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探検だ!冒険だ!コミュのスペイン内戦に散った義勇兵ジャック白井

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第4弾は、1936年、スペイン内戦に義勇兵として参加したたった一人の日本人、ジャック白井。
孤立無縁の共和国軍には、全世界から義勇兵が集まった。そして誕生したのが、国際旅団である。

ジャック白井は、本名もはっきりしない。1900年ごろに函館で生まれた孤児らしい。そして孤児院で育てられた。15歳で年齢を偽って船員になり、1929年の夏に、アメリカのニューヨークに上陸する。つまり不法入国である。そして日本料理店で働き始めた。
アメリカで出会ったのが共産主義だ。そして「日本人労働者クラブ」に入って労働運動と反戦運動を行っていた。いつの頃から、ジャック白井と呼ばれるようになる。やがてバンガードという共産党の前衛組織に移るが、その頃スペイン内戦が勃発する。そしてスペイン人民戦線の義勇軍の募集が始まった。白井は、これに応募したのだった。

アメリカ人義勇兵第一陣は96人。フランスの国際旅団義勇兵派遣本部に登録し、「赤の列車」によってスペインに入った。白井は、エイブラハム・リンカーン大隊に配属され、白井は炊事兵となる。
総勢428人の大隊は、マドリード郊外のハラマ川の戦いが初陣となった。結果は127人が戦死。壊滅である。白井は炊事兵では我慢ならなくなって、機関銃部隊に転属を願い出る。そしてコック兼歩兵となった。

次の戦いが、ブルネテの戦いである。マドリード防衛のため奇襲に出たのだが、夕食を運んできた車が動けなくなったのを見た白井は、その食糧車を動かそうと飛び出した。その瞬間、彼は機関銃弾を浴びせられた。即死だったという。かくして日本人義勇兵は、37歳の生命を散らしたのである。

白井は、日本では生きづらく、そして人種差別のきついアメリカでも居心地はよくなかったのではないか。だが、義勇軍の間ではおかしな英語をしゃべり、いつも笑顔で陽気な男、そして子供好きで、勇敢な男として、語り継がれている。

詳しいことは、http://homepage2.nifty.com/tankenka/sub1-67.htmへどうぞ。

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