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哲学 Φιλοσοφιαコミュのルソー

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ルソーのトピがなかったのであげたいと思います。
「社会契約論」を中心にやり、フランス革命など市民革命との関係を論じます。

「社会契約論」ルソー、井上訳、中公文庫。
本来の始め
「第一編
人間をあるがままに現実の姿でとらえ、法をあらゆる可能性の姿でとらえた場合に、社会の秩序のなかに、正当にして確実な国家の設立や国法の基準があるか、これを私は研究したい」(P10)。

有名な冒頭
「第一章
人間は生まれながらにして自由であるが、しかしいたるところで鉄鎖につながれている。ある者は他人の主人であると信じているが、事実は彼ら以上に奴隷である。どうしてこういう変化が起こったか、私にはわからない。しかし、この変化を何が正当化するのか、といえば、この問題なら解くことができると思う」(P11)。

コメント(28)

とりあえず変態の癖に教育論で人を感動させるのは凄い。
一般的評価
「ルソーの思想にはフランス革命という煉獄が控えており、ここでどう受け止められたかはルソー解釈には避けられない課題である。

しかし、「社会契約論」のもつ革命性はやがて発見される時がくることになる。私はいつも象徴的な情景を眼前に思うかべる。それは1777年、革命の起こる前年、マラーが街頭に立って「社会契約論」を読み、周りの民衆に解説し、はげしい喝采を受けていたという情景なのである。この書はフランス革命状況が切迫したとき、はじめて民衆の意識の中に受け止められようとした」。(P208以下、井上解説)
つーても、社会契約自体は架空でしょ。

たとえば一体日本国民がいつ、
明治維新からの近代日本国と契約を結んだわけ?
>>[1]  
良くされる批判であると下記サイトにもあります。
 
http://www.geocities.jp/introduction_rousseau/japon.html
改憲の機会にて、その成否に関わらず
まずは一度は国民の最終判断にて憲法典の承認が必要だろうと思う
>>[3]
確かに、日本の国民が幕府に迫って大政奉還した訳でなく、むしろ神聖政治に戻ってしまったとも云えます。半ば封建的、いや半ば古代的日本政治体制が明治政とも云えます。
しかし、ルソーは中江兆民を通して、日本国民に影響を与えたと云えます。
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/information/pdf/g_works/gw04_nakae.pdf
>>[5]
私は政府(と象徴天皇)に共和国憲法起草し、請求しますが。
>>[6]

中江兆民って、その小論「強者の権」とかを読むと、
理論に弱い人の印象を受ける。

頭山満と友人だったし、
やはり情念の人なんでしょうな。
>>[7]

ルター派自由主義者としては、
共和制には反対である。

アメリカの大統領選挙が何故あんなに面倒臭いかと言えば、
直接選挙で選ばれた元首は独裁の可能性を強めてしまうから。

フランスはともかく、ドイツなどは、
権限のない元首と、行政の長たる首相を分けている。

日本では元首の役割を世襲の王家が担ってるから、独裁は難しいが、
共和制になれば、明らかに独裁に対する監視の為のシステムにしなければならない。

こんなナアナア大国日本で、そんな監視機能などまともに動かない。

共和制移行を主張する人は、独裁を阻止するシステムを提示しなければ説得力にかける。

ちなみに、戦前の反省を受けて、
今の日本の内閣総理大臣は、アメリカ大統領が国内で持つ権限よりも広く、強い。
>>[7]
僕は共和国は却下します^^;
共和制よりも、今ある立憲君主制の維持存続を望みます
実際、西南戦争終結後、
まだ若い明治天皇は政治的に象徴にすらならず、
大久保利通は内務卿、つまり内務大臣の地位で事実上独裁していた。

彼は暗殺される寸前、子分の伊藤博文に内務卿を譲り、
自分は宮内卿になって、行政から離れた分野から力を行使しようとしていた。

それをやられたら、事実上、日本は有司専制どころか、文字通りの大久保独裁になる可能性があった
(つーか、後に宮内大臣になっていた桂太郎が、
西園寺公望に代わって首相になろうとしたとき、
第一次護憲運動が起きている)

共和制は国民を選ぶ。
日本人には無理。
大久保利通が嫌いとか言うわけではない。
システムの問題。

実際、アメリカ独立の時、ワシントンを国王に推戴する動きもあった。
ワシントンは断ったが。

大久保利通みたいな有能で私心のない政治家すら独裁への道を手に入れる寸前までに至ったのだ。

野心家の政治家が直接選挙で元首として選ばれたら、
…まさに恐ろしい。

ルソーも「結んで開いて」を作曲してる場合ではない。
超流行作家として若くして社交界の話題の人物だったルソーは、高嶺の花に惹かれる心性を持っていたが、その肉欲は自らの身近な下女にたびたびぶつけられながら、産み落とされた子供たちを自分のような名士には相応しくないと思う気持ちから、次から次と孤児院送りにした。
その公に書かれた観念と理想の美しさに反して、若き自己の肉欲の社会適合的な落ち着け所をついに見つけることができなかった。
十代の頃、ジャン=ジャック・ルソーやジョン=スチュアート・ミルの自伝を読んで、本をいっぱい読まなきゃな〜と思ったけれど、全然その通りに行かないもんだ。(笑)
『社会契約論ーーまたは国制の法の諸原理』
   ジュネーヴの市民 ジャン=ジャック・ルソー

表紙の裏書きにはウェリギリウスの言葉が『アエネーイス』から引かれている。
「われらは契約による公平な法を告げよう」

   第1篇
「私は人間というものをあるがままにとらえ、法律をありうべき姿でとらえた時、世の中の秩序に正当で確実なる統治のための原則というものが果たしてありうるか否かを調べてみたいと思う。
この研究において私は、正義と効用とが決して分離することのないように、法が許すことと利害の求めるところとを常に結び付けるべく努めるつもりである。」


ルソーは決して、いたずらに正義だけを声高に主張するつもりではないという、極めてバランスに富んだ前書きを置いていますね。
「政治について口出しするからには、お前は君主か、はたまた立法者かと尋ねる人がいたなら、私はこう答えよう。
いや、どちらでもない。だからこそ政治について論じるのだ。もし私が君主か立法者だったとしたら、なすべきことをおしゃべりして時間を浪費したりしない。
なすべきことをすぐに実行するか、実行しないで口をつぐんでいるだけだ。」


こういう畳み掛けはルソーは上手いねえ。
全くです。

とても変態とは思えない。
『悪魔と裏切者』というのはヒュームとルソーの書館のやりとりによる喧嘩を描いたものだが、客観的には、温厚篤実な紳士であるヒュームに対して被害妄想的なルソーとしか思えないような言動しかそこにはない。けれど、読んでいくうちにルソーの気持ちも分かるとルソーに共感を示す読者も多いようだ。
だが、二人の仲互いの原因はやはりルソーにあると私は思う。ルソーは紛れもなく天才に違いないが、身近な人間とはことごとくその関係が破たんしていることから見て、おそらく対等な人間関係を築けないタイプの人だったのだと思う。
あったらとっくに民主主義国家群はユートピアになってる。

まあ、フィクションですなあ。
第1篇の第7章のおわり部分より

「実際において、それぞれの個人は一人間として、市民たる一般意志とは反対の特殊意志や異なる特殊意志を持つことももちろんありうる。
個人的な利益を考えたら、市民としての共同の利益とはまったく異なる思いに駆られることだって、もちろんありうることだ。
個人としての存在は絶対のものとして感じられ、自然的にも個人は独立しているのだから、公共の利益のために尽くすべき義務など見返りのない寄付のようなものだと思えてきて、
こんな寄付を行うために自分のふところを痛めるぐらいなら、寄付を断ることで生じる損害のほうがずっと大したことがない、と考える人もいるかもしれない。
その上、国家を構成する市民という極めて倫理的な存在など想像上のものに過ぎないと考えて、
市民たる権利は享受しながら、臣民としての義務はご面こうむるというやからも現れるかもしれない。
こんな不正がまかり通れば、政治体は崩壊する。」


ルソーが言う一般意志とはこのように、私たち共同の政治体を守るために仮構されたもので、各人がその仮構された一般意志を受け入れ、守り、支えることによってのみ成り立つものでしかない。決してそういう確かな実体があるとルソーは見ているわけではない。
各人の支えんとする意志によって初めて成立する、極めて危うい側面も抱えるものだ。
>>[21]

集団的意志の内、評価する時点で正しいと思われる選択を一般意志と呼んでるだけですな。

>>[22]

一般意志が悪いほうに転ぶということはルソーは想定していなかったのでしょうか。
すなわち、一般意志とは「世論の大勢」みたいのとは違う概念なのでしょうか。
>>[23]

いや、正しい選択を一般意志と呼ぶんです。

結果的に間違ってたら、一般意志ではないとされる。

だから、定義上、一般意志は常に正しい。
>>[24]

そうすると、本質的には「一般意志」というよりもむしろ、「理性的意志」みたいな意味合いでしょうか。
>>[26]

始めから本性として正しいと想定されるような「理性的意志」を一般意志と言うわけではなく、ある意志のもたらす結果が多くの者にとって良い果実をみのらせるものだったかもしれなければ、たとえそれが葬り去られた少数意見だったとしても、それこそが一般意志だったと振り返られるのだ、
ということでしょうか。
>>[27]

つーこと。

悪用されれば、たとえば北朝鮮で金正日の意志は一般意志と同一だ、みたいに独裁の方便とされるだけ。

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