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日本卓球等研究会兵庫県神戸支部コミュの思考停止は禁止(だいじょぶか👀)

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「わたしはコレで会社を辞めました」
と立てた小指を見つめる中年男性が登場する禁煙パイポのCMが一世を風靡したのは1984年のことでした。
今年は「カープ応援できる平和に感謝」という中国新聞テレビ欄の縦読みが話題になりました。これはプロ野球の広島カープを応援する内容で、平和だから野球ができる_というわけ。卓球もそう、平和だから卓球に夢中になれるんです。

テレビや新聞、ラジオや雑誌などのメディアから人は強い影響を受けます。ニュースは事実を流しているかというとそうではありません。事実の一部を制作側の意図に基づいて編集した“作品”
だとぼくは思う。なにをひねくれたことを…と思う方は、自分で取材してみるといいでしょう。報道にはない事実に間違いなく出合うからです。いや、そんなことはなかった、メディアの言う通りだったという人は目が節穴かまたはメディアの話を鵜呑みにする中毒者といってもいい。「人間は考える葦である」(パスカル)。考えるから人は強くなれる。考え続けることが大事だということ。
思考を停止してはなりません。

コメント(7)

ジュンク堂で見つけた雑誌『NONUKES voice 原発いらない! 全国から最前線の声を集めた脱原発情報マガジン』(鹿砦社)。
「〈3.11〉以降、脱原発の運動は高揚し持続しています。しかし、地域限定、範囲の狭いミニコミはあっても、広く情報を共有し全国に流通する雑誌は、残念ながらないのが実情です。不思議です。」と「創刊にあたって」に書いてありました。確かに不思議です。この国は、政府が原発推進を堅持する一方で、国民の過半数が原発を快く思っていない状況にあります。で、経営が苦しくて“売れればなんだっていいのだ”といいながら?嫌韓・嫌中の本をバンバン出して憚らない出版大手があります。出版大手はしかし原発について語る雑誌を創刊していないのです。金になるなら手を出しそうだけど、しない。大手出版社は、結論ありきの本しか作らないのか、はたまた思考停止なのかな、と思います。
この本の編集部は西宮市にあります。同じ兵庫県内。この動きが身近なところで生まれたことを素直に喜びます。
日本は大嘘つきの国になる予感が…。あきらめるしかない?

川内原発、「安全神話」に懲りないのか
原子力規制委の「審査合格」は穴だらけ
2014年09月21日
原子力規制委員会が新規制基準の下で川内原発に出したゴーサイン。だが、福島の教訓はまったく生かされていない。
http://toyokeizai.net/articles/-/48463
画面には戦車に踏みにじられた子どもの死体が映っていた
ダイヤモンド・オンライン 10月23日 8時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141023-00059294-diamond-soci
「内田樹の研究室」がおもしろい。
今回のテーマは「ネット時代の共生の作法」。
http://blog.tatsuru.com/2014/09/05_1112.php
(以下抜粋)
大きな流れとして、携帯やネットを利用する人たちの間で情報リテラシーの二極化が急速に進行していると思います。
一方に良質な情報を選択的に享受できる人たちがおり、他方にジャンクな情報やデマゴギーを大量に服用させられている人たちがいる。この両者の間の情報格差がかつてなく広がっています。その階層化は、情報量の差によってではなくて、目の前の情報のクオリティを判定できる能力の差によってかたちづくられています。
自分が知らないことについて情報の真偽を判定するということは原理的にできません。でも、その情報をもたらすソースの信頼性や、情報が差し出されるマナーの適否、情報が流れてくる文脈については判定できる。「情報についての情報」をどれだけ持っているかによって情報社会の強者と弱者は差別化されます。
「情報についての情報」、メタ情報とは言い換えると、自分自身の「知のありよう」についてのマップを持っているということです。自分は何を知っていて、何を知らないのかについて俯瞰的に見ることができるということです。図書館の案内図と同じです。どこの書架に行けばどの情報を得られるかを知っている人は、自分が今持たない情報についても必要なときにアクセスできる。それは「潜在的にはすでに知っている」ということに等しい。
情報格差を形成するのは「今所有している情報」の多寡ではなく「潜在的に所有している情報=いつでもアクセス可能な情報」の多寡です。情報弱者というのは、自分が知っていることが知の布置全体のうちのどこに位置づけられるのかを言えない。自分の持っている情報についての客観評価を下す足場を持っていない。
■安売りの全能感
例えば、20年、30年前にはなかったことですけど、街のあんちゃん、おっさんたちがウィキペディアで仕込んだばかりの一知半解の知識で、「こんなことも知らないのか」と学者に向かって喧嘩を売ってくるようになった。この人たちって、単一の論件については偏執的に詳しかったりするのです。数値や日付や書名や人名をぺらぺら諳んじてみせる。そして「自分のような素人でも知っていることを知らない学者にはこの論件について語る資格はない」と一刀両断する。ほとんどこのワンパターンです。彼らにとっては情報というのは「量」ではかるものであって、「質」についての判定がありうるということを知らない。彼らは学者というのをただ「知識を大量に持っている人」だと見なしているので、自分が知っていることを知らない人間はいきなり「自分と同程度かそれ以下」に格付けされる。だから、彼らは必ずまず「私はずぶの素人ですが」とか「ものを知らない人間ですけど」という名乗りをしてきます。別に謙遜しているわけではなく「バカでも知っていることを知らない」というレッテルを他人に貼り付けたいだけです。
これ、やれば簡単なのです。統計数値や年号の一つでも覚えておいて、専門家に「あなた言えますか?」と訊いて、答えられなければ「論ずる資格なし」と切り捨てることができる。この専門家を切り捨てることの全能感はたいへんに強烈なので、一度味をしめた人間は必ずこれにアディクトしてしまう。そして回復不能の情報弱者へと自己形成してしまう。
専門家も知らないような知識にすぐにアクセスできるというのはネットがもたらしたすばらしい恩恵ですけれど、それは同時にある種の全能感を人々に安売りしてしまった。体系的な勉強なんかしなくても、キーボードをちゃかちゃか叩けば、この世のことはすぐに知れると思い込んでいる。
アメリカにあるレストランが防犯カメラの映像を分析した結果を発表。客が店に滞在する平均時間について調べたもので、10年前は1時間5分だったのが、現在は1時間55分にほぼ倍増したそうな。延びた理由は、料理の写真を撮ってSNSにアップし書き込まれるコメントに対応するのに忙しい人が増えたからなんだそうで。だから一緒に食事を摂ってる人との会話も少なくなると。。
これは、高橋源一郎さんが教え子からそんな話を聞いたんだよとラジオで面白がってた話。高橋さんは続けて、同じような話として、このごろの人は自分が見た景色を覚えていないんだってね〜と。
ミシュランの三つ星レストランではスマホの使用を禁じようとする動きもあることに触れ、大事な人と食事をするときはスマホは控えたほうがいいんじゃないかなと高橋さんは言ってました。なるほどね!
>>[6]

食事に行ったとき、写真を撮りたい気持ちは理解出来ますが、うpするのは帰ってからでも良いのでは?って思います。

せっかく美味しい料理を楽しむ時間や、大事な人とかとの限られたひと時をスマホいじりで無駄に遣いたくないですよね。

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