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仏教哲学講義コミュの『心を訓練する8つの詩頌』(2)

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どこであれ、誰と出会おうとも、自分を劣った者とみなし

心の底から他者のことを優れた者として慈しむことができますように。


コメント(6)

自尊心、自負心がしばしばこうした見方の大きな障害となりますね

確かに自尊心、自負心も大事だけれど、素早く柔軟に自分の心、態度を切り替えられる自由度を持ちたいですね

自尊心、自負心も硬直化すれば威張ったミイラになりかねませんね
謙虚にいるって、難しいけど、素敵なことですね。
石田さん

その謙虚さ、いや単なる表面的礼儀や無理な取り繕いではない真心からの認識が身に付いたなら、きっとさまざまなことがより多く学べるのだと思います
劣等感を育むことにはならないのでしょうか?
自分を劣ったものとみなす心の習慣は、今度は自分の関係者にもそれを強要しはじめると思うのです。
例えばそのような信念を持った男が妻子を持ったとします。
するとその男はその信念に従い養育を始めると思うのです。
するとその子供は不必要な劣等感を持ったパーソナリティを身につけるようなことにはならないでしょうか?

つまりその「誰よりも劣ったもの」として生きていくならば、彼は孤独であらねばならないと思うのです。なぜなら彼のそのような心の習慣は近親者となった者の、ささやかな自尊心すら戒めようと攻撃しはじめることになると思うのです。
ぼうやんさん

根底にはすべての者が仏陀に等しい、という信念があるので決して劣等感に陥ることはありません。
ただ、根深い驕慢(きょうまん)と自己愛着を対治するのに人の輪は最高の修行の場であるのです。
また、他者にそれをいたずらに命令したり、頭から強制したりする愚かさは、図らずも人間の心に対する理解がまだまだ欠けていることを露呈しており、他者に求める前にまだまだ自分において修行すべき段階だと思います。
>どこであれ、誰と出会おうとも、自分を劣った者とみなし、心の底から他者のことを優れた者として慈しむことができますように。


この表現は確かに誤解や間違った解釈を生みやすいので、訳文を少し手直ししてみます。

「どこであろうと、どんな人と向き合おうとも、
自分はその人から大切なことを学ばせていただける修行者なのだと思いなして、
真実、心の底から対面したその人のことを尊い尊い先生として敬い、慈しむことができますように。」

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