ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

FCYCLEコミュの中国地方Tour26

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
#1 4/29(水) 美作河井→湯原温泉
#2 4/30(木) 湯原温泉→美保関
#3 5/1(金) 美保関→河下町
#4 5/2(土) 河下町→宇都井
#5 5/3(日) 宇都井→匹見
#6 5/4(月) 匹見→益田

コメント(20)

中国地方Tour26#1 2026/4/29(水)美作河井→湯原温泉

 初日はスーパーいなば、キハ187系初乗車から。
 キハ187系のことを「あの小学生の工作ね」と言う人はいると思う。私はと言えば、そんなこと思ってませんでしたよと言えば嘘になる。しかし目撃してしまったのだ、2007年だったか出張帰路に自主経由した山陰本線で、目の前をものすごい速度であっという間に走り去った2両編成の特急を。信じがたい程簡素すぎる車体(特に顔)のキハ187系が、実は国内最大級のエンジンを積んだ爆走野郎だとはウワサには聞いていても、それは各停追い抜きの特急通過というより、まさに稲妻のように思えたのであった。絶壁ではあっても。
 その時から小学生の工作は、一度は乗ってみたい車両に変わった。だってJR北海道キハ261系とほぼ同じエンジン出力で、振子がフルで効いて、速度制限も無いのだ。更に言うと、振子がフルで効くキハ281系とか四国2000系とかより出力がかなり大きいのだ。ただキハ283系だと自己操舵台車で振子傾斜角6°、十勝〜釧路で併走する国道38での乗用車ごぼう抜きは本当に凄かった。更にキハ285系ともなると…話が長くなるので止めましょう。
 山陰に行く必要があると思っていたキハ187系に、まさかの岡山でも乗れるということを、今回計画中に初めて知った。しかもその列車スーパーいなばだと、長年興味があった智頭急行に乗ることもできる。というより、内陸の峠越え路線で、国内最強級の気動車を体験できるのだ。そして朝イチのいなばなら、出発地点を岡山とか鳥取の山間にすることが可能だ。中国地方のオイシイ所から、旅を始めることができるのである。
 調べてゆくうち、330PSエンジンを積むHOT7000系が智頭急行内で130km/hでぶっ飛ばすというのに、187系は諸般の事情で120km/hであることがわかってきた。でも、まあいい。駅発車時に450PSエンジン2台搭載の加速が味わえればそれで十分だ。あとはそこから想像すればいい。

 というわけで、岡山に前泊で乗り込むことにした。免許更新との合わせ技で使った午後休により、16:48東京発ののぞみ51で、20:05岡山着。あまり遅くならずに済ませることができた。
 岡山の宿は、駅とほぼ一体のJR西日本ホテルヴィアイン岡山。エレベーター前の部屋が、273系やくもの外装風の装いの特別室なのを横目に眺めつつ、2001年の四国Tourでは岡山南口のカプセルホテルに泊まったことを思い出す。25年後の旅が、ずっと楽になっていて良かったと思う。私にも進歩というものがあるのだ。
 前夜での、初日の天気予報は曇り後晴れ、降水確率は20%止まり。雲一つ無い晴天という訳には行かないかもしれないが、雨にはならず、むしろ1日暑くならずに過ごせると思われる。
 問題無く、美作河井から出発だ。

 翌朝4時に起きると、天気予報は終日曇りに変わっていた。降水確率はずっと30%。山の上の方では霧っぽいのかもしれない。まあ、雨は降らなさそうなので出発してみよう。問題は明日の天気だ。曇りのち雨だが、降水確率が70%になっている。かなり雨寄り、というか平地や町で確実に降るということだ。山間や谷間では更に雨っぽいだろう。この後の天気予報次第では、大山の裏側を通る予定を変え、さっさと伯備線方面に降りて輪行に切り替える必要があるかも知れない。
 ヴィアイン岡山を6時15分に出て、6:20にはもうホームに到着。駅と一体のホテル、強力である。会社AI情報の6時半駅弁屋開店はガセではあったものの、昨夜新幹線下車時、弁当屋閉店間際に買っておいた神戸淡路屋の焼鳥弁当が、既にホテル出発前、私を救ってくれていた。この焼鳥弁当、神戸淡路屋のラインナップ中、どちらかと言えば地味な部類だと思うが、なかなかのボリュームと質的な食べ応えがある。さすがの神戸淡路屋だ。
 ホームには山陽本線各停が停まっていた。以前見かけた115系や113系ではなく、今風のJR西日本っぽい前面と3ドアの軽量ステンレス車体である。Uraraなどというニックネームも付いていて、微笑ましい。スマホで調べると、置き換えられたのはつい最近らしい。
 2両編成のキハ187系がホームに入り、乗れたのは40分頃。そのホーム進入からして何となく見慣れないほどのきびきびした感じを受ける。特急だというのに2両編成だからだと思う。思えばキハ187が実際に走る姿そのものが、違和感を感じるほど速く見える。その違和感には、キハ187系が2両編成であることが重要な要素として含まれているように思う。実際、連休初日だというのに2両編成で指定席は半分ぐらいしか埋まってない。
 6:46、スーパーいなば1号で岡山発。
 構内の連続ポイント区間をゆっくり目に通過後、本線に乗ってからの加速がめっちゃいい。ようつべで見た動画のロケットスタートほどではない印象ではあるものの、「背中に叩き付けられる加速感」というやや誇張気味の表現が、何とかぎりぎりで納得はできる。
 山陽本線では全体的に110km/hぐらい?、全力を出していない感じなのがよく分かる。加速中、そして1箇所110km/h以上ぐらい出したかなという箇所があり、その時の加速感、特に90〜100km/h以上での底知れない加速感には、確かに制限というものが無いようなパワーを感じさせられた。それはJR北海道261系には無い加速感であり、順当に出力660PSの四国2000系が900PSになった感じが納得できる。
 上郡から智頭急行に入ると、初っぱなの登り勾配のせいか、心なしかエンジン音が高い。思えばここまで特筆すべきは、エンジン音が低域から高域までバランス良いことだ。同じコマツ製でも、北海道の281系や四国の2000系に使われている330PSエンジンは、音域が高めで単純な興醒めの音である。北海道の281系では、在来線最高表定速度を誇る走りに惚れ惚れしつつ、エンジン音はちょっとねという印象だったものだ。187系の音は、やや高めのターボ音も効いているのかもしれない。
 心配していたトンネル前減速はあまり感じられなかったが、かと言ってやはりHOT7000系の、智頭急行内でのぶっ飛ばし方より大分余裕が感じられる走りなんじゃないかとも思う。知らんけど。そういう話は聞いている。
 あと全体的に、エンジンが掛かると車体が一瞬がっと震える感覚がある。こういう、いかにもエンジンが掛かってる感じは、鉄的に悪い気はしない。さすがのパワーは十分感じられたように思う。
 8:08、智頭着。ありがとうキハ187系、鳥取までがむばってね。

 もう鳥取県に入っているが、智頭からは因美線に乗り換えて、岡山県の美作加茂まで戻る。本当は智頭から走りたい。智頭から今日のコースを走れるほど脚がありさえすれば。例によって何となく「これ厳しいんじゃないか」という印象を感じつつも詰め込み気味で行程を計画して、いろいろ固まってきた段階でやっと「ここ厳しいぞ絶対」と、どこかを切る選択しか無くなってしまったのだ。今にしてみれば、その時点であひゃめに下方修正しておいて良かった。全ては計画前にこの辺の土地勘に乏しかったことが原因だ。
 しかし、智頭から行程を始めたかったことに理由はある。1984年の夏、私は因美線鳥取県一番奥の駅、那岐周辺で撮り鉄の1日を過ごしたことがあるのだ。そしてその前の日、早朝から撮り鉄を始めるために那岐で駅寝、いや駅前の桜の木の下で野宿した。翌朝は凄まじい快晴となり、早朝の駅前、日中のんびりした農村風景がとても印象的だった。その風景に、是非とも自転車から再会したかったのだった。
 8:16、智頭発。キハ120の社内から、那岐の駅周辺や美作河井へ向かう沿線の風景に注目していた。駅前の桜が、枯れてしまったのか幹を残してほぼ伐採されていた他は、意外な程に面影が残っていた。一方、当時通ったはずの県道は、全く面影の無い拡幅新道に替わっていた。
 列車が県境トンネルを抜けて岡山県の美作川井側へ出ると、登りが下りに替わったにも拘わらず、意外な程速度を落とし始めた。集落の風景が拡がる場所ではブレーキを掛けつつも比較的下りに任せるままなのだが、線路が山肌に張り付いて樹木が被さってくると、目一杯速度を落としてそろそろ運転になる。或いは線路への落石や野生動物に注意しているのかもしれない。
 キハ120が威力を発揮するのは、いつもそういう路線だ。小さくて可愛らしい見た目ながら、頼もしい奴だと思う。
美作河井→奥津 42km

 8:46、美作河井着。降りる駅の情報を調べるのは、私の場合大体行程が決まった後だ。そしてこの駅から自転車行程を始めることにしたのは、今回は1日の行程ボリュームと区切り以外の理由は無かった。
 しかし美作河井で降りてみて驚いた。駅としての表情が、滅茶滅茶素晴らしいのである。2線島式の広くない幅の真ん中は砂利敷き、ホームの屋根に続いた小さい待合室、そして無人駅だというのに有人駅時代の面影を残す木造瓦葺きの駅舎。これらに加えて、事前に転車台まであるとの情報を読んでいた(どこなのかはホームからでは分からなかった)。
 自転車を組み立てるためまずは駅舎に向かった。谷間から少し乗り上げた山裾の土手上、端正な可愛らしい木造駅舎が建っている。土手に乗り上げる坂道は桜の古木の並木に囲まれ、谷間の集落と駅を適度に隔てるとともに、駅の象徴性を盛り上げる。
 こんな静かな谷間の、峠越えトンネルの手前に小さい駅がある。「無人駅にはこういう要素が必要だ」という趣味的要素を100%伴4って。これほどの好ましさは、東日本や北海道ではあまり見かけない。西日本には良い駅があるなと思った。

 9:25、美作河井発。山裾の土手沿いの駅から県道6まで下り、事前にストリートビューでチェックしておいた製材作業所の自販機で水を入れておく。水もこれで安心だ。
 河合西で県道118、加茂川の谷間へ。早くも緩い登りが始まった。阿波で谷間が開けるようにして、集落が拡がった。雲はやや低く厚く、気温はやや肌寒くすらある。ややどんより気味とは言え、今日は雨が降る予定は無い。これぐらいで推移してくれたらあまりり暑くならずに安心していられる、御の字の状態なのかもしれない。
 大畑でGPSトラックが県道118から細道に分岐した。間もなくおもむろに山腹を登り始めることは知っていた。もっと言えば、地形の見た感じから、少しずつ山裾へ高度を上げ、阿波の上手で谷が狭くなる手前から集落の拡がりを眺めつつ高度を上げて行く道なのかと期待していたのだ。
 しかしGPSトラックのままに道を進んでゆくと、トラックは目を疑うような細道に入り込んでゆく。いや、それはいつものパターンかもしれない。さすがに細道を選んでコースを組んだだけのことはある。
 GPSトラックは、期待していた集落の道というより、山側の森林に続いていった。いきなり10%以上と思われる坂が薄暗い杉の中や木立の中に続き、そして路面には杉の落ち枝が進むにつれてどんどん増えていった。こんな筈ではなかったと思いつつ、それでも何となくそのまま惰性で進んでゆく。杉の落枝がもう少し深くなったら撤退する必要があるとは思っていた。幸いと言うか不幸にしてと言うか、道には轍がしっかり続いている。誰かが定常的に通っている道っぽいという理由だけで、私は引き返すことをせず、えっちらおっちら薄暗い森を登って行くのであった。パンクには気を付けておこう。
 周囲はけっこう薄暗い杉の森とは言え、地形図通りに道は阿波の集落の拡がり外周に沿って続いていた。一番上手で森が開け、棚田の一番上が見渡せたのは嬉しいことだった。やっとこの風景を見ることができたと思った。

 その辺で阿波の集落の中を登ってきた道と合流し、幅が拡がってよくある新興林道風の表情に変わってからもう100mぐらい登った後、道の斜度は突然緩くなった。道として一段落したっぽい。
 こうなると、道はもうすっかり大ヶ山の裾を巻く、典型的な新興腹切り林道である。展望はあまり無いものの、木々の間からちらちら外は伺えるし、途中開けた場所にはかなり投げやりな展望所があったりした。そんな裁けた場所があるぐらいだから、道の佇まいとして枯れた雰囲気には欠ける面がある。
 終始空は薄暗く、雲は低い。相変わらず気温が低くないのは悪くないが、水滴も顔に感じられ始めていた。雨が降り始めるとは思えないものの、今日はこの先ずっとこんな感じなのかもしれない。やや殺風景でスパルタンな取り付く島の無い道には、こういう天気がむしろ救いであるように思える。
 最後に再びちょっと登って尾根を乗り越えた峠の部分は、標高784m。峠部分の手前、更に山を登ってゆく分岐があり、大ヶ山ハンググライダーとか何とか書いてあるが、じじいツーリストが頼りに出来そうなものは何も無いだろうと思われた。もともと今日はこんな所に寄るわけにはいかない。

 下りはやはり新緑が目立つ森の中、あっという間に一気に高度を下げていった。あまり下らず周囲が拡がって県道336に合流。仏香着、標高483m。さっき阿波の集落を登り切って林道に合流した辺りと同じぐらいの高さである。それだけに気温は上がらず、やや寒い。そして周りの谷間は、薄暗い空のせいもあるのか、人里ではあるようだが人気のあまり無い大変寂しい風景に見える。
 11:05、倉見東から再び登り開始。休耕田の目立つ谷間がしばらく続き、庄原で一旦集落が拡がった。何だか明らかに見覚えがある。計画時にこの辺のストリートビューを見ていることを思い出した。
 集落の一番奥で谷が終わり森へ突入、道はきりきりと斜面を登ってゆく。杉の暗い森ばかりじゃなく、広葉樹林の明るい新緑の木立の中は悪い気分じゃない。やや薄暗くはあっても、カワトンボがひらひら舞いサナエトンボもすいすい飛んでいる。しかし、森に入ってからずっと、ほぼ展望が開けない。道の線形、というよりGPS画面のあまり変わらない道の線形と地形図を照合することだけが、何となく脚を進めている感覚となっていた。熊出没の看板もやや不穏であり、大きな糞が見当たらないことだけで安心できていた。
 標高700mを過ぎると、水滴のようなものが感じられ始めた。気が付くと、気温も更に下がっているようだ。林道はそのまま角ヶ仙の肩を乗り越えてゆく。切り通しの峠は標高777m。小さな札に林道美作○線と書いてあった。○が草に隠れて見えないものの、一文字。旧国名に一文字付け加えただけの、なかなか大胆な名前の道ではある。この辺に林道はそれこそ山ほどありそうな中、あまり展望の無い新興林道だというのに。

 再び下って11:55、越畑着。標高561m。あまり下ってないのは、今日のプロフィールマップのようにひたすら登りと下りだけの行程にはありがたいことだ。ここで再び林道の標識を発見、その名も森林基幹道美作北線とのこと。
 下りきったと思ったものの、その先も断続する集落と田圃の谷間をもう少し下り続けて標高530m、集落の斜面を登り始める短い細道へ、GPSトラックがおもむろに突入。すぐ合流した森林基幹道栗木屋原線は、基幹林道らしく県道っぽさすら感じられる表情の、広い対向車線の道なのであった。しかし一方で、地形図上は細道林道のままになっている。その細道林道の線形を、どうやらそのまま拡幅しただけっぽい。斜度もあくまで普通の林道風、普通の範囲の急な方でずっと続いた。そして道幅がそこそこ広いのに展望はあまり拡がらない。
 標高700mを過ぎたら、やはり水滴みたいな霧粒が顔に当たり始めた。水滴の感じはさっきより軽いし路面は全然濡れていないが、またかよという気はする。そしでここにも熊出没の看板が出ていた。西日本でも熊は頻繁に出没しているようだ。
 峠には笠菅峠という名前が付いている。標高は前2つの峠より高い855m。その峠手前で、それまでより斜度が結構急になった気がした。こういう現象も新興林道っぽい。
 今日はこの後、あともう一つ大きな登りがある。そこは確か900m台前半。この後一旦300mまで下って、登りは600m以上ということになる。しかしこれなら、心安らかにあまり苦労せず行けそうな気になってきた。一方、獲得標高差は笠菅峠の段階で1080mになっている。RideWithGPSによる算出値が多すぎることが過去に多かったので、近年の計画と実績を鑑み、今回の計画ではRideWithGPS×1.2を獲得標高差としていた。その見込みより、実際のGPS測定値はやや多い気がする。もっと言うと、RideWithGPSの算出値に近い。これだと今日の行程終了時で1900m以上、いや2000mぐらい行くのかもしれない。まあそれでも大丈夫な行程計画をしている。時間は十分あるし、落ちついてのんびり進めば良いだけの話だ。
 どんより曇り空の下、峠を粛々と越え淡々と下り始めると、今まで以上に寒さが感じられ始めた。標高云々ではなく、気温が予想以上に下がっているっぽい。中国山地、やはり侮れないと思った。
 途中の尾路で集落を過ぎたところで立ち止まり、防寒着を着込んでおく。出発前、今年はどんなに暑くなるだろうと思っていたのに。こういう時にサイクルレインジャケット、頼りになるね。
 下り続ける道の周囲には、やや開放感のある集落が続き始めていた。しかし展望が劇的に拡がる訳じゃない。その後も奥津まで400mの下りの間、広葉樹林や針葉樹林の中を勢い良く下ってはいたものの、曇りなら曇り独特の新緑の鮮やかさを楽しめた以外、風景に印象の残らない道ではあった。
 こういう、ややスパルタンな山深さが、この辺りの道の特徴なのかもしれない。

 13:20、奥津着。国道179に合流して標高395m。
 谷間の反対に、温泉ホテルがちらちら見える。この辺で泊まれると楽なんだがと思うものの、まだ13時。いくら何でももう少し走らないとね。
 現れた道の駅で少し休憩とする。休憩とは言え、自転車から降りて大きく息をつくという訳でもなく、軽食を摂る訳でも売店を物色する訳でもない。自販機で水を補給してから、缶コーヒーをぐいっと飲むだけである。ここでもやはり、曇りである以上に寒い。とりあえず防寒着はそのまま着ておくことにした。

 木幡で県道445に分岐、隣の谷の羽出へ、ショートカットのひと登りへ。午後の登りのためか脚にやや堪えるような気もするが、道の斜度そのものが想定していた以上に厳しかったのは、下り側の斜度と下り量でよく分かった。
 羽出からはいよいよ今日最後で最大の登り、大谷峠へ向かう。道はそのまま県道445。標高900mちょっとオーバーの大谷峠は15時過ぎるかもしれない。そして、宿に伝えてある16時到着にはちょっと遅れ気味かもしれない。いやいや大丈夫、お昼を過ぎておれはちょっと焦っているだけだ。それでもまあ、宿到着15時代は厳しいだろうな。17時にはならないだろうと思うことにしよう、少しは気も楽だ。この季節、19時だってまだ明るいんだから。
 集落の農家が一旦切れ、田圃の細道に入ったところで通行止めの表示が建っているのを発見。聞いてないよ。と思ってちょうどその時上手から来た車に聞いてみると、
「うーん、通行止めになってるね。でも毎年4月には開通しないから、どこかで崩落とかはあると思うよ。車だとダメだと思う。自転車だと分からないけどね。行ってみたら行けるんじゃないかとは思う」
とのこと。事前の調査ではこんなの無かったぞと思ってググり直すと、意外と簡単に積雪のため無期限通行止めであることがわかった。これは調査しきれていなかったな。某官庁サイトもあてにならないね。
 積雪のため無期限通行止め。実態はどうなんだろう。自転車なら、途中の崩落を担げば越えられるのかもしれない。しかし今は2026年。各地の既知の林道が、通行止めのまま閉鎖が続いて久しい。実際にそういう道に踏み込んで、崩落が慢性化してジャングルのようになっている状況に遭遇したことがある。大好きな道だったのに。この道がそういう状況になっていても不思議じゃない。そして私はこの辺に全く土地勘が無い。
 一方、この辺から宿までの経路に、手軽に迂回が効かないことは計画時に分かっている。それでも迂回したら、常識的に考えてかなりの時間が掛かるだろう。ならば非常識の領域、パラダイムシフトのタク輪しか無いかもしれない。いやこういう連休期間に、こういう山間でタクシーに乗れれば御の字だろう。
 乗れなかったら、乗れるところまで下るという手もあるかも知れない。タク輪だとどういう経路になるのかを考えると、もしかしたら一度津山まで降りちゃうのかもしれない。でも、60代のツーリング。とりあえずここは無理せず、安全策のタク輪で行ければ行ってしまおう。

 通過したばかりの農家の前に住人の方が出ているのを見つけ、タクシーについて質問。20kmぐらい先の津山の盆地まで降りないとタクシーは無い、そこからタクシーを呼ぶしか無いとのこと。うへっ、覚悟はしていたがそうなるのか。そしてタクシーを呼ぶのにわかりやすそうな場所として、4〜5km先の奥津振興センターを教えて下さった。もう腹を決めて、成行に身を任せるだけだ。
 13:55、鏡野町奥津振興センター着。教えてもらった鏡野タクシーに電話したところ、連休中運転手さんが一人だけ出勤しているとのことだったが、30分ぐらい待てば来て下さるとのこと。首の皮一枚で宿までの経路が繋がった。30分、輪行して荷物をまとめて一息付くのに十分な時間だし。何もかもが大変有り難い。
 14:30、鏡野タクシーで出発。どう考えても一旦津山盆地まで下ってしまうな、と思っていたら、箱峠から冨東谷、冨西谷、社から湯原温泉へと、峠越え連発のややマニアックな最短経路を行って下さったのだった。これ、計画時にトラックを描いたものの標高差が多めだったので、予定コースにしなかった道なのである。そんな道だけあり、特に湯原温泉手前の標高700mを越える峠は、なかなかの迫力の細道だった。そして意外にもというか連休中だけあってというか、こんな道に県外ナンバーの車が多い。お陰で狭い路上の交換は大変そうだった。津山経由だったら楽だし料金も高めに取れるのに、感謝に堪えない。車内では熊の話もして下さった。今日見かけた看板の通り、この辺であっても山間の森は、要注意の場所のようだ。

 15:10、湯原温泉米屋着。かなりの山奥なのに、意外にも小綺麗な温泉街のようだ。
 タク輪のお陰で、かなり大回りになったものの、結局予定よりかなり早めに到着できている。部屋に入って荷物を店開きし、一息付いて明日の天気予報をチェック。果たして自転車で走っている間に既に、明日の天気予報は終日雨に変わっていた。降水確率午前80%午後90%。何の未練も無く輪行決定だ。
 明日の宿は境港の先の美保関。自転車行程としては大山の裏側から一気に米子の外れに下り、あとは徒然に日本海沿岸の砂浜沿いにという行程のはずだった。6日間の行程中、比較的楽勝的ポジションなので、輪行にも余裕があると思っていた。しかし余裕が有るとは言え、とある中の人に「187系なら山陰本線で乗れ」と言われているので、やることはある。輪行日でも決して閑じゃないのだ。
 バスの時刻とその後の乗り継ぎをチェックすると、そもそも新見に着いた段階でもう11時半。新見に行くのも一苦労なのだ。明日はちょっと山陰本線特急乗車まで手は回らなさそうだ。時間がはっきりしたところで指定券をJR西のアプリで押さえつつ、改めて自分が如何に土地勘が無いのに、山奥コースばかりで行程を組んでいるかを思い知らされた。不勉強を少し後悔もした。まあしかし、自転車じゃないと滅多に来れない場所であることは確かでもある。

■■■2026/6/18
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
中国地方Tour26#2 湯原温泉→美保関

 4時に起き、少しづつ身体を動かし、荷物をまとめてゆく。5時半頃コーヒーを買いに廊下に出ると、外のしっとり黒い車道が見えた。もう既に雨が降っている。天気予報通りの当前のことだ。
 朝食は7時。ゆっくり食べてお腹いっぱい。特に魚とか出汁関係が美味い。
 部屋に戻ると7時半。少し離れた温泉のバス乗り場まで、昨日のうちに宿の車をお願いしてある。バス乗り場へは宿を9:10に出れば、9:22のバスに十分間に合うという話だった。でも、バス乗り場には屋根があるらしい。ならば、早めにバス乗り場に行ってしまう方が少しでも安心だし、何だか旅をしている気になれるかもしれない。
 ちょっとうとうとして8時20分、もうバス乗り場まで送ってもらうことにした。
 外はやや寒い。大体12〜3℃ぐらいだと思う。頸城の晩秋の朝に相当するかもしれない。今日走る場合のの行程は、蒜山高原辺りまでしばらく登りだったものの、もしこの気温で走る場合、しばらくレインジャケットだけだと寒いので、雨具の下も履く必要がある。それぐらいに寒い。
 バス乗り場には8時40分着。屋根付のバス乗り場というより、WC付のちゃんとした待合室なのであった。山間の寒い朝、扉を閉めて屋内でバスを待つことが出来たのはありがたい。

 前の家からおばあさん、直前に高校生が1人やって来たところで、真庭町コミュニティバス「まにわくん」も来た。
 雨の中、旭川の谷間を国道313で淡々と、いつもの輪行時のようにバスは中国勝山へ下ってゆく。いつものように、バスは偉いと、ただただ窓の外を見ながら思う。

 周りの谷に民家が増え始めたと思ったら、もう終点中国勝山駅に近いところだった。谷間はそう広くなさそうではあるものの、国道っぽい道沿いにはロードサイド系店舗やスーパーが見られた。姫新線の、新見まで1時間弱という山奥、という雰囲気じゃない。2020年代も後半、日本中どこでも日常生活は、必要に迫られ均質化が進んでいるのだ。
 中国勝山駅は、観光案内所と無人コンビニ、うどん屋併設の民間委託駅だ。駅舎の形そのものはまるっきり平成前半の箱物観光ホイホイのニュアンス一杯だが、ホームなどは昭和40年代の日本国有鉄道風だ。全体的にやや大きな佇まいが、かつての有人業務を彷彿とさせる。形自体も雰囲気もちょっと違うが、無人駅に地域の観光案内が付加された構成は、2022年に訪れた芸備線の東城駅と似ている気がしないでも無い。
 うどん屋は11時半から営業開始とのこと。朝食を一杯食べておいたので、あまり興味は沸かない。早々にホームに出て列車を待つことにした。跨線橋を渡って向かい側のホームに立つと、屋根の下だというのに、雨上がりのせいかやや肌寒い。ここ数年のGWと今回の事前予想に比べて、昨日今日は明らかに気温が低い。

 中国勝山から新見へ、次第に高度を上げて新見手前で一山越える姫新線の沿線風景と共に、改めて中国山地の山深さが感じられた。いずれ機会があれば、というより機会を設け、こちらをまた走ってみたい。
 雨が降ったり止んだりの新見駅で40分待ち、次はやくもで米子へ。振子高運転台車両独特の縦長に見える車体の273系は、雨の新見に3分遅れでやってきた。
 山陰〜中国山地は、1982年と1984年、鉄道写真撮影のために訪れた時の印象が強い。その時には山陰・新見間を何度か乗車している。当時は山陰ワイド周遊券で特急自由席に乗車できたので、本数がある縦方向の移動手段(というより中国・山陰地方で一番本数がある優等列車)として、381系に替わったばかりのやくもはエアコンに当たって時間を潰すのに使いやすかったのだ。40年振りに381系を置き換えた273系に、381系からどれぐらい進歩したのか是非とも一度乗ってみたいと思ってはいた。こんなに早く実現できるとは思わなかった。
 まずやくもの運転内容自体には、昔とそれほど違和感は無い。全体的に何となく速い感じはしたものの、速度域としてはJR西風にかっ飛ばすというよりJR東風に速度を落とさないという方が適切な印象を受けた。新見の段階で3分遅れだったせいで、むしろ通常より急いでいたかもしれない。また、乗車していると何事もスムーズに感じられ、何か趣味的に注目すべき点など無いように思える。
 しかし窓の外を見ると、外の風景が頻繁に上下している。大きな傾斜に車窓の傾きを見て初めて気付くほど、車内では何も感じないのである。注目すべき点など無いように思えるのは、ウワサの車上型振子が良い仕事をしているのだ。椅子もひと味違う、包み込まれて身体にフィットするようなぴったり感がとてもいい。
 それもこれも、新車特有の乗り心地から来る気分だったのかもしれない。でもこれまで私は、「伯備線の見所は何と言っても山深い新見→生山間、それ以外は普通のローカル電化線だよ」と思っていた。それが今回、鳥取県側は生山→伯耆大山も、山間の農村に直登の勾配と細かいカーブが続くなかなかの勾配路線であることを実感できたのだ。それは、もしかしたら273系は381系よりキメが細かく運転できていて、運転の変化と車窓風景をより感じられたからかもしれない。
 273系やくもは最後に伯耆大山手前から山陰本線へ。米子までのそう長くない区間を爆走し、伯備線で封印されていた高速性能も見せつけてくれた。今回の乗車全体を通して、もともと好印象だった273系との良い出会いになったと思う。ああ、こういう車両がくろしおにも投入されたら、とも思った。

 米子で境線に乗り換え、境港へ。
 境線は1982年と1984年に乗り損ねて以来、今まで乗ったことが無い。沿線に特筆するような風景(つまり列車を撮れそうな場所)が無いと聞いていたのとたかだか18kmに1時間も掛ける(しかも往復せざるを得ないので乗ってしまえば2時間掛けるしか無くなる)ことが、とてつもなく時間の無駄だと思っていた。当時は確か支線系でお馴染み60系鋼体化一般型客車、機関車はDE10か何かだったと思う。
 米子のホームで乗り込んだのは、キハ47と48の2両編成、ねこ娘列車。ホームからもう鬼太郎一色、列車の外板にも車内にも鬼太郎の装飾が一杯だ。
 ねこ娘列車が出発すると、ご丁寧にも目玉おやじの車内アナウンスが流れ始めた。米子から終点境港への各駅には、日本各地のお化けの愛称が北から南へ付けられていて、各駅を出発する毎に「次は、●●(本当の駅名) 愛称○○(妖怪の名前)」とのこと。家族連れの子供達は大喜び、私もそのアナウンスが流れる度、くすっと笑うしかない。
 冴えない天気で相変わらず薄暗く、海岸近くの真っ平らな平野に拡がる畑の中、というより畑の裏や茂みの中、列車はゆっくりゆっくり進んでゆく。車体全体のごとごとずんずんという響きは、今時珍しくすらある。木々が軒並み頭を振っていることから、窓の外の風はかなり強いようだし、何だか薄ら寒い。とても自転車で走る気はしない日だ。それだけに列車で移動できることが大変有り難い。そうでなくても、とても楽しい境線の初乗車となり、思いがけない嬉しいことだった。
 本来14時半着の予定が、途中の交換遅れの影響を引きずって3分遅れ、14:33境港着。
 ホームに降りる前にまだバス停に停まっていたコミュニティバスは、しかし改札を出て駅舎の外へ出ると、ロータリーを出て行くところだった。ちぇっ。まあいい、大手を振って宿までタク輪いたしましょう。昨日の大規模タク輪で、私はもうタク輪など全く恐れなくなっている。バスだと途中必要な乗り換えが不要になって、好都合てなもんだ。まだ15時前ではあっても、たかだか10kmぐらいの宿まで自走する気など毛頭無い。
 タクシーに乗り込んで境港駅を出発。境港の町から北側の境水道を越えて島根半島に渡る境水道大橋が、想像以上に大きく高いことに驚いた。大きく高いというより、滅茶苦茶高い。ただただ凄い。RideWithGPSでここの部分が結構登っているみたいだったので、まさかかなり高い橋ではないかとは思っちゃあいた。ここまで高いとは。そして登り始めると更に直登なので、心が折れそうになる。後でデータを見ると斜度は7.25%、高さは40m。これぐらいの坂なら7%ちょっとの40mか、で終わりなのだが、何しろ空中の直登。車から眺めていると、車道の幅が狭いのに歩道が更に狭いことにも、ここだけは通りたくないと思わせられた。タクシーの運転手さんも、「ここアブナイですよ」と仰っていたし。
 その境水道大橋の上からは、西側遠くに更に大きそうな橋が見えた。こちらも事前に地形図で眺め、どんな橋なんだろうと思っていた、江島大橋だ。そちらは更に凄い。目を疑うほどの高さと直登の橋だ。登る途中で最高地点に向け斜度が上がっているのがまた凄い。どこかにオススメコースとか書いてあったが、遠くから見るだけで、絶対通るのは止めようと思った。

 島根半島に移り、雨はぱらっと降ったり止んだりしていた。脚を進めてゆくうち、運転手さんが海を見ながら宍道湖干拓の話、そして米子から境港に続く砂地は奥出雲のたたら製鉄が生んだものだという話をして下さった。たたら製鉄は奥出雲の山々の砂岩が原料であり、奥出雲の里山や広葉樹林は、たたら製鉄のためにできたものだということも。奥出雲ではなく、まさかここでたたら製鉄の話を伺うとは思わなかった。
 運転手さんの話はちょうど美保関に着く手前で一段落。いつも観光客向けにそういう話をしているのだと思われる。

 14:55、美保関明神館。境水道大橋を渡った頃から島根半島で降り始めた雨が一段落したようで、小雨がぱらつく程度ではあったものの、やはり路面はしっとりと黒い。まあ、タク輪で正解だろうな。
 部屋は最上階の6階。美保関自体、島根半島東側先端近くの切り立った山裾に張り付いた港町であり、ましてやそんな美保関ど真ん中に6階建ての建物がいくつかあるのが不思議な感じがする。その6階なのだ。どんより曇りの今日でも日本海がよく見える。これが晴れてたら、と思わないでもない。思えば雨の輪行、楽な旅の日だった、とも思う。しかし、楽で何も悪いことはない。これが61歳ならではの、旅の進歩なのだと思うことにした。
 そんなことより、宿から徒歩1〜2分の美保神社は、全国のえびす様の総本宮とのこと。毎年お正月の東京初詣で、私の都内訪問参拝済み神社は多分1000軒を越えている。えびす様の総本宮、これは是非とも参拝しておかねば。

 夕食には特大の鯛お頭が付いた。確かにこれだけでかいのはあまり見たことが無い。何とか残さずに完食できて良かった。
 天気予報には、明日の天気は雨時々止むと書いてあるものの、終日降水確率80%で降水量は1mmか2mm。これなら走らない方が良いと断言できる。
 問題は明後日以降だ。明後日は今のところ晴れ後曇りなのだが、その次の日と最終日が再び雨になっている。気温もあまり上がらないようだ。何か雨の周期に当たっちゃったなあ、とは思うものの、それもまた旅の巡り合わせだ。2026年のGWを、その時その時で前向きに楽しんでしまえばいいだけのこと。幸い今年の私は、雨でもネタには困らない。
 そして天気の大筋がそうなら、明後日は満を持して何とか、自走で宇都井に向かおう。向かえるといいな。

■■■2026/6/21
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
中国地方Tour26#3 美保関→河下町

 夜が明けた。見渡す海と空が少しづつ明るくなってきた。しかし、明らかに明るくなるのが遅い。空には相変わらず濃い雲が垂れ込めていて、風もかなり強いのが木が枝を振っていることでわかる。
 予定通り7時に朝食を頂き、20分過ぎには1階に降りて、すぐ目の前の漁港にあるバス停にここ始発のバスが来るのを待機しておく。
 意外と早く、25分頃にバスがバス停にやって来た。小中学生が何人か乗り込んで、運転手さんとお話ししている。7時41分、バスが発車すると、角をぐるっと曲がって3件目の旅館から女の子が走り出て、そこでバスが停まった。その間「行っちゃってくださいよ〜」と車内の男の子がぼやいているのが可笑しい。どうやら遅刻常習犯のようだ。

 昨日境港から進んできた海岸沿いを逆戻り、境水道大橋をくぐって更に西へ。終点の美保関バスターミナルは、名前こそ始発の美保関と一見同じっぽいが、実は10km以上離れている。何と言ってもバス路線の始点と終点なのだ。
 その美保関バスターミナルに着く前から、かなりの豪雨となった。強い風は美保関出発以来ずっと続いている。これが噂に聞いていた島根半島の強風か、と思った。
 雨が降らなかったとしたら、今日の予定コースは島根半島の北岸だった。このコース、入り組んだ岸壁を登って下って、RideWithGPSでは獲得標高差2700m。いや、RideWithGPSの常で実際にはそこまで行かないだろう。せいぜい良いとこ1700mぐらいじゃないのか、と出発前までは思っていた。それが一昨日、RideWithGPSの計画標高差がかなり正確なので驚いた。今日のコースは本当に標高差2500mあるのかもしれない。実はそういう事態にも備え、もし実際のコースが想像以上に厳しかったり、天気が悪かったり風が強かったりしたら途中で内陸へ退避する現実的な下方修正案も2パターン用意していた。GPSにも入れてある。しかしそっちを選んだとしても、ずっとこの強風に悩まされていた可能性は高い。今日雨が降って、むしろ幸運だったかもしれない。

 美保関バスターミナルはいかにも平成風の箱物系公共施設だが、驚くことに小学校・中学校・運動公園とほぼ一体化している。バスはバスターミナルの前で私が自転車を下ろした後、ロータリーみたいな構内通路をぐるっと50mぐらい回り、中学校の前で中学生を下ろしていった。
 次は15分待ちで松江駅へ。ここから直接松江駅へ向かうことができること、松江で9:26のスーパーまつかぜで鳥取に行って帰ってこれるということが、今日の私の行動を大きく有意義にしてくれるのである。

 美保関バスターミナルから松江の市街までは、何となく最初は海岸沿いで、内陸に入ってからあまり珍しいようなものの無い、地方都市の郊外っぽい風景が続いた。というより、私も居眠りしたりして、合間合間に眺める風景がそんな感じで、また居眠りしていたというのが実態だ。しかし松江の市街から駅前まで、何というか独特の落ち着きある雰囲気の町並みが続き、1982年に松江の街を少し歩いたときの印象、高校生ながら「綺麗な街だな」と思ったことを思い出した。
 松江城近く、貫禄のあるデザインの公共建物が気になって何か調べたら、島根県民会館、設計は安田臣建築設計事務所とのこと。旅程後半でここで知ったことが大きな意味を持つようになる。その時はまだ、ふーんと思っただけだった。

 9:10、松江着。さあ、次はいよいよキハ187系スーパーまつかぜだ。
 一昨日乗った高規格の智頭急行より、山陰本線の方がキハ187系の走りを楽しめるらしい。とある超々中の人の知人と、会社のAIが口を揃えてそう言っていた。しかし、6日間自転車ツーリングの予定だった行程には、山陰本線の乗車予定は含まれていなかった。
 今日は島根半島東端の美保関から、西側海岸の河下町まで行けばいい。元々島根半島の北側海岸沿いのコースで1日かけても手強そうなこの区間。ストレートに内陸で輪行すれば、例え山陰本線周りでもかなり時間の余裕ができる。そこで、山陰本線を187系特急に乗車して東とか西側へ往復するというストーリーを、昨日夕方に検討しておいたのだ。

 キハ187系は、またもや2両編成で彼方にすっと現れ、みるみるうちに近づいて高架の松江駅に到着した。岡山駅にスーパーいなばがやって来たときと同じように、すいすいキビキビとやってきたという印象だ。
 まず松江から鳥取まで、鳥取で約40分待ちの折り返し後、鳥取から出雲市まで。識者が口を揃えていたとおり、キハ187系は豪快としか言いようのない走りをたっぷり楽しませてくれた。キハ187系が、私にとってちょっとあやしいハイパワー気動車から、完全に格好良い正当派特急車両に変わった山陰本線の乗車だったと言っていい。
 まず発車から最高速まで、一気に持っていく加速が凄い。それは4段の変速が小刻みであるように感じる程だ。そして畑、丘、海岸とどこでも、信号が青である限り可能な限りかっ飛ばす。特に国道などが併走するとき、意識して飛ばしているように思う。そういうときは車がビュンビュン車窓の後ろに去ってゆく。信号が黄色なのかダイヤの都合か、時々運転調整みたいな感じで速度を落とす時は、大体畑や山の中とか他に相手が居なさそうな場所である。振子もよく効いて、273系ほどじゃないが、乗車感覚だけで車体が大きく傾いてるとか今カーブだとか感じることは無い。窓の外を見て、余りの傾きに転倒しちゃうんじゃないか心配になるのは四国2000系と同じ。
 風も強いはずなのに、広々とした山陰の畑や丘陵を、かっ飛ばしてゆく2両編成。2000年の登場以来、キハ187系はプレハブとか小学生の工作とか言われながら、ひたすら課せられた使命、山陰本線の高速化に向き合い、淡々と、しかし十二分に力一杯全うしていたのだとやっと分かった。泣けてくるような熱い奴である。
 もうひとつ、キハ187系は、あのガスタービン試作車キハ391系の正統後継車だとも思った。ガスタービンじゃなくてディーゼルではあるが、2両編成としてキハ187系の編成出力はキハ391系の約2倍である。振子式だし、2両編成で輸送力が完結しているのもいい。中学生の頃、キハ391系が2両編成で「列車として成立してないじゃん」とか思っていた。その頃まつかぜは12両だったし、昔は各停だって4〜5両だったからだ。それが5月連休の今、2両編成のスーパーまつかぜの乗車率は7〜80%位であるように見える。ということは、2両編成で1列車の輸送力は十分になってしまったということじゃあないのか。山陰だけじゃない、JR東海渾身のHC85系も、白昼堂々2両編成で走っている。時代がキハ391系に追いついたのだ。思い切り走れなかったキハ391系が、キハ187系に生まれ変わって更にパワフルに走っている。そう思うと、低く重い雲が垂れ込める雨でも、晴れ晴れとした気分の乗車になったのであった。
 その天気は、乗車途中で何と青空が拡がって、その後再び暗い雲に空は覆われ、雨が降り始めた。風は相変わらず台風のように強い。本当に変な天気だ。

 13:26、出雲市着。
 鳥取で何も食べなかったのでやや腹が減っている。かつて出雲市の駅で有名だった駅蕎麦屋はとっくに無くなっているので、まず駅ビルでパンを仕入れた。その後蕎麦屋を見つけて食べ直し、一畑電鉄へ。この間雨が降り始め、風も更に強くなり、もともと寒かったのが更に一気に冷え始めた。震えるほどである。軒下に逃げ込み、もう雨が止もうがどうしようが、出雲平田からは輪行することに決めた。
 明日の天気は、ところが今日のこの大嵐が嘘みたいに行程全区間で晴れ、お昼から少し曇りではあるが、何と言っても降水確率0%。最高気温も27℃と申し分無い。嘘だろう、と思うが嘘であってほしくない。明日はやっと晴れ、走れるぞ。

 一畑電鉄への乗車は1982年以来40年以上ぶりだ。当時は確か西武451系か何かの譲渡車に乗って、旅先で西武線か、と感慨に耽ったのを憶えている。今回来たのは、まあ当然のようにばりばりの新造車だ。

 14:47、豪雨の雲州平田着。
 駅前にタクシー会社が見えたので、荷物一式を抱えてそちらへ向かったものの、車庫は何だかもぬけの殻。結局ガレージの軒下から電話でタクシーを呼んだのであった。まあ、その間雨に降られなかったのは有り難い。
 15時過ぎ、民宿中屋着。釣り人の宿らしく、海岸に面した玄関の土間が広い。ますは輪行袋を入れさせてもらい、荷物を下ろして風呂に入って一息付いてから、自転車を組立てた。
 さあ、明日は走れるぞ。しかし、ガラス戸の外はそんな気持ちを吹き飛ばすように、風が吹き荒れて大雨が降り続いている。しかも、室内だというのに肌寒い。宿が悪いんじゃなく、気温自体がかなり低いのだ。外、と言っても宿の前に缶コーヒーを買いに行くと、くしゃみが出るほど寒い。またもや、島根半島の厳しい気候を思い知った。島根半島、中国山地のついでなんかじゃなく、ここだけを目的に腰を据えて来るべき場所なんだと思い知った。

■■■2026/7/3
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
2026/5/2(土) 中国地方Tour26#4 河下町→宇都井

 激しい雨の音が一晩じゅう続いていた。4時に起き、辺りががうっすら明るくなってきて、その音は波の音だったことがわかった。
 もう少し明るくなってきたので、空の色を見たら驚いた。早朝から激晴れなのだ。天気予報通り、ということが驚きだ。昨日あんなに雨だったのに。
 雨は止んでも、強い風は相変わらず吹いている。やはり島根半島は一筋縄じゃ行かないんだと思った。どうせ出雲大社方面に向かっても参拝できないんだし、あっさり朝の島根半島西端経由を諦めることにした。島根半島は手強いことがよく分かった。またいつか、腰をじっくり据える必要がある。

 6時半から朝食を頂き、7:15、河下町民宿中屋発。海岸を眺めて、県道250で29mのひと丘越えから、内陸平野部の口宇賀町へ。昨日平田からタクシーに乗ってきた道は、嵐の昨日と違い、5月の緑が明るく輝いている。
 GPSトラックに従い、国富町からは細道を繋ぎ、一畑電車を渡って斐伊川の土手裾から土手の道へ南下してゆく。土手から見渡す明るい朝の田園に、空の中を行く気分になった。風は強く、平地なのにあまり脚が進まないものの、きりっと涼しく明るい陽差し。気分は上々だ。別に急ぐ訳じゃない。こういう時に早出の余裕がつくづく有り難い。この時刻にこの風景を見ることができて良かった。

 GPSトラックがおもむろに土手の道から田圃に降り、住宅地の裏から県道159に合流。辺りは市街地に推移し、朝の車が多くてやや落ち着かないものの、やっと出雲市の平野がそろそろ終わる、という気になった。
 8:15、出雲市ファミマ着。1時間でここまで来れた一方で、1時間経ってこの時刻になっちゃった、とも言える。この先から始まる山間区間へ粛々と脚を進めないと。補給食をたっぷり仕入れて出発。

 山陰本線を渡っていよいよ丘越えだ。と思ったら、丘の向こうに突如人工の大渓谷が現れて驚いた。スマホ地図にはよると斐伊川放水路とのこと。おそらく放水路として、出雲市手前で山陰本線が渡る斐伊川の下流部に、バイパス河川が造られたのかもしれない。手持ちの1/5万地形図には、放水路の丘から深く彫り込まれた大空間が載っていなくて、ちょろちょろした印象の小川風の絵しか描かれていないので、こういう空間スケールは全く想像していなかったのだ。
 予想していなかった自分の居場所としてやや心許ないものの、でもGPSトラックからは外れていない。ということは、計画時にこの辺でおかしな事は考えていないはずなので、そのまま進んでおくことにする。すると、道は放水路の下流方向へ向かった挙げ句、谷間から山裾の畑に出て、再び出雲平野に戻ってしまった。せっかく丘陵に入ったと思ってたのに。
 少し平野の山裾近くを西へ進み、西新町からトラックがおもむろに南西へ真っ直ぐに向い始めた。道は真っ直ぐでも田圃の中から集落の細道、また田圃、道はやや頻繁に表情を変えた後、今風に広く車が多い県道277に合流。あちこちに朱鷺関係の看板が目立つのは、この辺、西日本で唯一のトキ飼育地とのこと。令和9年には放鳥されるらしい。

 浅柄橋でGPSトラックが交差点から南の方、芦戸町へ向かい始めた.。やっとここで出雲平野横断パートが終わり、いよいよ中国山地に分け入ることになる。
 谷間に入ると、GPSトラックは早々と県道162を外れて細道へ。平野から1発目の、低山ではあるが等高線が複雑に入り組んだ、密度の濃そうな山越え区間だ。
 道は県道162を遠目に谷間の反対側、のんびり田圃の際や農家の庭先みたいなところを進んでゆく。谷を奥へ進むと、次第に登り基調が目に付き始めた。水の張られた田圃が続き、田植えが始まっている田圃もある。路上にはカワトンボがひらひら、薄曇り気味のせいか陽差しは一杯ではあっても暑くない。最高の自転車日和と言っていい。
 このままおもむろに登り始めるんだろうなと思い始める辺りでやはり谷間が狭くなり、県道162に再合流。ところが合流点に、全面通行止めの看板が建っているではないか。またもや事前調査不足か。確かにこの辺、細道ばかりで、「平地近くだから」と甘く見て半ば強引にGPSトラックを引いた区間ではあった。更にどこかのWebに通行止めという文字があったような気もする。別の情報には何も書いていなかったことから、見なかった振りをしてその後忘れちゃったような気もする。
 何しろ自分で引いたGPSトラックなので、誰に文句を言える訳じゃない。引っ込みが付かないまま成行きで少し先に進むと、森の向こうに農家が登場。人がいらっしゃったので尋ねてみた。
「実態や詳しいことは分からないが、何年かの間は通行止めが続いている。少なくとも車は無理らしい。よく車が戻って来る」
とのこと。
 時刻は9:10。考え込んでいても仕方が無い。あまり考えずに撤退することにした。ややじれったい気はするものの、まだ間に合う。朝の島根半島を省略しておいて良かったと、心から思った。やはり島根半島、ついでに行っとくような場所ではないのだ、ともまた思った。まあ、さっき島根半島の尾根越え一回りをサボったのは、面倒だったのが主な理由だったが。
 まずは地形図を見直すと、少し西に細道を発見。その西には県道39が谷間を通っている。こちらだと谷間の道なので登りは無いものの、多少遠回りだ。できれば1本西の細道で行きたい。確実な方で行く必要はあるものの、まだ時間はたっぷりある。とりあえず、行ってみましょう。
 谷間を芦戸町方面へ下ってゆく途中から、丘陵を横断して西に向かう道へ。少し登って下ってがあり、簸川南広域農道へ合流。山陰自動車道の無料区間を少し見上げつつ、「また出雲平野戻っちゃうのかよ」と思いかけたところで、さっき地形図で眺めた少し西の細道への分岐が登場。「林道岩坪線」と書いてある。通行止め表示は出ていない。路面も分岐から見える範囲は綺麗で、廃道っぽくはなさそうに思える。行ってみるか。

 林道岩坪線では、しばらく林道にしちゃあ緩い登りが、谷間と言うより高く深い茂みに続いた。茂みが高くなって何か潜んでないかちょっと心細くなり始めたところで、おもむろに斜度が上がると共に、周囲は岩が切り立つ深い森に切替わった。路面は苔生し始め、更に落ち枝も多少増え始めた。熊の看板こそ無いものの、その辺から猪ぐらい現れても全く不思議じゃなさそうなワイルドな雰囲気がぷんぷん漂っている。狐ぐらいの小さい糞が所々に落ちてもいる。ただ、道の際に電線が切れずに続いているし、路面には轍っぽい跡が絶えず続いていて、時々タイヤの痕もしっかり認められる。そして道の表情には、途中で途切れずに峠を越えて向こうの里に抜けられそうだという、根拠の無い確信が感じられた。例え行けないとしてもまだ9時台。まだやり直せる。
 つくづく島根半島を省略して良かった、とまた思った。やはりメインイベントには全力で臨む必要があるのだ。

 案の上峠部分を越え、道は下り始めた。途中少しだけ谷間の拡がりと田圃と農家がある拡がりが現れ、辺りは再び深いというより密な森となった。しかし農家の辺りから下りは落ちつき、相変わらず電線も続いている。森の深さは緑にまみれて埋まってしまいそうな程ではあるものの、もう集落まで下りきれると確信できていた。
 唐突に「全面通行止め」の看板が立つ分岐が現れた。この辺等高線と細道が入り組んで訳が分からない感じではあるものの、さっき撤退した県道162のこっち側のようだ。ということは、予定コースに復帰して、最初の山を下り切れたのだった。

 その先で道はやっと、森から放り出されるように明るい谷間に降りていった。10:10、乙立町着。地図で確認するとまだこんなところかという感じではあるものの、とりあえず川沿いの集落に自販機を発見。こいつはありがたい。
 萬屋の前、明るい日なたの路上で缶コーヒーをあおり、契約者名が書かれたセルフサービス新聞立てを眺め、有り難く予定コースに戻って来れた安心感に浸る。10時40分じゃなく10時10分というのがとても有り難い。まだまだ落ちついて、粛々と進んで行こう。
 安心していると、腿にふやけた米粒大の軟体がこびりついているのを発見。吸血前の、ヤマビルなのだった。或いはさっき下ってくる途中、自転車を毛虫だらけのガードレールに立てて写真を撮ったあたりでどこかの木から飛びつかれたのかもしれない。そして後で調べると、吸血したら小指大ぐらいにはなるらしい。早めに気付いて良かった。
 GPSトラックは少し国道184を経由した後、またもや集落の細道に突入した。最初は田圃と農家を辿る静かな道。田植え中の水が溢れそうな棚田、真っ盛りのツツジにまだ辛うじて残っている八重桜、飛び交うツバメやカワトンボにサナエトンボ、のんびり飛び回るクマバチ。
 心和んでいたものの、集落を抜けると、神部川から切り立つ山裾に張り付く森に突入した。いつものように成行き上そのまま進むに連れ、細道の路上に草が生え杉の落ち枝が増え、廃道寸前状態になった。あまり変な道を選ぶなよ、と計画時の自分に文句を言いたくなった。中国山地を甘く見すぎたとも、ちょっと思い始めた。
 呑水で無事国道184に復帰出来たときにはひと安心。

 少し先の反辺で畑側の谷間へ分岐、県道39に合流し、今度は低山越えへ緩々登り始める。今日は終盤の江の川沿いまで、しばらくいくつか標高300〜400mぐらいの低山を乗り越えてゆく。一旦登ってしまえば、あとはあまり下らずにのこぎり状に一山100mも無いぎざぎざが続くということになっている。
 本郷から同じ谷間の県道185に合流、御幡から一山越えて吉野へ。狭い谷間に小さな集落と田圃と森が断続し、短めの登り下りが切れ目無く、細道とともに続いてゆく。空間がころころ変わるとも言えるし、静かで可愛らしい農村風景が延々と続くとも言える。これぞ中国山地で通りたかった風景だ。
 時々、道が分岐して谷を囲んでいる山へ登ってゆき、そのまま山裾を巻いて消えて行くのが見える。地形図を見ると、途中で登って終わる行き止まりの道ではなく、こちらの谷から山間の集落を通って向こうの谷を結んでいる道なのだ。そしてこの道は、細道ではあってもそういう道の幹となる道なのだということが分かった。
 ちゃんとした道だけあり、さっきの川沿い細道と比べ余程安定感がある表情の、何だかどこかへ向かっているという気分になれる道だ。

 高津谷川の谷に下り、次はもう一山越えて波多へ。
 森と集落が断続する狭い谷間を細道がするするっと抜けるように登り、峠部分を越えると地形図が次の三瓶山に移った。2022年に使った地図であり、その時は内陸コースとしてこの智頭を使っていたから、今日もやっとコースがそういう段階に入ったことになる。なかなか感慨深い。
 そしてこの道、これまで通ってきた範囲の地形図「石見津田」には載っていたものの、「三瓶山」には波多までの下りが載っていない。そういう道だけあり、峠部分を越えてから波多までの下りでは、これまで道の表情が谷間に馴染んだ雰囲気から、枯れてしっとりしつつもやや取り付く島が無い、山中に強引に切り開かれたような印象が濃厚なのがそれらしい。そういう道が、峠部分から谷底に下りきって斜度が安定してもしばらく続いた。こういう時に、GPSトラックから外れていないことがとても安心できる要素である。

 波多の元小学校っぽい地域センターで少しお昼の休憩後、再び県道325に合流。また登りが始まるものの、これまでにも増してひとつひとつの登りがそろそろ短くなり始めているのが感じられる。計画中のプロフィールマップを思い出した。まだ地形図は三瓶山の上半分だが、もうそんなに登りは無いはずだ。
 また下って獅子の谷間で、別の方面から下ってきた道に合流し、谷底のまますぐに分岐。行く手のすぐ上手にトンネルがもう見えている。ここは2022年に通った道だ。風景を憶えている。
 長谷へ下ってまた登り返しだ。GPSトラックからは外れていないので道は間違っていないものの、どこだか全く分からなくなっているので、ここで小休憩がてら脚を着いて地形図を見直してみる。
 次はいかにもダム湖っぽい絵面の来島湖であることがわかった。時刻は13時少し前。ここまで来たのか、と思える順調な進行だ。
 来島湖区間では、湖岸っぽい、無駄に登って下るアップダウンが湖岸なりに続いた。一つ一つの登りは実はあまり大したことは無くても、それなりの斜度が直登と共に現れる。そしてどうせ下ってまた登り返す、あまり報われない登りであることが分かっている。湖岸の尾根を道が斜めに横切ってゆく3D鳥瞰を想像してみる。道を造るのには経済的にこれが有利なんだと理解はできるし、そういう計画には想定通行者として自転車などは含んでいないことを理解はできるものの、やはりかったるいものはかったるい。
 そして地形図で湖の水面が描かれていても、谷間を飛び越える橋から見渡す谷間に、地形図に描いてある水面は全く無い。谷底にちょろちょろ川が流れているだけだ。広めの湖岸新道の登りや下りを、道の行く手を睨み付けてとにかく通過してゆくという来島湖通過となった。
 湖岸区間の後も、そのままトラックに従い県道325を継続。緩い登りで上来島へ向かう。やや道も広く交通量は今日の道の中では比較的多めであり、淡々とのんびり進むのも何だかじれったいような道だ。

 峠部分を越えると道が少しだけ下っていて、その先が突如盆地に変わっているのが見えた。見た瞬間、国道だと分かるような国道54に上来島で合流。
 盆地の国道54に身を任せるように、GPSトラックに従い行きがかり上そのまま進んでゆく。盆地内で僅かな登りになっているせいもあるのか、何となく少し脚が重いような気がする。少し疲れているかもしれないと思う。
 しかしこの手のやや鄙びた盆地には珍しく、行く手に道の駅が登場した。なるほど、計画したときに道の駅を見つけて「ここは国道ね」と思っていたような気もする。とはいえ、ここまでしょっちゅう焼き菓子ぐらいは腹に入れちゃあいて、差し迫って軽食の必要は無いようにも思われる。今の自分に思いつくこととしては、自販機休憩だけだ。自販機だけなら盆地国道の道端に絶えることは無い。
 等と思っている間に道の駅を過ぎたすぐ後、カーブの少し先で突如行く手にローソンの看板が現れた。今度は考えるまでも無く、ローソンに立ち寄ることにした。14:05、赤名着。
 缶コーヒーがてら、この辺で地図を確認しておく。何と、この赤名の盆地縁を越え、谷間を下ればもう江の川なのだった。つまり、14時にして宿までもう先が見えてしまったことになる。何だかここまで位置を余り把握できていなかったのでラッキーな急展開に思えるものの、今日の行程ボリュームと時間を考えると、順当すぎると言えば順当すぎる進行ではあるようにも思える。GPSトラックを辿っていて場所が意識できなかったが、粛々と行程は進んでいたのだった。まあ朝、島根半島を省略しちゃったしね。

 GPSトラックが突如農村へと分岐。クランクでややマニアックに集落を抜けた後、畑の縁を超えると、すぐ森の中に下りが始まった。しかし道がやや細いまま続いていて地形図の印象と違う。GPSトラックからは外れていない。
 狭い谷間の谷底を、その先もひたすら下ってゆく。行く手に見え始めたコンクリート橋にやっと気が付いた。江の川まで下ってきたのだ。コンクリート橋は言うまでも無く、元三江線だ。

 GPSトラック通りに少しまだレールが残っている三江線に沿ってから、築堤をくぐって14:50、都賀本郷着。
 とりあえず目に入った道の駅へ立ち寄ってみた。15時前、そろそろ軽食ぐらい食べても良いぐらいに思えたが、もう宿までそんなに無い。例によって缶コーヒーだけ呑んでおくことにする。

 国道を避けて対岸へ渡るため、一旦上流方面へ向かい、大浦橋で対岸の県道294へ。
 やはり江の川は良い。低山と岸に張り付いた農村に囲まれた広々と悠然たる川面、記憶通りの表情の谷間が続いてゆく。岸辺の平地は狭く、片側には農村集落、反対側は岩が切り立っているだけぐらいに両岸が切り立っているが、道自体は川岸近くに起伏無く続いてゆく。あまり荒れることが無い川なのかもしれない。
 それにしてもなみなみと水量豊かで、力強くゆったりとした表情の江の川の川面。川岸の急斜面に張り付いて、主に森の中、途中で都賀西の集落を通り、県道294はかなりいい感じの川沿いの道として続いてゆく。思っていたほどすぐに脚が進むという感じではなく、やはりそれなりに地図上の距離感覚そのままの進行ではあるものの、宿到着直前の道としてこういう道を、先が見えた安心感とともに通れるのが、旅として大変気分が良い。もちろんそれは、江の川の素敵な雰囲気に身を置きたくて今日の宿を早めに押さえた上でそういうコースを組めたから、こういう有り難い展開になっているのだ。
 事前に想像していなかったことがある。三江線のコンクリート橋が対岸に現れたり、鉄橋が川を渡ったり。今にも列車が走りそうに古びていない遺構の数々が、時々何とも言えない味わいで風景に加わっていたことが、この道を更に独特の、ノスタルジックな風景にして見せてくれていた。

 宇都井の谷間に入ってすぐの所に、今日の宿がある。三江線のコンクリート橋を見上げ、GPSトラックが終わりになっている辺り、小さい川の対岸を目で追ってみる。一見生垣に囲まれた農家っぽい住宅が2軒。そのうちの一つに看板らしきものが掛かっているのを発見できた。そこに小さい橋が架かっていて、橋のこちらの道側にもうひとつ看板が出ていた。あそこだ。
 15:35、うづい通信部カフェ&ベッド着。
 谷間の江の川沿い、旧三江線を見上げるその立地が素晴らしいこの宿、今日のお客さんは私一人、というより1日1組の宿なのだ。何だか申し訳ない。
 経路上の適切すぎる区切りとして選んだこの宇都井。計画時に地形図でこの駅を眺めた時、何年も前に三江線廃止の1年ぐらい後、NHKで観た「天空の駅」こと宇都井駅を維持管理されている地元の方々の話を思い出した。 その時に気が付いたのだが、1982年の三江線全線乗車時、たしかここで居眠りから覚めて車窓風景を眺めていて、凄いところに駅があるなと驚いたものだった。川を空中から眺めるその風景は余程印象的だったようで、その後大井川鐵道井川線の奥大井湖上駅や只見線の田子倉湖区間、野岩鉄道の湯西川温泉とごっちゃになって、大人になっても夢に出てきたりした。日本国有鉄道っぽいコンクリート構造物も、私の好みである。
 しかし、宿から近い旧宇都井駅の、4階ぐらいある階段に登りに行ったかというとそうではなく、まずカフェ営業で今日最後のカレーなど頂いて明日の検討をした後、風呂に入り、夕暮れまで部屋の中で過ごすのであった。屋内でも夕方ともなると流石に山間、気温はエアコンの暖房を付けないと居られないほど寒い。そして、それ以上に木造の元古民家である宿の建物が居心地が良い。

 明日の天気予報が雨なのは分かっちゃあいたが、時々チェックしていた明日の天気予報は夕方になって更に悪化していて、朝から雨、9時以降降水確率90%で午後も80%。迷うことなく輪行確定だ。
 だが、明日の宿の匹見は日本海沿岸の益田から40km。かなりの山間だ。会社AIによると、交通機関がかなり限られ、輪行難度が今回の行程中最高とのこと。その経路は、腹を決めて山陰本線の江津に出るのが一番手っ取り早いというものだった。乗り継ぎパターンは一応準備してあったものの、もう少し早く出発すれば山陰本線で187系乗車をまた楽しめるのかもしれない。
 スマホで検証してみると、なんと宛にしていた三江線代行バスまで廃止されてしまっているのであった。人は住んでいるというのに。腹を決めて、タク輪で山を越えて大田市に出る必要がありそうだということもわかった。会社AIの乗り継ぎ情報、今回は全滅である。まあ他にいろいろ旅先の情報を教えてもらってはいる。
 風呂から上がっていろいろ乗継シミュレーションを進め、何となく辻褄が合ったところで、明日の宿、匹見の「大将」に連絡を入れておく。
 いろいろとラッキーに行程が繋がったところで、気付くと17:00ちょっと過ぎ。まずった。今日は連休中の土曜日だ。タクシー営業所は営業終了かもしれない。案の上、最初に電話した都賀のタクシーは、もう電話が繋がらない。次に電話した川本タクシーが繋がって、やっとひと安心。何とか首の皮1枚で、宿まで脚が繋がった。

 食事が終わって19時。灯りを消してカエルの合唱に身を委ね、寝てしまった。

■■■2026/7/5
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
2026/5/3(日) 中国地方Tour26#5 宇都井→匹見

 4時に目が覚めた段階で、未だ雨は降っていない。しかし、5時を過ぎても外が明るくならない。そしてかなり肌寒い。雲が見るからに厚く低い。何にしても昨日の天気予報で気分はもうすっかり輪行一色、まだ雨じゃないのを不思議に思っているぐらいだ。
 今日の宿は匹見の民宿大将だ。自転車だと内陸経由で大小峠越え4発、98km。それが輪行だと山陰本線経由の大回りになってしまう。昨日立てた行程では、宇津井→大田市がタク輪、益田→匹見がとあるここに書けない有り難いウルトラC含み。旅の経路として破綻していると言っていい。それぐらいの山奥から山奥へ移動するのだ。

 私の旅は、大体事前にGPSトラックを作っておき、それに従って走ることが多い。距離、標高差をある程度管理しながら計画できること、今回の様に土地感が無くても、道を間違う可能性がかなり減ること等、メリットは多い。そして今回の計画時には、まず大まかにRideWithGPSの地図上で何となくこの辺かなと思うような点を、中国地方全域が画面に入るようなかなり縮尺の大きな状態で折れ線を引き、その折れ線を道データに填めていった。並行して国土地理院地形図を見ながら面白そうな道を選び、それを繰り返して経路を作り、1日の距離と標高差を勘案して宿泊地を検討。再びつながりの悪い所を修正して決定案に仕上げていった。
 昨日の宇都井も今日の匹見もそういう方法で、最初は区切りが良い場所であることと何となく地形図の見た感じが面白そうなので選んだ場所だった。
 その匹見には比較的使いやすそうな温泉宿とともに、何故か匹見タウンホールという公共施設というか言わば分庁舎の中にある民宿「大将」があった。分庁舎に、しかも公共の宿ではなく民宿が併設されている。最初はまさか、そんなことあるはず無いじゃんと思っていた。そこで宿への予約電話で匹見タウンホールについて質問すると、やはり分庁舎ということだった。そんな宿、聞いたことが無い。一方、電話の向こう、女将さんの素朴で気さくな雰囲気がとてもステキで、宿泊が楽しみにはなった。この段階では、まだ良さそうな宿という以上の印象は無かったと言っていい。
 一方、役所の建物内に何故民宿が入居しているのか、どのような訳なのかを会社のAIに聞いてみた。すると、
「その経緯には日本の過疎対策の歴史が凝縮された、非常に熱いドラマがあります。最初から役場の中に宿と食堂があるのが、この建物の正しい姿なのです。」
とのことだった。曰く(以下会社AIの回答を引用編集)、

・施設の正体は「過疎の砦」
 匹見タウンホールは、かつて豪雪山村開発総合センターと呼ばれていた。現在も条例上の正式名称は「益田市立匹見豪雪山村開発総合センター」。1969年、当時の経済企画庁と農水省が「過疎の砦」として全国数か所に建設した極めて特殊な公共施設である。
・建設の背景:
 当時から匹見町は「中国地方のヒマラヤ」と称されるほど山深く、過疎が進み、冬は深い雪に閉ざされる厳しい環境だった。
・コンセプト:
 「ここに来れば、行政手続きも、病院も、図書室も、お風呂も、宿泊も、食事もすべて揃う」
という、村落存続のための究極の多機能サバイバル拠点として設計された。そのため、最初から「役場の中に宿と食堂がある」のが、この建物の正しい姿なのである。
・宿泊・食堂部門の閉店:
 長年地元の方が経営していた宿泊・食堂部門は、2007年に諸事情で閉店。一時期、砦の機能が欠けた状態だった。
・2009年に再出発:
 「このままではいけない」と、地元で居酒屋を営んでいた「浜ちゃん」こと名物女将が、この場所でお食事処・民宿「大将」として復活させた。
・電話で感じた素朴で気さくな印象:
 まさにこの地域を愛し、旅人を守り続けている地元の温かさそのものだと思われる。

 この話を知った時から、匹見と民宿「大将」は、単なる通過地点としての宿泊地から、旅の目的地のひとつに変わった。ここには是非とも訪れてみたい。だから雨だろうが嵐だろうが、今日は何が何でも匹見に行きたい。
 7時に朝食をいただき、7:50うづい通信部発。ここも木造家屋が心に染みる、とても良い宿だった。是非とも再訪したい。1(日)1組の宿に、1人しか泊まらないのは商売上がったりで、済まないと思ってはいる。
 昨日お願いしたタクシーで宇津井から大田市まで1時間ちょっと。8時過ぎから降り始めた雨は、見覚えのある粕淵を過ぎ、三瓶山の裾を乗り越える前から次第に強くなり、大田市へ下り続ける谷間では更にけっこうな強風まで吹き荒れるようになった。つくづく走らなくていいのは有り難いことだ、と思った。
 8:55、大田市着。タクシーから降りると、ここから益田まで山陰本線のスーパーまつかぜだ。9:31、大田市発。
 山陰本線も出雲市以西となると輸送量ががくっと減るのか、一昨日の鳥取・出雲市間に比べ特急であっても途中の交換待ちが増えるように思う。しかし走っている間は相変わらずさすがのキハ187系。かなり強い雨の中、迫力ある爆走を見せてくれた。その爆走をたっぷり味わいつつ、1982年に駅寝したり下車した印象深い駅の現状などを確認し、退屈しない乗車となった。
 11:07、益田着。スーパーまつかぜは益田が終点である。すぐに走り去っていかないキハ187系。きびきびした素速い仕事人の印象からは少し違和感があるのが何だか可笑しい。

 益田からは前述の通り、とある大変ラッキーな特殊事情により車に乗ることができる。その車は、私が列車を降りて駅の待合室から外を眺め、「うーん、これは走らない方が絶対いいねー」などと思っている間に来て下さった。感謝に堪えない。
 山口線の石見横田まで約8km、そこから先、匹見川の切り立った渓谷を匹見まで約32km。途中では暴風のような嵐が吹き荒れていた。輪行で本当に良かったと、心から思えた。そして益田で18℃だった気温は、匹見の谷間へ入ると16℃に下がってしまった。車に乗っていてもかなり肌寒いのがわかる。

 12:05、匹見タウンホール大将着。
 着いてみると、まさに役場風の建物が中庭を囲む配置になっていて、その片翼部分に食堂部分の看板が出ている。その脇のアルミ戸から宿へ入るようになっていた。集会室なのか機器室なのか倉庫なのか、別棟で直方体の建物の壁一面が、かなり手の掛かったタイル系のモザイクで彩られているのにも目が引かれる。何か象徴的な建物なのかもしれない。なるほど。
 中に進んで部屋に向かう。部屋の造りは本当に役場風の、よくある体験学習施設みたいな感じだ。しかし、余所余所しくないアットホームな雰囲気が何となく漂っている。なるほど。

 外の雨は、着いたときにはしとしとだったのが、しばらくして雨も風が弱くなった気がしたので、昼食がてら温泉でも行こうと出発。覚悟はしていたが、大体こういうときには、外に出ると雨が強くなるのものである。温泉施設に着く頃にはかなりの本降りとなり、結局昼飯だけ食って帰ってきた。
 行きと帰りでそれぞれ雨の中徒歩20分近く。匹見タウンホールから20分歩いても、匹見の山間にはまだ集落が続いていそうな奥行がある。この山間に、そういう集落があることには驚かされた。次回は必ず自転車で来たいとも思った。いや、今回も好き好んで輪行している訳じゃないんだが、何となく楽しく豊かな旅になっていることは、いろいろな方々のお陰であると思う。
 やっと暖かい部屋へ戻り、その後は余剰気味の補給食など時々食べ(食べ過ぎるわけにもいかない)、夕方までごろごろ、腰を痛めないように気を付けて過ごした。
 大将での夕食は、忘れられないものとなった。
 夕食には刺身に付けるわさびが出た。脂の乗った刺身は美味しかったが、わさびも江戸時代から続く匹見の名産とのこと。伊豆のわさびのような爽やかな香りとは少し違う、独特の深みがある甘みみたいな味わいと香りが感じられた。会社AIは後でそれを、「森の凝縮された旨味」だと言った。全く負けるぜ。
 民宿「大将」の食堂は、食堂「大将」と兼用になっているようだ。その食堂には午後からずっと、夕方になってもまだ地元のご近所さんが何名か、楽しそうに呑んでいた。私の夕食中にそのうちのお一人、もうべろんべろんに酔っ払っているおじさんが、自転車で旅していると聞いて興味を持ってくださったらしく、わざわざ私の前にやってきて声を掛けて下さった。
「何でこんなところ来たの」
 経緯をちゃんとお話しした。静かな景色のいい山奥を走りたくて道を繋いでいる。ここも最初はそういう山間の道で選んだ。ちょうど経路上の手頃な場所だったので選んだ宿が、会社のAIに聞いて、ステキな事情のある宿なのだと言うことを知り、絶対に泊まりたくなった。その段階でここは通過点から目的地に変わった。
 こういうことがすらすら話せて良かったと思う。地元の方にも女将さんにもとても喜んでいただけたようで、そのおじ(い)さんは教えてくれた。
「食事中なのにうるさくてゴメンね。ぼくたちね、いつもここに集まるんだよ。近所なんだよ。特別なことじゃない、いつもこんな感じで集まっているんだよ。普通のことなの」
と。
 その時は賑やかで楽しい食事になって良かったなあ、ぐらいにしか思っていなかった。しかしこれ、後で思い出し、
「匹見タウンホールが私に語りかけてきてくれたようなものではないか。ああおれはとても大切な話を聞いたな」
と気付いたのだ。
 山深い匹見は、かつて冬には雪で閉ざされることも多く、住民同士が助け合う「結」の精神が非常に強く根付いていた。私が出会ったような昼からの宴会も、単なる飲み会というより深い地縁の延長線上にある光景と言えるとのこと。
 後日、この匹見タウンホールの設計者を調べてみたところ、安田臣建築設計事務所であることがわかった。一昨日バスから眺めた島根県民会館の設計者であるのみならず、知る人ぞ知る現鳥取市「プラザ佐治」の設計者でもあることがわかった。そしてプラザ佐治も、匹見タウンホールと同じく豪雪山村開発総合センターであるとのこと。話がキレイに繋がって、豪雪山村開発総合センターというプロジェクトに掛けられた大きな期待がよく理解できた。匹見タウンホールもプラザ佐治も、地元の建築家のエースに狙い定めて任されたと見るべきだろう。そしてこの匹見では、2026年の今も、「豪雪山村開発総合センター」がちゃんと目的通りに使われていて、女将に見守られて人々が集まってくる。
 全国で地域の過疎や市町村合併が進む中、「豪雪山村開発総合センター」の中には老朽化の末、解体された施設もあるようだ。しかし匹見タウンホールでは、とても幸せな建物の人生に出会えた気がする。そしてこういう施設が成功して続いてゆくためには、必ず地元の方々が努力されている。匹見タウンホール「大将」の場合は、紛れもなく女将さんがその方々の一人だと思う。
 今回の訪問は、山また山まっただ中の匹見で、こういう人々と施設に出会えたということだったのだ。

 匹見タウンホール「大将」への宿泊は、間違いなく6日間中ハイライトの、心に残る出来事だった。例え当日が全輪行で、翌日が40km下っただけの益田で行程終了だったとしても。

■■■2026/7/8
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
2026/5/4(月)中国地方Tour26#6 匹見→増田

 5時半頃になってやっと辺りが明るくなり始めたようだった。山間の匹見はかなり厚い雲で薄暗く、昨日ほどではないものの風が強いのは相変わらずだ。天気予報は相変わらず曇り。降水確率は30%ではあるものの、こんな日にゃあ登り始めると雨になると考える方が自然だ。山口線の地福か三谷辺りまでGPSトラックをじゅんびしてはいるものの、今日はもうさっさと益田へ降りよう。

 7時から朝食をいただき、7:40、匹見発。
 山口線沿いの横田まで、匹見川の谷間を30km。あまり下り標高差は無いものの、切り立った山に囲まれた、狭い谷間が屈曲して続いてゆく。辺りは瑞々しい新緑で溢れているものの、風が強く空は薄暗い。昨日までの雨のせいか、川もやや水量が多く荒々しい。全体的に心和むというより、早く下ってしまおうという気がしてならない。
 横田に降りると、平地だからか空の雲が高くなって切れ始め、辺りは明るくなった。しかし平地効果か、風がむしろとても強くなってしまった。ここまでより交通量が俄然多い国道9を、突風に煽られて飛ばされないか冷や冷やしつつ、よたよたそろりそろり益田へ脚を進めた。幸い横風から向かい風気味ぐらいの場所が大半で、完全な向かい風になるよりは助かっていたと言える。
 益田には9:35到着。輪行中も寒い。一方、流石に平地も海岸部と言うべきか、空には青空が現れている。こういうのを見ると、匹見から当初の行程へ脚を進めるとどういうことになったのか、とは思う。しかし風は相変わらず、というより益々強まっている。現実として、つくづく益田終着にして良かったと思う。

 11:47、益田発。山口線で山口乗り換え、新山口へ。さっき通った横田を過ぎ、日原から津和野・船平山間の大部分は2022年に並行して自転車で通っている。その時のことを思い出したり見えなかった津和野手前や船平山の山越え区間で気合いを入れて車窓を眺め、退屈はしなかった。
 しかし、船平山のトンネルを抜けたその先、大体長門峡辺りまで山口線を取り囲む農村風景の素晴らしかったこと。空は晴れて、雲がどんどん動いている。高い山に囲まれた、明るい盆地に拡がる田圃がまさに緑に輝き、山裾へ拡がる空間の視界に、余計なナントカ施設みたいなものが一つも無い。この盆地は、JR西が土地を買い占めて風景を残しているのかもしれない、などとすら妄想させられる程だ。
 そして途中の無人駅がいちいち素晴らしい。駅舎の佇まいも造作も、程良く鄙びていてノスタルジックに親しみやすく、コールタールの浸みた電柱に小綺麗に雑草が抜かれた砂利敷きホーム。特に山口線ならではなのか、駅名標が全て現代のJRっぽいものではなく、昭和20〜30年代っぽい木製白ペンキにリアル毛筆体で文字が書かれているのだ。旅を終えて自転車を解体するのはこんな盆地の駅に限る。
 一方で線路を取り囲む風景を眺めると、木々や草花が頭を振るほどに相変わらず風はかなり強い。改めて風の強さに驚かされる程だ。いくら晴れてても、これは走る訳には行かない。しかし、地形図を眺めていた時以上に、旅の終わりはここでなければならないことを理解できた。国鉄がSL列車を残すのに、山口線が選ばれた理由もよく分かった。
 来年の中国山地リベンジがほぼ決まった。次回は是非、あの辺で旅を終えたいと思う。地福か三谷なら特急スーパーおきも停まるし。そしていろいろ教えてくれた会社Gemini、ありがとう。

■■■2026/7/8
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

FCYCLE 更新情報

FCYCLEのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。