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骨董真空管の収集とオークションコミュの品川電機ケーオートロンvsトウ

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ケーオー真空管が品川電機になったのが1935年,ケーオートロンのブランドのままだったが,いつしか「トウ」に変わった。トウとは東電電燈のトウ。これがいつなのか分からなかったが,最近,戦後の品川電機の増資趣意書というのをオークションで入手。会社の歴史がかかれているというので。そこに,ありました。1939年6月に関東配電の前身東京電燈株式会社の傘下に入り,ブランド名「K.O.TRON」を廃止し,代わりに「トウ」を用いるようになった。これ以後,海軍の真空管を製造したとのこと。これが,連休中の発見でした。

コメント(31)

大発見ですね。全く知りませんでした。トウと言えば戦後の電球はマッダの次に多かったと思います。
先日河童さんから トウのmT管の情報をいただきました。
ところで
品川電気の真空管何時まで作っていたのでしょう。
ラジオ技術誌の裏表紙にmTとSTのイラスト入りの広告が有ります。
その後捜したのですが、見つかりません。
同社で真空管をやっていた前田さんが辞めたようなので、
若しかして??。
B03A?などは手持ちがあるのですが、他は気のせいか見た記憶が薄いです。
ABWさん,こんばんわ。品川電機の資料は1948年のもので,それ以後は不明のままです。他の資料では,1948年に国内で初めての販売用ミニアチュア管BO3A,BO4を発表。その後も,ラジオ用ST管製造では活躍したが,1950年に,AC点火用の国産ミニアチュア管6BE6-6BA6-6AV6-6AK6-6X4のラインを製造したまでの記録をもって,再び忽然と姿を消しています。無線通信機械工業会1951.3の名簿にはまだ名前が残っていますが。この時期,日本電気NECもミニアチュア管製造に乗り出し,売れずに経営危機に瀕したとありますので,品川電機の場合は本当に失敗してしまったようです。品川電機の真空管は1950年末頃に終結(会社も解散?)したとみるべきでしょうか。まだこのへんの記録は見つかっていません。私はB03Aなどみたことがありません。はい。6AK6Sも幻の球のようです。発明王の前田さんはその後,東光コイル研究所でトランジスタ用IFTを製造し国内シェアのほとんどをしめていた時に,国会の物品税改正の陳情記録(インターネットで見れる資料)に登場します。なお,トウのマークの東光電気(品川電機の資本関係での親会社)はその後も電球を製造しています。
なお,イラストで思い出しましたが,川松電気のカタログにある品川電機の広告(1950年11月)に見るトウB-04などは,河童さんから資料をいただき,下記に掲載しています。

http://radiomann.hp.infoseek.co.jp/HomePageVT/Radio_tube_7B.html
トウの戦後のmt管は6AK6S,B-02,B-05を見ましたか゛入手は出来ません。昭和30年頃はラジオはまだ大型なのでラジオ用傍熱型のMT管はST管より安くなければ売れなかったでしょう。ラジオ用傍熱管はトランスレス管が出来てようやく活躍出来ました。トウは比較的早く消えた様でトウのST管も1球マーク無しの球を探してみます。話が飛びますがUX-1K,UX-2K,UX-3Kの紹介記事が「無線と実験S11-7月」にあり、その中にUX-166級の出現を契機として我が国独特の進展をとげ、本年に至ってこの目的に沿ううべき真空管が得られ」と書かれているので166よりUX-1Kが後かと思います。
ラジオマンさんが書かれたように、が抜けました。
品川電機の真空管ですが、前田さんの話と、もう一つmT管は特許がネックになっていたのではと言う思いも有ります。
双葉電子が製造する許可を取るのに苦労したらしい。
神戸工業の子会社扱いで契約した云々と書いたものを読んだことがあります。
「トウ」は特許契約をしていなかったのでは。
雑誌に発表したので、クレームがついて製造中止に追い込まれた?←全くの仮説です。
何方か真相を。
トウのmT管ですが、当時の6BA6が手元にあります。
写真に撮りましたのでご覧ください。
電球照明の下ですので、色は悪いですが雰囲気はお分かりいただけるかと思います。

そんなに貴重な真空管(製作期間が極めて短い)とは知りませんでした。
オーヂオンさん,ドラエモンのポケットか,数学者のガウスのようですね。下々が右往左往していると,ポケットから「それならここにあるよ」と出してくるなんて。おそれいります。管名がRCAのような8角枠で,ステムがいびつに絞られているものは,品川だー,と覚えておきます。いつか,きっと巡り会うかも知れませんので。
ABWさん。特許のことは良くわかりません。ビーム管については特許の関係からなかなか国産化できなかった話しを耳にしますが,ミニアチュア管製造自身にもそのような特許があったのでしょうか。
傍熱型のmt管を作ったメーカーが少ないのは、特許がからんでいたのですか。私は双葉は日立の関連会社と思っていましたが、神戸工業と関係があったとは知りませんでした。
川松卸商報の26年6月号が手元に有りますので、UPします。
mT管のイラストはあるのですが、傍熱管の価格表は見事に消えています。
特許に関して,平本厚「日本のテレビ産業」p.23に,「1951年には連合国工業所有権戦後措置が実施され,戦時期の外国の発明についての国内特許が確定した」「(テレビに関しては)特許を有する外国企業と技術提携ないし特許権の実施契約を締結することなくしては,それらの製品を国産化することは不可能となった」「早かったのは神戸工業で1951年7月と1952年4月に結び,52年には日立,東芝,早川も」とあります。
これはテレビに関する文献ですが,いちおう真空管製造も関係しているでしょうから,神戸工業の話は信憑性がありますね。双葉が神戸工業と資本や技術で提携していた訳ではないと思いますが。
なお,日本電気は上に登場しませんが,当時,日本電気も神戸工業に次いでミニアチュア管を製造していましたので何らかの契約を結んだのでしょう。品川電機は占領下でGHQの依頼で真空管も製造した記録があるくらいなのですが,社運をかけた増資と不況がかさなって,契約を結ぶ余裕がないまま,力尽きたというところでしょうか。
ABWさん,写真の下の部分が欠けていますが,ここにmT管のリストがあるのでしょうか?
お早うございます、欠けた部分にリストはありません。
画像が重くなるので省略しただけです。

なお双葉と日立は人的つながりが大きいです。
日立の資本は多少入った事があるかもしれませんが、大きくは無いはずです。

mT管をやるために神戸工業に50%資本を一時的に(?)出してもらった、
その結果RCAに製造を認められたと聞いています。
最初は神戸工業のmT管を作ったが、その後各社が製造をやめると、OEMで多量に生産したらしい。勿論日立ブランドのものも双葉製が存在した。
双葉電子の社史か創業者の自伝のどちらかに書いてありました。
双葉は他の会社が潰れた後も健闘していました。日立製と見分けが付かないmT管があります。TENの球も作ったのですか。昭和20年代は、田舎のラジオ屋の在庫球は仕入れ先の関係で1社だけが多く、メーカーを選んで球を買うのは不可能でした。メーカーはマツダだけが別格で他はあまり差がなかったような気もします。
真空管のリスト中、画像が欠けていたので全体の雰囲気を。
皆さん!驚いてください。

トウの6AK6Sを入手しました。
元箱こそありませんが、同封されている説明書も一緒に入手です!

説明書には「トウ6AK6ハ近代技術ノ最高ヲ往ク傍熱型ミニアチュア管デアッテ品川電機ニ依ッテ始メテ発賣サレマシタ。
本真空管ハST管ノ6Z-P1ニ相當シ放送聴取用小型小型受信機ノ電力増幅用トシテ使用スルモノデアリマス。
(註 6AK6SハIhガ0.3Aノモノデソノ他の特性ハ6AK6ト同ジデス)

写真左は全体です。もちろん裏面にはしっかりトウのマークが印字されています。
また、ステムの状況からこの真空管は未使用と思われます。

写真中は6AK6の横にSの印字が見えます。写真写りが悪いのは、手が震えていたため(笑)です。

写真右は説明書です。これもとても貴重かと思います。
驚きました。毎度のことですが、「うーーーーーーーーーーーーーん。。。。。。」
眼福です。説明書がまた珍しいですね。
よく見付けられましたね、素晴らしい。
皆さん驚かれたようで、それではガッテンください(笑)
・・・と自慢はこのくらいにしておきまして、・・・・

1950年末頃、トウが終結とラジオマンさんから書き込みがありました。

ラジオ技術ニューズの1950年5月号(第11号)にはラジオ業界が苦戦している
記事が掲載されています。
ここにはトウ(品川電機)の名前はでてきませんが、ドン(DON)の終結を暗示
する記事がでています。
記事の一部を写真にとりましTが、想像以上に深刻な状態だったようです。
おもしろい資料ですね。ドンはすくなくとも5,6年は生き残ったようです。山中電機も七歐電気も生き残りましたが体力がなくなりました。関西のラジオメーカーはしたたかでしたが、それでもつぶれた会社もありました。今の自動車メーカーの不況に通じるところがあるような。。。
別の資料でNECニュース創刊号には昭和26年(1951年)2月のメーカー別受信管生産実績表が記載されています。
5位の東京真空管の2,035本は52,035〜112,915本のミスプリのようですが、宮田(エレバム)よりも多いというのには驚きました。
また日立の8位もそんなに少ないのぉ〜。
12位の無線樞機は赤ドンでしょうか。
しかし、この表にはトウ(品川電機)の名は出てきません。
さて、トウのミニアチュア管の広告と記事です。私には広告しか集められませんでした。。
左2つは電波科学50年5月号、そして右はラジオと音響50年9月号です。売り出した時期はちょうどオーヂオンさんのニュースの時期と重なるようで。
トウのmT管・・・
わずか「余命半年の真空管」だったんですね。
ハムフェア2009のトピックにしようかとも思いましたが、資料の連続性からこちらに書き込みします。今年のハムフェアでトウの6AT6を入手しました。
といっても、mixi仲間のさっしさんから
「トウのmT管て珍しいの?あったよ。」とのこと。
「まっさかぁ〜」なんて半信半疑(さっしさんごめんなさい)ながら、それを見たというブースに行くと、菓子缶のフタに数本のmTがあり、そのうちの1本を
「ほら、これ」といってさっしさんが、私に渡してくれたのが写真の真空管です。近年目ざとい収穫のないハムフェアですが、今年はさっしさんのおかげで非常にいいハムフェアになりました。さっしさん。感謝です。
すばらしい成果でしたね。持つべきは三重県からはるばる遠征する気力と、情報を惜しげも無く投げてくれる同好の友。
オーヂオンさんの小躍りする姿が忘れられませんでした・・・・・・
と言う冗談はさておき、偶々出物はないか眺めている時に、一本だけ不細工(大失礼!)なMT管があったので手に取ったらトウの文字がありました。

普段ならそのまま元に戻して忘れちゃう処でしたが、このトピを読んだ記憶がエミ減甚だしい愚生の脳味噌の片隅に残っていたらしく、斯くて上記の通りとなった次第であります。

んでもって本来渡さねばならぬCD-Rをしっかり渡し忘れる為体。ダメだこりゃ。
素晴らしいものを見付けられましたね。トウのシリーズはこれで揃いですか。
品川電機の前田久雄は現在の三重県伊賀市出身(私の居住市の隣)ですが、
伊賀市の郷土史家から、情報が寄せられ、前田久雄の生家を尋ねることができま
した。対応は現在の当主で久雄からは大叔父(祖父の兄弟)にあたります。いろ
んな事を知っており、貴重なお話を伺うことができました。お話では、品川電機
の倒産(倒産とおっしゃっていました)は1949年3月31日とのことです。なので、
連合国の特許問題やドッジラインによるデフレ不況の前になります。しかし、そ
の後に5球スーパー用mT管やスーパー改造キット用サブミニ管を発表していま
す。つじつまがあいません。はてさて・・・
来年には前田久雄の息子さん(といっても高齢ですが)と会える段取りで進んで
います。この辺のところを聞けるかもしれません。
(氏名、住所等は個人情報にあたるため、不記載としました)
1月に前田久雄のご令息にお会いできました。
興味あるお話も、いろいろお聞きできました。
さて、品川電機倒産の時期(1949年)ですが、氏がまだ小学生の時のことであり、
その辺の事情はよく知らない。とのことでした。ただ、その後に続く会社(東光
通信機、東光ラジオコイル研究所)は同じ所在地で、スタートさせていること。
また、品川電機の整理人を引き受けて、1年ほど品川電機の残務処理をしている
ので、その辺が関係しているのかもしれませんね。とのことでした。
その他のお話は、「日本真空管大全」の改版時(時期未定)で紹介できればいいな。と思って
います。

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