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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第二十七回 コムンコヤンイ作 『山田浮月斎』

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兵法はひとをきるとばかりおもふは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也


遠江久野城主松下之綱の娘りんが、柳生又右衛門宗矩の妻となったのは、慶長11年、りん十九歳の春であった。
その年の四月、宗矩の父石舟斎宗厳が大和にて亡くなったので、りんは夫とともに大和柳生の里に赴いた。

江戸より柳生までの道中、りんより十六歳としうえの宗矩は、細やかな心使いで新妻をいたわりつつ、
牢人時代の思い出を面白おかしく話して聞かせた。
父と二人仕官の先を求め、浪々の旅で方々を転々とした宗矩は、各地の方言習俗食べ物などに詳しく
それらの違いを語って、話が尽きることがなかった。
「嘘、そのようなこと、りんは信じませぬ」
「ほ、するとわしが嘘を申しておるとでも?ははっわしは金輪際嘘は申さぬぞ」
「それでしたら、いつかわたくしも一緒に連れて行ってくださいませ」
「おう、約束しよう」
遠江しか知らないりんには、物珍しい様々な土地の習俗を、嘘かまことか、判じ分ける術はなかった。

りんは祝言の前、夫となる人が、将軍家に剣術を指南する日本一の兵法者である。と聞かされて
どんないかつい侍かと案じていたが、会ってみると、小太りで丸い顔をした、まるでゆで卵に目鼻を付けたような
容貌に、思わず笑みがこぼれてしまったことを覚えている。
りんの育った遠江は、海のある明るく広々とした土地だったので、
江戸から遠江よりはるかに遠い、道のりの果てにある大和柳生の里は、山野の奥深くの
まるで妖意異形の棲む別世界のように思われた。
とはいえ、その土地に住む人々は、異形でも妖異でもない。ごく普通の人々で、土地言葉は
りんには話していることが半分くらいしかわからなかったが、それを抜かせば、遠江の民や江戸の人々と
なんら変わらぬことがすぐに分かった。
むしろその善良さ、無垢な人懐っこさは、まだ少女らしさを色濃く残したりんの心を暖かく満たしてくれた。

葬儀は滞りなく済み、一日宗矩はりんを伴い近くの見晴らしのいい小さな山に上った。
忙しい日々が続き、夫婦水入らずのときが久しくなかったので、その罪滅ぼしのつもりだったのだろう。
高台から見えるのどかな景色を眺めながら、夫と二人きりの時間を、りんは心ゆくまで楽しんだ。
宗矩という男は、口数はけして多くはないが、自分に対する暖かな気持ちを、りんはじゅうぶんに感じていた。
帰り道、二人が歩いていると、道の向こうから歩いてくる一人の武士があった。
旅装で笠をかぶっているので、表情はわからないが、体つきからいって屈強な兵法者のようにりんには思えた。
一度武士は笠を少し上げてこちらを見ると、少し歩く速度を緩めた。
りんがふと横を振り向くと宗矩は立ち止まっていた。その表情は今まで見たことのないような真剣さを帯びていた。
「旦那様」りんが思わず口にすると、宗矩はゆっくりとまた歩き始めた。
武士との間合いが、あと五、六歩くらい迄に迫ると、武士と宗矩は同時に歩みを止めた。
武士が俯きがちだった顔を上げた。笠の内からその顔が半分のぞけた。
思ったより年のいった五十年配の顔だが、日に焼けて精悍なその容貌は、屈強な兵法者というりんの印象を
さらに裏付けるように思われた。
武士が口を開いた。「失礼ながら、そのもと柳生又右衛門どのか?」しわがれていたが力強い声だった。
「いかにも、又右衛門宗矩でござる。そういう貴殿は、もしや山田浮月斎どのか?」
「ようわかったの」とにやりと笑い、顎の紐を解いて笠を脱いだ。
「いやなに、気儘な身でな、ふらふらしているうちに石舟斎どののことを耳にしての、ご挨拶にまかり越した」
「それはまた、遠路はるばる忝い」視線は浮月斎から離さずに
「りん、この方は山田浮月斎どの、われら柳生とは同じ新陰流の流れをくむ、
亡くなられた父上とは兄弟弟子にあたられる方じゃ、ご挨拶なさい」

山田浮月斎は、九州は肥前唐津四万石、寺澤家の兵法師範を勤める兵法者である。
亡くなった石舟斎宗厳は、新左衛門と名乗った若いころ、諸国を流浪する新陰流の祖、上泉信綱を迎え教えを乞うた。
そのとき、まずこの者と立ち合いたまえと云われ、相手をしたのが秀綱の甥で高弟の疋田文五郎であった。
宗厳は三度立ち合い、三度とも敗れた。
すぐさま宗厳は信綱と疋田文五郎に師の礼を取り、新陰流を学び間もなく印可を受けた。
疋田文五郎は信綱のもとを離れ、さらに諸国を独りで巡り、各地でその精妙な剣術を教えてまわった。
その中には関白秀次の名もあった。その後、栖雲斎と号し、九州唐津に来たとき教えたのが、当時寺澤志摩守廣高の
小姓をしていた山田太右衛門勝興、のちの浮月斎である。
浮月斎は己が剣術を師の名を冠し疋田陰流と唱えたが、性狷介にして、お留流として斯界の頂点を誇る柳生流に対し、
敵愾心を隠しもしなかったという。

「お初にお目にかかります、柳生宗矩の家内りんともうします」
浮月斎は笑顔を見せて一揖した。
「これはご丁寧なご挨拶痛み入る。山田勝興ともうす」
その親しげな表情のまま、宗矩に向き直ると
「よい奥方を迎えられたな。これで柳生も安泰というもの」
「恐れ入ります」

宗矩は世間の広さを痛感していた。同じ新陰流に限っても天下に達人上手は数多い。自分が天下無敵であるなどという
慢心はしていないつもりだったが、どんな相手でも互角に立ち合える自信はあった。
しかるに今浮月斎を前にして、まるで打ち込む隙を見いだせない自分に、敗北感を覚えずにはいられなかった。
宗矩は浮月斎とこれまで面識はない。しかし、初対面でそうとわかったのはやはり同じ流儀の持つ匂い
とでも云うべきか、浮月斎の全身から漂う剣気は、だが身内の中で自分が敵わないと感じる父や、兄の新次郎厳勝
たちと似ているようでまるで異質なものだった。
新陰流にして己が知る新陰流ではない。これだけの新陰流の遣い手といえば、面識のある人物は自然と除外され、
残った名のある人物の数は限られる。
ある程度誰であるか、推察できたのは不思議ではなかったわけだ。
ただ、ここで浮月斎と会ったのは偶然ではない。云うように気儘に九州からこの大和の地に現れるわけがない。
そのような立場でもない。日ごろからの浮月斎の柳生流に対しての言動は宗矩も知っている。
関ヶ原から数年、天下の趨勢は徳川の元で盤石の様ではあるが、全く揺らぐ気配がないわけではない。
世には今一度争乱を望む浪人輩が数限りない。今の境遇に不満を覚える勢力、徳川の天下に異を唱える勢力は
まだまだ消えてなくなったわけではないのだ。
なにしろ、未だ堅城大阪城において豊臣秀頼は健在である。
家康は老人であるが、秀頼はまだ若く、聡明で身体壮健、もったいないほどの英君である
徳川を倒すには豊臣の旗印のもと決起するしかない。
いずれ江戸と大阪は雌雄を決しなければ済むまいと宗矩は思う。
そのときまでにいかに先を読むか、先々のことまで見通して策を施すのも兵法である。
もちろん、宗矩は徳川の家臣であり、徳川のために、身命を賭すまでである。
徳川に着くのは誰で離れるのは誰か、敵にまわって脅威となる人物は誰か、もしあるとせば事前にその命を奪うことも
我が役割と心得ていた。
浮月斎は如何か?おそらく、主君寺澤堅高にどちらに着くかと問われたら、やはり時世の流れを思えば、
徳川に着くことを勧めると宗矩は思う。
だが心情的にはどうか?師がかつて教えたことのある豊臣方に、肩入れすることは充分考えられる。
柳生に対する思いなど鑑みれば、これを理由に浮月斎が柳生に斬っておくべき人物がいるようなら、
今のうちに斬ってしまえと考えることはありえると思った。
だからこそ、ここで浮月斎と遭遇した。浮月斎の狙いが豊臣に少しでも利するような知識を得るための諸国の探索であり
宿敵柳生の人物を見定めることも、その目的の一つであると
だとすれば、宗矩としてはここで浮月斎を斬るべきである。だが斬れるか。

浮月斎は宗矩の想像通り、このとき、主君の許しを得て諸国の情勢見聞の旅に出ていた。
上泉信綱の興した新陰の流れは日本全国に広がっている。
それら同流の使い手たちと交流を持ち、あわよくば柳生流に対しての一勢力を立ち上げんとの思惑もあった。
しかし、なにより実際柳生一族の誰かに会ってみて、どれほどの物か知りたいというのが一番大きな願いであった。
それがなんというめぐり合わせか、よりによって今の柳生を背負って立つ人物に、こうして対面が適うとは。
これは、今こそ雌雄を決せよ、という亡き師のはからいではないか。と思わずにはいられなかった。
なるほど、柳生宗矩。思った以上の遣い手である。将軍家指南役の名に恥じぬ。
この男を斬れる者は、日本全国捜してもそうはおるまい。
だが自分なら斬れる。数年後はわからぬが、今なら斬れる。そう感じた。

浮月斎は笑みを絶やさずに
「そういえば、徳川家に仕官なされた由、祝着至極」将軍家指南役とは言わなかった。それも十年近く前のことであるのに。
苦笑いを交えて宗矩はこたえる。
「恐れ入ります。ーー、栖雲斎どのはご壮健で?」
「師は、昨年身罷られた」
「左様でございましたか、存じよらず失礼いたしました」
「よい」
相手の語尾を斬るかのごとき、一言だった。

二人の間の空気が次第に張りつめていくのをりんは感じていた。りんも武家の女である。いつ何時夫が命を落とすことも
常に念頭に置くべきと教わっている。もしこの場で夫が浮月斎と立ち合い、敗れるようなことになったら、
及ばずながらすかさず胸の懐剣を抜いて、浮月斎に挑みかかる覚悟はできていた。憶えずいつの間にか胸元を手がおさえている。

しばし、両者は無言の儘向かい合ったのち、宗矩が口を開いた。
「せっかくの機会、浮月斎どの、一手お教え願えましょうか」
浮月斎はぐっと姿勢をそらしつつ、
「よろしいのか、奥方の前であるが」
宗矩は笑った。
「これも武家にござれば」
とりんに向き直り
「りん、ここから動くでないぞ」
と云った。

二人は同じ間合いを保ちつつ、ゆっくりとりんから離れていった。
浮月斎は手の笠を叢に放った。
じゅうぶんにりんから距離を取ったのち、二人は止まって対峙した。
両者ともまだ抜かない。

浮月斎は宗矩の覚悟を知った。かれは死ぬ気であると、だが一人では死なぬ。相手を斬ったうえで死ぬなら
敗北ではない。自分のみが斬られて死ねば、次はりんが死ぬ。敵わぬまでもりんは浮月斎に挑んで
斬られることを選ぶだろう。それはなんとしても避けねばならぬ。
自分の命を持ってして、浮月斎を必ず仕留めねばならぬ。宗矩はそう覚悟した。
窮鼠猫を噛む。という言葉もある。浮月斎は、だが宗矩をまだ斬る気でいた。

そのとき、りんが動き出した。少しづつ、大きく距離を取って浮月斎の背後を取る位置に向かうべく、少しづつ歩き出した。
「りん、動くでないっ」
宗矩は叫んだ。が、りんは歩みを止めない。懐剣の柄袋はすでに取ってある。
りんにも宗矩の覚悟が伝わった。死しても浮月斎をこの地より生きて返さぬ覚悟を、自分が勝ちをおさめることが至難であると
その表情から読み取ったのである。であるなら自分も生きてはいない。夫と同時にこの強敵に挑んで死のうと
りんも覚悟した。
顔面を蒼白にしながら、しっかりと柄を握りしめて、りんは少しづつ、だが着実に浮月斎を挟み撃ちにすべく歩みを進めた。
「動くでないと申すにっ」
たまらず宗矩は剣を抜いた。浮月斎との間合いを詰める。
だが、浮月斎の無言の気合いを受けて、ガクンッと止まった。一定の距離から詰められない。
りんは憑かれたように歩みを進める。まるで死人のような顔色であるが、その足は止まらなかった。

「渇っ!」

浮月斎の気合いを浴びて、りんはその場に失神して崩れ落ちた。
宗矩はりんに向かって走った。自分の身を挺してりんを守る。
そんなことを思う間もない。無意識の行動だった。
剣を捨ててりんに覆いかぶさり身を硬くする。
二人して斬られると覚悟した。

しばらくして、ふと気配を感じないことに気づいて顔を上げると、浮月斎は笠をかぶり直して
去っていく所であった。
「浮月斎どの」
浮月斎は二三歩歩いて足を止め、振り返ると
「二人掛かりで来られては分がわるい、いずれまた」
とクルリと背を向けて去って行った。
「あるいは、三人掛かりだったかも知れんの」
と浮月斎の口から呟きが洩れた。

宗矩とりんは江戸にもどり、翌年早々りんは男の子を生んだ。
名を七郎と名付け、長ずるにしたがって、剣の天稟を発揮し、祖父石舟斎の生まれ変わりと
称された。のちの十兵衛三厳である。









コメント(15)

ラストの展開に、イイネ!を10回押したくなりました。私の私情もだいぶ入っているのかもしれませんが……笑。浮月斎のセリフがまた効いてます。
コヤンイさんの、作品の幅の広さ?に驚いてしまいます。こういう時代ものも書かれるとは。私は個人的に時代ものが苦手なんですが、(お恥ずかしながら、読めない漢字がたくさんある……)だけどこの作品では、人間の心の動きなど丁寧に描かれていて、読んでいて心地のいいものでした。
いつもものすごい早さで思いついて、即書いて即アップする、そういうコヤンイさんの姿勢がすごいな、と思います。コヤンイさんの創作のエネルギーみたいなものをひしひし感じました。
>>[1] 感想ありがとう
全部フィクションですよ^^
時代背景と人物は本物だけど、他は全部想像です。
>>[2] 感想ありがとうございます
最初はこんな話にするつもりではなかったのですが
出来上がったら、夫婦の絆と子供が生まれる話になってました。

アイデアが浮かんだら早いんですが、浮かばないと全然書けません。
悲劇と発見、でも書くつもりだったのに、アイデアが浮かばなかった。
>>[3] 感想ありがとうございます
いつも説明を極力排除することが多かったので、今回は意識して
作品だけで説明が要らないくらい書くようにしてみました。
最後ほっとしていただいてよかったです。
流麗な文章に息を詰めて読んでしまいました。
りんの視点を中心に、ふわりと暖かな空気を感じる前半部。
そこから浮月斎の登場で一気に緊張感が高まる対比が鮮やかで、一気に読まされます。

短編としてもとても完成度の高い作品だと思いますが、これが長編の導入部でここから十兵衛が主人公の物語が始まるとしたら、絶対最後まで一気に読んでしまうだろうな、とそんなことを思いました。
>>[7] 感想ありがとうございます
この続きは、五味康祐の「柳生武芸帳」をお読みください^^
再び宗矩と浮月斎が対決します。
容姿の描写が分かりやすく、想像しやすく
絶妙だなと思ったのですが、
これは史実に基づくものなのか、気になりました。
>>[009] 感想ありがとうございます
時代背景と人物の年齢などは史実にもとずいていますが、宗矩と浮月斎が会ったことがあるのかどうかは記録がないのでわかりません
歴史小説は少々苦手なんですが、とてもスムーズに一気に読むことができました。

分かりやすく読めて、サイモンさんの筆力のすごさを感じました。

ラストもホッとしたのと、死者を出さない点もサイモンさんの優しさのような気がしました。
>>[011]
誰も死なないどころか、新しい命が生まれますからね(^O^)
今日は遅刻したらアンデヨ(だめだよ)
>>[9]
容姿の描写、宗矩の顔を、茹で卵に目鼻を付けたよう
というのは柳生一族を主人公にした作品を多く書いている五味康祐の作品から
そのまんまパクリました。
読み返してみて、コヤンイさんのおっしゃっていた剣術の奥深さ、武人の心構えがさりげなく随所に書かれていることに驚きました。
剣を交えるまでもなく、向かいあっただけで実力が分かってしまうなんて……。自分の読解力の無さが恥ずかしくなりました(笑)

後半の、宗矩と浮月斎とが次第に火花を散らしていく場面、両者の思いを交えて書かれているところが特に大好きです!
とても映画的だなと思いました^_^
>>[14] 感想ありがとうございます
わたしは立ち合いそのものより、立ち合いに至る過程のそれぞれの心構えや立ち居振る舞い
が好きで、その辺を魅力的に描写できたらいいな。と思っています。
達人同士の立ち合いの場合、ほとんど一瞬で勝敗が決してしまい、それが紙一重の差でも
生と死という残酷なまでに歴然とした結果となって表れるので、安易には書きたくないですね。

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