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水源禅師コミュの水源禅師法話集 1‐1

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水源禅師法話集1を全文掲載いたします。
引用「菩提樹文庫」
http://www.geocities.jp/bodaijubunko/1dhammatalk.htm

〜この質疑応答は、2009年5月17日に行われた、「水源禅師法話会」での記録です〜

―生い立ち・仏教との出会い―
【司会】
自己紹介も兼ねて、仏教との出会いや、今までどんなことをされてきたのかお話頂けますか。
【水源師】
私が生まれた所は青森の弘前です。四月末になればお城の花が満開になり、それはそれは美しい桜を見せるところで、またそのお城の前には岩木山という、平野にズンと立った山があります。春夏秋冬、いつも衣替えする自然の中で生まれ育ち、小さいときは近所の子と“かくれんぼ”や“缶蹴り”とか“かもめ、かもめ”と、一緒に手を繋いで踊ったり、お盆になれば近所のおじさん方がとても怖い幽霊の話や、土地に伝わる民話をしてくれました。
秋になればいっぱい林檎が生るので、秋の恵みを受けて。冬は冬で、雪でかまくらを作ってその中で餅を炭火で焼いて食べる・・・と、そういう風なとても幸せな子供時代を過ごしました。
家も映画館をやっていたので、小さい頃から邦画、洋画・・・、その街にある全ての映画館、すべてタダで入れたので贅沢三昧の生活をしていました。女中さんも三人も居ました。小さいながら近所と比較したらとても不自然な、近所の子供たちとは全然違う生活をしていました。でも、私は近所の子供たちと遊びたいので、わざと洗濯屋さんからあがってきたハイカラなシャツをドロドロに汚して遊んだりしていました。
まあ勉強は大嫌いで家に帰ったらカバンを投げて、握り飯でも作って、野原を駆け巡り、一人でポカンと空を眺めたりして、自由自在な生活をしていました。でもね、「この山の彼方には何があるのかな」と。
弘前は盆地なので岩木山は西の方。東の方にも山があって全然見えないし、子供ながらにいつもそう思ってたら、ある日、私の兄が大宇宙の絵本を持ってきて、「ほら、お前、これ何か分かるか、ここが地球だ」と言いました。「え、地球?私の住んでる地球がこんなに小っちゃいの!」って。「銀河系?太陽・・何にも無い、こんな所なの?」ということで、科学的な方面からも非常な外に対する興味が強烈に起こったんですね。その時から。
クリスマスはクリスマスでちゃんとサンタクロースが来てお土産も貰うし、弘前にはお寺もいっぱいあるし、教会もあるし、宗教的なことでもコレといった壁はありませんでした。 ただ、あまりにも何もかも在る、そういう所から、どうしても、この山の彼方を超えた人たちはいったいどうして暮らしているんだろうということが、私の、今につながる旅の人生になったのではないかと思います。
まあ、そうしているうちに弘前高校に入ったら、家が大阪に引っ越すということになったので、「ああ、これは良い」と。もう弘前には居たく無いからすぐ編入試験を受けて大阪の高校に運良く入れまして、そうしたら凄い大都会で、我が世の春で、デパートに行けばなんでも食べられるし(笑)、と思いながら、「いやー、どうしても外国に出たい。何があっても外国で暮らしたい」。映画で見たギリシャ神話、ベン・ハー、クレオパトラ・・・それは凄い大世界が海の彼方にはあるんじゃないかと。いったい目の青い人たちはどういう風に考えて、どういう風に生活してるのか。食うものは全部西洋文化で。
ちょっと言い忘れましたが、私は在日韓国人で、両親は戦前1939年に移ってきました。戦中はみんな兵隊さんに行かれたんで、農地が空いて食糧難ということで、私の両親は、その働き手として青森にきたんですよ。そういう人種的なことにも眼を向けて、アメリカではいろんな差別もあるけれど、そういうど真ん中に行って何が原因なのか、またどういう風に生きているのかということも心の根底にはあります。
それで運よく、「カナダ移民オープン」というニュースを見たので、まっしぐらに向かって計画を立てて、当時の自動車工学の最先端の分野に進んで、全てのライセンス、経験、全てを満たして、夜は土方をしたり、整備士として働いたりして、お金を貯めて・・・。ちょうどそのとき運が良いか、悪いか、大阪新聞社でアルバイトしてたときに、机に座っていた受付の娘と仲良くなり、そのまま結婚して、今もそのままです(笑)。
そのような過程を経て、全ての準備が整って、23歳のときにカナダに行きました。そして1〜2年トロントという大きな街であちらこちら会社を変わりながら、最後にはトロント・トランジット・コミッション(トロント交通公社)という公社に入って29年間勤めまして、運よく退職できて、退職したとたんに長年の夢である旅を続けて、今、六年目です。
ここで、ちょっと般若心経と私の出会いということに触れたいと思います。24〜25歳の時、やっぱり心が科学だけでは説明できない。科学は信じていたけど何か火のようなものが燃え上がっていました。母親が高野山に入って修行したということを聞きながら、私も仏教という書物をひもとき、「ああ、これだけ深いものか」と思っていました。私もすぐに高野山に行く機会があって、そこの女人堂の女性の先生から西陣織の金糸で編んだ般若心経の財布を頂きました。
その時「世の中には、これだけ素晴らしい教えがあるのか」とショックを受けました。
まあ、何回唱えても分からないけれど、ただ素晴らしいということだけは分かりました。
何も分からないけど、ただ何か素晴らしい「色即是空、空即是色・・」なんだか凄い。
まあそうしてるうちに、ちょうど曹渓宗の印玄禅師に会ったんです。禅師は18歳の時から禅を始めながら、40歳の時にどうしても修行だけでは人に伝えられないということがあったんだと思います。それで東京大学の博士号過程に40歳頃に入学して、日本語はベラベラだから、その方と縁があって曹渓宗を教えてもらって、日本の現状を話しているときに、「君、日本には素晴らしい本がいっぱいあるじゃないか、法華経、華厳経、涅槃経、阿含経・・・凄いお経もいっぱいあるし、まず日本語のお経を読みなさい」と言われて、で、その中で勧められたのが「般若心経講義(高神覚昇著・角川文庫)」という本で、まあ、それを読んだらドンぴしゃり。
私は先ほどお話したように日本の文化で育ち、日本の中で育ったもので、日本語で教えて貰う解説書は、ちょうど私が一番必要としていたものだったんです。何百回読んだでしょうか。分からなかった。でも楽しかった。読むたびに変わっていきました。と、いうことは心が進化してるということらしいです。心が止まった場合には同じようにしか心に反映しないらしい。
まあ、そういうことで、また話は元に戻りますが、私が勤めていた会社は死ぬまで勤められるんです。日本とは全然違います。なぜ辞めたかといったら働いても、働かなくても現金収入が同じく入るから。わざわざ自分の金を使って昼飯を食べて働くなんて馬鹿らしい、家に居たほうがもっと楽じゃないかと(笑)。
そういうシステムなんです。また医療制度も全部タダだし、まったく何の心配も無いのに、なぜ働かなければいけないのかと。そういうことであっさり57歳で辞めました。その前の年が母親の七回忌で、どうしてもこれはインドのガンジス川に行って母親の供養としたいということで、退職する一年前に、七週間の長期休暇を貰って(笑)。まあ、そういうことが出来るところなんです。
まあ、そういうことをしたのが、今度、本格的な仏教の旅というんでしょうかね。その間、在家で、一人でコツコツしてやってました。いろいろ。
で、ヴァラナシーからサルナートに行って、その間いろいろな方との出会い。サルナートというのは鹿野苑といって、お釈迦様が最初に説法した所なんですよ。で、そこのヴィハラ(精舎)に行ったらスリランカから来たアボット(僧院長)さんが私の顔を見て、なぜかとてもショックを受けて突然、パゴダ(仏塔)を私に差し出すんですよ。「これをどうしてもカナダに持っていってくれ」と。それから龍樹菩薩、1000年前のもので、発掘されたもので、非常に貴重な本当の龍樹菩薩の顔だから、それも持っていってくれと。
なんのことか分からなかったけど、確かにそのパゴダは摩訶不思議な世界のもので、想像を絶するものでした。そして、「これ程のものを一体誰が、何処から持ってきたのか?」と私が聞いたら「これはカンボジアのグループが2002年の11月に持ってきて、このパゴダは仏舎利と49日間の法要を毎日やった、ただのパゴダじゃない」と。
確かにそのとおり。凄い霊力というか、話たら想像を絶することで摩訶不思議なんで、ここでは一応、詳細はお話できません。あまりものことなので、お話は外します。
そしてインドをグルリと旅して、すぐに会社に帰らなければいけないから、もう一回、退職して「今度こそ」ということでタイ、ラオス、カンボジアに向かって探し始めたけど、その時は見つからなかった。誰がパゴダを持ってきたか。で、そのままズーッと旅を続けようと思ったんですけど、名残があって、もう一回、つまり二回目にカンボジアに行ったときに奇跡的に、1800万人の中で、パゴダを持ってきた人が誰であるか分かったんです。
ちょうど私は毎日、朝、コーヒーを飲みに行くんですが、そこでコーヒーを飲みながらキリスト教の話をしていたんです。そのときに会話をしていた女性が、なぜか「アーミトレイヤー(弥勒)はまだ出ない」という一言を言ったんです。私はそれを聞いて、パーンと来て、「あなたは絶対に誰か非常な高僧を知ってるでしょう?」と聞いたら、「はい、知ってます」と。
カンボジアでも最高に有名なカボチャンという在家の人で、お坊さんがくっついて修行してるくらいカンボジアの仏教をリードしてる在家の方なんですが、その人が500人の信者に説法しているときに、連れて行かれて話をしたら「私のナンバー2と話てくれ」と、「確かにパゴダを持ち帰ったのは私たちのグループです」ということでした。彼も私の出現に驚いて、このパゴダは中国の北京の「雲の居る寺」という国宝のお寺に収まっています。
これもまた摩訶不思議な話で、私がカナダに帰ったときに、超能力を持った友人から「あなたはインドから、何か二つの物を持ち帰ったでしょう」、「この二つの物は中国の石に刻まれたお寺に行きたいと言ってますよ」と言うんです。そんなこと言われても、私は、普通の人間だし、困惑してしまいました。
エクアドルの友人の医師も、同じような能力を持っていて、私が何も言わないのに突然、同じようなことを言いだすんです。二回も同じ事が起こった。「これは持っていかなければいけない」ということで、今はあるお寺に埋められています。私には何のことか分からなかったけど、そういう所へ行きたいと言うんです。まあ、そのような本の中の話ではなく、仏教は摩訶不思議な体験が次から次へと続いていきました。
で、その医師が言うには、医師の祖父が亡くなる前に梵天が降りてきて、「お前を連れていく」と。非常に高い修行をしていたので、そういう悲劇的な状況を見せたくなかったみたいです。
なぜ梵天が降りてきて連れていったのかという話は別にします。
そのように実際、お経に書かれていることが私の身の回りに起こっていきました。で、そのときに示されたのが、ビルマのパオというところでは唯一、お釈迦様の時代からと同じ手法で、同じようなことを教えていると。
特にそこでは「フォー・エレメント(四界分別観)」、つまり地・水・火・風の手法で、一切の究極の物質の世界では何が成り立っているか観ることができるし、実は光なんだと。
「へぇー、そういう手法があるものか」と。そこでパオに行って、結局ビルマの袈裟を頂いた事情です。
で、チベットを回りながら一年間修行して、まさにそのとおりで、ずーっと全て修行し終わったときに、まさに驚いたのが、結局、私が最初に言った般若心経との出会いがあるでしょう。それを全部、観せてくれました。
修行とは観(ヴィパッサナー)、五自在のサマタ、その意味が実に明確に、何の嘘も無く、まさにその通りだということを、この行でダーッと観て、最後の結果、サマタ、空の世界は禅の世界でも同じく、ドンぴしゃり、どちらも違いません。
で、そこから大乗の本旨に入るときには、やっぱり大乗の素晴らしさが分かりました。ここでちょうど一法先生(山下良道師)が言われるように、ちょうど空の世界と大乗の空の繋がり、要がピタッと一致。私も一法先生と一緒の体験をしてしまったんです。
・・・という風な私の生い立ちと仏教との出会い、こういうことです。
【参加者】
カナダでお仕事されていて、インドに旅に行かれるまでは、在家で印幻禅師から教わったことを修行されていたんですか?
【水源師】
はい、そうです。
【参加者】
そうしてパオで初めて出家されたんですか?
【水源師】
正式にです。
【参加者】
それまでは在家の立場として・・・。
【水源師】
まあ、坐ってました。
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―パオの瞑想法―
【参加者】
私は今、パオ・メソッドの指導を受けていまして、パオ・メソッドこそは仏陀の教えであると感じるのですが、先生は、何ゆえにパオ・メソッドが仏陀の教えであるという確信を持たれましたか?
【水源師】
私が驚いたのは、「自灯明」という言葉をお釈迦様が言って亡くなりましたね。私は「自灯明」という言葉は、社会の片隅を照らすように善いことをして、奉仕してということなのか、自らを一生懸命磨いて、光り輝くような行動をするという意味なのか、・・・モヤモヤしていました。
以前から坐禅をしていましたのでニミッタは出ていましたが、私はそれが何のことか分かりませんでした。そしたら、光がバーッと出て「これは何なのか」と思ったら、日本から来ていた在家の方が、「それニミッタじゃないか」とビックリして言われ、「ああ、そうなの」と答えました。そのうちにパオ・メソッドの指導者の方も驚いてしまって、それから、1ヶ月以内にサマタヘ入って、サマタの教科を5ヶ月で終え、四界分別、ナーマ・ルーパ(名色)を終わって、過去世、未来世を終わって、約11ヶ月で全てのパオ・メソッドの教科を通過しました。
話を戻しまして、何ゆえにパオ・メソッドが正統法であるかという回答ですが、「あっ、これ(ニミッタ)が自らを灯せということなのかな」と、私の心にカーンと来たんです。
このニミッタによって初めて心の中に入って一切の知識を取り出せるでしょう。これ以外の方式でも阿頼耶に方法があるかも知れませんけど、私は「これじゃないかな・・」って思ったんですよ。
で、お釈迦様は光を出しているでしょ。ニミッタのことですね。そして特に、大灯明仏(燃灯仏)から授記を受けた。その大灯明仏(燃灯仏)は、「燃やしに燃やし続けて最期まで燃やした」と言われていますが、それは「蝋燭みたいなものを燃やすのかな」、「何を燃やすのかな」と考えていましたが、「ああ、このニミッタのことじゃないかな」と思ったんですよ。
で、ヴィパッサナーの観、これは実は今言われる法身、ビルシャナとよく似ているので、私は指導者に、「毘盧遮那(ヴィルシャナ)仏」ってご存知ですか、と伺いましたら「それは私の経典には無い」ということで分からないという。私の驚きは法身・応身・化身。これ(ニミッタ)は直接「毘盧遮那(ヴィルシャナ)仏」から来ている光じゃないかと、まあ心というものは実際にそうなんだけど・・・。
・・・このような回答で宜しいでしょうか。

「水源禅師法話集 1-2」へ続く
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59521719&comm_id=5396321

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