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漢詩・漢文・漢籍コミュの永嘉の乱 永嘉行

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永嘉の行(うた)張籍

黄頭鮮卑入洛陽
胡児執鉾弁明堂(漢字だせず誤字です)
晋家天子作降虜
公卿奔走牛羊
紫百セイハン暗相触
家家鶏犬驚上屋
婦人出門随乱兵
夫死眼前不敢哭
九州諸侯自顧土
無人領兵來護主
北人避胡多在南
南人至今能晋語

312年、晋が滅びました。五胡十六国時代の始まりです。
これによって我が国=倭の失われた四世紀が始まります。このまま晋があったら邪馬台国の場所もわかっていたのではないか。
また、これによって多くの中原の人々が江南に逃れますそして後晋というべき東晋ができます。
今でも、あのときに、先祖は中原から江南に移ったという中国人は多いと聞きます。
漢のころには散文が流行り、唐のころには詩が流行ったというのも、実は民族の入れ替わりがあったのも原因の一つかと考えることもできるのではと思います。
ちなみにこれは金に追われて南宋ができたことを思いだします。漢民族の心臓部中原の地は、実は民族のるつぼになっているのかと思いますね。むしろ江南のほうが漢民族の血は濃いのかと。

それにしてもこの詩は、当時のドキュメント風で衝撃を受けました。
北の遊牧民に首都を蹂躙される。この時の天子は降伏し、その後、奴隷のようにこき使われます。
かつての臣下たちの宴席に引きずりだされ給仕をさせられて、それを見る晋のかつての臣下たちは泣きながら食事をしたそうです。二年後、殺されてしまいます。ほんとに、残酷です。大陸では負けたらこうなのだと今さらながら思い知らされました。
黄頭鮮卑入洛陽
こんなシーンは我が国では一度もない経験ですよね。
強いて言えば、元寇に負けてそのまま元軍が京や鎌倉に来て、帝や将軍が晋の天子のようなことになったらというのが一番類似の状況でしょうか。降伏したあとも容赦のないこの鮮卑族。

それにしても、この時期、この黄頭の鮮卑ももう少し記録を取ったら、邪馬台国の動向がわかってたかと思うと返す返すも残念です。もちろんそんなスキルもひまも当時はなかったのですが。

コメント(4)

大変勉強になりました。

現在の中国人の主流は、歴史に出て来る古代からの中国人では無く、鮮卑などの遊牧人が先祖だと聞いておりました。

その意味では、韓国・朝鮮人と同じ系統の民族や人種になるのだろうなと感じております。
ぼくも詳しくは知りませんが、諸子百家とか、漢の雰囲気などと比べると、唐というのはちょっと違うのですかね。ヨーロッパもローマの地にゲルマンノルマンとあふれかえりましたが、支配者はゲルマンでも住民はもともとの住民。中国は住民ごと変わったかのような。一説だと、漢の時代の中国人は中原においては分の1まで減ったとか。それでも漢民族と名乗るところがすごいですね。唐からあとは唐民族ではないか。
>>[2]

唐の文化は、むしろ日本の方に残っているようですね。中国人が左様な事を言っているのを、何かで読んだ事があります。
>>[3] 古代ギリシャの文化はげんざいのギリシャより、フランスを中心に、ヨーロッパとアメリカに引き継がれてるようなものかも。大乗仏教経典も、中国にはあまりなく、日本かチベットにあるとか。

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