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神奈川【市民と野党と労組】連帯コミュの大山奈々子さん  米軍根岸住宅問題で南関東防衛局長に要請 生活権を守れ。

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日本共産党横浜市議会立候補予定選出港北区
大山奈々子さん

米軍根岸住宅問題で南関東防衛局長に要請 生活権を守れ。


25日、日本共産党横浜市議団とともに南関東防衛局に
要請に行きました。米軍住宅の中に住んでいるご夫妻の
日常使っているゲートが閉鎖された件について、
生活権を守るよう要請しました。

「1、閉鎖されたゲートを再開し、当該住民の
これまでの生活環境が保持されるよう、米軍
と協議し、対応すること」

防衛局側は閉鎖の理由すらはっきり把握していないと
いう回答でした。いつもいつも米軍関連の要請は
、米側の顔色をうかがうわが国の弱腰な態度を
思い知ります。
日米地位協定があるにしてもわが国の国民の
身の保全のために米側になぜ堂々と主張しないのか。

沖縄の辺野古で強引な基地建設が進んでいる今、
それに呼応するような人権侵害がこの横浜の地でも
行われている、その横暴な米側の態度が日本国民の
人権をいかに軽んじているかと思うと非常に腹立たしく、
国の役割を果たすよう求めました。
何度もこの佐治夫妻と懇談している古谷市議が
「今のこの瞬間もこまっておられる」と迫ったのが
印象的でした。

この問題の経緯を説明した産経の記事をご参考までに。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140209/kng14020920570006-n1.htm
沖縄の問題もふくめて米軍と居住地の問題はこのブログも参考になります。
http://teinennojisan.seesaa.net/article/390242988.html

ところで…
私は小学一年生の時に映画「沖縄」を見せられていました。
うすぼんやりした記憶の中に、
コワイ映画だったこと、
映画の感想文を京都新聞に載せてもらったこと、
その中に「アメリカはおばあさんをころしました」という一文が
あったこと、
京都勤労会館でみたのに「「金」ろうかいかんでみました。」
と書いてしまっていたことなど覚えていました。

先ごろ俳優の地井武男さんが亡くなって
初出演が「沖縄」で1970年の制作だと聞き、母に確認した
ところ、私がみたのはまさに新作「沖縄」だったと知りました。
沖縄返還は1972年。思えばその直前に米軍に銃剣で土地を
接収された沖縄人民の悲劇を描いたものだったのです。

あらすじ
 ↓
〈第一部=一坪たりともわたすまい〉昭和三十年。「アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」これが代々の土地を奪われた三郎の生活哲学だった。三郎は仲間の清と、基地周辺を金目のものを物色中、黒人とのハーフ・亘とその姉朋子を知った。真夜中のある日、米軍基地拡張に伴う平川集落の強制接収が威嚇射撃で始った。古堅らの抵抗は厳しく身体を張ってのものだった。演習場のそばで畑仕事をしていた朋子の祖母カマドが戦闘機の機関銃弾を受けて死んだ。だが、米軍は演習場の中で死んだとでだちあげ、何の保証も与えなかった。カマドの葬式の日、朋子は、米軍にとりいって資産を殖す山城の静止を破って、軍用地内の墓に向った。白旗ののぼりをたてて連なる葬列、それは抗議の列でもあった。智子は南風へ、清は南米へ行った。それから間もなく農民たちの闘いは全沖縄の闘いへと拡がっていった。
                  第一部あらすじ 以上

米軍に基本的人権の基本中の基本、住まいすら翻弄される
我々日本人の立場を幼い時に知って、半世紀近く経ってなお
苦しめられる人々がいることは呆れるばかりですが、
それをただすために声を届ける役割の一端を自分が担っていること、
これからもっと強い責任を負っていかねばならないことを
感慨深く思った日でもありました。



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