いします。
「う」ですね。
イギリスもので、申し訳ないのですが、「ウィロー・パターン」のお皿です。

我が家の焼き物は曾爺さんと爺さんが主に集めたもので、
唯一なぜかイギリスの焼き物が混入していました。

ウィローの「ろ」で御願いします。
六古窯!
瀬戸、常滑、信楽、越前、丹波、備前の事。
こんなんでもいいのかな?
またまた『う』です!
六古窯!
瀬戸、常滑、信楽、越前、丹波、備前の事。
こんなんでもいいのかな?
またまた『う』です!
卯花墻 うのはながき
志野茶碗の名品。
日本で焼かれた茶碗の国宝指定は
これと本阿弥光悦の不二山の2点のみ。
日本橋の三井記念美術館所蔵。
清水焼 で
またきになってしまいますが 

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