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古い映画オススメ作品コミュの映画鑑賞・制作裏話

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皆様がご覧になった映画の感想やオススメの作品、映画に関する情報や制作の裏話など、個人的な事でも構いませんので自由にコメントして下さい。

例)このコミュニティのトップにローマの休日の写真を掲載している理由は、最近お目にかかった【映画好き】の方が「ローマの休日は観たことがない」とおっしゃったため、ぜひこの作品は観ていただきたい!!…と思ったからです。

実はこの作品は、私が映画制作か新聞記者になりたいと思ったきっかけの映画であり、個人的な理由ですm(__)mあせあせ(飛び散る汗)

この映画、実は当初オードリー・ヘップバーンではなく、グレゴリー・ペックが主演でした。
撮影が進む過程で、グレゴリー・ペックはウィリアム・ワイラー監督に「この映画はオードリーの映画だ。彼女を主演にすべきだ。オードリーは、きっとアカデミー賞を受賞する!!」と進言したそうです。
案の定、新人だったオードリーは、アカデミー賞最優秀主演賞を受賞しました。
実際この映画を観ると、新聞記者の映画といってもよいつくりになっています。

個人的な話ですが、影響を受けた単純な私は、新聞記者をやっています(*^^*)(笑)

コメント(116)

ダリオ・アルジェント監督

『デス・サイト』

(2004年イタリア)

『スリープレス』で久々の傑作をものにしたダリオ・アルジェントが、引き続き繰り出した、これも傑作。

ローマ市警の女性刑事アンナ・マリ(ステファニア・ロッカ)のもとへ一通のメールが届く。
誘拐した少女の命を賭けて、ネット上のポーカーゲームをしろというのだ。
警察が勝てば人質は解放、犯人が勝てば殺す。
しかもそれは、一度だけでは終わらなかった。
追跡不可能な連続猟奇殺人犯とのゲームが始まる。

クライマックスで、ステファニア・ロッカと犯人が、互いの命を賭けたポーカーゲームをするんだけど、緊迫した状況なのに、なんだか楽しそう(笑)

ダリオ・アルジェント監督

『デス・サイト』

(2004年イタリア)

『スリープレス』で久々の傑作をものにしたダリオ・アルジェントが、引き続き繰り出した、これも傑作。

ローマ市警の女性刑事アンナ・マリ(ステファニア・ロッカ)のもとへ一通のメールが届く。
誘拐した少女の命を賭けて、ネット上のポーカーゲームをしろというのだ。
警察が勝てば人質は解放、犯人が勝てば殺す。
しかもそれは、一度だけでは終わらなかった。
追跡不可能な連続猟奇殺人犯とのゲームが始まる。

クライマックスで、ステファニア・ロッカと犯人が、互いの命を賭けたポーカーゲームをするんだけど、緊迫した状況なのに、なんだか楽しそう(笑)

子役時代のカート・ラッセルが、ジェラード警部の息子役で出てた!

(『逃亡者』第2シーズン
第三話「小さな探偵」)
ナポレオン・ソロにも出てましたねぇ
>>[79]

面影があるような、ないような……
『バックドラフト』あたりの印象が強いので、この写真を見ただけだと気づかないかもしれませんねぇ(^_^;)
>>[81]

大人顔負けの素晴らしい演技の、名子役ぶりでしたよ(*^^*)
カール・ウィリアム・ライシュ
(Carl William Raisch)
1905年4月5日 - 1984年7月31日

アメリカのダンサー、俳優、スタントマン、演技コーチ。1963年から1967年まで放送されたテレビシリーズ「逃亡者」でリチャード・キンブル(デヴィッド・ジャンセン)に追われる片腕の男役で最もよく知られる。


【経歴】

カール・ウィリアム・ライシュは1905年4月5日、ニュージャージー州ノースバーゲンで生まれた。 両親はドイツからの移民だった。

高校卒業後、ライシュは建設現場でセメントを運ぶ仕事に就いた。彼はウェイトリフティングを始め、アマチュアボクサーにもなった。
社交会やダンスパーティーに連れて行った若い女性のダンスパートナーとして、彼はフローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアに紹介され、ジーグフェルド・フォリーズ・ダンスグループに入団した。
ライシュは1920年代後半、ニューアムステルダム・ルーフ・シアターで初のアメリカ公演で舞台に立った。 彼は主にニューヨークでダンスグループでパフォーマンスし、 アダージョのパフォーマーでもあった。 彼はジーグフェルドのダンサー仲間であるアデル・スミスと結婚した。

1945年初頭、第二次世界大戦でアメリカ商船隊に所属していたライシュは、船上での火災で右腕をひどく火傷し、肘から切断しなければならなかった。
ライシュは戦前に数本の無名の映画に出演していたが、戦後は映画界でのキャリアを追求し、1946年にロサンゼルスに移住した。
ライシュは『宇宙戦争』(1953年)に「エキストラ、代役、そして時折スタントマン」として出演し、『スパルタカス』(1960年)では戦闘中に腕を切り落とされる役を演じた。後者のスタントでは、スパルタカス役のカーク・ダグラスが剣でライシュの義肢を切り落とした。

ライシュの最初の記憶に残る映画の役は、孤独な勇者たち(1962年)で、酒場でダグラス演じるカウボーイと乱闘を始める片腕の役だった。
翌年、ライシュは1963年から1967年まで放送されたテレビシリーズ「逃亡者」で、残忍な殺人事件に関与したとされる謎の放浪者「片腕の男」を演じた。ライシュは番組にほとんど登場せず、シリーズの最初の3シーズンで4回ほど短い出演をしたのみで、4シーズン目と最終シーズンでより目立つようになった。しかし、彼の役柄は頻繁に言及され、シーズン2からは「逃亡者」のすべてのエピソードのオープニングクレジットに「片腕の男」が登場し、ライシュのイメージはポップカルチャーの有名人となった。シリーズの最終回では、ライシュの演じるキャラクターが、デイヴィッド・ジャンセン演じるリチャード・キンブル博士の妻の真の殺人犯であることが判明した。 TVガイドは、2013年の「史上最も意地悪な悪役60人」のリストで、片腕の男を第5位に挙げた。

ライシュは、俳優バート・ランカスターの代役としていくつかの映画で働いたが、ランカスターは彼より4インチ背が高かった。

ライシュの障害により、彼は犯罪者役専門として型にはめられた。
その後、彼はロサンゼルスで演技コーチとして働いた。
彼は1984年7月31日、カリフォルニア州サンタモニカの病院で肺癌のため79歳で亡くなった。彼の遺体は火葬され、遺灰は海に撒かれた。

(英語版Wikipedia)
片岡千恵蔵主演『十三の魔王』(多羅尾伴内シリーズ)より、夜の公園での銃撃戦シーン。
「みんなで、なかよく」だってwww
【「ハンニバル・レクター博士の優雅なお料理教室」書籍が爆誕。マッツ・ミケルセン主演のドラマ版を手がけたフードスタイリストが、温かな人肌のレシピを紹介。※あなたの友人は決して食べないでください】


世界一有名な「人食い」ハンニバル・レクター博士が堪能した“素晴らしい料理”の秘密を味わえるというレシピ本「ハンニバル・レクター博士の優雅なお料理教室」が、現在書店などで予約を受け付けている。

本書を執筆したのはマッツ・ミケルセン氏が主演した、ドラマ版の『HANNIBAL/ハンニバル』に携わったフードスタイリストのジャニス・プーン氏だ。

同著はジャニス・プーン氏が考案したという「わかりやすく丁寧なレシピ集」。各レシピには関係者の逸話やアートワーク、「ハンニバル」撮影現場でのスターやスタッフの舞台裏写真なども掲載されているとのこと。

なお本書の内容紹介には「本書は「ファンニバル(ハンニバル・マニア)」および食通のための本であり、カニバル(人喰い)のためのものではありません。あなたの友人は決して食べないでください!」との注意書きが添えられている。

昔の映画を観ていると、有名な作品のアイディアを先取りしているものに出くわすことが意外と多い。
多羅尾伴内こと藤村大造は毎回、社内電話を通して警察に通報する。
これが登場するので有名な『ロシアより愛をこめて』は1963年、多羅尾伴内シリーズ第一作の『七つの顔』は1946年である。

(続く)
>>[91]

さらに、1953年『片目の魔王』に至っては、『ゴールドフィンガー』(1964年)に登場するボンド・カーよりも9年早く、防御スクリーン(ただし、こちらは前面)と煙幕の仕掛けが使われている。

(続く)
>>[91]

ドルトン・トランボ『ジョニーは戦場へ行った』(原作発表1939年)に対して、江戸川乱歩『芋虫』は初版が1929年。
意外と、ニッポンの作品は、欧米の先をいっていたりすることに驚かされる。
>>[91]

訂正。
『七つの顔』では無線機だった。
『片目の魔王』から車内電話になるみたい。つまり、製作が東映に移ってからですね。
>>[93]

ハリウッドは何か無いかと色んな情報を集めていると思いますよ。「ロボコップ」が公開された時も「ロボット刑事」が元になったのではないか?と騒がれましたが、原作者の石ノ森章太郎が訴えることはしない。"お互いに色んな所からインスピレーションをもらってるのでお互い様です"と言って、欲しいアイデアとかあったらどんどん使ってくださいって。ディズニーの「ライオン・キング」も「ジャングル大帝」をパクってると騒がれたけど、そもそも「ジャングル大帝」もディズニーのバンビの話にそっくりですし。アートに携わってる人は過去作品と縁が無いわけないんですよ。音楽にしても絵画にしても文学にしても。そして映画もね!
>>[96]

著作権に、こだわり過ぎると、いい作品は出来ませんよね。
そういう点で、今は良作が作りにくい環境になったと思います。
>>[96]

伝聞なので、名前も忘れてしまいましたが、ある有名な写真家が、「私の写真をパクることに文句があるわけではない。私のオリジナルより出来が悪いから許せない」と言ったそうです。
ロバート・シオドマク監督

『らせん階段』(1946年版)

冒頭で、映画館が映るんだけど、サイレントだから、劇伴はピアノの生演奏。フィルムは手回し。
考えてみたら今より贅沢?(笑)
ルトガー・ハウアー主演『ブラインド・フューリー』の名シーン!(⌒▽⌒)
黒澤明/脚本

『天晴れ一心太助』

https://youtu.be/S03G4qTGcpg?si=r7EVBp8-YcXw5_mf
【ダリオ・アルジェント監督
『トラウマ/鮮血の叫び』
エンドロールの少女】

アンナ・ルー・チェローリ
(1972-1994、享年22)

ダリオ・アルジェント監督『トラウマ/鮮血の叫び』(1993年)のエンドロールで踊る、儚げな謎の美少女。
どことなく主演のアーシア・アルジェントに面影の似た彼女は誰だろう?
そう思った人は少なくないはずだ。

彼女の名は、アンナ・ルー・チェローリ。
ダリア・ニコロディの連れ子で、アーシア・アルジェントの異父姉に当たる。
父親は、彫刻家のマリオ・チェローリ。
父親は違えどもアンナはアーシアと、また、父母のいずれも異なるフィオーレとさえ、非常に仲がよかったという。
そして、ダリオ・アルジェントが、拒食症の少女を主人公にした本作を作る契機のひとつとなったのが、義理の娘アンナの拒食症だったそうである。

おそらく本作のエンドロールが、アンナ・ルー・チェローリ唯一のフィルモグラフィーであろう。
彼女は本作の翌1994年に、スクーターの交通事故で22歳の短い生涯を終える。
アーシア・アルジェントは彼女を偲んで、のちに生まれた我が娘を"アンナ"と名付けた。


《参考文献》

○矢澤利弘『トラウマ鮮血の叫び徹底解析』

○ダリオ・アルジェント自伝『恐怖』

○英語版Wikipedia

小林旭主演『多羅尾伴内鬼面村の惨劇』の一場面より。ワロタ!
小林旭主演

『多羅尾伴内/鬼面村の惨劇』

いろんな映画やドラマの、あらゆる要素を詰め込めこんだ小林旭版「多羅尾伴内」シリーズの第二作目にして最終作。
前作以上に怪奇色の濃い。これなら、ホラー映画で通るんじゃないだろうか。
全体的に横溝正史を意識したような感じはするけど、前作同様、終盤錯綜してまとまりがつかないところや殺しのシーンの唐突さなどは、マリオ・バーヴァの『血みどろの入江』『モデル連続殺人』を彷彿とさせる。
前作より出来がいいと思うのに、これで打ち切りになったのは残念。
『犬鳴村』

出だしで挫折。
映像がつまらない。
照明もカメラも演出も、最近のは好みじゃない。
『アムステルダム無情』(1988年)

見た目が『血のバレンタイン』に似てる気もするけど、コイツは水中から現れる、オランダのホラー・アクション映画。
ダイビング・スーツに身を包み、アムステルダムの運河を神出鬼没に犯行を重ねる殺人鬼。
無駄に長ったらしいボートチェイスなど、アクション・シーンも充実しているが、その結末はあまりにもあっけない。

なお、Wikipediaによると、2025年に、同じ俳優の主演で続編が製作予定とか。
若松孝二監督

『キャタピラー』

人間のエゴを剥き出しにした陰惨な話を期待してたのに、普通のお涙頂戴の映画だった。
真面目に作り過ぎ。もっと人間の尊厳とやらを茶化して嘲笑ってやれば良かったのに。
でもまあ、どんな作品かがわかったから、観られてよかった。
>>[114]

後半、夫の弟とデキて、芋虫亭主を疎んじ始める展開を予想してたら、そうはならなかった。
そうなれば、乱歩のストーリーに持ち込めたのに。
乱歩とジョニーを下敷にした作品らしいけど、ジョニーの方に、より比重がかかってる感じ。

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