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半蔵門かきもの倶楽部コミュの61回 まめや作 スズノコ

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 魚肉ソーセージが、喉に詰まりそうになった。危ういところだった。
「寿々ちゃん、産むのかしら、産まないのかしら」
母親はひとり繰り返し、首を回している。
 母親の焼きそばには必ず魚肉ソーセージが入っている。豚肉でもウィンナーでもない。魚が苦手だった幼いころの良平が、薄紅色の魚肉ソーセージは喜んで食べたことで定番になり、刺身を好んで食べる年齢になった今でもそれはずっと変わらない。良平はソースでコーティングされた魚肉ソーセージをやっとのことで飲み込んだ。
「ごめん。ちょっとお茶」
良平は空になった湯呑を母親に手渡す。
「はいはい。温かいの? 冷たいの?」
「冷たいやつ」
良平は冷たいお茶を飲みながら、頭の中から寿々を追い出すように母親のあれかこれか癖を思った。
 母親は常にあれかこれかで物事を聞いてくる。良平が小学生のころの誕生日には「チョコレートケーキ? ショートケーキ?」と聞き、チーズケーキと答えれば、「やだ。チーズケーキ? レア? ベイクド?」といった具合だ。母親は自分の中で選択肢が出来上がっている。人生はあれかこれかだ。選択の嵐だ。昔のじいちゃんに口酸っぱく言われていたせいらしい。
 寿々ちゃん、産むのかしら、産まないのかしら。母親がもう一度言うのを聞いて、ようやく子供のことだと頭で認めた。
「寿々ちゃん、結婚したの?」
そんな話は初耳だ。
「してないわよ。これからなんじゃないの?」
できちゃった結婚ということか。
「雅子さん、寿々ちゃんが妊娠してる。産ませていいのかなんて言うもんだから。お母さんもびっくりしちゃって。それ以上のことなんて聞ける雰囲気じゃなかったのよ。だって、産ませていいのかっておかしいじゃない? まぁ、でも結婚なんじゃないの? 普通に考えたら」
なんで大事なところを聞いていないんだ。
「だって仕方ないじゃない。電車でね、偶然会っただけなんだもの。向こうは仕事中みたいだったし。しかも、雅子さんが降りるちょっと前だもの。お互い気がついたのが。雅子さんひたすら早口でそれだけ言ってたのよ。寿々ちゃんに子供を産ませるとかどうとか」
良平の不満が伝わったのか、母親は続ける。
「今度ゆっくりお茶しましょうって別れたんだけど。さすがに、こんな話聞いちゃったら、お母さんから誘いにくいでしょう」
朝、母親の電話で起こされた。今日は仕事が休みで、いつもならば、あと二時間は布団の中に居られたはずだった。
 ちょっと帰ってきなさいと言う母親に、今日はマッサージ行きたいからと電話を切ろうとしたが、いいからちょっと帰ってきなさいと譲らない。来るの来ないのと繰り返す。もしやじいちゃんに何かあったのかと体を起こしたところで、じいちゃんは老人会でカラオケだと言われた。力が抜けたところで、お昼ご飯好きなもの作っておくからと一方的に電話を切られた。それが焼きそばだったわけだが、そもそも焼きそばが特別好物というわけではない。
 芸能ニュースに忙しい朝のワイドショーを観ながら溜まった洗濯物を干して、家を出た。十月に入ったというのに、真夏を思わせる日射しだった。平日午前中の電車は人がまばらで冷房の風が心地良かったが、汗がひく間もなくひとつ隣の駅に到着した。

 この街に戻って来てからは、なんだかんだといって月に数回は実家に帰っている。ただ夜ご飯を食べに帰ることもあれば、蛍光灯が切れた、携帯がおかしいと母親から呼ばれることもしばしばだった。
 今日のように特に理由をつけずに帰ってこいと言われる場合は、たいてい母親の話をひたすら聞くことになるか、母親に代わってじいちゃんの長話を聞くことになるかのどちらかだ。じいちゃんがカラオケだとすると、母親の話だろうと気が抜けたまま実家の食卓についたところ、寿々が妊娠したと告げられた。
 途中から、焼きそばの味がわからなくなった。寿々と妊娠、寿々と結婚、そのどちらもうまく結びつけることが出来なかった。雅子おばさんから話を聞いて、誰かに言いたくて仕方なかったのだろう。母親はすっきりした顔をしている。
 食べ終わった皿を流しに置き、和室の小さな仏壇に向かった。ロールパンをひとつお供えする。
――父さん。今日は、ロールパンです。
線香をあげ、手を合わせた。
 父親は良平が受験を控えた中学三年の冬に死んだ。おやじと呼んでみようかと密かに考えていたころだった。脳梗塞だった。なんの前触れもなかった。良平が病院に駆けつけたときには白く冷たくなっていて、人間は死ぬんだと瞬間的に思った。あっけないものだった。  
 朝、玄関先で靴を履く父親の背中に、寝起きのかすれた声でおはようと言うと、父親は振り向いて右手をあげた。
「おう、行ってくる」
その声と背中が、最後の父親の姿となった。いつもより少し早く目が覚めた、肌を刺すように寒い日だった。父親を見送ることが出来たのは、神様のお告げだったのかもしれない。
 良平は残りのロールパンを母親に手渡した。
「あら。ロールパン。お母さん、次はクロワッサンがいいな」
クロワッサンは店でも一位二位を争う看板商品で、滅多に売れ残ることはない。ロールパンは、今日の朝昼兼用にしようと持ち帰っていたものだった。
「お店、忙しいの?」
「うーん。まぁ、でもバイトだからね」
「そう」
今年に入ってすぐに、七年近く勤めていたホテル内のベーカリーを辞めた。今はヒビキベーカリーで働いている。と言っても、立場は気楽なアルバイトだ。二十八歳にしてアルバイトを選択したということは、あえて考えないようにしている。今は残業も限られているし、忙しいと言ってもホテル時代と比べれば、へでもない。
 辞めるという決断をする前の数か月、良平は自分でも驚くほどに痩せこけた。自分自身が擦り減っていくのを、おもしろいように実感した。カップラーメンだったり、コンビニ弁当だったり、パンだったり、カロリーは十分すぎるほど摂取していたのに、するすると肉は落ちていった。
 母親に電話で転職の報告をすると、その三日後に宅配便が届いた。それまで、転職についてはもちろん、仕事のことも特別話したことがなかったにもかかわらず、段ボールにはなぜか「祝」の熨斗が貼られていた。何事かと思ったが、中身はカップラーメン、缶詰、レトルト食品の盛り合わせで、底の方に二万円分の商品券が埋もれていた。
 母親はロールパンの袋を定位置のかごに入れると、椅子を勢いよく引いて良平の向かいに座った。

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