昨年10月に、上智大学アジア文化研究所で佐藤真監督の『エドワード・サイード OUT OF PLACE』を観ました。この上映会にあわせて、岡真理さんの講演がありました。「『ルート181』と『OUT OF PLACE』のはざまで」と題された講演は『ルート181』の批判的読解で、とても示唆に富むものでした(偉そうな物言いですが・・・)。その講演のすべてを読解する能力を、僕はもちろん持ち合わせてないのですが、とりわけ日本が、日本人が北朝鮮を一方的な〈加害者〉として強固にイメージを作り上げようとするとき、講演でおっしゃられた岡さんの次のような言葉をどのように解すればよいのか自問さざるを得ませんでした。
「(『エドワード・サイードOUT OF PLACE』と対比するとき)『ルート181』には、対話すべきユダヤ人が不在である」
『ルート181』の批判的読解が可能になったのは、『エドワード・サイード OUT OF PLACE』との出会いがあってからだと思ますが、この二つの映画のまさしく「はざま」を想像し、切り結ぶ思考こそがいま求められているのだと考えています。教育基本法が改正され、防衛庁が省へ昇格し、新保守・新自由主義的な政策が横行する情況で、改めて『ルート181』を自戒しつつ見直したいと思います。