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哲学 Φιλοσοφιαコミュの聖書を丁寧に読み、考える

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聖書(旧約聖書および新約聖書)を読みながら、考えたことや疑問に思ったことなどを、ドグマ的思考に邪魔されないように、できる限り各人の素直な心で書いてみましょう。
素直な疑問や思考をいたずらに宗教的ドグマによって抑圧し覆いかくしてしまうのではなしに、丁寧に自分の心から拾い出してみましょう。
聖書にあらためて素直な心を向き合わせてみましょう。

コメント(135)

>>[93]

「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もない」(マルコ7:15)。
イエス
「わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。」(1コリント8:9)
パウロ
>>[99]
イエスもパウロも律法主義者でないから、どういう動物が〜でだめとか〜で良いは解釈しない。
そうしたことにこだわるな、ノープロブレム
いずれにせよ、旧約時代の律法をもってキリスト教を批判するのは筋違いですね。
「旧約の律法ではこんな細々としたことまで規制されているのか。しかも今から見れば要のないものばかりじゃないか」という反発や批判はありうるでしょうが、その批判はキリスト教にそのまま届くものではない。
>>[106]

ユダヤ教、イスラム教に関してはβήταさんの言うとおりです。
豚は蹄が別れているが、反芻しないからだめ。
キリスト教は問題なし。
問題ないので、説明がない。
>>[116]

三世紀の教会会議で、
「ユダヤ人が豚を食べないなら、
我らクリスチャンは食べよう」で合意されてる。

ユダヤ人が聖書で豚を禁止した理由は諸説あるが、
同じ頃にシリアで、魚を食べてはならないとした別の宗教があったから、
よーは豚を食べる・食べないで一体感と結束をはかり、
アイデンティティを保ったんでしょう。

…実際には、パレスチナの古代の地層から、豚の骨が沢山見つかってるのは秘密w
日本では、仏教の影響で、
戦国時代にカステラが入るまで、
鶏卵が事実上のタブーだった頃がある
(梁の武帝が鶏卵好きで、食べ過ぎたら仏罰があたった、とかいうお伽話が流布されてた)

食のタブーなんか大した理由はない。
>>[123]

まあ、公同公会議ではないので、
別に信徒は従わなくてもいい。

自由。
私が一神教を嫌うのは神は全知全能の神ということです。日本の神様は全知全能ではなく人間臭い神です。全知全能となれば神を信仰する人々は「俺も神のように全知全能、絶対的な人物になりたい」と考えるでしょう。それが西洋人の傲慢さ差別意識が出て他宗教、他民族は人間ではない、それで虐殺に繋がっているのだと思います。ボスは机に脚を投げ出して傲慢な態度をとります。ああいうことは我々日本人には考えられないことです。これらは全て一神教の絶対神という概念から来ていると思うのです。私は一神教がなくならない限り世界の平和は来ないと考えています。くたばれ!一神教。
>>[128]

日本の上司で偉そうなの山ほど見たし、
日本の平社員で偉そうなのも山ほど見たぞ?
「始めに」
創世記1章
1:初めに、神は天地を創造された。
2:地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
3:神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
4:神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
5:光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

ヨハネ福音書
1:初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2:この言は、初めに神と共にあった。
3:万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
4:言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
5:光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
**

いつも行く教会は元旦礼拝がないので、近くの人が行く山の方で、明日は「子供とする礼拝」。
高山におけるイエスの変容
マルコ福音書 口語訳1955
9:2 六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、
9:3 その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。
9:4 すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
9:5 ペテロはイエスにむかって言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
9:6 そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れていたので、ペテロは何を言ってよいか、わからなかったからである。
9:7 すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
**
イエスは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登ったとあります。
今日のアルピニズム、登山哲学とは少し違いますが、宗教と結び付いて登山を古くからして来たのはユダヤ民族とされてます。仏教の方が古いと思う方もいると思いますが、山岳宗教であるチベット仏教は早くてAD600年代からです。
モーセと云われる父祖はBC1000年くらいにシナイ山(2800m)に登って神と契約(十戒)したともされます。少なくても、何らかの啓示を受けたと思われます。

今日の箇所で、イエスもフィリポ・カイザリア近くのヘルモン山に登ったとか考えられます。 ヘルモン山は、2800mの高さで、南アルプスと似た風情です。
イエスの姿が白くなったとか、雲がかき起こったという表現に状況が示唆されてます。
当時の時代では、夏季でもかなり難しい山になると思います。そこで、登る弟子たちは屈強な漁師たちに絞られたと言えます。
何らかの宗教的動機をもち、ヘルモンに登った時、イエスらは神から啓示を受けたと云えるかも知れません。
マルコはそこに、神がイエスを御子とした展開点を見たとされてます。
>>[132]
まあ、無関係な方にとっては、モーセもイエス古代の無謀な登山で疲労困憊したから、幻覚を見たんだと云われるかも知れません。
しかし、神は幻覚を通して啓示をしたとも云える訳です。
山岳での幻覚、幻聴の報告
https://yamahack.com/1438
>>[133]
この遭難者の方は、子供が見え、お経が聞こえたとか。お地蔵様に仏心とは感じないらしい。私は全く仏教系の啓示はない。エンジェルに讃美歌かな?
たちまちのうちに天の軍勢が現れ、救出という話になるかも知れない。
>>[132]
この遭難者の方は保険に入られてなく、多分一人数百万円払ったと思います。一人登山なら、一人で三百万が相場のようです。
今は遭難保険というのがあります。しかし、保険会社には年齢制限というのがある上、かなりします。
日本山岳救済機構の会員になれば入会年4000円、次年度から2000円で済みます(年度末に事故の件数で精算請求が来る、700円内)。家族の駆け付け費、葬送(^^;関係込み

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