ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

神奈川【市民と野党と労組】連帯コミュの京都民報web版より転載

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

(547)「種を蒔く」−野中さんの発言に触れて



 1年ほど前です。京都駅の八条口です。一見して仕立てのよさそうな濃紺の背広に身をつつみ、背筋をピンと伸ばして歩く人を見かけました。「矍鑠(かくしゃく)」という言葉がぴったりでした。官房長官、自民党幹事長を歴任した野中広務さんでした。

いま、野中さんの兵庫県保険医協会の講演とその講演を報道した「しんぶん赤旗」日曜版の記事が大きな話題になってます。ネット上でも大反響です。秘密保護法の強行の動きにふれて「昔の『大政翼賛会』のようです」と批判をされています。先の『時事放談』というテレビ番組での発言に続く発言です。

野中さんの発言は、4年前にも大きな話題になりました。マスコミでも「27日付の『しんぶん赤旗』に、目を見開いた人もいるかもしれない」(「朝日」2009年6月30日付夕刊」と注目されました。2009年6月27日付「しんぶん赤旗」のインタビュー記事です。記事は、1面から2面に続き、約300行にものぼっています。

 「『宿敵』だったあなた方(「赤旗」)に私の思いを語るのも、いまの時代が、そうさせるのだと思います」。野中さんはインタビュー冒頭、こうのべられています。京都のたたかい、選挙戦にとって、野中さんはまさに「宿敵」でした。この野中さんが「しんぶん赤旗」に登場されたことに、私たちも野中さん同様、「時代の変化」を痛感したものでした。

 野中さんは1997年4月、安保条約の実施に伴う土地使用にかんする特別委員長の報告のなかで「この法律が沖縄を軍靴でふみにじる結果にならぬように。・・・国会の審議が再び大政翼賛会的にならないよう、若い人にお願いしたい」と自らの思いをつけくわえ、この発言は議事録から削除になっています。そして2001年10月、衆院本会議にテロ特措法案の採決がかかった時、野中さんは退場、棄権しています。

 インタビューでは、その時のことを振り返って「正直いって僕はむなしさを感じました。自民党は戦争が好きな政党になってしまった。それこそ大政翼賛会時代にもどってしまった」とのべられています。インタビューでさらに「戦争に荷担しない道」にこめる自らの思いをのべられています。

インタビューの最後は、「そのための種を蒔(ま)いていく使命がわれわれにはあるんじゃないかと思っています」と結ばれています。

 野中さんのこのインタビュー。歴史に残る発言だと思います。是非一読を願いたいものです。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

神奈川【市民と野党と労組】連帯 更新情報

神奈川【市民と野党と労組】連帯のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング