伊東 輝悦(いとう てるよし、1974年8月31日 - ) は、
静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のサッカー選手。
ポジションはミッドフィールダー。
Jリーグ・AC長野パルセイロ所属。
楢崎正剛に抜かれるまでは、Jリーグディビジョン1の最多出場記録を保持していた。
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人物・評価・プレースタイル
元々はドリブルを武器にする攻撃的選手だったが、プロ入り後にボランチへ転向。
黒子的な役割を全うする職人的プレーヤーとなり、
日本代表監督であったフィリップ・トルシエは伊東を「日本のデシャン」と評した。
またアトランタ五輪代表では、表のエースである前園真聖に対して「影のエース」と呼ばれ、監督の西野朗から絶大な信頼を受けていた。
ディフェンシブなポジションであるにも関わらず被警告数が極端に少ないフェアプレーも特徴である。
本人曰く「ファウルで(相手を)止めるのは簡単だが、それでは成長がない」。
体格的に恵まれないため、力ではなく相手の先を読みボールを奪う技術に優れ、奪った後のボールが味方へのパスになるようプレーをしている。
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東海大学第一高校在学時、静岡県選抜としては国体2年連続優勝に貢献。
各世代の日本代表にも選ばれるなど評価は高く注目されていた。
「ゴムまりのようなドリブル」で一気に数人を抜き去るようなプレーから、
マラドーナをもじって「テルドーナ」とも呼ばれ、普段は淡々とプレーしていることとのギャップから、
当時のチームメイト達に「あいつが本気になったら誰もかなわない」と言わしめた。
フランスW杯後に就任したフィリップ・トルシエ監督の下では運動量と守備的意識を買われ、ついにレギュラーの座を獲得。
トルシエ時代にはボランチ以外に右ウイングバックとして起用されることも多かった。
2000年のカールスバーグカップ・メキシコ戦では初のゲームキャプテンを任せられるなど、トルシエ監督から絶大な信頼を得る。
しかし、2002年の日韓W杯メンバーには、負傷から復帰した直後のタイミングとなってしまい選出されなかった。
日本代表歴:27試合
困ったときには