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神奈川【市民と野党と労組】連帯コミュの「科学の目」で原発を考える

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日本共産党社会科学研究所所長  不破哲三


今日は「古典教室」の第4回。第3回が2月1日で、それから3カ月と9日たちました。この間に、東日本大震災といっせい地方選挙という二つの大問題がありました。最初に、震災の犠牲者への追悼の気持ちとともに、二つの大問題に直面してがんばってこられた全国のみなさんに、感謝と激励のあいさつを送りたいと思います。(拍手)

 今日の予定は『経済学批判・序言』ですが、いきなり「あのマルクスは…」という感じにはならないので、この3カ月間を経ての「古典教室」らしい受け止め方として、補講的なテーマを予定しました。それは、第1課、『賃金、価格および利潤』で学んだことに照らして、今回の大震災、とくに福島の原発災害をどう考えるか、この問題を取り上げたいと思います。

 第1課で学習したのは、資本主義とはどんな社会か、そこで労働者はどういう地位にあるのか、という問題でした。その学習のかなめの一つは、「利潤第一主義」が資本主義社会の本質的な特徴だということ、何をやる時にも自分の会社のもうけがどうなるかが第一の優先課題になる、それが資本主義だということでした。

 2番目は、労働者や国民がその社会で自分たちの生活と権利を守るうえで、「社会的なバリケード」をたたかいとることが必要だということです。マルクスはそのことを150年も前の段階からいっていたのですが、このバリケードがいま世界各国で大いに広がり、それが強くなっている国も出てきています。ヨーロッパでは、国民の生活と権利を守るルールが広く勝ち取られている国が多く、「ルールある経済社会」と呼ばれます。そういう状況と比べると、日本は、このルール、生活と権利を守るバリケードが極端に弱い国です。このことを、日本共産党の綱領では「ルールなき資本主義」と呼んでいます。

 この二つのことが、第1課で学んだ大事な点でした。

 今度の原発災害では、この二つの大問題、資本主義社会の根本である利潤第一主義がどんなに有害なものかということと、原発災害に立ち向かううえでも、わが日本がいかに「ルールのない国」か、この二つのことが非常に鮮明に、しかも国民の命にかかわる形で現れました。

 そういう意味で、第1課の時事的な補講として、原発災害の問題を話したいと思うのです。

原子力の利用をめぐる二つの不幸
 まず最初に、原子力発電で利用している核エネルギーとは何か。その“そもそも”論になりますが、人類が地球上に生まれて、火というものを発見したのは、大事件でした。それまで火というものを、人間は山火事で追われたりする時しか経験しなかったけれども、それを自分でつくって使いこなし、生活を豊かにする道具に変えた。これは、100万年以上も前のことですが、人類史上の大事件でした。

 ところが、1930年代に人間は核エネルギーを発見しました。これは、“第二の火の発見”と呼ばれたほどの人類史的な大事件でした。ものすごい巨大なエネルギーの発見でしたから。

 ただ、このエネルギーは巨大であると同時に、強烈な放射能がつきものでした。これに不用意に手をつけたら、強烈な放射能をどうするか、その手段・方法をきちんと見つけ出さない限り、このエネルギーが放射能を野放しにしたまま解き放たれたら巨大な災害が起きます。だからこのエネルギーを使いこなす、そして人間が人間の目的のために制御するには、たいへんな研究が必要でした。そのことは、最初からわかっていたのです。

最初の実用化が核兵器だった
 ところが、不幸なことが二つありました。一つは第2次世界大戦です。ヒトラー・ドイツが、最初に核エネルギーを使って爆弾ができないかという研究を始めたのです。そのことを知ったまじめな科学者たち、ドイツからアメリカに亡命したアインシュタインもその一人でしたが、ドイツが先に開発したらたいへんなことになる、それに対抗するためにアメリカが先に開発する必要があると、ルーズベルト米大統領に進言し、アメリカが多くの科学者を結集して原子爆弾開発の研究を始めたのです。その途中で、ことの危険性に気づいて、開発の続行に反対した科学者も少なからずいました(アインシュタインも後で自己批判しました)。しかし、ことは進みました。

 一番危ないと思っていたドイツが、原爆の製造に成功しないまま敗北して、1945年5月、降伏しました。原爆製造の最初の動機は消滅したのです。ところが、アメリカは研究を続けて、1945年7月、最初の原爆実験に成功しました。

 そうなると、ヒトラー・ドイツはなくなったけれども、せっかくつくった核兵器です。世界にその威力を示さないまま、戦争が終わったのでは、戦後世界でアメリカの威力を発揮できない。そういう政治的な打算から、もう日本の敗北必至という情勢のなかで、その日本に原爆を落とすことを計画しました。つくった原爆は2種類ありましたから、まずウラン型を広島に落とし(8月6日)、次にプルトニウム型を長崎に落としたのです(8月9日)。

 アメリカは、広島・長崎への原爆投下は、戦争を終結させるために必要だったといっていますが、実は何よりも戦後政治のために必要なことだったのでした。その犠牲になったのが広島・長崎だということは、日本の国民として肝に銘じておく必要があります。

 ここに、人類の核エネルギーの利用の第一の不幸がありました。

動力炉も戦争目的で開発された
 第二の不幸は何か。人間が核爆発という形で原子力エネルギーを使いだした。しかし、爆発という方法では、経済に利用できませんから、もっと温和なやり方で核を燃やして、経済的なエネルギーとして使えるようにしたいというのは、当然の願望になります。これもたいへんな危険をともなう問題で、本来だったら、災害の危険が絶対にない、放射能の心配などする必要がない、そこまで研究を尽くして、初めて実用化するというのが、当たり前の道筋のはずです。ところが、この開発もまた、戦争と結びついて始まってしまったのでした。

 アメリカの海軍が、潜水艦の動力にこれを使おうということで、開発の先頭に立ったのです。原子炉を潜水艦に積んでこれを動力にすることができたら、いままでの潜水艦よりも、ものすごく長い航続距離をもった潜水艦になって、地球上の海を走り回ることができる。その原子炉(動力炉)を開発したのです。超スピードの開発ぶりでした。原爆の開発成功が1945年でした。それから9年たった54年には、潜水艦用動力炉を積んだ原子力潜水艦の第1号・ノーチラス号が進水して、早くも活動を始めたのです。もともと戦争のための開発ですから、安全などは二の次、三の次でした。こうして軍用に開発した原子炉を、すぐ民間に転用し始めたのです。そのために、安全性を十分に考えないままあわててつくった原子炉の弱点が、いまの原子力発電には、そのまま残っているのです。

原子力発電は「未完成」で危険な技術
 開発の初期には、いろいろなタイプの原子炉が研究されたようですが、現在では、アメリカ海軍が開発した「軽水炉」という型の原発が、日本でも、全部アメリカから入り込んで使われています。私たちは「未完成の技術」だと呼んでいるのですが、ここには、大きな弱点が二つあります。

 何が「未完成」なのか。

原子炉の構造そのものが「不安定」
 一つは、原子炉の問題です。いまテレビで原発のニュースがあると必ず図解の解説が出てきますが、要するに、原子炉のなかでウランの核燃料を燃やすわけです。運転を止める時には、制御棒を挿し込んでウランの核反応を止めるのですが、その状態でも、ウランから生まれた核分裂の生成物は膨大な熱を出し続けます。だからそれを絶えず水で冷やしておく機能が必要なのです。ところが、普段、条件が整っている時なら、そういうコントロールができるけれども、いざという時、水の供給が止まってしまったら、膨大な熱が出っぱなしになって暴走が始まるのです。そうなると核燃料の熱がたまり、どんどん高温になって、核燃料が壊れ始める。30分もたったら融けだしてばらばらになり、2時間で原子炉がめちゃくちゃになるといわれています。水を止まらないようにしたらいいだろうと思うかもしれないけれども、あらゆる場合を考えて水が止まらないようにするということができないのですね。アメリカのスリーマイル島の原発事故も、操作の誤りから水が止まって起こったことでした。今度の福島の原発も同じように地震と津波の影響で電源が全部失われて水が止まって起こりました。

 やはりこれは、軽水炉がもっている構造上の本質的な弱点、これは難しい言葉でいうと「熱水力学的不安定性」ともいいますが、その表れなのです。軽水炉による原子力エネルギーの利用は、いざという時の安定性がない、本来なら安全な使用には適さない、そういう段階だということが、スリーマイルおよび福島と、2度の大災害で実証されたということです。

 さらに、原子炉そのものの危険性という点で、いま深く考える必要があるのは、今回の福島の原発災害が、軽水炉という特定の型にとどまらない、より深刻な問題を提起していることです。いま開発されているどんな型の原子炉も、核エネルギーを取り出す過程で、莫大な“死の灰”を生み出します。どんな事態が起こっても、この大量の“死の灰”を原子炉の内部に絶対かつ完全に閉じこめるという技術を、人間はまだ手に入れていません。軽水炉でいったん暴走が起こったら、それが社会を脅かす非常事態にすぐ結びつくというのも、根底には、この問題があります。福島原発は、五重の防護壁なるものを看板にしていましたが、現実にはたいへんもろいものでした。

 原子炉の技術的な「未完成」を問題にする場合、軽水炉の固有の弱点に加え、ここにさらに大きな問題があることを、いま直視する必要があると思います。

使った核燃料の後始末ができない
 いまの原発システムには、技術的にまったく「未完成」で危険だという点で、もう一つの大きな弱点があります。それは、自分が燃やした燃料の後始末ができないことです。昔はこの言葉は世間にあまり広くは知られていませんでしたが、福島を経験したいまでは、「使用済み核燃料」という言葉をもう毎日のように聞かされているでしょう。

 これは何かというと、原発を運転したら必ず大量に出てくる“死の灰”の塊なのです。原発では、ウランでつくった燃料を3〜4年燃やすと、それ以上は燃やさないで取り出します。しかし、いったん燃やした後の核燃料というのは、大量の放射能を絶えず出し続けるたいへん危険な存在なのです。その放射能を広島型原爆にたとえてみましょう。原爆が落ちた時に“死の灰”が周辺に広く降り、これを浴びたらたいへんだということになりました。100万キロワットの原子力発電所だと、毎日3キログラムのウランを消費して、3キログラムの“死の灰”を残します。それが使用済み核燃料にたまるのです。この原子力発電所で100万キロワットのものが1台動いていたら、毎日広島型原爆の3発分の“死の灰”がたまっている。1年間動いたら広島型原爆1000発分をこす“死の灰”がたまります。ところが、“死の灰”のこういう塊である使用済み核燃料を、始末するシステムをいまだに人間は開発できないでいるのです。

 政府は、70年代から、フランスで開発された再処理工場をつくって、それで処理するからと説明していました。再処理工場でどう処理するかというと、使用済み核燃料のなかから使えるプルトニウムと残りカスとを分けるのです。できたプルトニウムはたいへん物騒な物質で、長崎型原爆はこれからつくられました。政府は、原発に再利用すると宣伝していますが、この危険性は日本でも世界でも大問題になっています。

 もっと危険なのは、実は残りカスの方にあるのです。残りカスは、もっと強い高レベルの放射能をもつようになっていて、その放射能のなかには、半分に減るまでに何千年、何万年もかかるものもあります。ですから、高レベル放射能の大量の残りカスをどこで始末するか、というのは、だれもまだ答えをもっていないのです。

 今朝、新聞を見ましたら、アメリカと日本が、モンゴルに核廃棄物の処分場をつくる計画を立てて、モンゴル政府と極秘の交渉をしているという報道が大きく出ていました(「毎日」5月9日付)。地下数百メートルの穴を掘るんだといいますから、使用済み核燃料や高レベルの廃棄物などをそこで冷却管理するといったことを考えているのでしょうが、相手は何万年も放射能を出し続ける危険な代物です。自分の国で始末できないからといって、そんなものを外国の地下に埋めこんで、1万年、2万年の先までだれがその管理に責任を負うというのでしょうか。

 結局、使用済み核燃料の行く先はありませんから、何をやっているかというと、六ヶ所村(青森県)の施設に送る以外は、その原発に保存しておくしかない。だから、それぞれの発電所にプールをつくってそこに放り込んでおきます。いま日本に54基の原発がありますが、54基の原発はみな、建屋と敷地にそういうプールをもっています。福島の実例ではっきりしたように、いざという時には、原発だけでなく、使用済み核燃料のプールの一つひとつが核事故の発火点になるのです。

 自分が生み出す核廃棄物の後始末ができないようなエネルギーの利用の仕方が、本当に完成した技術といえるのかどうか。答えはすでに明白だと思います。

 この二つの点で、人間が使いだした原子力エネルギーという物騒なもののこれまでの使い方は、すべて、戦争のために入り込んでしまった危険性をもっています。ここに根本問題があるのです。だからいま、世界で原発を利用している国でも、たいていの国は、原発の物騒さをのみこんで、その上でこの危険な相手をどうやって管理するか、ここに力を入れています。ところが、原発を利用している主な国ぐにのなかで、その管理の力が、世界で一番足りないのが日本なのです。そこに、もう一つの大問題があるということを、まずご承知願いたいと思います。

日本共産党は最初の段階から安全性抜きの原発建設に反対してきた
 日本で、原子力発電が問題になってきたのは1950年代の中ごろからで、1957年には東海村で研究用の原子炉が初稼働し、1960年代に商業用の発電が始まるのですが、日本共産党は、安全性の保障のない「未完成の技術」のままで原子力発電の道に踏み出すことには、最初からきっぱり反対してきました。

 私たちが、党の綱領を決めたのは1961年7月の第8回党大会でしたが、その大会直前の中央委員会総会で、この問題を討議し、「原子力問題にかんする決議」を採択したのです。その決議は、

 ―「わが国のエネルギー経済、技術発展の現状においては、危険をともなう原子力発電所をいまただちに設置しなければならない条件は存在しない」

 ―原発の建設は、「原子力研究の基礎、応用全体の一層の発展、安全性と危険補償にたいする民主的な法的技術的措置の完了をまってから考慮されるべきである」

 として、日本最初の商業用発電所とされた東海村の原子力発電所の建設工事の中止を要求したものでした。

 それ以来、この問題でのわが党の立場は一貫しているのです。そして、ただ「反対」というだけでなく、国会では、大事な局面ごとに、この問題を取り上げて、原発のもつ危険性とそれを管理・監督する政府の態度の無責任さを、具体的に取り上げてきました。

(後略)http://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110510_fuwa_genpatsu.html

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