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国旗の重みコミュの開戦の詔勅 (大東亜戦争)

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開戦の詔勅  (大東亜戦争 昭和16年12月8日〜昭和20年8月15日 1941.12.08〜1945.08.15)

    詔 書
5.
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

4.
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。

3.
中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

2.
あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

1.
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

   御名御璽              昭和16年12月08日


●「開戦の詔勅」 詔勅は4'20"迄  起草者は徳富蘇峰
http://www.youtube.com/watch?v=gQjqJmW5Q8M   詔勅文は4'20"迄です。

コメント(32)

●大東亜戦争 開戦の詔勅  (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書) 
今の憲法では国の交戦権を認めてません。なので天皇が勅令を出すこともありません。しかし先の敗戦まで、日本が戦争を起こすときは天皇が開戦の詔勅を発し、講和あるいは終戦の詔勅で、戦争が終結したことを知らせてきました。開戦の詔勅には、日本がなぜ他国と戦争するのかという記述が簡潔に書かれてあります。さて、日本はなぜ戦争をしたのでしょう?日本人から見た答えがここにあります。

●この名文の起草者は徳富蘇峰(熊本県)。
徳富蘇峰(1863〜1957年、差97年)。郷士の子として水俣市で生まれる。熊本洋学校でキリスト教に感銘を受け同志社に入学。新島襄から洗礼­を受ける。熊本に帰り大江義塾を開校。「将来之日本」で注目を浴びると民有社を起こし、国民之友や国民新聞を創刊し、平民主義(個人の権利、平等な社会)を唱え­る。その後、日清戦争を機にして国家主義、軍国主義および皇室中心主義となり、日米開戦時には宣戦の詔勅を起草し、敗戦後は戦氾容疑者として公職追放となる。「近世日本­国民史」100巻を発行。
詔勅文 テキスト化などにおいての引用元は、
http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm
私がこのトピで訴えたいのは、
今の日本人に、コレほど毅然とした文章を書ける人がいるだろうか?
という事です。
批判や憶測は簡単です。むしろ難しいのは、
現象の向こうに隠れている価値を見つけようと努めること、
又はそういう姿勢を維持すること、
だと私は思っています。

大日本帝国憲法の”天皇”の規定、や、「教育勅語」 を草起した、
いのうえこあし(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%AF%85)。
「終戦の詔勅」にも関心を持ってます。
近日中にこのトピと同形式で、「それら」をトピ立ていたします。 <(--)>
今日は12月8日です。ハルノートの最後通牒により、日本がやむなく開戦を決意し、真珠湾奇襲作戦に出た日です。後刻、改めて今朝の、神戸新聞コラム(正平調)と産経新聞コラム(産経抄)をアップしようと思っています。
●「記憶せよ、十二月八日」    高村光太郎

記憶せよ、十二月八日
この日世界の歴史あらたまる。
アングロ・サクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは我等ジャパン、
眇(びょう)たる東海の国にして、
また神の国たる日本なり。
そを治しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり
世界の富を壟断(ろうだん)するもの、
強豪米英一族の力、
われらの国において否定さる。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさに其の爪牙を砕かんとす。
われら自ら力を養いてひとたび起つ。
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する。
十二月八日を記憶せよ。
■「「命乞いされ助けた」=親子3人殺傷、三男だけ殺害せず―愛知
   (時事 08日 07:05) http://mixi.at/aju6Jvh◆

そのときは必死だっただろうけど、
こんな、シナのキチガイに命乞いをしなければ成らない自分って、
悔しいだろうなと想像される。
生き残った限りは、親族の無念に報いるためにも、
このシナ人が、必ず死刑と判決されるよう努められることだろう。
人様のことだから、どのような価値観をお持ちなのか分からないけれど、
少なくとも私が、この三男さんの立場なら、そうする。


個人的レベルの場合、こうして、警察が動き司法が動きするのだけれど、
国家レベルと成るとそうではない。力でねじ伏せたもの勝ち。
ところが日本国内では社会が安定しているため、
とりわけ、「センセイ」と呼ばれる「実質的なアンポンタン」職種(※)
についている人々は、「戦争はんたい・ヘイワヘイワ」とほざいていれば
おのれがさもご立派な人間なんだと、錯覚できる。
※・・・教師、弁護士、判事、教授、政治家、サヨク講演者、サヨク作家、・・・。

彼らがそのようなたわごとを言えるのは、
腕力でカタを着ける世界に触れずに済ませられているからに過ぎない。
要は、彼らの弁&主張は、「井の中の蛙」の「ほざき」、にしか過ぎない。

そう言う観点で、今日は12月8日。
71年前、日本が欧米の暴力的行為に果敢に打って出た日なのです。
それはナニも日本が好戦的であったとか侵略的であったとかではない。
むしろ、彼ら欧米諸国がそうであったため、
日本としてやむなく応じざるを得なくなった、
応じざるを得なく仕向けられた、だけのお話なのです。


●開戦の詔勅
 (大東亜戦争 昭和16年12月8日〜昭和20年8月15日/1941.12.08〜1945.08.15)
http://www.youtube.com/watch?v=gQjqJmW5Q8M 詔勅文は4'20"迄。

    詔 書
5.
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

4.
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。

3.
中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

2.
あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

1.
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

   御名御璽    
             昭和16年12月08日
今朝のコラム比較。神戸新聞&産経新聞。

●正平調 (神戸新聞)
http://www.kobe-np.co.jp/column/seihei/201212/0005584212.shtml
電車で高齢の女性から「5分ほど時間をください」と話しかけられたら、だれでも驚く。が、児童文学作家高木敏子さんは、つい声を掛けてしまうそうだ◆相手は高校生らのグループである。応じてくれたら尋ねてみる。「8月15日は知ってるわね。では12月8日って何の日?」。首をかしげ、顔を見合わせる高校生らへ、高木さんは話す。「太平洋戦争が始まった日なのよ」◆空襲で母と妹を失った。父も機銃掃射で奪われた悲しい体験が、名作「ガラスのうさぎ」を生んだ。その高木さんが気になって仕方がないのは、開戦の日が日本人の記憶から薄れていることだ◆だから高校生に話しかける。「いったん戦争が始まったら、もうおしまい。戦争を起こすのも起こさせないようにするのも人の心。戦争はだめと誓って」。聞き終えて電車を降りるその背中を祈る思いで見ると、かつて本紙への寄稿で書いている◆今日は、その開戦の日だ。報道する私たちの責任でもあるが、高木さんが憂えるように「8・15」に比して関心は低い。県内を見ても、この日を見つめる取り組みは数えるほどしかない。戦争はなぜ始まったか、だれが旗を振ったのか。きな臭さが鼻先をかすめる時代には、「12・8」を考える機会がもっと欲しい◆小欄は1分余りで読める。今日は高木さんを見習い、「1分ほど時間をください」と呼びかける思いで、54行のマス目に向かう。

●産経抄 (産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121208/dst12120803150001-n1.htm
71年前のきょう、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。当時を皮膚感覚で覚えている世代は数少なくなり、その証言はますます貴重になっている、と書いたところでグラッときた。震源から離れている東京・大手町もかなり長い間揺れ、たちまち昨年の3・11の記憶が蘇(よみがえ)った。 ▼ほどなく東北沿岸の一部に津波警報が出た。3・11の反省から改正されたマニュアル通りではあろうが、NHKのアナウンサーが強い調子で「東日本大震災を思い出してください!」と連呼して避難を呼びかけたのは適切だった。 ▼肝を冷やされた被災者の方々にお見舞い申し上げるが、71年前どころか去年の大震災ですらあまり話題にしなくなっていた都会人には頂門の一針になったはずだ。いまなお2700人以上が行方不明のままで、多くの被災者が仮設住宅で2度目の年越しをせざるを得ない現実から目をそむけてはいまいか。 ▼福島第1原発事故の処理もいまだゴールが見えない。事故直後に当時の菅直人首相がとった処置が適切だったか、復興対策が十分かどうかも今回の総選挙で厳しく問われねばならないのに、それらの争点がぼやけている。 ▼原発論議もまたぼやけている。各党や候補者の訴えが情緒的に流れすぎているからだ。ならばいっそのこと「脱原発」を唱えている人々は、中央道のトンネル事故で9人もの命が失われているのだから「脱トンネル」も唱えてはどうか。 ▼もちろん、景気対策や社会保障、国のあり方を問う憲法改正や中国の脅威にどう対応するのかといった問題も重要だ。有権者のみなさんにはそういった重要課題への各党の対応を吟味しつつ、「大震災を思い出してください!」と訴えたい。



●正平調を読んで
まず戦争は「戦争はダメ!」と誓ったところで無くなりはしないし抑止も出来ない。そして先の大戦は「太平洋戦争」ではない。「大東亜戦争」。なぜ「太平洋戦争」と呼ばされているかと言うと。米国が「日本がくそなまいきにも、アジア侵略の暴走を止めたくないため、米国にはむかって起こした戦争である」と日本国民に思い込ませるための一洗脳手段であるということ。そのようなことも踏まえず、のんきにえらそうにコラムを書いてる左翼馬鹿ライターが今日の正平調の書き手、だということが暴露されている。

●産経抄を読んで
このコラムライターは当初、12月8日を意識して、意気揚々と書き始めたんでしょうね。でもそこでグラっと大きな揺れが来たことが、コラムからひしひしと伝わってきます。結局、大東亜戦争の文字も太平洋戦争の文字も「開戦」もありません。それだけ関東地方では昨日のゆれが大きかったのでしょう。神戸新聞のコラムとで、昨日の地震にたいする感度の差がおもしろいです。神戸ではまったく感じなかったのではないでしょうか。少なくとも私は感じなかった。なので、ミクシーでマイミクさんのつぶやきなどの意味や背景が当初何を言ってるのかわからなかったものです。
昨日、このトピと同種の内容で、ミクニュース=「真珠湾攻撃から71年(by読売新聞)」で、ミクニュース引用日記を書きました。すると、ROMれないノンマイミクさん(突然の来訪者)から、反論コメが書かれました。「私は当時シナで日本軍がどうのこうの・・・。なのでやはり日本はシナに対して申し訳なく・・・」ってな完全に自虐史観点の、”私にとってのクズコメ”が書かれました。こう云う場合、私は私にとってのクズコメを有無を言わず削除します。私はそういうお相手(ネットやり取り)をやりたいがためにミクニュース引用日記を書いているのではないので。でそののち私がどうしたかと言うと、次のような比較的長い自己アピールコメを書いて、当該来訪者へ「二度と私のところに来訪しないよう」促しました。その私の認識とか対応が正しいとか適切だとか、全く思っていません。しかし同時に、間違っているとも思ってはないんです。

要は、あることへの「認識・見解」というのは十人十色。「私は先の大戦・大東亜戦争に対して、次のような認識をしています」というだけ。独善的であるとのそしりを承知で、参考意見として掲示させて頂きます。ROMって(無視って)頂ければ幸いです。(次のコメに載せます)
歴史観なんて、ある種の宗教観みたいなもん。それなのに、確定できもしない過去の伝聞を、それも局所の、信憑性の確証も得られないような事象を、ことさら針小棒大に解釈し、「だから日本はこうだった」って言うような、私にとってのナイーブな見解など、私は相手する気がない。こう云う、私にとってのナイーブな人々の思考パターン&視点は、非常に局所的で、ある一つの事にのみに集中しているに過ぎず、全体を概略的に眺めるという視点観点を一切持たない&持ってない。

そもそも日本は、今となってはおぞましい限りだけれど、日本という国家を意識するより以前から、シナと朝鮮の隣に位置している。それなのに何故、先の戦争にいたる時期、遥か彼方離れた民族の西欧列強がシナに居たのかという視点や観点が、ナイーブな物知りを誇りたがる人々には全く無い。そもそもヤツラ白人どもがアジアに侵略して来なければ、日本は朝鮮にもシナにも行く必要はなかった。福沢諭吉翁自身「あんなうっとうしい輩(シナ朝鮮)に深く関わるべきでない」と訴えていたくらいだから。

しかし西欧列強が、とりわけソ連が、猛獣のように、この地域に進出してくるので、日本が、ヤツラ欧州諸国の横暴に目をつぶりヤツラの為すがままを静観し、自国領域の死守だけに専心していても、日本自身の領土自体が蝕まれてしまうのが自明だったので、外へ打って出たまでのこと。そもそも隣国どもが日本のように、すばやく西欧諸国の横暴に気づき、それなりの体制整備を行えていれば、日本はナニも、シナ朝鮮に行く気すら起こらなかっただろう。むしろアジアの友邦として、白人どもの圧力に共に対抗しただろう。

しかし其れを隣国どもに期待するには、余りにも隣国どもが未熟な国々であったので、日本が出て行ったまで。あやつらシナ朝鮮の劣等性を何一つ論じることなく、西欧&アジア地域での利権争奪に遅れを意識し急遽登場した米国、どもの横暴を何一つ論じることなく、ひたすら日本の局所だけをさも善人ぶって糾弾する御仁は、私にとって実におめでたい「自虐史洗脳政策の理想的果実アンポンタン」であると断言する。

お人好しもいい加減にしろ。このお花畑。過去の事が今現在のこの時点で、確証としてノタマう事が出来るのか?貴方はタイムトンネルを使って過去の状況を天の上からつまびらかに眺めていたのか。今現在の諸々の状況ですら、正しく把握できないのに、何を下らない物知りげな見解を吹聴して得意になってんだ。馬鹿も休み休み言え。少なくとも、私のところには、そんな感傷的なガキっぽい見解をコメとして残すべからず。ROMって帰ること。

そんな、確証の得られない過去の事々からの帰納的な幼児的&感傷的思考パターン(ナイーブセンチメンタル思考症候群・幼児志向症候群・お花畑症候群・ニッポン自虐史サヨク症候群)など一日でも早く卒業して、特亜3カ国の民族特性・言動特性・行動特性を、有史以来不変のもの(民族DNA)として、今の時点から演繹的に歴史を見つめる視点を持つように。いつまでも下らないナイーブ視点に自己陶酔して善人ぶる癖から卒業せよ。

とにかくもう、貴方はココにコメを書くな。貴方の時間を有効に使え。こんなところに何の評価もされないコメを書くくらいなら、貴方の見解を誉めそやしてくれるような人々の来訪を期待して、貴方のミク日記でほざいておきなさい。貴方に一言言っておきます。今の私たち日本の平和で豊かな生活は、先人皆さんの献身と努力と犠牲、などなどの上にあるのだということを肝に銘じて、下らない自虐史思考特性から早く卒業することです。

貴方も墓参りはするでしょう。なぜ己の家の先祖を大事に出来るのに、国家全体の先祖(尊い犠牲を捧げて下さった数多の先人の皆さんの魂)をおろそかに出来るんです。馬鹿か貴方は。この罰当たり。もっとしっかりしろ。この屁理屈コキ。もっと、大きく広い視点を持て。微分係数を求めて喜び勇むのではなく、積分値を論じる習慣を身に着けなさい。貴方は、私にとってのナイーブでセンチメンタルなアクション、に自己陶酔するのがお好きなようなので、2度と私のところに来訪するべからず。私には、「水と油」に酢を持ってきて「ドレッシング」を作ろうと言う好みは無い。
このトピの主題動画でBGMになってる曲がなになのか、昨日、偶然に分かりました。
⇒ 歌手 Suara   歌タイトル キミガタメ

●Suara LIVE TOUR 2007  キミガタメ+encore
http://www.youtube.com/watch?v=W1-uDDt7UDM
昨日は、12月8日、『大東亜戦争』 開戦日でした。 

見つけた。 このトピを探してた。

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