ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

漢詩・漢文・漢籍コミュの私の漢文2 周辺で思うこと

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
空海、道元、菅原道真、室町の五山文学の漢詩。たとえばこういう人たちは日本文化のエリートであると思う。
みな漢文で表現した。
常識的な意味で吉田兼好や鴨長明や女性の日記などは、当時の社会のトップエリートではない。
それぞれの時代の最先端の頭脳の持ち主は、漢文で表現していた。

それらが文学史の表通りにでないということは、つまり日本文学、日本哲学を論じるときに欠落しているものがあるということである。
日本文学史は平安朝の女流文学や随筆や、和歌、俳句。が主流。もちろんそれらは世界文学の中でも第一級だけれど、その上を行くトップ頭脳の作品があからさまに文学史から抜けているような気がする。
紹介はされても例えば菅原道真の漢詩集と更級日記とどちらがメジャーかというと・・・・・評価がかるすぎると思う。

文学的事件としても、古事記や日本書紀は紹介されるが、仏典の輸入というものなど社会的にしか考察されない。はじめて大乗仏教の経典をよんだら、維摩経やショーマン経、法華教などを読んだら、信仰の前にあれはもう文学である。あのストーリー、あの哲学、ずっと漢文で経文を読めた日本人は旧約聖書以上に破天荒で壮大な物語と哲学に驚愕し続けたことだろう。今ではほとんど一般には読まれないが。

話をもどして、道元や空海が文学史の表通りに出てないのはなぜか。
明治の廃仏毀釈の政策のなせる技か。
日本文学の半分以上が通常の日本文学史から抜けていると思うのだが。

江戸期の漢文、漢詩、頼山陽など。
室町の漢詩。
平安の漢詩、漢文。和漢朗詠集の中心は漢詩である。
仏教関連の1000年間の研究書に著述。
そして老荘、四書五経、陽明学、朱子学などの著作とそれに関する日本人の書いて著作。

現行の日本文学史は、大雑把な枠組みで異論もあるかもしれないが、例えるなら、人類という生物を表現するのに女性だけを表現しているようなものか。実際には半分は男性である、というように、日本文学の半分は漢文である。いやもっとかもしれない。中国古典と仏教は日本文学と哲学のほぼ全部ではないか。明文化する思想としては。

コメント(3)

文学とは何ぞや。

当時の人たちは文学として著したのか?

古記録や史書は文学か否か?

文学といふ目で過去を見るべきか?

随筆で枕草子や方丈記、徒然草が括れるのか?
こちらでは日本語を漢文に変換できる方はいらっしゃいますか?

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

漢詩・漢文・漢籍 更新情報

漢詩・漢文・漢籍のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング