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戦国宝物殿コミュの童子切安綱

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<概要>
天下五剣の一つ。平安時代の伯耆の刀工・安綱の作。刀身二尺六寸五分(80cm)、反り9分(2.7cm)。地鉄は板目肌流れ地沸え良くつき映りも鮮明,刃紋は互の目と丁字乱れ交じり沸え出来。阻元は焼き落として鋩子は乱込み佩表は尖り裏は焼き詰める。中心は生ぶ,鑪目は切り。

<所有者>
源頼光→足利将軍家→豊臣秀吉→徳川家康→徳川家忠→越前・美作松平家→東京国立博物館(国宝)

<遍歴>
 征夷大将軍・坂上田村麻呂が伊勢神宮に奉納していたものを源頼光がお告げにより貰い受け、大江山の酒呑童子を退治した時に用いたとの伝承がある。

 足利将軍家に伝わる重宝であったが、豊臣秀吉より徳川家康に贈られ、家康は秀忠に譲っている。秀忠は三女勝姫が越前・松平忠直に腰入れした時に守刀として持たせたとも、忠直自身に与えたとも言われている。また忠直の父である結城秀康(家康二男)が結城家に養子に入った際に養父の結城晴朝から譲られた、という説もある。

 松平忠直の子・光長が幼い頃、夜毎にうなされて泣くことがあった。疳の虫ということで治療や祈祷がなされたが、一向に効き目はなかった。そこで童子切安綱を枕元に置いた所、夜泣きは止んだという。ここから狐憑きを落とす、という話が生まれる。

 天和元(1681)年、光長は越後騒動に巻き込まれ流罪となり、赦されて7年後に江戸に戻った時には刀身に錆が浮かんでいた。錆を落とすため本阿弥家に持ち込まれた安綱だったが、その朝に多くの狐が本阿弥家の方角へ移動してきた。人々は童子切が本阿弥家へ移動してきたためだろう、と噂した。
 本阿弥家がこの刀を預かっていた折、隣家から出火し家人たちは避難しようとした。ところが屋根に白狐が現れ苦しんでいる。家人の一人が童子切を忘れたことに気付き刀を持ち出してきたところ、白狐の姿は消えていた、と言われる。

 実戦では使用されなかった童子切りだったが、切れ味を示す逸話が残されている。越前松平家が作州津山へ移封されると、当時の藩主は家中の達人に童子切の試し切りを行わせた。すると「六つ胴・土壇払い」、つまり積み重ねた六体の死体だけでなく下の土台まで切り込んだほどの切れ味であった。

概要・伝承 http://www.geocities.jp/bowen_dragon/taki/touken/doujikiri.htm
逸話 http://www.n-p-s.net/katanastory9.htm

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