西暦2000年の関ケ原合戦400年祭から8年の時を経て、2008年、関ケ原町制80周年の年に誕生した「関ケ原合戦祭り」。
2000年当時には思いもよらなかった、戦国グッズ専門店の誕生や、歴史好きの若い女性の登場といった、戦国ブームの到来を先取りすることとなり、かつては何もないからとがっかり観光地のひとつに数えられていた関ケ原古戦場も、「戦国の聖地」として一躍脚光を浴びることとなりました。
ゲームから入った人が多いと思われるいまどきの戦国ファンは、自主的に戦国時代や戦国武将を研究し、お互いに情報交換し、果てしなく知識とイマジネーションを深めていきます。彼らが、彼女たちが関ケ原古戦場を歩くとき、強く戦国の息吹を感じている。そして笹尾山に登って見晴台から古戦場を俯瞰すれば、2万にも及ぶ東軍の軍勢が眼下に迫り来るのがみえている。豊富な知識やイマジネーションゆえの、新しい観光の姿がそこにはあるのだと思います。
そして、2009年に再度開催された関ケ原合戦祭りを経て、2010年に開催された関ケ原合戦410年祭。3年間に培われた戦国ファンのネットワークが見事に実を結び、主催者とスタッフ、参加者、そして多くの関係者の力がひとつになり、みんなでイベントをつくりあげることができました。
しかし、まだまだ終わりではない。
関ケ原は関ケ原合戦に限らず、日本の歴史の中で、日本の歴史を左右する対決の舞台に、何度もなってきた。それは関ケ原が、地理的歴史的、そして文化的にも東西の接点にあり、人々が集う場所であったからこそに、ほかなりません。
関ケ原は舞台であり、器である。
これまでのネットワークを生かし、関ケ原を平和な時代の参加交流の舞台として、さらに多くの戦国ファンが集い交流する場とするために、このコミュも次のステップへとすすみたいと思います。
それでは、2012年も本格始動といきますか。
【関ケ原合戦の主な参戦武将】
東軍
徳川家康、本多忠勝、井伊直政、松平忠吉、福島正則、黒田長政、竹中重門、細川忠興、加藤嘉明、筒井定次、田中吉政、古田重勝、織田有楽、金森長近、生駒一正、藤堂高虎、京極高知、寺沢広高、有馬豊氏、山内一豊、浅野幸長、池田輝政、堀尾忠氏、中村一忠、津軽為信
伊達政宗、最上義光、加藤清正、前田利長、蜂須賀至鎮、黒田如水、細川幽斎、真田信幸、京極高次、蒲生秀行、堀秀治、徳川秀忠、結城秀康、本多正信、榊原康政、仙石秀久
西軍
石田三成、島左近、蒲生郷舎、島津義弘、島津豊久、小西行長、宇喜多秀家、大谷吉継、大谷吉勝、木下頼継、戸田重政、平塚為広、小早川秀秋、脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保、吉川広家、毛利秀元、安国寺恵瓊、長束正家、長宗我部盛親、明石全登、伊藤盛正
上杉景勝、直江兼続、佐竹義宣、真田昌幸、真田幸村、織田秀信、毛利輝元、立花宗茂、毛利元康、小野木公郷、大友義統
その他
豊臣秀吉、豊臣秀頼、淀殿
【関ケ原合戦の主な舞台】
岐阜城、大垣城、笹尾山、桃配山、松尾山、天満山、南宮山、杭瀬川
■検索ワード
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