ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

半蔵門かきもの倶楽部コミュの第八十三回 文芸部作品 みけねこ作『山百合の里』

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 なにげなく朝のニュースを見ていると、幼い頃に暮らしていたT町の総合病院が移転し、新しくなったことが伝えられていた。

 もう、四十年も前のことである。父親の転勤で、二年間だけ暮らしていた町だったが、いつしか隣町と合併し、T市になっていた。病院の移転とともに、T町立西総合病院行きの路線バスも廃止になるらしい。
 西病院(私たちはそう呼んでいた)は、町の中心地から少し離れた丘の上にあった。

 私が小学一年生のとき、母が西病院に入院していたことがある。母は体が弱く、いつも青白い顔をしていた。
 ゴールデンウィークの真っ只中だったと思う。もうすぐ学校が始まるね、という話をしながら一緒に夕飯の支度をしていたことが記憶に残っている。
 母は、気分が悪いと椅子に座ったとたん意識を失い、救急車で運ばれていった。父は母に付き添ったため、私と弟が留守番することになった。
 救急車に乗る前、父は私たちに言った。
「隣の三井さんに頼んでおいたから、困ったことがあったら三井さんのところに行くんだよ」
 隣家の三井さんは、夫婦だけで暮らしていて庭にバラをたくさん植えていた。いつも手入れをしていて家も庭も綺麗だったけど、神経質で怖かった。
 三井さんのおばさんのところに行くくらいなら、自分たちで何でもやったほうが良いと思った。

その日、父は夜の九時になっても帰って来なかった。三歳の弟の恒(こう)は私の手をひっぱって外に行こうとする。
「お姉ちゃん、お母さんは?」
「お父さんがついてるから大丈夫。もう少し待っていたら帰ってくるよ」
 恒は、しゃくりあげながら震える声で言った。
「でも、帰ってこないよ」
 私だって不安でたまらなかった。でも三井さんのところに行くのは嫌だった。

 玄関のチャイムが鳴った。
「お父さん!」 
 私と恒は、玄関に走っていった。ドアを開けると、三井さんのおばさんが立っていた。
 私たちのがっかりした様子を見て、おばさんは少しむっとした顔をした。
「まだお父さん、帰ってないみたいね。大丈夫?」
 私は、緊張し、背筋を正して言った。
「ありがとうございます。大丈夫です」
「紅茶を淹れてあげようか。クッキーを持ってきたから食べなさい」
 おばさんは玄関で靴を脱ぐと、自分の家のようにキッチンに向かった。ポットのお湯を沸かし、食器棚からティーカップを二つ取り出した。
「あら、ちょっとベタベタするわね。洗っとくね」
 そういうとスポンジでゴシゴシとカップを洗い始めた。
恒と私は、テーブルのそばに立っておばさんの背中を茫然と見ていた。紅茶にミルクと砂糖を入れ、おばさんがせわしない様子でスプーンで混ぜる。私は、本当は砂糖は入れたくなかったけど、何も言えなかった。恒は私のカーディガンを掴んでいる。
「はい。クッキー置いとくから、食べて待ってなさいね。なにかあったら、玄関をピンポン鳴らしてくれたらいいからね」
「ありがとうございます」
 おばさんが帰ったあと、すぐに電話が鳴った。父からだった。
「お母さんは?」
「お母さんは大丈夫だけど、今日はお父さんが病院に泊まったほうがいいと言われたんだ。明日の朝、帰るから。鍵をしっかりかけて。怖かったら電気をつけたままで寝ていいからね」
 私は泣きそうになった。留守番が怖いのではなく、母が死んでしまうのではないかと不安になったのだ。
「お母さん、そんなによくないの?」
「大丈夫。心配いらないから。困ったら、三井さんのところに行きなさい」
「うん」
「じゃあ、また電話するね」
 受話器を置くと、恒が不安そうな目をして私を見ている。
「お母さんのところに行きたい」
「だめだよ。こんな夜に」
 恒がしくしく泣き出すのを諫めた。
「そうだ、明日の朝、病院に行こうか」
 恒は目を輝かせた。
「うん」
 病院までは、駅前からバスに乗ればいいと知っている。お小遣いもバス代二人分は充分にある。目標を決めると、急に元気が出てきた。
「恒ちゃん、明日のために、早く寝ようね」

 次の朝、私たちは早く目覚めた。父も母もいない朝は、静かで薄暗かった。
「恒ちゃん、カーテンを開けて。準備をして行くよ」
 カーテンを開けると朝の光が眩しく、思わず目を背けた。病院に行けば、父も母もいる。内緒で病院に行ったら、きっとびっくりして喜んでくれるだろう。

 私は、恒の手をひいて駅に向かった。西病院までバスに乗ったことがなかったが、乗れば、アナウンスしてくれるから分かるだろうと思った。バス停につくと、タイミングよく「町立西総合病院経由K駅行き」というバスがきたので急いで乗った。
「恒ちゃん、K駅まで行かないように気を付けないとね」
私は緊張した。病院に着くまでの間、たくさん停留所に止まるようだ。バスに乗って十分ほどすると「次は、町立西公民館前」というアナウンスが聞こえた。
「町立西……」の言葉を聞いて、私は慌てて弟の手をひいて降りた。バスが走り去ると、静けさに包まれた。辺りを見まわした。病院はどこだろう?

 目の前の畑の手入れをしているおじさんに聞いてみた。
「すみません。西病院はどこにありますか?」
 おじさんは、目を丸くした。
「あれ? ここは西公民館前だけど。病院はあの丘の上だからね。まだまだ先だよ」
 私は、西病院よりかなり手前で降りていたらしい。
「どっちに歩いて行けばいいですか?」
おじさんは、少し細い道を指差した。
「うーん、バスの道より、こっちのほうが近道かな。でも、ふたりの足で大丈夫?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
 私は、恒の手をひき、おじさんに教えてもらった方向に歩きはじめた。
 ゆるい坂道がずっと続く。恒は、歩けないと言って、坂道の途中で座り込んでしまった。
 私だって泣きそうだ。でも停留所を間違えて降りてしまったのは私だし、なんとかたどり着かないと。

 恒をなだめながら歩き始めてから二時間が過ぎた頃、軽トラックに乗ったおじさんが私たちの姿を見て、車をとめた。
「きみたち、どこに行くの?」
 私は、背筋をぴんとさせた。
「西病院に行きたいんだけど、どれくらい時間がかかりますか?」
 おじさんは、日焼けした顔を光らせて笑った。
「そりゃ、たいへんだ。君たちの歩き方見てると、とても今日中にたどり着けないよ。ちょうど、西病院の近くに行くところなので、乗っていきなよ」
 私は警戒した。知らないおじさんのあとをついて行ってはだめですよと注意してくれていた母を思い出す。でも、こんなことをしていたら、いつまでたってもたどり着けない。次のバスに乗ることも考えたが、もはやバス停がどこにあるのかも分からなくなっていた。

よし、何か怖いことがあったら、トラックのドアを開けて飛び降りて逃げよう。怪我したっていい。私たちはおじさんのトラックに乗せてもらうことにした。恒の手を強く握りしめた。恒の手は汗で湿っていた。
「おねえちゃんたち、病院にお見舞いに行くの?」
「お母さんが入院したんです。お父さんも一緒にいるから」
「そうか。それで子どもだけで歩いてたんだね」

 病院までは、車で二十分くらいだった。トラックから降りると、おじさんが荷台から百合の花を二本持ってきた。
「山に咲いてたんだけど、お母さんのところに持っていってあげな」
「ありがとうございます」
 百合は、まだつぼみだったが、甘い香りを放っていた。

 花を受け取ると、なぜか二人とも駆け足になった。ようやく母の病室にたどり着くと、点滴をした母がベッドの上で上半身を起こしていた。
「まあ、優ちゃん、恒ちゃん、どうやってきたの?」
 私も恒も母の顔を見た瞬間、涙が止まらなくなり、ベッドの掛け布団に顔を押し付けて泣きじゃくった。
 父が病室に入ってきて強い口調で言った。
「え? 二人だけでどうやってきたの? 勝手なことをしたら、危ないじゃないか」
私は小さな声で言った。
「バスに乗ってきたの」
 さすがに、トラックに乗せてもらったことは言えなかった。恒も同じ事を考えていたようだ。

 その時の記憶はここで止まっている。母は一週間ほど入院した。その後も何度か入退院をくり返しているが、今も元気にしている。

 旧西病院が完全になくなってしまう前に、恒と一緒に建物を見に行きたいと思った。
 トラックに乗せてもらったことは、その後も二人の秘密になっている。私も恒もそれぞれ家庭を持っているが、どれだけ年月がたっても、あのときの不安な気持ちは、今でもリアルに覚えている。
急に恒と話をしたくなった。

 今夜、電話してみよう。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

半蔵門かきもの倶楽部 更新情報

半蔵門かきもの倶楽部のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。