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楽譜の無い音楽教室コミュの自分の曲を演奏する、ということ。

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確かに、「演奏家」の中にも、他人の曲をまるで我が作品のように演奏することができる人はいる、しかし、ほんの一握りだ。

楽譜を忠実に演奏するなんて、今や機械にも出来てしまう。
それに、音楽的な抑揚、表情を自動的に加えて行く音楽ソフトも、出て来るだろう。(もう、あるのか、drumマシンなどでは、オートグルーブはもう、15年くらい前からある。)

クラシックなどを譜面どおりに演奏することは、ある意味、贋作をつくっているのと同じ、
JAZZなどでも、「即興(ad-Lib)」が許された音楽も実のところ、完全な即興演奏(improvisation)でない限り、メロディーやコード進行など、曲の輪郭は用意されているわけで、これは、
「あらかじめ用意された輪郭の中を、自由に塗っていい、」
つまり、『ぬりえ』である。

自分の曲をつくり、演奏すると言うことは、
「自分でその輪郭をも描く、」ということ。

この違い、これだけの説明では伝わらないだろうか。

コメント(7)

http://ip.tosp.co.jp/BK/TosBK100.asp?I=NODAGORO&BookId=1&PageId=25431&PN1=1&PN2=0&PN3=3&TP=8&SPA=210&SSL=
あの『鬼の音楽教室』
から、、、、ココに書いておく。

他人の作品を利用して飯が食えるのは音楽だけ。絵画や彫刻でそんなことしてみ、だーれも見向きもせえへん。 音楽は不思議。クラシックを含めて、殆どのミュージシャンが、他人の曲で飯を食っている。 なんでやろ。

そないな事が解らんかった。
ある話を読んでこうではないか?
と解った。でもあくまでもそう感じたと言うダケの事。

☆音楽はひとの真似をしてほめられる。絵画では命とり。ですね。

その意味は
★絵画などはモノそのモノが残せる。絵画本物が残せる、(気持ち迄は残せないけど。)
それを誤解して楽しむ聴衆がいる。これで披露は終了する。
個々に本物を見て感じた感性は個々の胸の内に宿る。そしてそれは更なる磨きの材料となる。


★音楽は作者が残せるのは唯一楽譜
(現在は違います、映像で残せますでも内面までは見えない。全てを残す事など無理。)
様は披露するにおいて
作者の思いをあらゆる残された事象から、それこそ筆圧からでも読み取る様な厳密さをお求められる
其の意味は、出来るだけ本物を披露する事がその作者への恩返しとでも言う様などう言えば良いのか
本人と同じにするべき同じ感性で演奏ですね。

そして聴衆と言うイロンな感性にお披露目と言う意味ですね。
だから同じで当然でないとイケナイ。同じがほめられると言う事。

何も不思議はない。これも芸術タダ音楽は音と言うはかないモノを触媒にしている故の処理ですね。
こんな簡単な事すら解らなかった。
気が付きました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=366457252&owner_id=6725376&comment_count=3
わんちゃん さん ホントありがとう。

ゴローさん わかったよ!!
どうでしょうか?
でもでも、、、そうだろうか?

『何も不思議はない。これも芸術タダ音楽は音と言うはかないモノを触媒にしている故の処理ですね。 』
こんな簡単な事すら解らなかった。 これが気付きだろう。

でも、、、でも、、、
思うのは大作曲家の曲であろうと、其の曲を感じた様に演奏すれば良いのではないか?と思う。個々の解釈で自由に演奏すれば良いのになーあと感じる。
(果たして大作曲家が違う解釈をどう思うだろうか?怒る作曲家?ほめる作曲家?どうだろう?多分 分かった作曲家はほめるだろうと思う。分かった作曲家が芸術家に思う?)

例えば ファジル・サイの様なピアニストそれで良いと思う。
忘れてた大御所の フリードリヒ・グルダ もいるかな?
又 楽しみの可能性が広がると言う事ですね。

でもクラシックは厳密に嫌う。その作曲家の同じ気持ちでないとダメと! まるで学術発掘調査だ、だから嫌い。
だから、其の意味も理解するが。この二面性で進めば良いと思う。でないとヒトの可能性を殺す事ですね。

考えれば、、、これって本当の芸術と言えるのか?とも思う。
(芸術とは唯一誤解を楽しめると思う。作者の思いと違っても楽しめるですね。解答はない。)

果たして演奏しているヒト自身が楽しいんだろうか?と感じる?
多分この事をキースは言っている。自分は全く違うでも理解されない、、、悩んだ時もあったと、、、、

そう言うプロ養成の音楽教育だからピアノ弾けるのに嫌いと、、せっかく長い間苦労して学んでも止めるヒトがヒョッとして多い気がする。それが楽譜なければ弾けないと良く聞く。
自分で弾ければアレンジ出来実に楽しいと思うのに実に残念です。
正当に学んだヒトにはこれが理解出来ない。そう思う。
教育とは恐ろしいと思う所だ。
そう感じる。ド素人が生意気にゴメン。
>多分この事をキースは言っている。自分は全く違うでも理解されない、、、悩んだ時もあったと、、、、

整理していたら1979年8月発行 「カイエ」の特集が出て来た。キースの事が書いてある、久々に読み返し
この理解されない事が、コキおろされている。数人で、、、
今は亡き あの由井正一 さんが、、、批判して書いている。やはり思いは、、、恥ずかしい物だろう。
書いたモノは残る。

グレングールドも多分理解されないのだろう。
でもそんな事気にする方がおかしいんだろう。
自分が信じる道をひたすら進む!!!
ピアノのレッスンに行き思うのは、、、そう実に難義な生徒である。
言う様には出来ない。思うまま実に身勝手な生徒どう教えて良いのやら? だろう。
気の毒に思う。現在休んでる。
、、、、、、、、、、、、、
でも思うのは自分の曲を弾くと言う事は実に実に、、、極自然に普通の事じゃないのか?本来はこちらの方が極自然な事なはず。

でもこんな実に自然な事が教育と言う形で育むと言う方法が何か間違っている様な気もする。本来は自分の曲を弾く為にいろいろ学ぶと言うのではないのだろうか?
でも、、、
曲を作る!と迄は行かなくても自分で自分の為の曲を作るとは本当実に楽しいと言う事。
当然それが世間的に認められなくても一向にかまわない。
文句なく楽しいからだ。
追加

でも、、でも、、、長い年月をかけ学んでも、、、、でも学ぶとは其のしている以外の事を、実はそこから学ぶと言う事だと。
それが、本来は自分を生きる(の曲を弾く)為にいろいろ学ぶと言うのではないのだろうか?
学んだ技術が大事な様に思われるが違う様に思う。それら技術はそこでしか利用出来ないのだ。技術から学んだ事は他でも応用が効くと言う事。

案外この事を 音楽を一生懸命やっているヒトが知らない様な気がする。
それは、若い時からいろんな曲を聴くと言う事をせずジャンルに縛られ概念が出来上がる故にも感ジル。マサに教育の弊害に感じてる。
もっと多くを知るべき!音楽にもジャンルなどという枠は存在しない。それはヒトが安易に付ける概念だ。

音楽は間が命、リズム軽な曲には案外これ見よがしを感じ、現代の音楽の様な一見訳の分からない、、、不協和音の様な旋律にこそ、、、大きなエモーションがココロの中に沸き上がる,,止めどなく沸き上がる。ココだと感じる。
でも相当聴き込まないとそれは見えてこない。

それが、、、いてもたってもおれない衝動にまで沸き上がると言う事。
でもこれは、、、このエネルギーは何処から生まれるのか?
不思議である。でも、ここだと感ジル。
沸き上がるエモーションには、至高への入り口への移行を促す力がある。
でもそれを上手く引き出そうと意識する事で隠れてしまう。
それは実に恥ずかし屋なのか?いや全てに共通する自然な摂理の仕業だろう。
取りあえずココに置く
http://www.myspace.com/1000907917

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