ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

半蔵門かきもの倶楽部コミュの第七十三回 あつし作「2月歌会」(手袋・雪・投票)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「鬼は外、福は内」
堅岡が店内に入ると、舌足らずな声が飛び込んできた。
頭に赤鬼のおめんを乗せたいるかが、店の奥に座る海老沢に向かって豆を投げる。
身体の線に沿った黒いセーターを着て、髪を結い上げ見せるうなじが雪のように白い。
「あっ先生、いらっしゃいませ」
いるかは振返ると、入口に立つ堅岡に向き直って立ち首を傾げて微笑む。
こんばんはと抑えた声で言い、堅岡は入口近くのいつものスツールに腰を掛ける。
隣りには冬でもタンクトップ姿の中山が座り、その奥が和服を着る海老沢となる。
「乱暴だな、いるか君は。儂を鬼扱いするでない」
そう言いながら、服を払う海老沢は嬉しそうだ。と、急に姿勢を正し真面目な顔をし、
「ところでいるか君、手袋の反対言葉って知ってるかな」尋ねる。
「えー、手袋?反対言葉?て・ぶ・く・ろだから…、ろ・く・ぶ・て」
「よーし、ぶってやる、ぶってやる」
立ち上がる素振りをしながら、子どものように両手を振り上げる。
「キャー、ぶたれる。助けて先生!」
と小走りでやってきて、堅岡の背中に隠れる。いるかの白い小さな手が堅岡の背で揺れる。
「会長、皆さん揃われたようなので、始められては」
マスターの松永が戯れを遮るように言う。
「そうだな、では始めるとするか」
海老沢がスツールにきっちり坐りなおし、2月例会の開催を宣言する。もともと海老沢が趣味で始めた短歌を店で披露するようになり、いつの間にか常連に広がると、1ヶ月に1回歌会と称し皆で歌を持ちよるようになったのだ。今日はその2回目の短歌の会だった。
「いるかちゃん、先生にお酒をお出しして」
マスターがいるかに日本酒の瓶を渡し、いるかがワイングラスに日本酒を注ぐ。
ここ《パレスサイド》は、ワイングラスで日本酒を出す5席だけの日本酒バーだ。東京中野にあって、堅岡は勤めている塾の帰りに定期的に通っている。塾と家との往復以外、あまり出歩かない堅岡にとって、唯一"行きつけ"と言っていいお店かもしれない。いるかはこの店の女子大生アルバイトだ。
「今日は"雪の茅舎"です。自然豊かな良質の水で作られていて、透明感があるすっきりとした味わいが特長です。今回は山廃純米吟醸をご用意いたしました。雪の茅舎は、秋田を代表するお酒で、秋田駅には大きな看板が出ています。雪の茅舎の看板を見て、佐々木希の大きなポスターを見ると、ああ故郷に帰って来たなあってしみじみ思います。」
「あれっマスター、秋田でしたっけ?」
肩の筋肉を盛り上げて、中山が聞く。
「いや違うけど、なんとなく」
40代と見られるマスターは、惚けた人だ。
「先生、はいどうぞ」
宝物でも渡すように、いるかが目の前のコースターの上にワイングラスを置いてくれる。
「いるかさん、ありがとう」
いるかやマスター、常連のみんなが堅岡のことを「先生」と呼ぶのは、堅岡が塾の先生だからだ。でもいるかが呼ぶ先生の意味合いは、みんなとはちょっと違うと堅岡は思っていた。マスターにも常連のみんなにも言っていないが、実はいるかは堅岡の塾に実際に通っていた教え子だった。そのことは二人だけの秘密のような気がして、何となく皆には言わないようにしている。決めたわけではないのだけれど、いるかもどうやらみんなに明かしていないようだ。
結婚していない堅岡は今年で50歳だから、20歳前後のいるかは自分の娘のようにも思える。父親代わりとして、教育者として、娘であり教え子であるいるかは守らなくてはいけない存在だと常々考えていた。
「なんで今年は節分が2月2日なの?節分って2月3日に決まってるんだって思ってた」
カウンターから出てきたいるかは、かがみながら小さなほうきとごみ取りで豆を拾いながらつぶやく。かがんだ背中のセーターがめくれ白い肌が見え、堅岡は目を逸らす。
雪の茅舎を一口呑んで味わい、深く一息吐き、いるかの言葉を拾う。
「36年間、ずっと2月2日でしたので、いるかさんがそう考えるのも無理はないですね」
「えー、前にも違ったことがあるのぉ〜」
「そうです。節分は立春の日の前日と定められていまして、37年前の1984年は2月4日でした」
「そうじゃった、そうじゃった。儂が一番バリバリだった時だ。その時にいるか君に出会いたかったのお」
海老沢が口を挟む。
「全然覚えていないなあ」
「生まれていないや」
マスターは40代でまだ物心つかね年頃、中山は30代だからいるかとともに生まれる前の出来事だ。この中で記憶があるのは、70代の海老沢と堅岡くらいか。堅岡は冬至、中学生だった。
ふと堅岡の塾に通っていた、中学時代のいるかの姿を思い出す。それほど勉強ができるタイプではなかった。友達と恋愛話や好きなアイドルの話をわあわあ騒ぎながら、時々思春期ならではの張り詰めた表情を浮かべていた女子中学生。その子が今や二十歳になって、目の前に居る。いるかの意識が自分に向いているのを感じながら、堅岡は続ける。
「立春は太陽の黄経が315度になるときと定義されています。今年は2月3日23時59分に当たるため、わずか1分の差で立春が2月3日となり、節分はその前日の2月2日となったわけなんです」
「先生、授業みたい。"数字は美しい"だぁ」
いるかが手を叩く。
堅岡は日本酒が身体を巡るのを感じる。覚えていてくれたんだ。
「そう、数字は美しいです。私たちがいつもぼんやりと感じている世界、曖昧に捉えているこの世界は、実はすべて数字で規定されているのです。綿密に計算尽くされ、緻密に作り上げられているのです」
それは数学の授業で堅岡がいつも言うことだった。生徒たちはそんなことより、具体的な勉強法を教えてくれと冷ややかな視線を向けてくるのだけれど、堅岡は数学が持つ本来の美しさを教えたかった。一人で熱くなる堅岡を、誰も理解してくれていないと思っていた。思わぬところに嬉しい理解者がいた。
「数学とか理科の授業、苦手だったなあ…」
中山がお手上げといったように両手を上げる。
「そんな何十年ぶりの珍しい日ということで、今日の歌会のテーマは"時"です」
マスターが話を戻す。
「そうじゃなあ、では今回は中山君から行こうか」

・あと一秒たった一秒この一秒いくつも幾つも季節を駆ける

「僕にとっては、時と言えばやっぱりタイムかなあ」
中山はジムのトレーナー、いつもスポーツのことを考えている。堅岡は子どもの頃から、スポーツは苦手で、スポーツマンやアスリートと言われる人たちも苦手だ。一緒にいるだけで何だか敗北感を覚えてしまう。
年齢的にいうと、30代の中山がいるかに一番近く、要注意だと思っている。逞しい身体もいるかにとっては、魅力的に映るのだろうか。いるかもやっぱりスポーツマンが好きなのだろうか。
そっといるかを見ると、ワイングラスを傾け、心持ちうっとりした瞳をしている気がする。白い喉元を大胆に掲げ、ぐいと雪の茅舎を飲み干す。
堅岡もワイングラスを明け、新しい一杯をいただく。
「ふむふむ、ストレートでなかなか良いのぉ。儂は1回でいいから、いるか君と…」

・今日ならば言える気がした今日が過ぎ明日は来ない時間の谷間

マスターが割り込むように、詠みあげる。客商売として、ギリギリの間合いだ。マスターは海老沢を警戒しているように見えるのだが、いるかの身を守るためには中山をマークするべきではないか。
「僕らの世代はトレンディドラマが全盛でして…。山下達郎からいただきました」
「えー、ロマンチック♪」
いるかがマスターに声かけると、マスターの顔がにやける。
うーん、いるかと一緒にいる時間が一番長いのはマスターだ。マスターこそが一番要注意かもしれない。堅岡のお酒がどんどん進む。

・記憶とは曖昧なもの薄れてく焦がし焦がれた火傷の跡も

マスターに張り合うように、海老沢が声高らかに詠む。
「恋を生み出すのも、失った恋を癒すのも、時じゃからなあ。いるか君との火傷なら、喜んで受けたいのじゃがな。」
「わぁ、ロマンチスト!会長、素敵」
まさか、孫ほど歳の離れたいるかの心を掴むとは思えないけれど、堅岡は心穏やかでなくなる。記憶だけでなく、意識も薄れていってくれないものか…。

じゃあ私、と言っているかが発表する。
・放課後の部活の音がファンファーレ先輩来るいざ告白だ!

堅岡は目を閉じて、雪の茅舎を味わう。急に甘みが増した気がするのは、気のせいか。
「いるかちゃんが好きな先輩はやっぱり運動部?何部だったの?」
ガサツな中山の声が苦く響き邪魔をする。
「弓道部に投票!儂は弓道部じゃったんだ」
和服を翻して海老沢が指で1の形を作る。
「サッカー部だ。サッカー部のキャプテン!」
マスターも相乗りする。
頭の中で、和服姿にうっとりするいるかの横顔、サッカー部のキャプテンにお弁当を手作りするいるかの後ろ姿がぐるぐると回る。えーい、どうして"やっぱり運動部"なんだ!どうか文化部であってくれ、頼む。学生時代、帰宅部だった堅岡は文化部に肩入れし、目の前で強く手を組んで握りしめる。

えー内緒だよ、いるかが応えながら頭を振る。
「やだー先生、どうしちゃったんですか。お祈りなんかしちゃって、可愛い。先生の番」
君のほうこそ可愛いよ。声が震えるのを感じる。

・珈琲の湯気の向こうに君がいて青い空には雲が幾つか

カウンターを挟んで思わぬ近さにいるかが居て、はっきり顔が赤らむのを感じる。
「こんな時が来たらなあ、なんて思ったりして」
「ふふふ」
いるかが微笑んだ時、ちょうど時計の針が12時を指し、立春を迎えた。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

半蔵門かきもの倶楽部 更新情報

半蔵門かきもの倶楽部のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。