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石原莞爾平和思想研究会コミュの外交の天才ビスマルク

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フランスの第2帝政が崩壊すると、新生ドイツ帝国が樹立されます。初代皇帝となったヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿で戴冠式をします。この場所を選んだのは、かつてベルリンをナポレオンに占領され、プロイセンの領土が半減した仕返しです。

これがまた第1次世界大戦後にひっくり返るわけです。 怨念は怖いです。ビスマルクは大変賢い人で、この戦争でフランスがドイツを恨んでいるということを十分認識していたので、フランスを孤立させようと考えます。

まず、1873年にオーストリア、ロシアと三帝同盟を結びます。そして、オーストリア、 イタリアと三国同盟を結びます。オーストリアとイタリアは、ヴェネツィアとロンバルディアを巡って争っていた仇敵です。

それでも、ビスマルクの口車に乗ると同盟を結んでしまうのです。ビスマルクは外交の天才です。こうしてビスマルクは、ロシアとオーストリア、イタリアと上手に同盟を結んでフランスを孤立させることに成功しました。

ビスマルクは外交の天才でしたが、大変わがままな人でした。自分が提案したことに対して、皇帝が決断を渋ると、田舎の領地に帰ってしまいます。皇帝が折れるまで2ヵ月でも3ヵ月でも引きこもっています。ひどい部下です。

ヴィルヘルム1世は名言を残しています。「ビスマルクの下で皇帝であることは困難である」でも、誰よりもすごいのは、こんなわがままな部下でありながら、その能力を認めてずっと使い続けたヴィルヘルム1世です。 ドイツ帝国の幸運です。

ヴィルヘルム1世が没すると、 子どものフリードリヒ3世も即位してすぐ死去します。そこでヴィルヘルム1世の孫のヴィルヘルム2世が即位しますが、このころからプロイセンはおかしくなります。

ヴィルヘルム1世は「ビスマルクを大事にしないといけない」と遺言を残していましたが、 ヴィルヘルム2世は我慢しきれず、即位から2年後の1890年にビスマルクをクビにします。ヴィルヘルム2世には高度な外交が理解できませんでした。 ビスマルクはロシアの南下政策を牽制しながらも、 同盟や条約を結ぶことでなだめていました。

そんなロシアとの関係を、ヴィルヘルム2世は、 直情的に断ち切ってしまいます。心配になったロシアは1894年、フランスと同盟を結びます。露仏同盟です。今度はプロイセンが、ロシアとフランスに挟まれ、「サンドイッチの具」になってしまったのです。

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