ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ゾクチェン&チベット仏教コミュの帰依について

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「密教における帰依は重層的なもので、一度にいくつもの次元に帰依をささげる。
まず、仏陀と仏陀の教えと教えの共同体への帰依。
これはいくつもの教えと修行の体系を持つ仏教の、そのどれにも共通する仏教全体の基礎だ。
次に、師と守護神たちと女神への帰依。
師は過去、現在、未来のすべての仏陀を一身に集めた仏陀の本性と異なるところのない存在だ。この師に修行者は身口意のすべてを捧げる。
守護神たちというのは恐ろしい憤怒の形相をしていて、誤った自我の幻影を作り出す身体がバラバラになり、心が本来の自由を取り戻す墓地を好んで住み家にしていらっしゃる。温和な姿では教化できない愚かな者たちを悟りに導くために憤怒の形相で現れる菩薩に他ならない。
そして女神は法界を自由自在に飛翔する。女神の心は空性の大楽に満たされており、自我の幻影が粉々になるのを見る度、心の底から喜び笑う。密教の修行者は女神を伴侶として速やかな悟りに至ろうとする。
また、密教の帰依は瞑想によって純化された身体の管(ツア)、風(ルン)、心滴(ティクレ)という3つの基本への帰依でもある。
瞑想を通じて身体の中央に管(ツア)と呼ばれる3本の柱がありありと現れ、この中を智慧の風(ルン)が通り抜け、さらにそこに心滴(ティクレ)と呼ばれる光の塊が輝き始める時、私たちの身体に純粋な金剛身が現れるのだ。
管(ツア)、風(ルン)、心滴(ティクレ)はそれぞれ仏陀の変化身、報身、法身にあたると言われている。私たちの身体には元々仏陀の三身が宿っているのであり、密教の帰依は仏陀の三つの身体への帰依でもある。
さらにゾクチェンの密教体系では修行者の心の連続体に本性、自性、慈悲という3つの特性が宿るようにこれら3つにも帰依をささげる。
本性とは心の本然のありようである空性のことであり、自性とは本性から自然に立ち昇って来る根源的な智慧のことであり、この根源的な智慧があらゆる生き物を慈しむように注がれる時、それを慈悲と言う。
本性、自性、慈悲の3つが分かちがたく結び付いた心を得るためにゾクチェンの帰依がささげられるのである。」


(ケツン・サンポ・リンポチェ)

コメント(1)

>本性とは心の本然のありようである空性のことであり、自性とは本性から自然に立ち昇って来る根源的な智慧のことであり、この根源的な智慧があらゆる生き物を慈しむように注がれる時、それを慈悲と言う。


こういう明解な教えを授けてくれるところがゾクツェンの大きな魅力ですね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ゾクチェン&チベット仏教 更新情報

ゾクチェン&チベット仏教のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。