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FCYCLEコミュの中国地方Tour22 2022/4/29〜5/4

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 3年振りのGWツーリングになってしまった、2022年GW、中国地方のツーリングの記録です。

■日程
#1 4/29(金)備中高梁→東城(雨天のため全区間運休)
#2 4/30(土)東城→三瓶温泉
#3 5/1(日)三瓶温泉→広島
#4 5/2(月)広島→柿木
#5 5/3(火)柿木→赤
#6 5/4(水)赤→新山口

■コース
Ride With GPS>
https://ridewithgps.com/collections/44879?privacy_code=rJNfg4KAGGsNv3Vr

■■■2022/5/8
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔

コメント(33)

2022/4/29(金)中国地方Tour22#1

 2022年に入ってすぐ、オミクロン株と新型コロナウイルス第6波がやって来た。しかし、緊急事態宣言は2月一杯で解除された。
 新型コロナウイルスによる行動制限にいい加減嫌気が刺してはいるものの、行動制限解除となってすぐに色めき立つほど私も世の中の人々も無防備じゃない。でも3月を過ぎ4月になっても、どうも第7波の気配は無さそうかなという気にはなってきた。
 今年こそは3年振りに、GWのツーリングに行けるのかもしれない。というわけでコースをさらっと確認し今年の連休と照合し、以前60%ぐらい検討した5泊6日のコースを4/29〜5/4に狙いを定め、それぞれ宿を押さえたのが4月第2週。
 その後は(ひたすら)コースの詳細検討を進めた。詳細検討の実態は、登り標高差と距離の縮小である。RideWithGPSのルートプランナーは、距離は正確だが標高差が1.2〜2倍程度に多く出る場合が多い。紀伊半島Tour18の時など、毎日GPSの気圧高度計による獲得標高差は、計画値に比べ半分以下になっていたし、奥武蔵のグリーンラインでも登り標高差は現実の1.2〜1.5倍程度に算出される。これは何も高度データがインチキなのではなく、標高データが地形のポリゴンであることが原因と思われる。現状ではかなり精密である部類の5mピッチポリゴンを使ったとしても、山間の魅力的な細道の道幅はせいぜい6〜5mかそれ以下だからどうしても実際の道に存在しない高低差が発生することは想像に容易い。標高データの出所は天下の国土地理院だし、全道路の実高低差データを地形データに合わせてWeb地図に実装させるぐらいしか根本的な解決策は無いだろう。とにかくこの問題の解決には、まだ時を要すると思われる。というわけで今回の計画も、3年前に組んだコースの上り標高差は毎日2000〜3000m台ととんでもないことになっていても、どうせ多めだとわかっちゃあいるので、これまで2年間ずっと放置していた。
 また、コースも土地勘が全く無い場所でルート自動選択に任せていた面が多々あり、RideWithGPSと地形図を一緒に追いかけてみた。すると、楽しそうな旧道が並行するバイパスを無駄に経由していたり、逆に里山脇道を無駄に登って下っていたりしている区間が何カ所もあった。それに時には一つ隣の谷に移したり、また大回りを直行コースに直したりすると、一気に登り標高差が300mとか距離が20kmぐらい減ってゆくのであった。

 4月25日には旅程初日29日の天気予報が出始めた。中国地方はどこも雨後曇り。ワタクシ57歳のお誕生日4月27日火曜日には、29日の時間別予報が出た。出発地点の高梁は15時まで4mm〜時々10mmになっている。宿がある東城を含む庄原は高梁よりまだ少しましだが、それでも15時まで4mm。走りたいとか走りたくないとか、そういうレベルじゃない大雨だ。とにかく、これで早くも初日全行程の輪行が確定してしまった。八つ墓村撮影地訪問と山中でつぶやく「祟りじゃあ!」は、いきなりパーになってしまいそうだ。輪行で東城に着いて自転車を組み立てた頃、天気予報の前倒しで雨が上がるぐらいが関の山だろう。全輪行決定があまり悩ましい選択ではなく、輪行した到着先で有り難い展開になりそうなのが救いではある。
 4月29日は私にとっての新幹線のぞみ始発、のぞみ3号で品川6:22発。自由席が滅茶滅茶混んでいるのは、コロナ禍がやって来てから見た事が無かった光景だ。特大荷物スペース付指定席を取っておいて良かった。
 東京ではまだ明るかった空は静岡で一旦陽差しが現れるまでになったものの、その後名古屋から薄暗くなり、大阪辺りから雨が降り始め、新神戸を出るとかなり強まってきたのであった。これなら天気予報の4〜10mmが納得である。
 岡山9:25着。次は10:05発やくも7号で新見へ向かう。車両は381系、再来年2024年春にいよいよ新型273系が登場して置き換えられる。やくもが伯備線電化と共にキハ181系から381系に変わったのは1982年。この年、私が在籍していた鉄道研究部の、山陰合宿のメインのネタが出雲市の知井宮電車区での381系見学だった。しかし私はその時岡山機関区でくすぶっていた次世代幹線用ディーゼル機DE50 1の見学を主張する反主流派だったことを思い出す。381系という大変優秀な国鉄型特急車両の、登場と引退(ちょっと)前の姿に接することができ、大変感慨深い。
 在来線のホームに降りると、屋根に雨音が響く大雨が降っていた。そんな天気ではあったものの、しかし岡山駅は大変に好ましい。何だか1980年代の幹線駅のような光景が繰り広げられている。島式ホームが今時4本も並び、各停はみんなフツーに113系か115系だし、105系まで登場して我が目を疑った。ステンレスカーがやって来たと思えば、ここだけの無印213系である。無印213系は2両編成で、片方のクハはJR西日本っぽい投げやりな造形の先頭車ユニットが着いていた。たしかこの車両、元々グリーン先頭車付の3両編成だったはず。グリーン先頭車を外して代わりにこうなったのだろう。極めつけは、並んじゃいないが一つおきで国内振り子車両最古参381系と最新型2700系が、顔を合わせているのであった。やるね山陽本線、JR西日本。
 列車待ちの30分間には、貨物列車が3本も通過した。機関車は桃太郎とEF510の何と北斗星色。これは現代風だ。

 やくも7号も指定席は満席だ。岡山を出発し山陽本線をてれっと流し、倉敷から伯備線に入ったやくも、いや381系は、自然振り子機構を効かせながら、それでも70〜80km/hぐらいの比較的おっとりした走りで高梁川の谷間を遡っていった。
 11:07、新見着。雨は相変わらず土砂降りに近い本降りだ。さすがは時間8mm予報。そして寒い。40年前の1982年8月、私は新見駅で駅寝して、翌朝岡山機関区で件のDE50 1をたっぷり見学し、同じく憧れのEF66 1の運転台に入らせていただき、足かけ2日掛けて各駅停車で帰京したのだった。
 本降りの雨が続く駅前広場に、当時の記憶は全く蘇らない。おそらくロータリーそのものが無かったのかもしれない。どこで寝たかも全く憶えてない。消去法で考えると、駅前のベンチだったかとも思う。
 一度待合室に戻り、5分ぐらい経ってから駅前の食堂へ向かうことにした。店の前の看板と、岡山駅で目に付いた備中そばを注文すると、味噌汁のように野菜やらわかめが乗ったけんちん汁みたいなルックスの、やや太めの蕎麦がやってきた。お汁が甘めなのが特徴のようではある。甘めのお汁で具が入った麺類というところに、同じ芸備線の備後落合駅のかしわうどんを思い出した。同じく1982年の訪問時に印象的だったので、その後何回か味を再現するべく普通のうどんを自分で作って焼き鳥缶を入れ、気分を出したことがあった。
 11時45分頃駅に戻り、芸備線ホーム1番線の待合室で40分ぐらい居眠りした。土砂降りの中、新見駅ホームは屋根といい柱といい、全体的に線が少なく細く色は黒ずみ、1980年代の地方駅っぽいいい感じが漂っている。それはJRから消え失せたと思っていた、濃厚な旅のイメージであるように思えた。でもまあここ新見駅は芸備線始発駅。芸備線と言えば2021年度の営業係数2000台、つい最近JR西日本が廃止に向けて色を見せ始めたローカル線なのである。ホームには213系の各停、381系やくも、そして姫新線キハ120が去来した。381系は現行やくも色の他、引退直前キャンペーンでクリームと赤の国鉄色に戻した編成もやってきた。また40年前の訪問を思い出し、40年前に「この後こういう旅をすることはもう無いんだろうな」などと考えていたことを思い出した。しかし今、間違いなく私は旅に出ていて、過去の訪問を思い出している。そして40年掛かって、やくもには登場時の国鉄色、2008年頃の緑やくも、そして現在の赤やくもに乗ることができているのだった。こういう40年後の話を、新見駅前で寝ようとしている40年前の私に話してあげたくなった。
 居眠りから覚めたら、2人だけだった待合室にお客さんが増えていた。誰もいなかったホームにも数名客がいる。地元じじいっぽい一人を除き、みんな一目でわかる鉄ちゃんである。
 新見到着時に駅員さんが教えてくれたとおり、12:45に芸備線のキハ120が入線してきた。あっという間に鉄ちゃんがなだれ込み、ダッシュでクロスシートを占拠 まあ発車20分前から並んでいた皆さんなので文句は言えない。カップル鉄ちゃんなどという人もいて、女性鉄ちゃんがキハ120を見て「小さっ」などと言っている。
 13:02、新見発。芸備線が伯備線から分岐するのは、2つ先の布原である。でも伯備線は、確か新見から上り勾配が厳しくなった筈だということを、外の風景でやっと思い出した。キハ120はさすが現代の気動車、エンジン音も軽やかになかなか快調にぐんぐんと、小さくても実に頼もしい。そういえば大糸線のキハ52を置き換えたのもキハ120である。
 切り立った狭い谷底にある芸備線分岐駅の布原は、渓谷と田圃と民家とカーブした線形、小さな鉄橋の配置が模型の様に完璧で、SL時代D51三重連の名撮影地だった。そのため件の1982年、鉄道研究部合宿メニューとしてこの場所で半日ほど撮影している。14年前、下関での確定検査帰路にも自主的に布原を通過しているが、今回の方がじっくり眺めることができているのではないかと思う。
 伯備線が電化されて架線柱が線路脇に立ち並んですっきりした模型感覚が薄れたと言われていて、SL当時信号場だった布原はいつの間にか駅に昇格していたようではあるものの、現在の自転車ツーリスト目線としては全体的に何の問題も無い。民家など40年前、いやSL時代から何の変化も無いのだろうな。

 芸備線も風景のハイライトは東城から向こうであり、大雨の車窓風景は長閑で愛らしくも、目に停まるような突出も無い。その大雨は、東城直前で突如弱まり始めていた。目論見ばっちりすぎるが、天気予報の前倒しはこの季節ごく普通の出来事である。
 13:38、東城着。ここは1984年に下車している。1982年の訪問で目を付けた芸備線を、少し先の小奴可で撮影した日の前日だったか当日だったか、ここで駅寝をしたような気もするが思い出せない。土壁と素朴な石垣が目立つ町並みだったことは強烈に印象に残っていて、確か大学の課題か何かにスケッチか何かを使ったような気もするが、やはり定かではない。確か当時有人だった駅は当然の如く無人化されているが、待合室も駅前広場も、屋根付き観光コーナーもちゃんとある。東城は庄原市東部の主要市街であり、東城駅はそれなりの格というものを備えているのである。
 列車から降りた学生さんやらお年寄りやらは10人程度。少しの間賑わった駅の軒下に次々に車やら地域ミニバスが着いて、皆さんは乗り込んでいった。雨は上がっても気温は相変わらず震えるように低い。輪行袋から自転車を出し、雨具の上着を着込んで粛々と自転車を組み立てていると、最後のお客さんが去ってから10分位経った頃に車が着いた。中から出てきた女性に「高地さんですか?」と言われる前から、松本荘の女将さんだとわかった。雨なので早めに着くことをお知らせしたおいたので、町の用事と一緒に迎えに来て下さったとのこと。北海道の宿ではよくある事だし、期待はしていたが、初めてのお客さんなのに。大変残念ながらもうリヤにホイールを取り付けた後だったし、宿で自転車を組み立てるよりここで自転車を組み立てる方が何かと好都合と思われたので、自走で宿に向かうことにした。
 宿に向かう前に寄ってみたい場所もあった。1984年、東城で歩いた道のうろ覚え再訪である。もはや雰囲気もうろ覚え、現存する町並みの面影は何となくぼんやりしたイメージと合致するような気もしないでもない。というぐらいの、ほんの2〜300m一回り。そもそも、駅前の道は新設に拡幅で構成そのものが一変しているように思える。まあ、約40年降りの訪問というのはこんなものなのだろうな。

 14:10、松本荘到着。お風呂に入って15時半頃、なんと陽差しが出て雲の間に青空まで現れ始めた。あんなに降っていたのに。相変わらず寒いものの、陽差しが出て明らかに気温も上がっている。これも全て天気予報通りではある。
 40年後の旅はこういう1日だったよ、などと40年前の自分に語りかけながら見渡す、松本荘2階部屋から町の眺めが良い。

■■■2022/5/8
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
高地さん ご無沙汰です。
 HPの写真が変わっていたので連休にどこか出かけたなと思っていました。それにしてもレアな所を走ってきましたね。海添いなら開けていて走りやすそうですが、車が多そう。山間部に入ると道の難易度がつかみにくいし、適当な宿もなさそうで、なかなかプランの立てにくい所のように思います。高地さんらしいさすがのコースプラン、感心します。この後も楽しみです。
余談ですが、今日の朝日新聞の地方版「街のそば別世界の秘湯 いわき市吉野谷鉱泉」でした。コロナ禍で宿泊者ゼロ、併設の学習塾でしのいでいるようです。

 ku-riさん、大変ご無沙汰しております。こういうご時世なかなかオフやグループツーリングは難しいので、ソロ湯岐かしおや旅館辺りから阿武隈を再開しようかと考えております。吉野谷鉱泉も一人で行くにはいいですね。私的に新しい試みとしては、去年の暮れに弟と甥と3人で房総に行ってきました。

 GWの中国地方の旅、印象としてはとても満足度が高かったです。イメージ通りだった部分とちょっと失敗だったなと思う部分とがありますが、やはり天気に恵まれたのが好印象の大きな要素でした。
 仰るようにコースはなかなか描きにくく、それは細かい谷間が重なる地形と、幹線道路以外の道がやや断続気味であるせいではないかと思います。今回のコース決めは計画というより勢いと先入観で大まかに「ここからここ!」と選んだ道の、距離と標高差短縮に終始していました。
 でも、山間の農村風景はどこも長閑でとても美しかったです。他にも広島の大分手前から車がすごく多くなったり、中国自動車道が山間のかなり高い場所を橋で飛び越えていたりして驚かされたり。広島県、島根県、山口県のイメージががらっと変わりました。

■■■2022/5/16
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔

中国地方Tour22#2 東城→三瓶温泉

東城→小奴可→三井野原→高尾→吉田→八神→三瓶温泉 118km
RideWithGPS
https://ridewithgps.com/trips/88678765

 さすがに西日本、夜明けが遅い。東京より40分ぐらい遅いかもしれない。5時で何とか明るくなって6時で完全に朝らしい明るさになった。
 空は晴れて朝陽がかっと鋭く眩しいものの、昨日の寒さが残っているのかかなり寒い。今日はしばらく防寒が必要だろう。
 7時に朝食、お昼用のおにぎりをいただき、日焼け止めを顔と腕に塗ったくり、7:30東城松本荘発。腿はモンベルツーリングニッカーに隠れてるから当面いいや。
 この時期、下手をすると日中25℃を越えるのが当たり前という印象があるが、今のところ気温は11℃で指先はかなり寒い。松本荘の女将さんが「小奴可は東城に比べて別世界(寒いという意味)」と仰っていた。今朝はツーリングニッカーと雨具上着が大変頼りになる。

 東城の市街を旧道で通り抜け、町外れの宮平から裏道の県道12で小奴可へ。標高320mの東城から国道314、芸備線、そして県道12が三者三様の経路を経て、標高550mの小奴可で合流している。県道12は一番車が少なさそうで、比較的のんびりした風景が楽しめそうだという選択だ。小さな丘越えはあるものの、他の経路に比べて目くじらを立てるようなものではない。
 栗田から森脇へ、広めの谷間に集落が続く。空は晴れから薄雲が拡がって曇り基調と言っていい。しかし、谷間には田植え直前の水を張った田圃が拡がり、出たての新緑の山肌と共に瑞々しい風景なのがとても嬉しい。コロナ禍の3年間を経て、自分はまたツーリングで走れているのだ。蛙も田圃じゅうでケロケロ鳴いている。
 森脇から谷間は狭くなって、森と渓谷と県道12だけが続いた。そして淡々と登り続けたまま、もう少し上流の千鳥で再び集落、というより農村が拡がった。標高640mの最高地点は、集落外れのちょっとした丘の茂みだし、その向こうはやや高めの単独で聳える丸目の山に囲まれ開けた盆地が拡がり、同じような集落が緩やかに下っているのであった。標高640mにしちゃ高原っぽい地形と風景である。

 少し下って、9:10、小奴可着。もう少し早く着けるとよかったのだが、まあ順当に距離なりに時間が掛かっているとも言える。
 小奴可には、1984年に芸備線の撮影に来ている。1982年に乗った芸備線のダイナミックに変化する山間の風景が忘れられず、2年間地形図等で狙いを定めた訪問だったのだ。当時から、高原っぽい雰囲気を背景とした長閑な農村風景に、ここを自転車で走ってみたいと思っていたことだけは憶えている。その後鉄道の写真だけが残り、具体的な土地の印象はすっかり忘れてしまっていた。今小奴可の盆地で、堂々と独特のボリュームを持った山肌が近づいてきて、38年前の印象を思い出させてくれていた。
 踏切から駅の方を伺ってみた。1984年には間違いなくここに撮影に来ているはずなのだ。何か記憶が蘇るかと思ったが、駅方面の光景に何も思い出せない。少なくとも小奴可を訪問した前の日、ここで駅寝はしていないと確信できた。ならば駅寝したのは東城だったか備後落合だったか、大穴で道後山か。と思っていたが、記録が見つかったので読み返すと、どうもその旅行では小奴可駅で2泊駅寝していたっぽい。ちなみに風呂と食事は三次だったようだ。

 盆地の中の小奴可から谷間へ、国道314は芸備線と共に緩々っと登ってゆく。国道特有の埃っぽい表情と単調であまり面白くない路上空間は周囲の長閑で魅力的な農村風景や森と分離しているため、何となく次の展開を待ちながら淡々と脚を進めてゆくだけの展開になってしまっている。車がそう多くないのが多少救いかもしれない。さっきまでの県道12は素晴らしかったな。
 等と思っていたら、登りピークを越えるのと、ピークに建つ瀬戸内海側・日本海側分水嶺の看板を眺めるのにかまけて、芸備線道後山駅への分岐をつい見落としてしまっていた。少し戻って分岐を入り込むと、杉の葉が溜まったあやしそうな道がその道なのだった。これは知ってないと入り込まない道である。しかし実はこの細道、林道ではなく県道414なのだ。今のところ行程は、絶好調と行かないまでも特に問題は無い。ならば芸備線もう一つの撮影地だった思い出の地としての、道後山駅には行っとこう。
 意外にも国道分岐から進むと共に、路上の杉の枝が無くなり、路面は良好な舗装となった。相変わらず県道であることが疑われるような細道ではある。農家が何軒か並ぶ集落を通り抜け、9:20、道後山着。標高628m。
 道後山も小奴可と同じく、1984年に鉄道の撮影で半日以上訪問している。当時から無人だった道後山駅の山深さには強烈な印象が残っている。今、2022年の自転車ツーリング的にも、猫の額のようなちょっと不思議な山間の拡がりに、どこからか芸備線が現れ山中へと消え、その間に道後山駅がある、というのがその実態だ。
 駅舎はまあ残っている、という位に存在はしている。芸備線にこういう駅があり、停車してゆくことも不思議な程だ。
 1984年の撮影場所はどこかと言えば、確か道後山駅から2〜30分歩いて山に登った場所だったと思う。撮影場所も訪れておくべきかもしれないが、今日の行程の場合はまだ気を許すわけにはいかず、やや気が急いている。道後山の場合、何故か駅の方が撮影場所より印象に残っていることもあり、こんなもんで訪問の目的は十二分に達せられたと思った。

 森の中へと続く細道をGPSトラックの示す通りに進んでゆくと、その撮影場所に登って行く道と分岐し、こちらの県道414はおもむろに下り始めた。道後山から標高550mの保賀谷まで60m高度を下げるのだ。芸備線はこの区間、シャトルループの線形で距離を稼ぎ高度を下げてゆくため、途中で道は一旦芸備線をショートカットしてぐいっと下り、再び芸備線に近づいてゆく。芸備線、なかなかの山岳路線だとまた思う。そして県道414も県道ながら、芸備線アンダークロスの橋の高さはとても低い。相変わらず、道の空間感覚は林道そのものである。
 保賀谷では、3つの狭い谷が合流して1つの谷が南の備後落合へ下っている。ここから芸備線は、国道183が通る谷間と共に、備後落合へ下ってゆく。
 私はと言えば別の谷からやってきた国道183を横断して、180m程登って稜線を越えて木次線沿いの油木へ下る細道へ向かうことにした。鋭角二等辺三角形で稜線を丸ごと迂回する芸備線・木次線沿い国道183・314を、稜線越えでショートカットするのだ。
 備後落合は中国山地を横断する芸備線を東西に分ける駅であり、中国山地を南北に貫く木次線との乗換駅でもある。1982年も1984年も、芸備線は備後落合で15分以上停車し、山中のどこからか突然合流してやはり山中に消えてゆく木次線との乗り換え便宜を図っていた。そして道と民家数軒しか無い谷底に建つ備後落合駅には、おでん・鶏肉が入った蕎麦・うどんのお店があり、稲荷寿司の駅弁も売っていたのである。その後2008年の出張帰路自主立寄り時には、思い出に浸れるような物が2008年の現実として順当に何も残っていないことを確認済みだ。
 それに備後落合を迂回しても、ここからは備後落合への下り量と合流点の油木まで登り返しが多いため、確か登りはこちらの方が60m程度多いだけで、距離は10km近くも少ない筈だ。それにさっきの国道314の普通に国道っぽい表情を思い出すと、こちらの道の方が絶対好ましそうだ。

 保賀谷から登り返し、小鳥原から急斜面に拡がる集落の細道へ、GPSトラック通りに脚を進めてゆく。広葉樹林に入って路面に落ち葉が溜まった細道は途中まで林道だと思っていたが、標識を見ると実は県道444なのである。この細道が、自転車ツーリングには大変好ましい。明るい広葉樹林の道は意外にも斜度7%とそう厳しくなく、私でも淡々と落ちついて登ってゆける。そして途中では森林大伐採の怪我の功名?で、落差の大きな山間、中国山地がボリュームたっぷり迫力満点だ。道幅と斜度を除けば、山梨県の信州峠付近に何となく似ていなくもない、高原っぽい雰囲気でもある。
 名無しの峠部分はかなりなだらかな、稜線のピークというより背中という風情の変曲点だ。いつの間にか天気は晴れに推移し始めていた。森の中を下って谷底の集落へ、160m下った油木で木次線の谷間に合流。意外にも国道314はかなり車が少なく、さっきの小奴可付近より風景のスケールが大きいような気がする。まあでも、ここまで県道444経由で正解だった。
 併走する木次線に25‰の勾配標識が立っている。油木で標高580m、この先約6km、峠部分の広島・島根県境は730m。芸備線と共になかなかの山岳路線だ。中国山地としても高めの場所、という以上に高原っぽい風景なのは、今朝からずっと共通している。
 標高730mの県境を越えると、突如周囲は森から開けた畑に変わった。そして県境を越えると、というより大して下っていない。周囲がスキー場に変わるとともに10:40、三井野原着。北海道内陸や清里辺りのような高原っぽさが感じられる。
 こういう展開は、1982年の木次線初乗車時の印象通りである。木次線のこの先、三井野原・出雲坂根間、特に出雲坂根の3回スイッチバックは1982年の鉄道研究部合宿メニューだった。出雲坂根が標高570mぐらい。スイッチバック手前のシャトルループと合わせ技で三井野原から何と160mも下ってしまうのだ。確かその時まだ国道は開通していなかった。そしてその後開通した国道183は、木次線に対抗したのかのように2回転近くのループ区間を備えている。「おろちループ」と名前を付けたのみならず、道の駅まで作ってしまった、ということを考えていて、改めて木次線も驚きの山岳路線であることがよくわかった。
 コース計画時には、ここから木次線沿いに奥出雲町まで下ってしまうことも考えていた。かなり大回りになってしまうものの、松本清張ネタと駅蕎麦が有名な亀嵩駅に興味を引かれていたのだ。しかし今日はここまで快調に登り2ヶ所をこなせている。あとひとつ標高差80m程度の小峠という名前の小さな峠を越えれば、登りは総量の半分以上をこなしたことになるし、予定2経路のうち距離が短く道が静かそうな方の経路で脚を先に進めることができる。そしてここまで、国道よりその手の細道の方がことごとく好ましく、標高差80m程度の登りは問題になっていない。そもそも、大回りなら蕎麦に立ち寄ったりしないかもしれない。
 というわけで、小峠へ向かうことにした。小峠のみならず、三瓶山麓までの内陸側コースがここで決定したことになる。

 シーズンオフのためか休業中のドライブイン前で缶コーヒーだけ飲んで、木次線の踏切を渡り、少し北海道内陸のような雰囲気が漂うスキー場の細道へ。
 スキー場から山裾側、田圃と森の境界に林道小峠線起点の看板が立っていた。林道は明るい広葉樹林に少し山腹を巻き、峠へ向かい始めると付近は杉に変わった。
 10:55、小峠着。道端で最後の山桜が迎えてくれていたのが何だか嬉しい。

 ゆるっと乗りこえた峠の向こうは、再び明るい新緑の広葉樹林だ。雑木林というより原生林かもしれない、深い森である。谷間は地形図通りに直線基調で、山の傾斜が緩いためか狭いながらも開けた雰囲気だ。
 渓谷沿いに下ってゆく道端が少し開けると田圃が現れた。もう少し下っると、谷間は別のもう少し広い谷と合流した。
 合流点の大畝は、高く切り立った山に囲まれた谷間に田圃が拡がり、農家が点在している。真っ青な空の下
新緑の山肌に囲まれた田圃は田植え2〜3日目ぐらい。水がなみなみと張られ空と山々を映し、そのいくつかでは農家の方がいそいそと田植え作業中だ。多分家族総出なんだろうな。向こうの谷の奥には、壁か背景のように大きな山が二つ(吾妻山と烏帽子山というようだ)立ちはだかっている。そして景色の中で、カエルの声がこだまするように響いている。1日観ていたくなる、絵のように素晴らしい農村風景だ。しかし、本日の現実としてはそういう訳にもいかない。

 裏道を少し経由してから県道25へ。谷間が広がって農村が続いているせいか、さすがに小峠からの道からは車は増えるものの、それでもまだまだ全然許容範囲だ。
 杭木まで8km、ひたすら標高差100mをここまで行程とは打って変わって快調に下る、下る。田圃を囲む山々、農家の庭先は、染まってしまいそうな明るい緑で一杯だ。空はもはやさっきまでの薄曇りが嘘のように真っ青で、陽差しが強くぽかぽかだ。
 汗は風にすぐ飛んで消えてしまうし、それでも寒いという感覚は全く無い。年間これだけ快適なサイクリングも珍しい。緑の明るさと光の明るさ、風景の雰囲気全体が4月中旬、いや上旬のように見える。いつも連休中に夏日になる日があることを思い出す。今年の連休は、少し気温が低いのかもしれない。

 11:20、馬木着。
 やや開けた谷の真ん中、県道25と出雲横田へ向かってゆく県道49が交差し、周囲には郵便局や警察署、小学校など公共施設が建つ交差点だ。食料品店は無いのでそのまま信号を通過してから、地域集会場に自販機を見つけたので、地図交換を兼ねて少し休憩してゆくことにした。気付けば腹が少し減っているし、もうお昼前に差し掛かろうという時間なので、この際腹が減る前に松本荘のおにぎりを食べておくことにした。コンパクトな包みにおにぎりがたっぷり3つ。梅干し、肉、鮭のトリオで美味しい。ウインナーとお漬物も効いている。なかなか頼りになる。松本壮には感謝せねば。
 ここまで来れば、小峠を含む本日最大の登り3箇所が終わって標高差を2/3弱こなし、確か距離は全体の2/5に相当していたはず。到着時刻はまあ想定通りというか、想定範囲のなかなかいい方だ。この先まだ登り下りは多いものの、今日はまともな時間には三瓶温泉に着けるという気になってきた。
 5kmほど下った馬木の少し先で谷間は再び狭くなり、杭元で高尾方面への分岐が現れた。しばらく、というより今日の宿がある三瓶山高原道路まで、山間に数10mから100m以内ぐらいのアップダウンが延々と続くことになる。いよいよ、というよりやっとここまで来れた、という気がする。とにかくこの区間を落ちついてこなすために早めに取付きたかったので、ここまでやや気が急いていたのだ。
 県道の谷間より谷間がぐっと狭くなり、空間全体がややこぢんまりした印象となったものの、相変わらず谷に田圃が拡がり、農家が点在する農村が続くという点ではここまでと風景の要素は変わらない。谷間を囲む山々はここまでと同じく新緑真っ盛り。谷間の田圃は一面に水が張られ、田植え間近か真っ最中だ。空は真っ青、日差しは眩しく、水は青空と山々を映し、青と緑に染まってしまいそうな気分が一杯だ。これがあと5日間、今回のツーリングの風景になるのだろう。
 下高尾で、棚田の上にそう高くないながらすっきりとそびえる山が迫ってきた。そちら側の山裾へは登りになるものの、魅力的な風景だ。地形図によると目の前に聳える山は伊賀平山という名前であり、すぐ先の生活道然とした細道の分岐が、10kmほど先の上阿井町で合流する道の始まりである。事前に何度もコースを選んで距離と標高差を検討した、2つの経路の分岐だと気が付いた。実際の風景と空間感覚だけは訪れてみないとわからないものである。
 今、興味津々で眺めている山裾へ向かう方は、今日の位置づけとしては第2案だ。第1案より多少アップダウンはあるが距離は多少短いはずだった。そのくらいの差なら、面白い方へ行ってみよう。と思える余裕があることが、行程中盤まっただ中に差し掛かった今大変心強い。

 上手の丘を乗り越えてから、道は棚田と集落の一番上手の山腹に続いた。アップダウンはややしつこく、しかししんどくない程度に繰り返された。地図読みである程度想像していた範囲で、良好に推移していると言えた。そして見下ろす田圃の展望がとても楽しいことは、期待していたが具体的に想像はできていなかった。何か得した気分だ。
 想定区間の最後近くまでアップダウンは意外にしつこく続き、そろそろ下らないと辻褄が合わない、と思い始める辺りから唐突に急下りで一気に高度を下げ、12:15、上阿井町着。さっき下高尾で分岐した別コースとの合流地点だ。別コースが終盤で通る国道432を横断し、粛々と脚を進めてゆく。国道432はかなり交通量が多く、やはり山裾経由で良かった、と思えた。

 広域農道っぽい道を少し登って下り、隣の谷の県道38に合流してそのまま宇月峠越えへ。狭い谷間に続く農村、福原では、交通量極少ながらそこそこ今風の道だった。それが福原の一番奥で県道38が急に細くなり、農村の前に屏風のように立ちはだかる小山をくるっと回り込んで、宇月峠の標識までほとんど登らずに標識を過ぎるといきなり下りが始まった。峠とはいえ登りは開けた集落の緩い登りが主であり、峠周辺の森ではほとんど登らないのだった。
 峠を越えると、というよりゆるっと通過すると、細道はすぐに下りきって別の農村、芦谷に降りた。そしてつづら折れ状に340度ぐらい折り返して下手からの道と合流、田圃二皮ほどの狭い谷間を遡ってゆく。
 田圃が終わって森の渓谷に変わった芦谷の上手で、谷間の向こうに渡り、再び森の中を140m程登り返し、縁を越えるように梅ノ木から吉田の谷間へ出たのであった。
 この辺りも計画時に、地形図とRideWithGPSとストリートビューを見比べ、なるべく楽しそうな、しかも登り下りが少ない経路を選んだつもりだった。しかし、曲がりくねった谷間が並行したり離れたりして等高線が詰まっていて登り下りの判別が付かず、地形はわかりにくかった。とりあえず森と渓谷と田圃が入れ替わり立ち替わり現れるということ、プロフィールマップで無数の登り下りがあること、そして登り総量がけっこうあることだけは理解できたが、実際に行程の順番をイメージできていなかった。
 実際に訪れて初めて、低い稜線が隔てる狭い谷間の表情、それらが入り組んで重なるこの辺りの地形の特徴と空間感覚がわかってきた。思えば三井野原と出雲坂根がそんな感じだった。もっと言えば朝の糠小奴可や道後山から、大なり小なりそういう風に理解できる地形だ。
 13:20、吉田着。吉田川沿いに狭い旧道と木造家屋が続く、山間の静かな田舎町だ。東城よりはるかに小さい規模の町ではあるものの、今日の行程中ではお店が比較的多く、ツーリング中の通過点として、人里の懐かしさというか大変好ましい雰囲気が横溢している。
 道の脇にA-COOPを見つけた。というより、補給するならこの町しか無いなと思って予めチェックしたGoogleストリートビューで、ちょっと公共施設のような建物があることはわかっていた。それがA-COOPだったのか、と思って、あ〜れ〜とか思いながらそのまま通り過ぎてしまった。
 吉田の町では、部分的にストリートビューまでチェックしておきながら、実際に食料品店があることは確認していなかった。飲食店はあるようなので、それなら食料品店ぐらいあるだろうと勝手に思いこんでいたのだ。そしてやはり根拠も無しに、町の端にある施設に道の駅っぽい駐車場があるのをストリートビューで見て、何かパンっぽい食べ物が売ってるだろうとも思っていた。
 実際にはA-COOP以外に食料品店は無く、観光案内所っぽい施設ではソフトを食べることができただけだった。そして私はソフトで何だか事足りた気分になってしまい、億劫がって自転車で1〜2分も掛からないA-COOPに戻ることをしなかった。
 自戒で書いておくと、ここでA-COOPを逃したことが、この後三瓶山で空腹感に少々難儀する原因になってしまった。やはり先入観による計画と行動はいけない。もう勢いで走りきれる歳でもないのだから。

 吉田からは県道273で民谷へ。すぐ、またもや2択の分岐が現れた。今日は2拓が多いのである。そして今度は、好ましい方の県道273梅ヶ峠の旧道細道、登りが少しだけ少なく2km弱ほど大回りな方が、何と通行止めになっていた。事前のストリートビューで途中が数10mぐらい途切れていたのと関係しているかもしれない。途切れていても、ストリートビューと空撮を観た範囲ではあまり極端にスパルタンな道であるようにも思えなかったのだが。まあ、ここは手堅く第2案、一升ヶ峠・牛ヶ首経由の日野金城大規模林道へ脚を進めておくことにした。
 大規模林道区間は約4km。峠部分2ヶ所の旧道っぽい名前とは裏腹に、露骨に今風の広域農道っぽく直登気味に豪快に標高515m、527mと稜線を乗りこえ、450mの民谷へ直滑降気味に下って再び県道273と合流する道である。思ったほど車は少なかったものの、静かかと言われればそうではないようにも思うし、広い道幅を車がガーッと通り過ぎてゆく印象が強い道だ。
 谷間の集落民谷から軽く登って下って��加賀、軽く登って下って上利根・下利根、更に登って下って獅子の谷間へ。登り下りは1箇所100m未満〜100m台、それぞれの道は所々地形図より拡幅が進んでいたものの、どこも車は期待通りにかなり少ない。そして谷間から丘へ続いてゆく田圃は、やはりどこも田植え直前か2〜3日目らしく、水が張られて青い空と緑の山を映していた。静かな谷間に蛙の声が響いていて、とても楽しい気分になる。
 13時台から14時台へ推移する間に、陽差しはそろそろ赤みが増し始めていた。しかしすぐにおうちに帰りたくなって泣きそうになってしまう秋や冬の低く弱い陽差しと違い、まだまだ太陽がほぼ真上と言っていい位置にある。強く鋭い陽差しは緑を明るく鮮やかに、山影を次第に碧く変え、何より絶対的安心感が感じられる。これだから春ツーリングはいいなと思う。

 14:55、獅子発。神戸川沿いにしばし国道184を八神へ下って、八神からはいよいよ三瓶山の外周へ登り始める。やっとここまで来た。そしてまだ15時になっていない。
 GPSトラックに従い、地形図に載っていない豪快な線形の道へ進む。紙の1/5万地形図に載っていなくても、GPSトラックとGPSに表示されている地形図にはちゃんと載っている道だ。線形が豪快に等高線を突っ切っているだけあり、行く手に直登でぐわーっと20〜30m高度を上げている道が続いていて、心が折れそうになる。しかし登ってしまえばせいぜい7%。遅いながらも淡々と登ってゆける斜度だ。
 志津見で県道40に合流すると、交通量はかなり多い。流石は三瓶山。そして交通量のストレスか、この辺りから空腹感を感じ始めた。幸い十分に水はあるし、志津見では飲料自販機で甘い飲み物も飲めた。まだ15時台、あともうもう一登りだけ。
 三瓶山高原道路へと続く県道40は、直登っぽい線形とは違い、最大勾配7%台表示の比較的穏やかな道なのであった。しかし、今日のコースで一番車が多い。仕方無い、島根県に轟く三瓶山なのだ。
 途中、中廻では棚田の展望が拡がり、脚を停めるいい口実になった。一方、中廻からは更に多くの車が合流してきた。中廻から下ってゆく谷間は出雲市方面からやって来る国道184の谷間なので、これも仕方無い。
 そんな中廻のすぐ上手で、県道40から三瓶山の北側へ向かい、三瓶山高原道路道に合流する道が分岐していた。こちらの方が明らかに県道40より車が少ない。そしてこのまま県道40を登っても、三瓶山高原道路に合流することになるので、三瓶山高原道路をぐるっと回って宿に向かうオプションコースに向かうには大変都合が良い。地形図によると、一旦100m以上登って少し下っているので、登り総量は増えそうだ。
 時間はこの段階でまだ16時。ここまで予定は未定などとあまり真剣に考えていなかった、宿到着前の三瓶山周回。やや疲れているし腹は減ったし、でもこの時間なら行っとかないと、あとで後悔するだろう。まあいくら何でも、到着時刻が夕食予定の18時を過ぎはしないだろうし。

 森の中の道は静かだったが、ずっと走ってきてこの時間、斜度10%はやや厳しい。しかし途中から周囲は牧草地に替わるとともに、風がすっかり涼しくなった。もう標高600mを超えている。
 三瓶山高原道路との合流点には、地形図によると高原道路に自転車専用道路が並行している。山腹北面の北ノ原まで、多少下って登り返しがある高原道路より、こちらの方がアップダウンは少ないように見えたので、行けたら行ってみようと考えていた。現地では交差点の道端の森と茂みが濃く、その中がよくわからなかった。私が知る山中や平原の自転車道の現況を思い出し、廃道になっていても全然おかしくないと思ってそのまま三瓶山高原道路の反時計回りに少し進むと、すぐに森の中から道が降りてきた。様子を伺うと、凸凹や落ち葉など無く思ったより綺麗な、ごく普通に自転車道っぽい路面が森の中に続いているのが見えた。これならきっと通りやすいに違いない。今日1日、山間のどこにも熊注意の看板は見ていない事だし、こちらへ進むことにした。

 自転車道は地図で読めたとおり、この区間の三瓶山高原道路より登り下りが少ない。そして静かで通りやすく、森の中は緑に染まってしまいそうに木漏れ日が明るい。三瓶山高原道路から少し離れた森まっただ中に道が続くので、少し寂しくなってきたところで、16:45、北の原着。
 標高610m。自分で登っているのでわかっちゃあいたが、やはりなかなか登ってきているね。等と思いながら再び高原道路に合流して更に先へ進む。もう宿まで10kmを切っているこの段階で、まだ17時になっていない。道ももう概略下り。のんびり進めばいい。
 三瓶山高原道路は、基本的に森の中に続いた。広葉樹林の森はなかなかのボリュームで、夕方になって緑がますます鮮やかだ。しかしそれでも、晩秋や初冬の正午より、余程太陽は高い。途中の駐車場やつづら折れ区間、西の原では森が開け、その度に三瓶山が新緑もりもりで立ちはだかり、下界が見渡せたりしてその度足留めさせられた。
 明日下る予定の分岐を見送った後、最後は森の中から看板が現れ、17:15、本日の宿「さひめ野」着。取付はコンクリート舗装の激坂だった。もう構わない、迷わず押してしまう。登りきったエントランスのアプローチから、三瓶山西側山裾と中国山地が見渡せた。夕焼けと早朝の雲海が見事らしいとのこと、明日は曇り予報なので、朝の展望は期待できないかもしれない。
 夕食は18時からの分が一杯になってしまったとのことで19時からとなった。宿の値段が値段だけあり、お刺身に石見牛を始めなかなかゴージャスでたっぷりと美味しい。
 大満足の1日だった。

■■■2022/5/19
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
2022/5/1(日)中国地方Tour22#3三瓶温泉→広島

三瓶温泉→粕淵→因原→瑞穂→大朝→千代田→宇津→広島
RideWithGPS>
https://ridewithgps.com/trips/88808524

 外が明るくなると共に、かなりどんよりの曇りだということがよく見えた。昨日の夕焼けの山々が思い出される。天気予報では大田市は終日曇りとのこと。広島市では午前中曇り、午後は晴れだ。どちらも昨日の朝まで今日5月1日も晴れの予報だった。まあ、連休後半の明日以降は3日間晴れるらしいので、雨さえ降らなければ良しとせねば。
 今日は広島へ向かう。約15年前、某導入促進事業強制労働の広島検査前泊で教えていただいて以来、広島お好み焼きが大好きになってしまった。会社に戻ってからも、会社近くで見つけた広島お好み焼き店(良い店があった)に毎週通っていたほどだ。そのため、一度自転車で広島を訪れ、夕食に広島お好み焼きを食べなければならないと考えていたのだ。40年前どうしたこうしたとかよりも重要な、今回最大のミッションなのだ。
 広島入りの経路決めにはいろいろと悩まされた。狭い山間や狭い海岸部が近郊〜市街地になっていて、そこを幹線道路が経由していて脇道に乏しく、経路の潰しが利かないのだ。経路に悩むうち、広島市街に続く太田川に山間の渓谷で突き当たる国道261を見つけた。太田川の渓谷から川沿いに続く道は、広島駅近くまで唯一の車が少なさそうな道であるように見えた。そのため、太田川までは国道261経由となる。これが第1案。もう一つ第2案は、三次経由のコースだ。第1案より多少大回りなので距離が20km長い代わりに、登り標高差が多分100〜200mほど少ない。特に後半は裁けた近郊地帯を通るため、幹線道路区間が多い。こちらも市街地区間の終盤で太田川沿いを経由できる。この2択を昨日の疲れ次第で決めようと思っていた。今のところ、身体が深刻に疲れているという感覚は無い。第1案で行けそうだ。

 6時半から荷積みを進め、7時予定の朝食には6:50から望むことができた。とろとろに脂のりのりのどぐろ干物と、席で沸かしてくれる宍道湖しじみ汁が素晴らしく美味しい。まあ、ホテルの値段が値段である。
 7:25、さひめ野出発。まずは元三江線沿線の町、粕淵へ。走り始めても意外に脚が動くようなので、第1案で行けそうだ。
 三瓶山高原道路から細道で裾野の牧場を経由し、山腹の森へと細道が続く。出発早々、粕淵手前で合流する道の2択分岐が登場。当初向かう予定にしていた林道の路上に杉の枝が積もり気味だ。登り返しが20m弱程度とはわかっていても、目の前の道が登り返している。それに、この先多くの区間が森の中っぽい。昨日1日走って、自分は里の細道が好きだというのを思い知っていたこともあり、素直に里方面へと向かうことにした。
 里方面の道は県道40。昨日三瓶山高原道路へ向かった車の多い県道40が、粕淵へと降りてゆく谷間の道である。長原で県道40に合流すると、こちらでも朝っぱらから相変わらず車が多い。しかし県道40に並行し、旧道っぽい細道が山肌に張り付いて粕淵まで下っているのを、地形図で確認済みだ。合流した県道40の道幅が広くなったお陰でつい調子に乗って下り速度を上げてしまい、最初の細道分岐を間違ってしまったものの、少し下ってトラックが画面に戻って来た。分岐で通行止めにはなってなさそうなので、有り難く問題無くそちらに向かうことにする。
 森の中から里の田圃脇へ、再び森に戻ると急斜面に貼り付いて細道は谷間を下って行った。基本的には外側も頭上も広葉樹が覆い被さり時には折れ書けた枝が垂れ下がり、斜面側はごつごつの岩場か法面補強だ。路面はやや荒れ気味で、金属の横断側溝や亀裂段差が現れるものの、苔は中央部だけだったり轍部分はまあ比較的良好だったり、毎日何とかそこそこ通行はあるような形跡がある。森の外側は谷間の空中であり、時々斜面の農村や県道40の喧噪が他人事で眺められる。まあ、朝から凄い道ではある。下る一方で良かった。
 粕淵手前まで森と岩場は続き、高速道路(と思ったら国道375だった)をオーバークロスし、おもむろに集落上手に放り出された。この展開はストリートビューで予習済みだ。

 7:55、粕淵着。切り立つ山に囲まれ、広い谷間一杯に拡がってゆったりと流れる江の川の、狭い岸辺に貼り付いた町だ。東城以来のコンビニもあるという規模の町であり、何だか久しぶりの町の雰囲気には少し戸惑いすら感じられる。などというのも、見知らぬ土地を旅しているという証しというものだろう。
 GPSトラックに身を任せて進んでゆくと、道の脇に草ぼうぼうの線路が現れた。4年前に廃止されたJR三江線である。
 1982年の中国・山陰地方訪問時に、私は三江線に全線乗っている。当時から全線直通列車は1日3本だったので、江津早朝発の列車に狙いを定め、前の晩は山陰本線の波子で駅寝したのだった。三江線ではあの揺れてうるさいキハ11に乗ったにもかかわらず、途中で居眠りしてしまった。既に2週間近く駅寝と撮影ばかりの旅でやや疲れていたのだ。しかし、江の川沿いに続く美しく長閑な農村風景がとても印象に残った。当時から、いつかあの風景の中を自転車で走ったら楽しいだろうな、とは思っていた。のんびりとした田園風景の中、江の川沿いに農村から今いる粕淵ぐらいの町へ、また農村へ。

 今、その希望が実現しつつある。でも、三江線は4年前に廃止されてしまっていたな。あれから40年、私も17歳じゃなくて57歳だ。などと思いながら、江の川に掛かる元三江線の錆びかけた鉄橋を眺め、粕淵の町からGPSトラックを辿っていた。気が付くと、江の川の流れが逆だ。川を遡っているではないか。これは第2案のトラックだ、こっちじゃない。とりあえず逆戻りするより、前方に折り返しできそうな橋を見つけた。
 ふと、道端に建つ建物に何だか親しみやすそうな雰囲気が漂っているのに気が付いた。前庭のような道端の広場に石碑が建っていて、「昭和50年三江線全通記念」とある。その建物は元浜原駅なのだった。じゃ、私が乗った1982年は、全通後7年しか経っていなかったのか。そう言えば、中間の区間でまだコンクリート構造物が新しかったのを、改めて思い出した。そして、帰ってから浜原駅は、長らく全通していなかった三江線の北側区間、三江北線の終点だったことを知った。

 橋を渡って江の川対岸へ渡ると、案の上それっぽい細道が始まった。道間違い込みの回り道で、20分ぐらいのロスとなった。また、この間違いによって、距離は第2案と大して変わらなくなったことに、後で気が付いた。
 江の川の谷が屈曲して折り返す、亀村、野井を回り込み、道は軽く緩く登ったり下ったりして明塚、柳瀬、乙原と、河岸一皮の狭い森を三江線跡とともに続いてゆく。三江線は基本的に道から少し高い位置に通っている。時々現れるコンクリート橋は60〜70年代っぽく近代的であり、踏切では線路に仮設パイプの柵が立てられていた。柵そのものとその錆び方に、もう廃止されて4年も経っているのだと改めて思わされた。そもそも線路跡は草ぼうぼうになっている。それでも三江線跡が時々道の高さに降りてきて、線路跡と道の空間は一体になると、何だか列車かトロッコか何かになって線路跡を走っているような気分になる。
 三江線が通っていた岸の方が、2022年の現状としては向こう岸より民家が少ないように見える。柳瀬からは県道40がこっちに渡ってきたようだった。少し道幅は広がったものの、集落を川岸側で過ぎてゆくと、道は再びかなり細くなった。別人の様に好ましい道である。この細道区間がボトルネックになり、江の川沿いの県道40は、交通量がかなり少ないのかもしれない。
 森の向こうに時々眺める江の川は大河のようにゆったり悠然とした表情ながら、その割には川幅が大河というほど広いわけではない。時々現れる農村の空間感覚は、こぢんまりと可愛らしく何とも居心地が良い。全体として山に囲まれた森ではあっても、山の形はどこかのんびりと穏やかで優しい。そして、集落だけでなく森にも対岸にも、そこはかとなく人の営みの優しい気配、田舎の人里として典型的なような象徴的な雰囲気がが漂っている。独特ですらあるというその雰囲気が、江の川の表情、個性なのだと思った。
 9:20、川本着。粕淵より更に大きな町だ。走り始めて30km全部下りなのに、意外に時間が掛かっている。のんびり走りすぎている。意識していなくても、やはり昨日疲れているのかもしれない。
 川本は粕淵より大きな町のように見える。何か凄い建物が、見上げる斜面に建っている。小学校のようだ。元川本駅舎はほぼ廃止前のまま(と思われるぐらい)キレイに残されていて、三江線に思い入れのある町だということがよくわかる。何だかずっと列車を待っていたいような気分になるが、まだ行程全体の1/4。粛々と広島へ向かわなければならない。便所をお借りしておくに留めておく。
 三江線の谷間に降りてから晴れ始めていた空に再び雲が拡がり始め、辺りは再び薄暗くなり始めていた。ここで天気予報を再確認しておくと、何と島根県大田市に10時から雨マークが付いているではないか。北広島も広島市も天気予報は変わっていないので、先を急いで早く広島県に入らねば。でも、ちょっとぐらいは降られるのかもしれない。5km先の因原で江の川沿いから南へ登り始めるので、山間区間が少し心配ではある。

 川本を出発して岸が再び森に変わった辺りで、ふと後ろを振り返ると、早くも雲がどす黒くなっていた。明らかに予報通り天気が雨に向かって推移している。
 因原では、ずっと辿ってきた江の川岸辺の県道40から、これから広島市までしばらくお世話になる国道261に移った。途端に道幅が拡がって車が多くなり、自転車周囲の空間はがらっと一気に今時の国道っぽく変わってしまった。ずっと立ち寄ろうと思っていたコンビニでパンを仕入れた後、道沿いに昨日の東城からここまで見かけることが無かったロードサイドの大型ドラッグストアが現れた。ドラッグストアでも更に必要物資を補給しておく。というより現実逃避なのかもしれない。道の雰囲気にちょっと当惑していた。
 2日目の登り総量がなかなか縮まらず、その代わりに3日目を楽にしようと、内陸の山越えについ国道をコースとして選んでしまった。安易な選択だったかもしれない。まあしかし、その分登り量が少ない楽なコースにはなっている。昨日の疲れを残さないようこれぐらいなら我慢しようと、緩め優先の行程にしたのだ。地図上では一応納得はしたつもりなので、目の前を通り過ぎてゆく交通量へのショックは尚更行き場が無い。
 でも進まねば。山間区間を前に、空はどんどん薄暗くなっている。

 9:50、因原発。実際の国道261は、やはりという以上に幅広の、今風の国道そのものだ。交通量は何とか許容範囲と言えないことはないものの、昨日からここまでの愛らしい道の数々が何につけ思い出されてならない。しかもこれから登りだというのに、空はますます暗くなっているのであった。
 1つ目のそんなに長くもないトンネルを抜けると、道の雰囲気と交通量はそのままに、辺りは急に切り立った渓谷の底となった。何となく細かい霧粒を感じるような気もする。道には断魚渓という看板が建っていたので、そういう名前の渓谷なのだろう。そのまま脚を進めてゆくと、地形図よりトンネル区間が増えているようだ。山深さが感じられる風景の印象に比べて、斜度が緩めなのも、今日は大変有り難い。
 断続するトンネルを抜けてゆくと、トンネルの狭間、渓谷沿いの広葉樹林に所々旧道らしいかなりの細道が見えた。明るい緑の新緑が生い茂る道を眺め、あの道だけだったら車も通りにくいだろうなとか、あちらをいつかローラー作戦してみたいなどとも思う。

 最後の長いトンネルを抜けると道は少しだけ下り、井原の盆地に出た。道端に「ハンザキ」の文字が目立つ。ハンザキというのは天然記念物オオサンショウウオの別名だ。少し高い土手を通っている国道から見下ろす生け簀に、長さ1m以上ありそうな黒い影が見えた。あれがオオサンショウウオか、でかいぞと一瞬思ったものの、隣にチョウザメ養殖施設等というものが建っていたので、それはもしかしたらチョウザメだったかもしれない。
 GPSトラックが国道から逸れ、細道へと分岐していた。旧道らしいその道は分岐から川に沿って小学校や元役場の脇から井原へと進んで行く。井原は山間の、町と里の中間ぐらいの古びた集落だ。車は一気に少なくなった。計画時、なるべく国道を通らずに済むように、めぼしい細道があればそちらを選んでおいたのだ。何かお店的なものがあるかもしれないと思っていたものの、大して裁けたようなものは無かった。まあ、さっきコンビニに寄ったばかりだし、何かお店に寄るような必然性は無い。もっと晴れた日に通ったら、もっと楽しいかもしれない。
 再び国道261に合流。井原から民家が断続する山間で、遂に雨粒を感じ始めた。振り返るともう後ろの山が霞んでいる。やばい、遂に雨予報が襲ってきた。と思う間もなく間もなく本格的に降ってきたので、道端のバス停小屋で雨具を着込む。まあ、10時過ぎだし山間だし、天気予報の通りだね。
 しかし因原から登りが続いているものの、その登りが地形図の印象からは意外な程、均等に緩々淡々と続いているのは有り難い。断魚渓みたいな渓谷もあるし里もあるし、普通もう少し緩急がありそうなものなのに。峠っぽいと思っていた瑞穂手前のつづら折れ箇所も、淡々とした峠未満の丘越えに過ぎないのだった。中国地方独特の地形によるものかもしれないし、RideWithGPSによる計画でそういう道を比較的簡単に選ぶことができていることが有り難い。

 11:20、道の駅みずほ着。今日もお昼前。何かめぼしい食事ネタがあれば食べていきたいところだが、いや、雨としばし国道の交通量でやや気が滅入っていた。空を見上げても、雲は厚いような明るいようなとにかく低く、しばら雨は止みそうに無い。天気予報はあてにできないかもしれない。何だか億劫で、とりあえず取っかかりに自販機で缶コーヒーを飲んでおく。
 ちょうどその時、バスが来て去って行った。引かれるようにバス停の時刻を見てみると、広島・大田間の、石見交通石見銀山号である。今のは大田行きだった。今日もバス輪ですかあ、と他人事の様に思いながら広島行きを見てみると、1日2本で次の便は17時台だ。いくら何でも、今からここでこれを待つという手は無い。
 天気予報を視ると、ここ北広島町では曇りということになっている。まあ、予報の振れ程度の雨なのかもしれない。それぐらい走れよ、と誰かに言われてしまったような気もしていた。ツーリングの神様かもしれない。

 気を取り直し、やや混雑している道の駅では何も食べずに出発すると、すぐ国道脇にヤマザキデイリーが登場した。幟の「店内焼き上げ」に魅かれて入ってみると、日曜はパンを焼いていないとのこと。ヤマザキデイリーは大弛峠を下った梓山に店舗があるのはじめ、ツーリング中のここぞという時にに助けられることが多い、脚を向けて寝ることはできないコンビニチェーンではあるものの、こういう緩い所がヤマザキデイリーなんだよなあ、と思うのも又確かである。
 ところが何か心破れて店から出ると、雨が何と完全に上がったのみならず、空が明るくなり始めていたのであった。天気予報通りにこれから曇りに移行することが確信できた。またヤマザキデイリーに助けられたかもしれない。

 引き続き国道261でもう一越えだ。瑞穂の町外れが何となくずるずるっと谷間に続くうち、やはり均等に次第にじりじり高度を上げ、いつの間にか位置が進んでいるありがたい道だ。交通量さえ少なければ大分楽しいのに、とも思う。

 地形図では、島根県と広島県の県境に中三坂隧道という3〜400mのトンネルが描かれている。しかし実際には、新道と共に地形図より長いトンネルができていたことは今日大変有り難い。
 トンネルを抜けると、広島県北広島町の看板が立っていた。遂に広島県に入ったのだ、となかなか嬉しい。路面も乾き始めている。
 大朝の盆地手前でGPSトラックに従って町道らしき細道へ。確かここは国道が小さい丘を越えているので細道経由にした区間だ。すぐ国道261に戻る短い細道区間ではあっても、周囲は十分に長閑で車は皆無。一気にツーリングの気分が戻って来た。確か今日はこういう区間をちょこちょこ入れている。実際にも狙い通りに国道の気分転換になっている。

 細道は谷の隙間から盆地に出て、新庄で再び国道261に合流。ちょうど狙い定めたように、浜田自動車道大朝ICの真ん前だ。そのためか、まだまだ広島から遠い山間の盆地なのに、かなり車が多い。ICから吐き出されるように車が国道261にどんどん合流していてがくっと来る。
 そんな国道261でGPSトラックがあらぬ方向へ向かっている。と思ったら、ここはしばし千代田まで、国道261のひと登りを迂回して、細道の県道311へ向かう区間なのだった。
 下市の交差点でつい道を間違えてしまった程の細道は、集落の生活道然とした表情のまま民家、学校脇、田圃から森へと進んでゆく。自分で選んだ道ながら、細道となればこれが県道か目を疑うほど細いのが我ながら面白い。
 農村から抜けて谷間が多少狭くなり、辺りが田圃や畑から川原の茂みっぽい森に替わると、道幅がふたたび拡がった。拡幅しやすいところで拡幅してるんだろう。谷間の川は、なかなかゆったりとした雰囲気を漂わせている。川幅はそう広くないものの余裕たっぷりの優しい表情で、ほぼ平坦に近く緩い下り基調の道に沿ったり、時々拡がる田圃の向こうに離れたり。看板を見て驚いた。何と江の川なのである。朝に通った、あの江の川の上流なのだ。江の川って一体どういう経路なのかと思って後で地図を見ると、三次からこちらに戻るように遡っている、上流部分なのだった。
 川戸から県道311は国道433に合流し、この辺りから青空が現れ、陽が差し始めた。国道433は県道311の細道区間より更に細い道である。同じ国道なのに、ついさっきまでの国道261の喧噪が嘘のようだ。そして、こよなく美しい江の川の渓谷を更に下ってゆく。
 昨日もそうだったように、こういう田舎道ではカジカや鳥の声が響き渡っている。明るい光の中、カワトンボがひらひら、サナエトンボやシオカラトンボがすいすいやって来るのもステキだ。さっきまで輪行に切り替えようかと思っていたのに、今日もやっとこの時間になって、5月のツーリングまっただ中になってきた。

 上漆原から先も谷間の川は江の川なのだが、谷間が急に拡がって、周囲の風景はやや開けた平地の農村となる。一方、国道433は江の川を離れて山中に向かってゆき、道は県道69となった。急に風景が変わっても、こちらは何が起こったのかあまり把握せず地図も見直さず、気楽にやや受動的に行程の進行に身を任せ、山に挟まれた農村風景の中をてれてれ脚を進めてゆくのがいい気分だ。贅沢な連休である。

 12:50、千代田着。中国自動車道の千代田ICは、さっきの大朝IC3つ分ぐらいに、出てくる車が多い。車が多いICからなのか、道の駅はかなりゴージャスなガラス張りの大きな建物となっているのが仰々しく、慌ただしさを盛り上げる。広島という都市が近づいてきたことを感じさせる。
 少し先で道は再び国道261に合流した。実はこの時、合流した国道261が朝通ってきた交通量が多い道の続きだとは思っていなかった。事程左様に土地勘が無いのに、GPSトラックを辿ることで、道を間違えずにいられるのである。しかし地形図の絵面には記憶があり、いよいよ広島市まで最後の大きな登りに推移しつつあることはわかった。そしてこの先、国道沿いの旧道っぽい細道を積極的に選んでトラックを描いていることも思い出した。
 GPSトラックに従い国道261から分岐し、白い壁の倉や見事な瓦の家並みへ進んでゆく。里まっただ中なのに、道端のこぢんまりした休耕田っぽい草むらには、鹿がこちらを眺めていて驚いた。
 行く手には時々やや急な短い登りが現れたり、行く末を疑うような変な曲がり方をしたりもするものの、そういうときはすぐ向こうの国道も、付かず離れずぐらいの距離でじりじり高度を上げているのだった。そして国道から数10m離れただけで、国道を通り過ぎてゆく車はこちらからは単なる映像になってしまっている。こちらの落ちついた路上空間とは全く別世界である。

 谷間の集落が終って国道261に合流、そのまま峠部分へ高度を上げてゆく。車は増えたものの思ったほど悩ましくはなく、まあ何とか許容範囲である。もうあとは数10m順当にじわじわ登り峠を越え、向こうへ下ったら、広島までほぼ真っ平らということもわかっている。
 それでも、本地で峠部分を越え広島市安佐北区の看板が出たときには嬉しかった。陽陰分水嶺の看板も出ている。広島市側は、やや開けてはいるものの狭い山間の谷間である。全体的に緩く傾斜した台地だった北広島町側とは全く違う風景だ。たった400m代前半の峠ながら見事に雰囲気が変わってしまうのが面白い。
 竹迫でつづら折れがある他は、谷間に沿った直滑降をどんどん下ってゆく。途中、GPSトラックはまたもや旧道を経由したりもした。あまりふらふらしないように気を付けながら国道261をどんどん下りつつ、ここまで慌ただしい国道を経由しすぎたかなと思っていた。思えば今日の行程は、徹底的に獲得標高差を下げるため、国道経由を聖域無い適正化として選んでいた。しかしRideWithGPSでの計画値は1800m近かった登り標高差が、今のところ1100m台。14時台でこの後はもう広島までほぼ平地だけなんだから、もう少し無理をして細道を一杯通っても良かった。それでどんなコースになるのかは全くわかっていないのだが。
 とにかく、もうこの後は広島だな、広島に近づくんだから車が増える一方なんだろうと思っていた。しかしその先太田川沿いでは、想像と全く違う展開となったのだった。土地勘が無いということは怖ろしい。

 15:10、宇津で太田川に合流、太田川沿いに2本通る道のうち、静かそうな方の県道267へ。途端に路上の車はかなり少なくなった。
 両側に切り立つ山の間に挟まれた谷間には、広めの澄んだ川面と、落ちついた白い川原が悠然と、というより堂々と続いてゆく。狭い岸辺は基本的に森と切り立つ岩場であり、時々集落未満の民家が断続しつつ現れる。合流点からしばらく広かった道は、空中を飛び越えてゆく広島自動車道の高い高い橋をくぐった先で、かなり細くなった。ご丁寧に「すれ違い不可 車の通行はご遠慮下さい」などという看板まで立っている。何故こんなに広い川にこんなに細い道が続くのかとも思うものの、純粋に切り立つ山のせいだろう。
 向こう岸にはこちらよりは車が多い県道177が、やはり岸辺に強引に貼り付いている。あちらは恐らく、旧道を拡げず一気に新道作っちゃいました系の道なのかもしれない。
 数時間前までの雨が嘘みたいに空もからっと晴れている。雨上がりで空気が澄んだためか、陽差しは鋭い。その陽差しはそろそろ赤くなり始め、緑の森と山肌、川面や風景を鮮やかにして、とてもステキな渓谷の風景が続いてゆく。
 地形図には鉄道が描かれている。2003年に廃止された、可部線非電化区間だ。そう思って気を付けていると、時々線路跡やまだ線路が残っている区間を見つけることができた。可部線非電化区間が素晴らしい、という噂は聞いたことはあったものの、こんなにステキな所を走っていたのか、と思う。しかし2022年の県道267としては、県道40を含む元三江線沿いの道以上に岸辺が狭く岩場が切り立ち、ワイルドな区間が多い。ここもやはり廃止されて然るべき鉄道だったのかもしれない。
 という具合に、今日の行程のやや慌ただしく埃っぽかった印象は、この谷間でがらっと変わってしまったのだった。

 「広島到着16時台はいただきだ、15時台はさすがに無理かな。早く着いたらお好み焼き屋に寄ろう。」などと、まだこの時は思っていた。
 しかし実際には、渓谷区間は予想より長く続いた。あまりに渓谷に癒され、ちょっとのんびり流しすぎたのと、特に後半では太田川が山中を曲がりくねっているため、地図で見た距離と実際の距離がかけ離れていた。更に、朝、粕淵で方向間違いした距離オーバー分が、微妙にここで利いていた。
 長い谷間の後、やっと太田川の谷間が拡がり、対岸が一気に市街化したのがわかった。地図を見ると、もう可部だ。可部線の現在も走り続け、のみならず廃止した区間を部分的に再開業させたほどの勢いがある、可部線の電化区間は、こういう所を走っているんだなとまた思った。それにしても廃止された非電化区間、列車が走っていたらJR西日本屈指の感動的な風景の路線だったんだろうな。

 太田川の土手に道が始まった。そちらを通るつもりで、もう少し手前の砂利道からGPSトラックは既に土手に登っていた。土手の道はサイクリングロードなどという裁けた雰囲気ではなく、単に河川管理道が舗装された細道っぽい雰囲気だ。時々軽自動車も通っている。
 もうすっかり陽差しは色づいているものの、未だに陽差しが高いのは昨日と同じ。向こう岸の市街はこちらよりずっと賑わっているように伺える。川岸に近い道も、車が渋滞気味であるようだ。GPSトラックがこちら岸でよかった。等と思いながらを下ってゆく太田川西岸、ここも意外に距離があった。まあここの長さは地図で見ても納得はできる。
 いつになったら広島の街には辿り着けるのか、と思っているうちにまあ順当に、時と共に脚は進んでいった。高速道路やら幹線国道やらの橋をくぐって、道が県道に変わった後また河川管理道っぽくなり、こちら側の風景も次第に普通の住宅地から市街地に変わっていった。信号待ちの間にロード乗りの方などとお話しするのも楽しく、まさか到着が17時半は過ぎないだろうなどと思いながらのんびり下ってゆく。
 太田川沿いから眺める広島は、大きく賑やかな美しい街である。可部線が太田川を渡ると、山陽本線の広島の次の駅横川のはずだ。と思って太田川を渡ると、川沿いに新緑が素敵な桜並木の遊歩道が通っていたので、GPSトラックトラックから離れてそちらへ脚を向けてみた。もう宿も近いから大丈夫、と思ったら、その後トラックを見失ってしまったので、あとはスマホ地図とアドリブで大都会の裏道を辿ってみた。

 結局、東横INN広島駅南口右着は16:50。意外に時間が掛かってしまった。ビジネスホテルなので夕食の提供が無いため、シャワーを浴びる前にまずは何を置いてもお好み焼き1枚目を優先せねば。これだけ腹が減っていれば、今晩2枚は行ける。
 10年以上ぶりぐらいに広島でお好み焼きを食べるに当たって、お店をどこにするかは悩ましい。東横インでは、ホテルが近所の飲食店を紹介しているチラシが配られていることが多く、泊まるときに大変重宝している。東横INN広島駅南口右はどうかというと、オフィス・マンション街に建っているためか近くにあまりめぼしい飲食店は無いようだ。ましてやお好み焼き。
 少し歩いて既知の駅前店に向かうという手もある。結論から言えばこの際タクシーを動員し、市街中心の有名店に勝負を掛けてみたのであった。パンフレットには少し離れた繁華街の有名店が紹介されていて、それが印象に合ったと思う。それにどうせ私は外様の観光客なのだから、こういうときには観光客らしいチョイスと、使える物を全部使った方が効率が良い。
 17:20、超有名店の「みっちゃん総本店」到着。入口付近の看板には17時半営業開始とのこと、しかし既にお客さんが入っているのみならず、入口に列ができはじめていた。連休中のためか有り難いご配慮である。私の前には10人ぐらいだった列は、私がお店に入る頃には3〜40mぐらいになり、出る頃には更に伸びていた。
 並んでいる間にお持ち帰りの文字が目に入ったので、この際2枚目は持ち帰りで作っていただき、ホテルで食べることにしたのだった。

■■■2022/5/26
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
2022/5/2(月)中国地方Tour22#4 広島→柿木

広島→廿日市→栗栖→松ノ木峠→向峠→六日市→柿木 100km
RideWithGPS>https://ridewithgps.com/trips/88908500

 荷積みに外に出ると、昨日の夕方と同じく、明るい陽差しがすかっと澄んだ空一杯に満ちている。街の日陰がきりっととても涼しい。
 ビジネスホテルでは、6時半の朝食に客がぞろぞろ集まってくる。好きで泊まっている客だけじゃなく、仕事で宿泊する方も多いので仕方の無い話ではあるものの、客の朝を有効に使おうというやる気ある雰囲気が好きだ。そして東横INNでは、セルフ朝食に野菜も肉もご飯もたっぷり準備されている。朝からバランス良く手際よく十分に腹を満たして不安無く出発でき、大変有り難い。

 7:10、東横INN発。今日は島根県鹿足郡吉賀町の柿木へ向かう。最初は廿日市まで都市部の横断だ。GPSトラックには、近年都内などでよくやる、事前組み組みの裏道主体コースを入れている。考えてみると、初めて訪れる大都市でこの方法を使うのは、初めてかもしれない。
 まずはホテルから近くに建つ、世界平和記念協会を一目見ておく。作者は村野藤吾大大大先生。過去の広島訪問時に私が東横INN広島駅前右に泊まる場合が多いのは、この建物が近いということも大きな理由の一つだ。
 まだ人が少ない裏通りから朝日が当たって眩しいぐらいに明るい平和大通りを横断し、アーケード街へ脚を進めてゆく。
 次は平和記念公園だ。建築云々ではなく日本国民として、人としてここは訪問し、平和を祈る必要がある。輝くように鮮やかな新緑の木立の向こうに、丹下健三設計平和記念資料館が見える。平等院鳳凰堂がモチーフだという建物は、外部空間にやはり実際に見てこその感覚が感じられる。内部は未だに一度も訪れたことは無い。毎回出張等の途中で、早朝の訪問になってしまっているのだ。
 世界の丹下以外に、是非とも訪れておくものがある。千波鶴の像だ。東京芸術大学教授菊池一雄さんの作品なのだが、敬愛する池辺陽さんの作品集に(協力)と書いてあるのだ。池辺陽さんファンとしては、平和記念公園に来たらこちらを訪問せねばならない。
 初めての訪問ではないので、千羽鶴の像はすぐ見つかるはずだったが、探すのに少し手間取った。しかし美しい木立の中、まだ人のまばらな公園内を自転車で少しぐるぐる廻るのは、むしろ楽しい。
 千羽鶴の像のどこが池辺陽さんが協力した部分なのかは正直わからない。でも、意外と小さいその佇まい、親しみやすく素朴ながら凜とした表情は、池辺陽さんの建築に通ずるものだ。再び訪れることができたことを感謝し、戦争で亡くなられた方々のご冥福、平和をお祈りしておく。

 引き続きGPSトラックに沿って脚を進めてゆく。市街地の裏道から川を何本か渡り、住宅地、そして海岸へと次第に近づいてゆく。途中所々で大通りを渡り、急に通学中の高校生が増えた後、ほとんど学生を見かけなくなった。今日は連休中日の平日なのだということを思い出す。彼らも始業5分前以内に到着するように通学しているので、こんなに急に学生が増えてすぐに少なくなるのだろう。
 海岸に近づくと、川を渡る橋の海側に瀬戸内海に浮かぶ島影が見えた。商工センター(という名前の物流地域)は一度通ってみたかった。街は繁華街や住宅地だけでなり立っている訳ではないからだ。等と理屈を付けて訪れてみた物流地域、市街地を通る天下の国道2より車は少ないだろうと思っていたのだが、予想よりは車が多い。ましてや通勤時間帯、大型車が急に増えて来た気がする。そして思ったより歩道の状態が悪い。ちょっと我慢して車道を走ってゆく。
 埋め立て地っぽい形をした商工センターの島が、唐突に海岸なのか港なのか運河なのか、とにかく水縁で終了すると、広い道は引き続き次の島に渡ってゆく。
 草が生えているだけの空地から今風の巨大物流施設、その先で直登で空中へ登ってゆく橋が見えた。間違いなくこれから進む道だ。正面から見上げる直登の例に漏れず、かなり高く昇っているように見え、びびった。看板には「はつかいち大橋」とある。そういえば、地図では確かに四角い入り江のような廿日市港の入口を海側で横断する橋を見ていたことを思い出した。ここか。計画時、今日の大きなテーマは広島からどのように柿木へ向かうかであり、広島市内海岸部のコースは横浜川崎でやるような都市部GPSトラックツーリングだと思ってあまり気にしていなかったのだ。
 広い歩道ではつかいち大橋を登ってゆく。ランニングやサイクリングの人も歩道を通っている。見下ろす廿日市港は綺麗な長方形の入り江に、プレジャーボートや漁船がびっしり並んで壮観である。登ってゆくにつれ、海側に明るくきらきら輝く瀬戸内海と宮島が見え始めた。一方、陸側はより高い位置から引き続き廿日市港を見下ろしつつ、その奥に廿日市市街、そして壁のように立ちはだかる山を見渡している。商工センター経由で海側にコースを取って良かった。山の中腹、けっこう高い位置に山陽自動車道が通っているのが壮観だ。あの道を自転車で通ることは無いと思うが、あんな高い所は通りたくない。

 橋から下って、道沿いのセブンイレブンで小休止。今日は暑いので、ここらで上着とモンベルニッカーを脱ぎ、日焼け止めを腕と膝にも塗っておくとするとともに、ここで補給食のパンを買い込んでおく。
 街中裏道でのペースとして適正化不適正かは別に、ここまでたったの16kmで1時間半も掛かっている。とはいえ、この後廿日市から軽い登り返し1回込みのほぼ1発登りで700m台後半、その後はやはり軽い登り返し1回込みのほぼ1発下りで柿の木まで。特に何か難儀するような箇所は無い、粛々と進みさえすれば。RideWithGPSの獲得標高差が1800m近くなのが気にはなるが、そんなにならないはずだ。多分。

 8:50、廿日市発。並木道、商業施設の脇、住宅の裏手とGPSトラックはめまぐるしく道を変えてゆく。広電、山陽本線とそれぞれ特徴的な鉄道の個性が滲む踏切を渡り、住宅地の細道へ。県道の狭い歩道で信号待ちしていると、小学校の遠足に出会った。全体的に賑やかで、こちらも楽しくなる。女の子の一人ががびっくりしたような顔で「こんにちはあ〜」と挨拶してくれた。
 裏道はすぐ廿日市の山裾に辿りつき、山裾から谷間へ。谷間が狭くなり、道の斜度は増え、唐突に県道30へ合流。そのまま明石峠へと登ってゆく。
 谷間というより山に挟まれた急斜面という方が適切な山の狭間に、周囲はあまり民家や業務施設が途絶えることが無く続く。県道30の斜度は6〜7%と穏当ではあるものの、車はかなり多い。何故こんなに多いのかと思うぐらい多い。緑は美しいのだが、何となくこそこそと道の端に貼り付いて、淡々と登るだけになってしまった。どちらかというと登る車が下ってくる車よりやや少なく、こちらの登り側は時々車が途絶える、というのが救いではある。
 斜度は峠手前から多少上がって8〜10%となった。まあこれは珍しくもないし、もともと私は遅い。周囲のそんな峠っぽさを余所に、車は絶える気配が無い。
 明石峠は標高320m。峠の向こうがそのまま峠という地名になっている。峠部分には道路案内風の看板に、「廿日市市峠」と書いてあって、峠の名前だか何だか大変紛らわしい。そして峠を越えると向こう側はすぐに民家が建ち並び、あまり下りもしない。「明石峠とか言われてもね。もう何でもいいよ。車減らしてよ」という気分だ。この先まだまだ登りが続くに当たり、折角稼いだ標高が下がらないのは有り難い。
 佐伯工業団地への分岐などという看板を見て、少しは車が減るのかもしれない等と期待はするものの、実際に分岐を過ぎても車はあまり減らない。実態として交通量が減るような工業団地でもないのかもしれない。河津原を過ぎても、全然車は減らない。集落未満の農村と民家や町工場は絶えること無く続いているが、地形は標高なりに丘陵地形であり、進むと共に次第に高度を上げてゆく。まあ、目立って人が多そうな場所でもないので、劇的にここらで人が減ることは無いのだろう。
 ということは、この通行量は、広島近郊であるが故なのかもしれない。昨日通った国道261も、あんなに広島から離れている一見山の中の北広島で、あれだけ車が多かった。改めて広島という都市の規模を思い知らされた気がした。まあ今回、広島にはお好み焼きを食べるという大きな目的があった。それは今回のツーリングの目的の一つですらある。それに広島近くで狙い定めた太田川沿いは、あんなに素敵な渓谷で楽しかったじゃないか。今日だって広島市内から廿日市へ商工センターを中央突破した区間では、けっこう楽しめていたし。
 もう少し進んだ津田は、県道30の狭さと交通量を除けば、全体的にのんびりとした昭和レトロ系の町だ。大竹へ向かう県道293の交差点でやっと車ががくっと減った。
 津田の町外れから続く農村の栗栖で標高320m。大竹からやってきた国道186に合流し、松ノ木峠へ向かう。その合流点で、更に多くの車が大竹方面に行ってしまったのは大変有り難いことだった。地図によると、松ノ木峠の手前までしばらく曲がりくねった渓谷を遡り、集落らしい集落は無い。そういう道でひょっとすると山中ずっとこれか、と覚悟していたよりは大分車が少ない。実は広島から大竹まで山陽本線輪行でワープしてしまい、大竹から山中に入る手もあると思い、第2案としてコースまで準備していた。しかし大竹まで行ったとしても、車の多さは広島方面から来るのとあまり変わらなかったかもしれない。やはり昨日広島に行った以上、ここまで全自走で良かったんだろうな。

 栗栖からは風景も一変した。佐伯の盆地から小瀬川の谷間、羅漢渓谷に入り込んだのだ。谷間に集落がほとんど無いためか小瀬川は眺めている分には大変清らかであり、切り立った岩場は荒々しい。車はまだ皆無というわけじゃないものの、全く車が来ない時間が1〜2台来ている時間より多い。十分にツーリングの許容範囲だ。そのぐらいの車の量なのに、普通の道幅の国道沿いにこれだけの迫力ある清らかな渓谷がずっと続くのは、他にあまり類を見ないんじゃないかと思う。そして国道なのに、道はあまり埃っぽくない。普段は車がもっと少なくて、今日は連休で普段より車が多いのかもしれない。
 道の駅スパ羅漢は標高500m。地形図には、山中の他に集落も畑も無さそうな場所に道の駅と書いてあるので目を疑っていた。こんな所に道の駅があるのだ。あまり大きな道の駅ではなく、温浴施設以外に何か手っ取り早い食事ネタも無さそうではある。まあしかし、何か食べたいという明確なイメージがある訳でもない。恐らく気の持ちようだけで全て解決するのだ。とりあえずWCに行っておく。

 その先も相変わらず清らかな小瀬川の流れ、渓谷の迫力ある岩場、森の渓谷が素晴らしい。国道沿いによくこんな渓谷があるな、という道である。
 羅漢高原の看板と共に、県道119の分岐が現れた。計画時にここを経由するコースを検討したことがあったので、現実の分岐を前に少し悩む。
 行く手の最高地点は、予定コースの松の木峠で776m、県道119の生山峠は936m。県道119の方が順当に県道らしく登りは多そうだし峠付近で登り返しもありそうだ。距離も多少大回りに見える。しかし県道119は、今ここでは国道186より明らかに細い。確実に車が少なさそうなのが、とても魅力的に思える。
 地形図で獲得標高差だけ概算チェックすると、100mちょっとぐらい余計に登ればいいだけのようにも見える。でも、事前でRideWithGPSで計画していたときは、当然こちらも検討した。獲得標高差は確かそんなもんじゃなく、300m以上ぐらい差が付いていたはず。朝から車が多いにいい加減嫌気が刺していたので、目の前の2択は大変悩ましいものの、ここは安全策でこのまま国道186を進んでおくことにした。

 再び走り始めてから、変速の調子がかなり悪いので触ってみると、幅方向にガタガタとフリーのギヤが動いているではないか。驚愕した。空走時にじゃりじゃり変な音がしていた理由はこれだったのか。さすが某国製だ。帰ってから即交換するとして、そもそもこの先走れるかというレベルの、最悪の調子である。少なくとも、あまり行程の無理はしない方がいい。さっき羅漢高原ではなく、こっちを選んでおいて良かった。そして標高差についても、この後こちらで良かったことを理解するのであった。
 幸いこの後最終日まで、フリーが走行中に分解してしまう事態に陥ることは無かった。

 小瀬川が道沿いから森の向こうへ、そしてどこかに行ってしまい、周囲は次第に狭い渓谷から山間斜面に変わり、栗栖〜松の木峠までほぼ唯一の集落、飯山に到着した。標高600m超、この辺から峠部分に続く鞍部が始まる。こんな山間にどんな山里があるのか、ここまでちょっと不思議な気分で地形図を眺めていた。国道から飯山を望むと、山間の袋のような拡がりに、まばらな農家と休耕田に太陽光発電が目立つ。廃村ではなく、奥には人が住んでいる。ごく普通の静かな山村である。
 標高600〜700mにしちゃ高原っぽい雰囲気が漂う森が続き、12:20、国道436分岐到着。螺関渓谷で既にかなり少なくなっていた車は、ほとんど国道186方面へ下ってゆくようだ。特に何の境でもないこの場所が国道186としては峠部分であり、松ノ木峠は国道436でこの先1kmちょっと。2022年の現状としては、国道186は、広島県から登って分岐を越えて広島県に降りて行く道となっている。こういう峠の構成にも、何か曰くがあるのかも知れない。まあ後の人生でわかるのかも知れない。

 森の狭間、そう広くない農地や牧草地を眺め、国道436は松の木峠へ向かってゆく。冠高原という看板が国道186分岐に建っていたとおり、標高700m台後半だというのにどこをどう見ても標高1000m以上の高原っぽい風景だ。車はやはりかなり少ない。静かな高原の風景が嬉しい。それでもそんな有り難いことが続くのかと少しの間疑わしく、やっとこういう道になったかと安心するまでは時間が掛かった。次回の中国地方訪問では、もう少し交通量を意識し、山陽方面に向かう場合は注意して計画しようとつくづく思った。広島に行こうと思えば、電車を使ったって行けるんだし、現に今回は最終日に新幹線で広島再訪を予定している。
 12:30、松の木峠到着。峠は広島・山口県境であり、山口県側は何と岩国市だ。山口県に広島が北側で接しているのも東京在住の私には斬新に思えるのに、それが海岸方面の岩国市というのが尚更だ。岩国市と言えば、海岸方面のイメージが強い。仙台市や静岡市同様、市町村合併で全国の巨大自治体は大変なことになっているのだと思う。そういえばこちら側も未だに海岸から続いた廿日市市だった。

 山口県に入るとともに、国道436は細道に変わり、急斜面の森を何段かのつづら折れで急降下していった。周囲の森は深く、ここまで登ってきた高原っぽい風景と比べ山間の雰囲気が濃厚だ。今日は陽差しが路上に伸びた広葉樹の梢から差し、木漏れ日の斑が染まってしまいそうな緑色だ。そして木陰部分が、ここまで望むべくもなかったほど涼しい。やっとツーリングの世界に帰って来れた。そして今日、ここまで来て良かったとつくづく思う。
 谷間に降りると森が開け、突然中国自動車道が現れた。標高はまだ640m。中国自動車道が中国山地山奥の、かなりの高所を走っていることを理解した。もう少し東の千代田で中国自動車道を見かけたのは昨日のことだ。 勢いよく下り続け、常国の集落では急斜面に田圃、そして民家が登場。急斜面の集落に、日本のチロルという形容詞をよくサイクリストは使う。ここもなかなかの急斜面集落であり、いい線を行っている。今は田植え作業も道端の草花も蛙もツバメもトンボも真っ盛り、春の賑わいが一杯だ。
 急斜面の棚田をすり抜け集落の生活道へ、国道436はかなり勢いよく下り続けてゆく。集落下手で道幅が拡がった後、周囲は農村から宇佐川の渓谷に移り、また道はぐっと狭くなった。広葉樹が側面の岩場や上から生い茂る、谷底渓谷のくねくね細道。松の木峠のつづら折れ、常国の生活道。この国道436には、400番台国道に求めるものが存分にある。
 所々で対岸の森の外に、建設中の国道436新道を見上げることができた。いずれこの国道436は、松の木峠からずっと拡幅新道に変わってしまうのかもしれない。今日こっちへ来て良かった。

 渓谷の細道が再び拡がってごく普通の国道に変わった。山口県に入ってから黄色いガードレールが目立つ。後で調べると、やはり山口県独特のもののようだ。しかし普通の国道にあまり用は無い。調子に乗って下り始めたら、道の途中から唐突にGPSトラックが分岐し、谷を渡って向こう岸を登り始めているではないか。はいはい旧道旧道とは思ったものの、登り返しはやや唐突だし旧道というには全く関係無い方向へ向かっているし、…。
 地形図を眺め直すと、100m程登り返した集落から隣の谷が始まっているのであった。思い出した。ここで別の谷間に移るんだった。隣の谷が100m高い台地上から始まっているので国道436から登り返す必要があり、それでもたかだか100m程度だと、プロフィールマップではあまり気にならない程度なのだった。
 そして隣の谷への分岐がいくつかある中、国道436からの分岐点が一番標高が高いこの道が、一番登り返しが少なかったはずだ。さっき羅漢高原への分岐で、羅漢高原経由だと登りがやや増えると思った理由がわからなかったことを思い出した。ここの登り返しを完全に忘れていたのである。
 100m登り返すと言っても、落ちついてギヤを落として登れば、県道16という名の森の細道はやはり楽しい。つづら折れから最後に森が開けて台地に乗り上げ、中国自動車道をくぐり、13:35向峠に到着。向峠の峠は「たお」と読むようで、このあと山口県内の小さい峠で○○たお(文字は峠か垰)というのがいくつかあった。この向峠は集落の名前のようなのだが、谷間の最高地点でもあるのがややこしい。
 最高地点が集落の上手であり、道端のお宮の向こうに田圃が拡がっている。ここまでの森の中や急斜面の集落、渓谷など狭い谷間の雰囲気とは打って変わって、山々に囲まれた適度な拡がりの平地がのんびりと開放的だ。てれてれ田圃と集落の中を脚を進めてゆく。どこの田圃もなみなみと水が張られ、カエルの声が響き、田植え真っ最中だ。農家の庭先にはツツジを始め春の花が色とりどり、クマバチが空中で静止したりチョウがひらひらと賑やかだ。
 ガードレールも無い田圃の脇に脚を停め、自転車を置き、辺りを見回してみる。新緑の山が青々と向峠を囲んでいる。見渡す田圃の水面に空と山が写っていて、陽差しに照らされた新緑とともに鮮やかだ。真っ青な空に白い雲がゆっくり動いてゆき、トンビがぐるっと輪を描いてカラスに襲撃されている。やっとこういう風景の中に帰って来れた、とまた思った。

 向峠の集落が終わると周囲は森になり、深谷川の文字どおりかなり深い谷を渡る。深谷川大橋から見下ろす渓谷の高さは100m近くあるかもしれない程で、その渓谷の高さと濃密な森のボリュームに息を呑む。
 深谷川を渡ると向こう側は島根県鹿足郡吉賀町。谷の森を過ぎて再び平地と集落が始まった。谷間の風景はどこか拡がりを感じさせ、向峠とは少し違う雰囲気である。或いはこれが山口県岩国市と島根県鹿足郡吉賀町の違いの所以かもしれない。
 稜線を回り込んだ田野原では、谷間は更に平地っぽく拡がった。谷間は山に囲まれてはいても、谷間の平地がどこか明るく広々と開放感がある。谷底が平らなのと、向峠からずっと下りが緩やかなのが、平地を印象付けているのかもしれない。こういう雰囲気は地図の絵面からは想像できていなかった。訪れてみないとわからないものである。
 この後はもう今日の宿の柿木まで、ほぼ一定に緩緩で下り続けるはずだ。つまり13時台にして今日の行程は、少なくとも登り下りについては早くも完全に一段落したのだった。ここに辿りつくために、午前中車の多い道を多少我慢したとも言える。登り標高差も、GPSの気圧高度計だとまだ900m台。RideWithGPSの過大な登り標高差1800mを警戒しすぎたかもしれない。とはいえ広島からだと他にめぼしい経路は無いので、道に車が多かったのは、やはり昨夜広島泊だったことが原因かもしれない。

 谷間は安定して広く、田圃と農家が切れること無く続き、やや広めの道の表情もあまり変わることが無い。脚を進めても風景があまり変わらないので、気分もあまり変わることなく淡々と下ってゆく。
 こういう安定した下り基調では、例え下りが僅かでも普段と別人の様にすいすい距離が稼げることがある。そのつもりだったが、今日はかなり向かい風が強く、脚を回してもやっと20km/hだ。やっぱり毎日全く問題が無いということは無いものだ。まあ、晴れてるだけ有り難いし、交通量が少ないのは好ましい。

 六日市は柿木までで一番まとまった規模の町だ。計画段階から、宿まで最後の休憩ポイントになると目を付けていたので、とりあえず何かあれば立ち寄ってはみようと、町外れから旧道に入ろうと思っていた。ちょうどその分岐で、道の駅六日市温泉ゆららが現れたので、そちらに脚を向けてみた。
 道の駅としては、併設のゴージャスそうな温浴施設も含め、立ち寄って何かするには不足の無い施設なのだろうと思う。しかし、わざわざ温浴施設の食堂に入ってまで何か食べるのも億劫な気がする。ということは、あまり腹は減っていないのだ。今日は補給計画が比較的上手くいっているのかもしれない。柿木まであと25kmだし、螺関渓谷に続きトイレだけ立寄り、そのまま出発することにした。
 後でわかったことだが、六日町の町の手前に、国鉄岩日線のはっきり残っている未成区間があるようだ。そしてこの道の駅は六日市駅の予定地だったようなのだ。智頭急行や石勝線並みの高規格線が計画されていたとのことなので、それと知っていれば、もう少しきょろきょろして、現代の風景の中にキハ187系か何かが高速でぶっ飛ばす様子を想像し、感慨に耽ったかもしれない。
 六日町の町の先からは、拡がった谷間の比較的通りやすそうな場所に裏道が続くので、積極的にそちらを選んである。六日町まで通ってきた県道16は、六日町で国道187と合流していた。こちらから眺める国道187には、多少車が増えた気がしないでもない。まあしかしそれでもまだまだ全然許容範囲だ。いずれ柿木までには裏道から何度か国道187に戻ることになるものの、全く問題無いだろう。
 こちらの細道は、田圃の1本道から山裾の集落へ、谷間の平地を国道187より多少大回りしながら進んでゆく。農家庭先の花や丁寧に摘まれた石垣、納屋に眺める農機具、農家から路上に生活感がはみ出すような里の雰囲気が大変楽しい。青空の下、開けた谷間の風景は陽差しで明るく、道が山影に入ると冷やっと涼しいのも何だか嬉しい。下り基調でもあるし残りきょりにしちゃあ時間はあるし、落ちついて脚を進めてゆく。ただ相変わらず向かい風が強いので、脚を停めて進むまま身を任せるという極楽状態にはならず、ややしんどいのがちょっとだけ残念だ。
 立戸から七日市へは、国道187が丘を軽く越え、曲がりくねる高津川をショートカットする。こちらは国道のひと登りを避け、高津川沿いの谷間を朝倉経由の大回りへ。トラックを描いた段階では、行程や国道の雰囲気を見て決めようとも思っていたが、行程的に問題無さそうなので、静かそうな大回りへ向かうことにした。こういう道は多分旧道なのだろうな。でも、旧道じゃなくても別に構わない。道が静かで落ち着けるのなら。
 高津川の川岸から田圃、山裾の集落を抜けて畑からまた民家の間へと、人里がずっと続いてゆく。六日町近くで山の裾を豪快に横切っていた中国自動車道は、いつの間にかどこぞの山間に消えていた。国道187から離れて静かになった谷間の山裾に、山の影が増えている。しかしそれでも陽はまだ冬の正午より全然高く、陽差しのニュアンスにも秋冬の弱々しさは全く無い。まだ15時台。もう宿まであと10km台だし、ますますかったるい向い風に焦ることは無いのだ。
 七日市の町を過ぎ、大野原へ高津川の谷間は再び狭くなり、裏道から戻った国道187は渓谷の道となった。相変わらず道幅は普通の国道なりに広いものの、車は少なく、赤くなり始めた日差しが川面に眩しく、こういう時に宿到着がもう時間の問題というのはなかなかのんびりとした贅沢な気分だ。

 国道186から離れ、高瀬川沿いにぐるっと丘を回り込み、16:10、柿木はらだ屋旅館着。
 谷間は背の低い山に囲まれ、こちらも向こう岸もやや狭い平地となっている。原田屋旅館の家屋はあまり大きくない落ちついた木造民家風であり、川沿い1本道の民家の並びに建っている。対岸の狭い平地には川岸に貼り付いて小さな町が続いている。山の背は低くても、川の上流方面には山の青い影が続いてゆき、地形図通りの山深さを十分に感じさせてくれている。
 旅の宿として、絵に描いたような素敵な場所である。最初は津和野に泊まろうと思っていたが、津和野の宿が取れず、ここにしたという経緯があった。しかし実際に訪れて、津和野が良かったんだけどなあと思う気は無くなった。今日の宿はここでなければならない。
 2階の部屋でも、裏手の田んぼから蛙の声が聞こえてきた。夕食も一品一品美味しい。男性向け便所が廊下に開放型で、のれんだけが仕切りとなっているのもいかにも昔ながらの宿である。どうせ今日はお客さんは私一人。
 今回の旅の印象を決めるような素敵な宿だ。山田洋次監督はこういう宿を好きだろうとも思う。2年を超えるコロナ禍の後、まだこんな宿に泊まれて旅ができているのだ。何だか嬉しい気分で、カエルの声を聞きながら灯りを消した。19時過ぎ、まだ外は少し明るい。

■■■2022/6/8
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■■■高地 大輔
2022/5/3(火)中国地方Tour22#5 柿木→赤

柿木→日原→津和野→金谷→萩→赤 114km
https://ridewithgps.com/trips/88951243

 6時半に荷造りに外に出ると、まず空気がきりっと寒い。しかし空は真っ青でまぶしい程朝陽が漲っている。かっと照らされた山々の、日なたは鮮やかに明るい緑で影が青い。高津川の瀬音の他にはカジカが響き、朝の鶏が鳴き始めている。静かな景色は楽しいものの、荷物を積んだらコーヒーを買って部屋に戻るとする。出発時にはレインジャケットを着込む必要があるな。
 今日は津和野経由で萩へ向かい、また内陸に戻って美祢市の赤まで行く。問題はRideWithGPSによる登り標高差が1750mということだ。これでもかなり台地上を通るようにして少なくしたのだ。標高差1750mはそれ程問題は無いのだが、実際の登り総量が多い方に転ぶとややしんどい。まあ今回は計画値より実際の登り標高差が4/5〜2/3ぐらいになっている。今日も計画値より増えることは無いんじゃあないかと思うのだが、行程は粛々と進めてゆく必要がある。
 赤は秋吉台の麓であり、明日のお天気次第では今日中に秋吉台に寄る必要があった。ただ、明日も激晴れ予報なので、今日の到着時刻と登り総量で決めればいい。まあでも、明日晴れるなら明日の朝に秋吉台と出会うのが理想的なのかな、とは思う。

 7時から美味しい朝食をいただき、7:30柿木発。まずは津和野へ。ショートカットの一登り標高差400mを避け、高津川で日原まで下り、折り返して津和野川を遡って津和野へ向かう。
 高津川対岸の町は既に日なたの中だ。橋を渡り、道沿いに低い軒が並ぶ小綺麗な雰囲気の町へ。昨夜は一晩中田んぼと高津川から、カエルの声が聞こえていた。またこの辺を訪れる機会があれば、柿木の原田屋旅館に泊まるべく計画を組むに違いない。そういうことを考えるのは、柿木の町の佇まいが、落ちついてこぢんまりと上品で、旅先として好ましいからだと思う。
 昨日に引き続き、国道187を高津川沿いに下ってゆく。当たり前のように風景は基本的に昨日里の風景が次第に渓谷に推移する続きである。谷間は更に狭くシェッドなども現れ、柿木までの谷間に比べて道の表情が更に山間っぽくなった。道の勾配が緩い下りなのも相変わらずだ。地図から想像された展開通りではある。まだ朝7時台のためか車は時々通るぐらいなので、下流側でどんどん山深くなっている静かな山間の風景を存分に楽しめているのが有り難い。柿木から津和野に向かうのが朝で良かった。
 万瀬で左鎧を経由する旧道っぽい細道を経由してみた。道が細いので、道の外側の空間が道に近づいて、自分も周囲の風景に溶け込めてゆくような気がする。民家の軒、庭先の鯉幟、角の萬屋、畑。朝の山間集落ともいうべき、生活感一杯の風景が続くのもとても楽しい。そういえば今回、鯉幟をあまり眺めていないように思う。
 集落が終わると再び国道187に合流。左鎧で細道を通っている間に、谷間の川原は少し拡がったようだ。もう少し下って8:30、日原着。行く手の谷間が明るく開けているようだ。高津川と津和野川が合流する日原の盆地である。こちらは盆地の手前で高津川を渡り、折り返すように津和野川の谷間を遡って津和野へ向かう。
 津和野川の谷間は高津川の谷より多少広く、両岸に狭いながらも田圃と農村が続く。谷間の幹線道路は国道9、その名も山陰道。田圃と農村を縫うように脇道をが通っていて、少しでも脇道を経由すべくGPSトラックを書いている。
 脇道は少し谷間に続いて国道9に合流したり、また分岐して対岸に渡ったりする。行程の進行は今ひとつだ。しかし、国道9の交通量はツーリングの許容範囲内ではあるものの、脇道が有り難く思えるというぐらいには多い。そして脇道沿いの風景は静かで生活感があり、こぢんまりとした空間が居心地が良いのだった。
 そのうち谷間に国道9と山口線だけになるので、仕方無く息を止めるような気分で国道9を進む。こうなると、確か津和野は近いはず。その通りに、和田で前方に現れたこんもりした山を巻き、国道9と山口線は山中へ消えてゆくのであった。トンネルを抜けた先が津和野である。山から谷間に、またもや鯉幟の列が掛かっている。さっきから眺めている津和野川の谷間、山肌からこちらを見渡す展望を想像していると、ステンレス車体187系3両編成の特急おきが通過していった。山口線、かつて国鉄が復活SL列車を走らせる路線として白羽の矢を立てた理由がわかるような気がした。
 こちらはは山口線がトンネルでショートカットする津和野川の谷間を、細道で大回りしてゆく。森から茶畑が目立つ集落へ、狭い谷だが険しい表情が無い里っぽさが親しみやすい、いい道だ。

 9:20、津和野着。旧市街っぽい道を通っておくべきではないかとは思った。でも何となく、初回は町の実態としての駅前を見ておく方が良いような気もした。結局、町の北側から山口線に沿った県道で駅前を経由しておく。その割には意外に静かな駅前は立そのまま通過して、ローソンポプラをを目指す。ローソンポプラは何とやや深めの瓦葺き、更に看板が普通の青ではなく茶色である。流石は津和野だ。
 出発後約2時間で32km。ペースはあまり良くない。まあ、高津川沿いでも津和野川沿いでものんびりしたしな。等と思いながら、暑いのでアイスを食べておく。あとクリーム系のスイーツでカロリー補給も。
 店の軒下から表通りをぼんやり眺めていると、外国人含みの若者グループが、なぜこんなにてれてれ歩けるんだと思うぐらいてれてれと、笑ったりきょろきょろしながら通り過ぎてゆく。昭和のYH団体っぽいそういう雰囲気が、ちょっとニガテだったせいか、あまりYHで出会った人と一緒に行動するというような旅はしたことが無かった。それにもう大分長い間、そういう観光地のYHにも泊まってないな、と思う。津和野に興味が無くなった瞬間だったかもしれない。
 妄想していないで先に進まねば。9:45、津和野発。次は本日最高地点、標高450mの馬草峠だ。その後は内陸の道を渡り歩き、萩を目指す。津和野と萩は、例えば「萩・津和野」とか、観光上は一般にセットで語られていることが多い印象がある。私など、一続きの町だとすら思っていた頃があった。しかし島根県の津和野と山口県の萩は町としては結構離れているし、幹線道路や鉄道などではつながっていないのだ、ということを今回の計画で初めて知った。
 森鴎外邸の看板を横目に、自分はこういう旧跡系には全く興味が沸かないな、等と思いつつ、津和野の町中を通り抜けて南下してゆく。森鴎外の作品をあまり読んでいないせいかもしれない。これが鶴岡の藤沢周平だと何だか泣けてくるというのに。でも藤沢周平も映画やドラマで見ているだけだ。
 とにかく、津和野で通ってきた道のせいか、小京都として名高い津和野の町は自分にとって観光地っぽい香りが漂っているような気がしていた。昨日泊まった柿木とはキャラの違う町だとは思うものの、あまりいい印象を受け取ることができなかったことは確かで、でもそれも残念な訪問だったと思うだけだった。そういう印象は自分のせいだとも思う。単に通過しただけの訪問だったし、通るべき道を通っていないのだろう。だからツーリングにいつも余裕が無くなってしまうのだ。

 山口線に沿った県道13で名賀川の谷へと進んでゆく。道の駅を過ぎ、谷間次第に狭く、淡々と登ってゆく。山口線も対岸の山間を巻きつつ高度を上げて並行している。確か津和野から次の船平山へは、標高差100mちょっとを稼いでいたと思う。山口線もなかなかの山岳路線だ。SLやまぐち号には是非とも一度乗っておかねば。
 その船平山へのトンネルへ突入する山口線と分かれ、県道13は単独で馬草峠越えへ、ぐっと狭くなった狭い谷間の底を、やや斜度を上げて緩々と登ってゆく。10時を過ぎて陽差しがもうかなり高く鋭く、時々山影に入ると日陰が涼しい。こういう季節になったか、と嬉しくなる。
 徳次で標高400mを越えると、斜度が一段落し、狭かった谷間が拡がって農村が断続し始めた。もう少し登った田代では早くも山の鞍部に乗り上げたようで、道沿いに休耕田が拡がった。使われている田圃もある。昨日の松の木峠手前の冠高原と似た展開だ。しかしこちらの方が稜線部分がかなり低く、鞍部全体が平坦な地形のように思える。風景の雰囲気は平地っぽくなく、あくまでけっこう高原ぽい雰囲気が漂っているのが面白い。2日目に通ってきた、山深い広島県東部とは一線を画す不思議な地形だ。山口県と言えば島としての本州の西端部、この不思議な地形は先端部故かもしれない。
 等と思いながら馬坂峠を通過する。標高450m、ここから再び山口県だ。山口市の看板が出て、来たなあ、と言う気分になる。まあ、どこもかしこも市町村合併で自治体が広いというだけのことかもしれない。

 県道13が国道315に合流する手前、旧道っぽい細道に入り込む。国道315の喧噪を数10m〜400mぐらい向こうに眺めながら、東居坂、西居坂と山裾の静かな農村をつないでゆく。畦道のように細い道にぽつぽつ民家が点在し、そこそこ裁けた県道で構えていた気持ちがほどけてゆく。我ながら他人事のようだ。
 細道なら細道のまま、たかだか60mぐらい登る金谷峠へ向かうべきとも思うのだが、何となく突如現れる10%を警戒したのと手っ取り早いのもあり、20mも登らない国道315の割嶽トンネルへ向かうことにした。
 割嶽トンネルの向こうは早くも萩市である。ほとんど登らない分、出口の向こうもあまり下らない。そして自分で選んだ道ながら、車は皆無という訳ではない、と思ってしまうぐらいにやはり車は多い。後でRideWithGPSの標高差計画値が1750mだったのに比べ、気圧高度計による実際の登り標高差が1150mとかなり少ないことがわかった。どうせそんなに登る訳ではなかったのだから、この区間では金谷峠に行っとけば良かったかなと思う。
 11:20、金谷着。国道315から県道13が再び単独で分岐する、交差点の道の駅「うり坊の里」に少し脚を停めてみた。付帯施設としての売店・軽食部分はやや簡素な、休憩施設としての道の駅なんだからね、という雰囲気がある。或いは早い時期に設けられた道の駅なのかもしれない。私が最近のゴージャス系道の駅に頼りすぎていて、道の駅に期待しすぎなのかもしれない。
 それに何となく何か食べたかった気はしていたものの、例によって具体的なイメージは無い。水だってまだ十分にある。ここでは原田屋旅館に作っていただいたおにぎりを頂くとし、特に道の駅では何も仕入れずに済ませておく。

 金谷からは県道13で、伏馬山裾の南側を回り込んで萩方面に向かう。山奥ではないが丘陵でもない、かと言って平地という程真っ平らでもない台地上に県道13は続いていった。交通量は国道315よりがくっと少なく、GWでやってきているような雰囲気の車が目立つのみだ。それ自体は落ち着ける要素なのだが、道の表情がやや広域農道然とした雰囲気なのが多少物足りない、気もする。
 田圃から集落が断続する途中、民家が途絶えること無く続いているのも特徴のようだ。まるでゴーストタウンのように色褪せた看板の商店が数軒並ぶ、30年前は元市街地だったのかもしれないと思わせるような集落も現れた。昔は地域全体で栄えていたのかもしれない。
 伏馬山の裾を過ぎ西へ進む。鈴倉から細道の県道315で狭い谷間、畑からおそらく県道10の旧道と思われる県裏道で谷間の裾から集落を抜け、裏道が県道10に合流すると、丘陵を広域農道っぽく豪快にトンネルと大きな線形で突っ切っていった。この辺り、地形の展開が複雑なのに道が分節的で、更に県道10新道区間(と言っても決して新しくない)が地形図に載っていないので、全体としてあまり印象に残っていないのが残念である。登りと言っても鬱陶しいだけで大して登らないのは計画時にわかっているし、計画時に印象に残っていないぐらいの道だから、あまり印象にも残らないのかもしれない。道の駅ハピネスふくえも、看板が現れ始めた時点では「道の駅が現れたら立ち寄って何か食べなくちゃねえ」とは思っていても、いざ現れた道の駅はやっぱり通過してしまった。
 県道11に移り、次第に車が増え始めた丘越えから予め選んでおいた細道分岐へ。一度見逃して戻ったその道は、舗装されているだけの細い山道のような里山急降下系みたいな道だ。トラックを書いてなければ絶対入り込まないだろうと思いつつ、山裾のごみ処理上の脇から集落の上手へ下り、細い川沿いに山陰本線をくぐって萩の西側へ出た。
 山から漁村の裏手に下ってくる展開と細道の雰囲気は、南房総の海岸部に似ているように思う。しかし漁村の軒先を抜ける細道の上に掛かる、架線が無いシンプルな鉄橋の開放感は、非電化線たる山陰本線ならではである。以前乗車した山口県内の山陰本線で見た、漁村と青い海と海岸の森が続く素晴らしい風景を思い出す。

 12:50、萩到着。ちょうど賑やかな国道191に出た所でセブンイレブンの看板を見つけた。萩と言ってもまだ東側の町外れ。とりあえずそろそろ脚を停めてもいいタイミングだし、ほぼ自動的にセブンイレブン反射炉前店に自転車を停めてみた。
 ただ、コンビニへ入っても、特に何か心から食べたいようなものは無い。今日は有り難いことに補給計画に抜かりが無いのだ。いや、田舎道であっても、あまり山間には入り込んでいない里ばかりだから、とも言える。大して走っていないので腹も減っていないとも言える。とにかく、昨日買ったものとはいえパンだってまだ残っているのだ。ただ何となく安心するためだけにコンビニに入っているのかもしれないなおれは、等と思いながら外で缶コーヒーを煽ってみる。
 コンビニの駐車場が「萩反射炉」の駐車場に面していて、その反射炉の説明看板が立っている。反射炉か。長州藩縁の進取の気性がある方が先進の技術を導入されたんだろうな。どうやって作ったのか、建築系の人間として見ておくべきかもしれない。しかし、私は誰がどうしたこうした的な、歴史旧跡にあまり興味が沸かないという習性がある。反射炉については技術史的興味が無いわけじゃない。でも、そういう旅をする才能が無いんだろうなといつも思う。さっきの津和野に引き続き。
 GPSトラックに身を任せ、萩の市内へと進んでゆく。途中、国道191が山陰本線を越える陸橋で、歩道を登りながらGPSを見ていたら、道端の(あり得ない)大きな枯れ枝に激突してしまった。幸い低速だったこともあり、がしゃっという大きな音に驚いた以外に大事無かったのは有り難かった。しかし、普段から事故は全てあり得ないと思っているから起こるのだ、と思っていてもこういうことが起こったことには、ショックを受けた。あるいは、さっきから何となく気分も含めて疲れているのかもしれない。毎日行程を緩くしているのに。歳だね。
 何となく打ち砕かれ疲れたような気分のまま、それでも脚は進めてゆく必要がある。そのまま、海岸はとりあえず向かわねばと思って描いたGPSトラックに従い、とりあえず海岸を見ておこうと何の気なしに菊ヶ浜へ向かって進む。川岸沿いの町並みは古風で落ちついていて上品だ。河口部分の川も川岸の松並木も、町中としては鮮やかで美しい。空は青空だし陽差しは明るい。何も不満は無い。
 海岸に出た途端、目の前に砂浜と日本海が開けた。菊ヶ浜だ。
 真っ青な空の下青緑の日本海、緩やかなカーブの眩しい白浜に寄せては返す静かな波、すぐ先の半島まで短いものの風景としては十分な長さの海岸線。水平線まで開けた空間、青と白の色彩は、今日ここまで無かった風景である。浜沿いの県道には車も人も少ないし、ブロック舗装の歩道にはフェンスが全く無く、歩道状に何の突起も無い。足下からすぐ白浜の海岸が始まっているのである。それが他ではあまり見たことが無い開放感の要因かもしれない。整った菊ヶ浜の曲線が存分に活きる、大変心憎い演出だ。というより、萩の人々にとって、この風景が大切なものであることが伺える。こちらに向かって正解だったということがすぐにわかった。
 沖には大小の島が浮かんでいる。山陰にこんなに島が見える場所があるなんて、地形図で計画していた時には全く意識していなかった。五島列島Tour19での離島サイクリングを思い出し、船でこの島々に渡るとどういうことになるのだろうなどと思う。
 これこそ旅先で見たいものだ。自分はこういう風景を見にサイクリングしているんだ、とつくづく思った。これだよこれ。

 気分が盛り上がったまま、引き続き萩城址へ。萩城は城址内へ自転車で行けるのだと驚きつつ、何となく脚は海岸方面へ向いてしまう。やはり歴史系より空間系の方が多分興味があるのだ、と我ながら今度は何だか可笑しい。
 石垣の隙間から海岸へ出ると、期待通りさっき眺めた菊ヶ浜を半島側から眺めることができた。しかし同じ砂浜でも、こちらは海に突き出した半島の小さい湾から、正面に向こう岸を眺める風景となっている。菊ヶ浜で感じられる、沖合の水平線の向こうへの拡がりとはまたひと味異なり、こちらは海岸の漁村や山裾の畑、人々の暮らしに思いが馳せる、そんな風景なのだ。
 城から見える風景としては、こちらの方が素敵だ。萩城、なんて美しい風景と町並みが眺められる城だったのだろう。萩の人々が眺めてきた風景が、萩の歴史の重みを教えてくれるようだ。萩に訪れたかそうでないかで、長州藩や何年か前の大河ドラマの印象はがらっと変わるなと思った。

 萩城址の次、GPSトラックは遊覧船が通り過ぎるお濠沿いに更にの西ノ浜へと向かっていった。
 海岸沿いの住宅地を抜けた西ノ浜も、小さな湾と砂浜、岸辺の松が素敵だ。地元の人しか来ていなくて、何だかプライベートビーチ風に大変静かなのもいい。奥の陸側に最終処分場が建ってはいても、静かでとてもステキな海岸である。こういうところはしっかりばっちりトラックを組んでいる自分が少し可笑しい、というぐらいに前向きな気分で楽しめた、萩の海岸3箇所セットなのだった。
 14:30、萩発。町の西側へと橋本川を渡り、玉江駅前から国道490へ。宿まであと20kmちょっと。登ってもせいぜい200m台、車が少なさそうな道を選んでGPSトラックで繋いでいる。
 国道490に入った途端、さすがは400番台国道、交通量が急に少なくなった。山に囲まれて田圃と農村が拡がる谷間の表情は、何となく南伊豆松崎の岩科辺りに似ている。途中で大型車通行止めの看板とともに分岐してゆく細道旧国道を見送り、その細道旧国道の旧道だった道をそのまま拡幅したと思われる新道区間へ進む。登り総量は変わらないと思われるのだが、旧国道は最後に凄まじい激坂が登場しそうに思えたのだ。しかし、これも今思い出すと細道旧国道でも良かったかもしれない。
 新道の谷間は高度を上げると共に次第に狭くなり、眺める山肌には標高100m前後にしちゃ険しさが感じられるようになっていった。斜度は一定していて、道幅が広いのにも拘わらず、相変わらず車が殆ど来ないのがいい。
 池ヶ峠の手前で、旧国道が脇の茂みの中から浮き上がってきたように現れて新道と合流。そして池ヶ峠で、道は急に道が細くなった。RideWithGPSのプロフィールマップでは、この先、国道490は微妙に登り下りを続け山中を推移してゆくように描かれていたのがちょっと不思議だった。実際の道も、細道が森の中をくねくねと、細かくアップダウンを繰り返してなかなか下り始めない。途中1回拡幅済み区間になってまた狭くなったりしつつ、地形図とGPSの線形が一致しているので、これが国道490本来の道なのだろう。地図では道が妙に近づいているのに合流しないので、注目していたが、案の上道がちらっとしか見えないぐらいに高低差がある。
 不思議な地形と道。そして明るい若葉の広葉樹と、深緑の杉が断続して登場する森は、鬱蒼とした影ときらきらの木漏れ日が楽しい。これぞ400番台国道、国道490は最高だ、と嬉しくなった。今日も素敵な道を走れていること自体が嬉しい。
 しかし、地図を確認しようとして気が付いた。今日の宿が載っている次の地形図、1/5万「山口」をなくしてしまっているのだった。さっき萩から国道490を登り始めたときには絶対一度眺めているので、池ヶ峠までの間どこかで落としてしまったに違いない。GPSトラックからは外れていないので道の心配は無いし、GPS画面の地図は1/2.5万相当の地形図だ。スマホだってあるので地図を全く見ることができない訳じゃない。宿まであと10km台だし、もう明日は最終日。あまり問題は無いようにも思える。でもその後は何となく落ち着かない気分が続き、いかに自分が地形図依存のツーリングをしているかを思い知らされた。

 野呂戸で稜線部から里に下ったかのように見えた国道490は、殿河内で里への下りから分岐し、笹目峠へと再び登り始めたようだった。しかしさっきの池ヶ峠と違い、狭いながらも谷間にはずっと田圃や畑、或いはそれらのなれの果てのような茂みが続いていた。こういうことも地形図を気軽に確認できないと、見える風景をそのまま眺めるだけになってしまい、あまり面白くない。
 笹目峠は、一般的な峠という場所の斜度の変曲点より、集落の道と道、あちら方面とそちら方面の分岐、という雰囲気が漂っているのが特徴的だ。そのまま里方面へ下ると順当に道幅が拡がり、二反田でやや車が多い県道32に合流。銭屋で県道32から杉野峠方面へ分岐して、やっと車がいなくなってほっととした。
 杉野峠は峠と言いつつもう丘越え未満。穏当な起伏の丘陵とそこに拡がる農村、そして細道というのがこの辺りの特徴であり、峠は国やエリアの境というより目印としての地名なのかもしれない。
 サファリランドのバス停前を通り抜け、16:30、赤「ほっとびれっじ美東」着。考察より風呂だ飯だ。

 ここまで4泊、タイプの違う宿に泊まってきた。5泊目のここは、一番カジュアルな旅の宿という雰囲気だ。「サイクル県やまぐちサイクルエイド」のポスターも掲示されている。サイクル県やまぐち、言ってくれるじゃん。
 とか斜に構えているのは、RideWithGPSによる登り標高差が1750mだったのに、実際には1150mだからかもしれない。津和野から萩までもう少し道が静かだと、今日は最高だったんだが。後で思い出すと、やはり計画時に標高差を意識しすぎて里の道を選んでいたことが、コースにややメリハリに欠ける印象が続いた原因だったかもしれない。

 お風呂は近くのトロン温泉へ。帰ってきたら、まだ17:30。食事開始の18時でもまだ明るい。食べ終わってやっと少し薄暗くなってきた。

■■■2022/6/20
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■■■高地 大輔
2022/5/4(水)中国地方Tour22#6 赤→新山口

赤→秋吉台→広谷→大田→新山口 37km
RideWithGPS>https://ridewithgps.com/trips/89051278

 明るくなり始めた夜明けの空は、雲一つ無くすかっと晴れていた。青い影の山の上に陽が昇り、辺りを真っ赤っかな光でかっと照らし始めると、夜明けの風景が絵のように真っ赤っかになった。こんな色になるんだな等と思うほどだ。
 荷積みの時間にはまだかなり早いものの、外に出てみたら今朝も寒い。今回、毎日出発時は寒いのでレインジャケットを着ている。持ってきて良かった。そして自販機でコーヒーを買うお金は持ってきたのに、カメラを忘れてしまっていた。写真を撮っていなかったのが今となっては悔やまれる。

 今日は最終日。まず大前提として、自転車行程を終えてから、輪行帰路の途中下車で広島にもう一度立寄り、お好み焼きを食べる。そして広島から東京まで、諸般の事情で溜まった新幹線エクスプレス予約のグリーン特典ポイントを投入し、普通指定席料金でのぞみグリーン車に乗る。
 過去の経験から、お好み焼き屋は広島駅で十分に美味しく食べられるというのが私の持論であり、それがこの計画の前提でもある。
 また、乗車距離に関係無いグリーン券特典を、例えば名古屋・東京間で使ってしまうと勿体無い。東海道新幹線に乗る機会が比較的少ない私が特典を有効に使うのに、広島・東京間の乗車は大変都合が良い。乗車直前まで予約を変更できるエクスプレス予約のメリットが活かせるという点から考えても、往路の品川・岡山でこの特典を使ってしまうことよりも帰路の広島・東京の方が圧倒的にトラベルチャンスなのだ。我ながらかなりキレイに填まった目論見なのだ。
 そういうミッションがあっても無くても、山口県が日本に誇る秋吉台には行っておかねばならない。3年前に行った五島列島同様、小学校の日本地図、西日本に「秋吉台」の文字がダントツに目立っていた。まさか57歳の初訪問になるとは思っていなくても、いつかは訪れることになるのかなーと思ってはいた。まるで他人事の様に。
 計画時、あまり何も考えずに秋吉台経由で描いたコースは、秋吉台の裾野を行ったり来たりしてやや念入り目に回ってから新山口へ60km、さらっと回って新下関へ90km。一方、新幹線は一番遅いパターンを想定して東京22時前着とし、広島17:50発の大型手荷物置場付席を押さえてある。でも旅程六日目の今現在、正直な気持ちとしては、できればもっと早い時間に帰ってゆっくりしたい。例えGW連休最終日の明日を、丸1日お休み日として確保していても。
 ということで広島15:50発とし、広島でのお好み焼きの時間を含めると、終着は新山口にしておく方が無難だと思われる。一方地形図で眺める限り、新下関又は新山口への道に特に目立って楽しそうな道は無い。このため、今日の自転車行程終着は、秋吉台を見終えた時刻で決まると思っていた。

 7:40、ほっとびれっじ美東発。昨日通ってきたサファリパークの分岐で秋吉台方面の県道242へ。そのまま県道242はするする山裾に取り付いて山腹を登り始めた。
 森の中を70mぐらい登ったところで道端の森が切れて放り出されるように周囲が開け、落ち込む谷から見上げる稜線まで斜面の草原となった。空には雲一つ無いので、上下に広がる草原の緑と空の青の大空間に、自分が包まれている。唐突に秋吉台が目に前に現れたのだった。
 秋吉台のすぐ麓に宿を予約して、どこかでそうなりそうな道を意図して通っているので、これは順当な展開だ。しかし、現実の空間はいつも想定を上回る。今日は秋吉台で時間を取るべき、とすぐ思った。頑張って新下関へ行ったりせず、穏当に終着は新山口で間違いない。決めてしまえば、もう先を急ぐ必要は全く無い。
 脚を停め停め谷と丘を見渡しながら、県道242は高度を上げつつ丘を巻いてゆく。谷を挟んでこちらも向こうも、斜面一杯の草原は明るい緑で爽やかだ。草原に無数の小さな白い岩がぼこぼこ突き出しているのは異様ですらある。下に鋭く落ち込む谷間は怖ろしいほどだ。そして彼方の山々へ続く低山と里山風景、その上に拡がる真っ青な空。陽差しは鋭いものの朝の空気はきりっと冷えている。8時とはいえ、まだ視界に人影をほとんど見かけない。静かな、しかし陶酔するような開放感の中、空の中を鷹みたいな猛禽っぽい鳥が悠然と舞っている。「これがカルストだ」というような風景だ。さすが秋吉台。
 面白いのは、これだけ人里離れした高原っぽい風景に続いて牧場がすぐ下にあるし、向こうの稜線近くには牧舎がある。その向こうには畑や里山が続いているのだ。そういえば確か宿に貼ってある観光ポスターに、「カルストは昔から農業に利用されてきた」というような事が書いてあったのを思い出す。現実に農村まっただ中に建つ宿からほとんど走っていない。標高もなんとこの辺でまだ200m台。秋吉台が人里のすぐ隣、こんなに低い場所にあるのだということがよくわかった。

 誰も居なかった路上にいつの間にかバイクが現れ、そして車が少しづつ増えてきた。自転車はまだあまり見かけない。サイクル県やまぐちなのにね。
 展望箇所的に道幅が拡がった場所があり、車やバイクが脚を停めている。少しづつ気温が上がってきたので、私もそこで上着を脱ぐことにした。

 谷間から立ち上がる斜面を巻いて高度を上げてきた県道242は、標高300mまで登ったところで縁を越えるように台地上に乗り上げた。
 台地上は開けた草原に無数の岩が突出ているという風景の基本構成は変わらないものの、斜面というよりは起伏のある平原(実際は傾斜はけっこう厳しそう)である。その台地を、県道242は大きな線形で時々小さい波を越えつつ進んでゆく。近くの草原には遊歩道らしい柵と、あまりハイキングっぽくない格好の人々が見え始めた。柵は平原の奥の丘へ延びている。そちら方面へ遊歩道を歩いて行ったら、山越え谷越え秋吉台を満喫できるのだろう。秋吉台ぐらいの広さだと、フルで回って全部で2時間弱ぐらい、いや、3時間以上かもしれない。今日は行かないかな。どこか安心できる場所にに自転車を置く必要がある。やはりこういうことを考えるときには地形図を見たい。
 行く手の縁に森らしい木立が見える。その辺りで草原は森に替わっていて、秋吉台の台地は麓へ下り始めるようだ。その辺りには宿泊施設らしい建物が何軒か建っている。多分秋吉台の端っこなのだろうな。
 まだ遠いと思っていたその辺りは自転車だと近かった。そして森に入るとともに、道がおもむろに下り始めた。「秋吉台がここで終わりなんだな」と思いつつ、県道242から脇道へ分岐し、そのまま道なりに展望台への分岐(という看板が立っていた)辺りを過ぎて麓まで下ってしまおうとして、それでもまだ9時半前。やっぱり折角なので展望台は観ておこう。
 交通整理のガードマンさんが、自転車はこの先に停められると案内してくれた展望台下の駐車場へ向かう。木立に囲まれた道のせいでどこまで登り返す必要があるのかわからなかったものの、行ってみれば駐車場は下って来た道のすぐ上だった。そして自転車用と案内された駐車場は、いくつかあるうちの一番展望台に近い駐車場だったのが有り難かった。

 展望台からは、秋吉台のダイナミックに起伏して拡がってゆく草原が、県道242とはまたひと味違うアングルで見渡せた。というより、こちらが本来の秋吉台の展望なのだ。一面の草原、無数に隆起する小さく白い岩、訪れたことが無くても一目で秋吉台という事がわかるような風景。改めて、この風景がたかだか300〜400mぐらいの場所に拡がっていことが凄いと思う。四国カルストは標高1000m〜1500m、本当の高原だし。そういう意味で、超一級の風景が誰でも行きやすい場所から楽しめるという、真の観光地たる条件(私的基準ですが)を、秋吉台は備えていると思った。ちなみに以前、上高地でもそういうことを感じた。
 でも、展望台からの秋吉台は感動はしたものの、ちょろっと眺めて満足したような気になった。やはり私はこういうのはニガテなのかもしれない。本当は歩道を奥まで歩けばもっと楽しいだろう。秋芳洞まで下っているというエレベーターにも興味がある。
 でも初めての秋吉台にとても満足できたこと、全体的に最終日に相応しい今回の旅でも印象的な体験だったことは間違い無い。何しろ天気が抜群だったし、訪れた時間帯も良かった。そして行程と風景の展開が良かったから、宿も赤「ほっとびれっじ美東」で正解なんだろうな。
 まだ9時台だが、新下関へ向かうと到着は15時を過ぎるかもしれない。広島でお好み焼きを食べて広島発17時過ぎ、東京着は21時過ぎ。計画としては成立する。明日はお休み日だから今日は帰りが遅くても大丈夫。
 それでもやっぱり、もう少し早く帰ることを優先したいというのが、今の気分だ。それに下関への道は里の県道を繋いでいる。全部が全部幹線県道じゃないにしても、少なくとも昨日の萩からの国道490や2日目の島根県山間みたいな細道ではあり得ず、言ってしまえば山陽エリアに近い分、昨日の萩まで通った県道より車は多いと考えるのが妥当だろう。行ったことが無い場所の想像ではあるものの。
 ならばもうこのまま新山口へ下ってしまおう。お昼前に新山口、広島到着13時で15時には出発、東京着は19時台。
 それじゃ、この後はもう新山口まで一下りだ。そうと決まれば、広島発17:07は15:07に変更予約しないと。などと考えながら展望台下で食べるソフトがまた大変美味しい。暑くなり始めている。

 麓へ下り始める。こちら側には宿が集中していた。当初狙っていた国民宿舎、休館中YHの脇を通り過ぎ、その辺で少し難しい分岐で彷徨いつつ、一目散に下ってしまう。
 広谷からはまだなくしてしまった地形図の範囲なのでGPSトラック頼りに進んでゆく。県道32では才ヶ峠ともう一つ丘陵アップダウンが、新山口まで一下りとか誰が言ったんだよ等と思う程続いた。そして大田から移った県道28は周囲が農村の割に道幅が広い。車はそれなりに多めだし、やや裁けた感じの路上は陽差しが厳しくて暑い。何かもう、早く新山口に着いてくれないかなあ、という気分だ。
 妙に山深い二本木峠の一越えも、風景の割には車は決して少なくない。やはり早く新山口に着いてしまいたい、退屈な気分が勝ってしまう。今年のGWツーリングハイライト、秋吉台の直後では、仕方の無いことかも知れない。
 唐突に谷間から小郡の市街外れに出た。新山口までは、裏道をGPSトラックで選んでいる。GPS画面の地図はごく狭い範囲なのだが、もう停まって紙の地形図を確認する気は無い。目印の幹線道路や鉄道が近くても直接見えない、町や地形の文脈も全く関係無い、ごく普通の見知らぬ住宅地や妙に古びた建物。トラックから外れていないこと、いつ新山口に着いても不思議じゃなさそうなことだけを意識しながら、次々と過ぎてゆく風景の中をひたすら受動的にのんびりてれてれ流してゆく。秋吉台から新山口までで一番楽しい道だった。
 裏道は意外に長い間続いていた。建物が町並みっぽくなり始めたと思ったら、もう行く手の曲がり角の向こうが唐突に新山口駅前なのだった。
 11:25、新山口着。街の名前は小郡、駅名は新山口。新山口は元小郡駅なのだ。私には新幹線・山陽本線・山口線のどの駅としても、小郡の方が耳に馴染みがある。駅名改称は2003年のことだったようだ。
 次の広島方面は12:01。のんびり輪行して移動時間込みでちょっと余裕もある。

 12:54、広島着。
 前回確か2015年頃の訪問以降、広島駅の駅ビルはすっかり改装され、記憶に残っているかつてのレイアウトは跡形も無くなっていた。お好み焼き店のコーナーは更に充実している感じなので、今日のミッションにはそのこと自体は全く問題無い。とにかくお好み焼き店に狙いを定め、自転車を抱えて飲食店エリアのその辺りに力強く向かってゆく。
 しかしGWのお昼時のせいか、駅ビルの飲食店街には凄まじい量のお客さんが押し寄せていて、大変混雑しているのだった。お好み焼きの各店にもそれぞれけっこう長い列ができている。GWの混雑がこれ程とは、むしろコロナ禍からの復調傾向として喜ばしいことかもしれない。自分でも3年振りにGWのツーリングに来れているのだから。
 とりあえず一番並びやすそうな「いっちゃん」へ並んでみた。列に並ぶときに待ち時間40分ぐらいと言われ、そんなに掛からないだろうとは思ったが、列に並んでいる間が20分、注文してから品物が来るまで15分強。結局40分近く掛かったと言える。
 こういう状況では、店を変えてお好み焼き2枚を食べるのは至難である。しかし、お好み焼きならではの解決策として、2枚目をお持ち帰りにしてもらい新幹線車内で食べればいい。グリーン車でレーパンでお好み焼き、我ながらなかなかいい旅ではないか。
 席に着けた段階でお持ち帰りを注文すると共に、早朝に17:05広島発から15:05広島発に変えておいた帰りの列車を更に早めて14:05発東京着18:07に変更しておく。全く問題無くグリーンの大型荷物席が取れたことは有り難かった。

■■■2022/6/25
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔

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