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仏教コミュのよい宗教・悪い宗教のチェックリストを作ってみました

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原始仏教と現代日本仏教を比較したり、その他の現代新興宗教を概観して、よい宗教と悪い宗教の比較表をつくってみました。

皆様にご意見をいただいて、より正しいリストにしたいと思っております。ご協力いただければ、幸いです。


よい宗教(Y)・悪い宗教(W)のチェックシート

1 発祥・聖地
Y: 教祖が神がかったり、啓示を受ける。
   聖地がある。教祖が住んでいたところ、神がかったところなど。
   聖地は霊力のある土地なので、いくと心がすがすがしくなったり、元気になる。

W: 既存の宗教から、分派しておこる

2 教義・理論 
(普遍性、平等性、自由性)

Y:普遍性・科学的妥当性がある。
その宗教を信じる信じないにかかわらず、すべての人間に普遍的に適用される。
他の宗派を批判しない。
死後の世界についての論及が少ない。
人種差別や階級差別を否定。
すべての人間は平等であるとする。
また、生きとし生けるものの命はどれも皆ひとしく尊いとする。 
信者が信仰にすがるのではなく、自立して他者を救えるようになることが理想とされる。
教祖はすごい人だけど、えらい人ではない


W: 奇跡や科学的にありえない物語を唱える
安易に死後の世界について論及する。
信者と不信者を分けて扱う。
他宗派を非難する。
人種差別や階級差別を肯定する。
人間だけを別格に扱う。 
現世利益によって信者を誘導する。
献金の額によって、与えられるものが違う。
献金額を公表して競争心をあおる。
信者が自立しにくい階級構造や相互監視・相互評価システムがある。
教祖・教主はえらい人、すごくはない


思想性
Y どのように生きたらよいかを明確に示す

W 具体的な生き方の提示がない

4経典
Y 神がかった教祖による自動筆記、
 悟りを得た教祖が弟子たちに語った語録、 
理論は明快かつ具体的な行動を要求する。

W 誰が書いたかわからないもの。理論に一貫性がない。


5 宗教儀式

Y明快で、なおかつ簡素な儀式が、毎日執り行われていて、
誰でも自由に無料で参加できる

W 儀式が定まっていない。毎日執り行われていない。
その執行手段が明確でない。誰でも自由に無料で参加できない。
儀式が死者のためにある。生きている者の日々の生活のために機能していない。


6 雰囲気
Y 明るい雰囲気。風通しがよい。
礼拝に参加すると、心が洗われた気がする。
楽しい。参加者の顔が明るい。お気楽に暮らしている。

W 暗い。風通しが悪い。
地下室や個室がある。
礼拝でお金が徴収される。


7聖職者

Y 神官になる手段・教育プロセスが明確に示されており、
誰でも教育訓練によって神官や教団事務員になれる。
一般信者も礼拝においてお経・祝詞を唱えたり、楽器を演奏する。

W 一般信者と教団事務員や神官の間に壁がある。
宗教団体や教団が、家業化して、在家信者の自由な参入を阻んでいる。

8 戒律・身体性
Y すべきこと、してはいけないことが明確に示される。 
信者の心身が礼拝行為や修行によって、より健康に頑強になっていく仕組がある。
とくに野外での瞑想や遊行が重視される。

W 信者の心身が健康になる仕組がない。
戒律がないか、形骸化している。
戒律があるのに、聖職者たちがそれを守っていない。

9 経済性・勧誘の有無
Y:寄付の強要がない。勧誘がない。

W: 寄付のノルマが決まっている。
勧誘行為が行われる。財産の寄進を積極的にすすめる。

10: 教団システム
Y 組織がシンプル。教育システムをもつ。
誰にでも解放されていて、奥の院がない。

W:不明朗で、階級的なシステム。
金銭の多寡によって、列次・順位が変わる


11:建築
Y:教会や礼拝堂の建築が、その教義・宗教集団の自由度・さわやかさを体現する

W:不思議なところに不思議な廊下や不思議な部屋がある。
合理的ではない、迷宮や混沌を体現している。

コメント(104)

>63

煙草はこの議題に一切関係ありません。
嫌煙ヒステリーの馬鹿は違うコミュにお行きください。

>64

(必ずしも絶対的基準にはならないと前置きした上で)

慈悲・慈愛の精神があるか、
上っ面だけではなく行動がそれに伴っているか。

自身の思想を絶対正とせず自省を常にしているか。

特に慈悲・慈愛の精神を重視する事に関しては多くの宗教で共通していますので、
目安と言うならばこれが一番かと。
(飽くまで目安ですが)
>65
涼宮さんの基準だと、それは表面には現れにくくありませんか
つまり、理想の宗教かどうかを、外部から見分けることは不可能というお立場でしょうか
>58

さらには、
「ありかつないもの」は「有る」
「あるでもなくないでもないもの」も「有る」

こんにちは。

「有る」と「無い」を定義してみます。

「有る」とは、「感覚器官によって知覚されうるもの」と「正しい道理によって推理されうるもの」です。

「無い」とは「感覚器官によって知覚されないもの」と「正しい道理によって推理されないもの」です。


なので「ありかつないもの」は「無い」です。

「有る」と同時に「無い」ものはそれぞれの存在が矛盾しており、知覚されず、推理することも出来ません。

よって「ありかつないもの」は「無い」です。

たとえば平面図形で、丸かつ三角である図形は知覚することも推理することも出来ません。

なので、ある図形が丸かつ三角であるということは矛盾しており、丸かつ三角である平面図形は無いのです。
宗教自体が善悪や真偽の判断基準ともなるものですから、それを善悪に分ける事はできないでしょう。
 ただし、例えば、仏教から見た他宗教の善悪分別、国等の法律にてらしての諸宗教の善悪分別、道教から見た他宗教の善悪分別、儒教から見た他宗教の善悪分別、神道から見た他宗教の善悪分別、私から見た諸宗教の善悪分別、等々は言い得るとは思います。
 日本で公に言い得るのは法に触れるか触れないかと言う事くらいでしょうね。
>66

寧ろ内部の人間の方が主観的・盲目的になりがちと考えるべきでは?
内部から自己の信奉する思想宗教の是非を判断する事は外部からの批判より遥かに難しいでしょう。
外部の人間と違い内部の人間は自らの所属組織の客観的評価は下しがたいものです。
たとえどれほど完成されたチェックリストが出来上がったとしても、すべてにYに当てはまりはするものの、その中味はWだったりすることも有りうると思います。
言い回しが難しいですが、こんなところでしょうか。
ShinRaiさん>理想の宗教、望まれる宗教、こういう観点で考えていただくことはできますでしょうか

もう、脅して行動させる宗教は止めてほしいな。

細木数子のようなやりかたね。「あなたは必ず不幸になります」と断言してお墓を売る商売。

「ハルマゲドンがくる」と言って2000年も来ない某教

「1999年に恐怖の大王が落ちてくる」という話とか

その点仏教はいいよね。
諸行無常 全てのものは変化する
因果応報 悪いことが起こる原因は自分の行動の結果
     良いことが起こるの同じ
>70

ここで言う客観と言うのは自省であり自己批判です。
これが出来ていなければ
(少なくともわたしの価値観では)
完全にその思想はアウトです。
>73

>その点 仏教はいいよね

仏教にも末法思想があるのをお忘れですか
>>73
>>その点 仏教はいいよね
>仏教にも末法思想があるのをお忘れですか

僕は、思想ってのは、言葉として残っているとか、
どこかで誰かが言ったというレベルとは違うと思うのです

それこそ、細木数子さんのように、脅して、お金を出させるとか、
芸名を変えさせるとか、具体的な行動を呼び起こす、
具体的な行動を取らせるもの、
それが思想だと思うのです

末法思想という場合、お坊さんは確かに末法らしく
ふるまっているかもしれませんが、
仏教の信徒にまで末法を生きよとは言ってないかもしれませんね

今日の日本の仏教は、江戸時代の檀家制度による
経済的安定にあぐらをかいた葬式の音響部門、法事の請負業者、
それでおわっていて、
生きている生身の人間に語りかける言葉をもたない、
思想性や宗教性(思想という意味での)はなくって、
純粋な意味での「葬式仏教」を生きているのかもしれないですね
東工大の上田紀行氏の「がんばれ仏教」なんて、なかなか示唆に富んでますけどね。
「葬式仏教」を是としない、少なからず「思想」する僧侶がいるということが確認できるだけでも、とりあえず私は安心です。

J・ヒックの宗教多元主義とは比べ物にならない「思想」です。
>76

先程挙がった因果応報ですが、わたしに言わせれば立派に脅しの教義です。

(メ×ラ殺せば七代祟る、だとか、獣を殺せば来世は獣になる、と言った類の脅し文句は日本仏教に昔からずっとあります)

また1999人類滅亡説を唱えた五島勉は創価学会のシンパ。
幸福の科学も終末思想を持ってますし、
オウムは言うまでもないでしょう。

今挙げた宗教は言わなくてもわかるでしょうが、いずれも仏教系です。
>先程挙がった因果応報ですが、わたしに言わせれば立派に脅しの
>教義です。

因果応報を脅しと取っておられるのですか。

『メ×ラ殺せば七代祟る、だとか、獣を殺せば来世は獣になる、と言った類の脅し文句は日本仏教に昔からずっとあります』

というのは理解させるための方便であって、因果応報というものの本質ではないのだと思いますが。

方便の使い方次第では、恐怖に結びつく・・と言うのはありますけれども。

それは考え方そのものより、それを説く人間に問題があるということではないでしょうか。
>それを解く人間に問題がある

それを言い出したらすべての宗教はそれで済んでしまいます。
少なくとも日本仏教は脅し文句として使っていた負の側面があり、
方便で済まされては困ります。
因果応報は実に科学的にも物理的にも真実の言葉と思いますが…

それを脅かしの文と受け取るのは、可笑しいと感じますよ…

因縁果の基本であり、それを否定すれば…仏教その物の否定に成る
トピ主の規準でキリスト教主流についての評価をやってみました.

1 発祥・聖地 Wっぽい
Y:
  ?教祖が神がかったり、啓示を受ける。
  ○/×聖地がある。教祖が住んでいたところ、神がかったところなど。
  △聖地は霊力のある土地なので、いくと心がすがすがしくなったり、元気になる。
W: ◎既存の宗教から、分派しておこる

2 教義・理論 Wっぽい
(普遍性、平等性、自由性)
Y:
  ○普遍性・
  ×科学的妥当性がある。
  ○その宗教を信じる信じないにかかわらず、すべての人間に普遍的に適用される。
  ×他の宗派を批判しない。
  ×死後の世界についての論及が少ない。
  △人種差別や階級差別を否定。
  ○すべての人間は平等であるとする。
  ×また、生きとし生けるものの命はどれも皆ひとしく尊いとする。 
  ×信者が信仰にすがるのではなく、自立して他者を救えるようになることが理想とされる。
  ?教祖はすごい人だけど、えらい人ではない
W:
  ○ 奇跡や科学的にありえない物語を唱える
  ○安易に死後の世界について論及する。
  ◎信者と不信者を分けて扱う。
  ○他宗派を非難する。
  △人種差別や階級差別を肯定する。
  ◎人間だけを別格に扱う。 
  △現世利益によって信者を誘導する。
  ×献金の額によって、与えられるものが違う。    
  ×献金額を公表して競争心をあおる。
  ?信者が自立しにくい階級構造や相互監視・相互評価システムがある。
  ?教祖・教主はえらい人、すごくはない

3 思想性 Y
Y ○どのように生きたらよいかを明確に示す
W ×具体的な生き方の提示がない

4経典 W
Y ×神がかった教祖による自動筆記、
  ×悟りを得た教祖が弟子たちに語った語録、 
  △理論は明快かつ具体的な行動を要求する。

W ◎誰が書いたかわからないもの。理論に一貫性がない。


5 宗教儀式 Yっぽい
Y △明快で、なおかつ簡素な儀式が、毎日執り行われていて、
  ○誰でも自由に無料で参加できる

W ○儀式が定まっていない。毎日執り行われていない。
  ×その執行手段が明確でない。誰でも自由に無料で参加できない。
  ×儀式が死者のためにある。生きている者の日々の生活のために機能していない。


6 雰囲気 ややWっぽい
Y  △明るい雰囲気。風通しがよい。
  ?礼拝に参加すると、心が洗われた気がする。
?楽しい。参加者の顔が明るい。お気楽に暮らしている。

W  ○→×暗い。風通しが悪い。
  ○→×地下室や個室がある。
  ○礼拝でお金が徴収される。


7聖職者 Yっぽい
Y ○神官になる手段・教育プロセスが明確に示されており、
誰でも教育訓練によって神官や教団事務員になれる。
  ○一般信者も礼拝においてお経・祝詞を唱えたり、楽器を演奏する。

W ○一般信者と教団事務員や神官の間に壁がある。
×宗教団体や教団が、家業化して、在家信者の自由な参入を阻んでいる。

8 戒律・身体性 N(中間)?
Y ○すべきこと、してはいけないことが明確に示される。 
  ×信者の心身が礼拝行為や修行によって、より健康に頑強になっていく仕組がある。
  ×とくに野外での瞑想や遊行が重視される。

W △信者の心身が健康になる仕組がない。
  ○戒律がないか、形骸化している。
  ×戒律があるのに、聖職者たちがそれを守っていない。

9 経済性・勧誘の有無 Wっぽい
Y:×→△寄付の強要がない。勧誘がない。
W:◎→○寄付のノルマが決まっている。
  ×勧誘行為が行われる。財産の寄進を積極的にすすめる。

10: 教団システム N
Y ○組織がシンプル。教育システムをもつ。
?誰にでも解放されていて、奥の院がない。
W:○不明朗で、階級的なシステム。
  △→×金銭の多寡によって、列次・順位が変わる


11:建築 不明
Y:?教会や礼拝堂の建築が、その教義・宗教集団の自由度・さわやかさを体現する
W:?不思議なところに不思議な廊下や不思議な部屋がある。
  ?合理的ではない、迷宮や混沌を体現している。

どうやらキリスト教はWぁるい宗教らしい.
  トビ主さんの…分類良いと感じました。
他の宗派を批判しない。
レス読んでいても…良いと感じませんね、色々レス見てると自分の宗派・考え方が正しいと言う様なレス見ると違和感感じています。自己の宗派が良いと言いたい気持ち判るけど…どうしても・他のレスの批判と受け取れる場合多いのも当然かも?

人種差別や階級差別を否定。すべての人間は平等であるとする。
 この考え方大事と思うキリスト教・仏教の救いは平等性を感じる…批判ではないが…新興宗教は差別意識多い様に感じる。

教祖が神がかったり、啓示を受ける、
 教祖を生き仏のように扱う宗派の多いのにも驚く…私が以前…友達を訪ねて富山に行き昼食時なので…普通の食堂で食事していると同年代と思われるオバサンが…この近くに生き仏様いるので…講演会に行きませんかと誘われた事ある。

 そのとき感じた事は熱心な事判るけれども妄信してる人間・生き仏と呼ばせてる平然としてる教祖・人間の愚かさを感じた。新興宗教の教祖は神格化されるの好きなのかな?海外の大きな新興宗教も同じ…。
 実際に聞いた話だが…多くの経典の一部の法華経の信者をお釈迦様より上だと教えてる団体有るのには驚く
78…因果応報…因果律は実に科学的で良い考えだが…仏教と名乗る新興宗教が脅しに使うのも事実でしょう…だからと・言えども因果応報が脅しの文句と受け取ると…全ての仏教が脅し文句と受け取るのは…正しいといえないでしょう。
82の大半に同感…最後のキリスト教云々は全てで無く…キリスト教の新興宗教には当てはまるでしょう。
はじめまして。
私も個人的に宗教に興味を持ち、勝手に研究している一人です。

さて、申し訳ないのですが、この判定基準には不備があります。
宗教を批判するのは結構だし賛成しますが、
まず、他の宗教を批判をしない宗教なんてありえないでしょう。

もしあったとすれば、それは綺麗事を述べるだけのエセ宗教か
ファンタジーたっぷりの現実逃避型の宗教ぐらいかと思います。
また自説の正当性も語ることが出来ず、それでは宗教は発展しません。

どんな宗教も、他の宗教を批判、あるいは否定(その程度は別として)して、
はじめて自説の正当性を語り、それが信徒たちによって広められていくものです。
宗教を知らずに安易に批判する方が多いですが、この認識が欠落していると思います。

たとえば、カトリック教会の壁には、仏教を悪魔に描いた絵画や彫刻が今もあります。
またカトリックはヨーロッパ各地の先住宗教を駆逐していきました。
各地のキリスト教信仰を見れば、本来無かったと思われる儀式などがあり、
そこに駆逐できなかった部分的なものが取り込まれた歴史があったことが知られています。

仏教では、特に日蓮が有名で、その末代(といってよいのか…)の
創価学会や顕正会などの日蓮先鋭原理主義派が、日蓮の説を信奉していますね。
しかし、日蓮以前の各宗派の祖師方も自説を掲げるために他を否定しています。

浄土宗の法然は、浄土門以外の教えは「捨閉閣抛(しゃへいかくほう、
捨:すてよ、閉:とじよ、閣:さしおけ、抛:なげうて)」と説いています。

空海も「聾瞽指帰」や「三教指帰」で儒教、道教、仏教の3つの中から
仏教が優れていると説いています。また真義真言宗の覚鑁も
「釈迦は無明の辺域で、大日如来に比べると草履取りにも及ばない」と述べています。

最澄は空海に弟子入りしながらも、様々な経緯から空海を批判するようになり、
また法相宗の徳一と「地獄に落ちる」とまで、激しい法論したことを残しています。

さらに釈迦自身も当時のバラモンなどを否定し、
またジャイナ教などの六師外道を否定して自説の正しさを説いています。

したがって、いかなる宗教であっても多少なりとも他宗教を批判するのが普通です。
また批判があるからこそ発展し、しぶとい宗教が残ってきたという要素もあります。

だから、他の宗教をまったく批判しない宗教など、ほぼ皆無だと私は思いますよ。
>87・88

その通りですね。

真実が一つだとすれば、あとは偽物なわけで、批判するのは当然の帰結と言えるのではないかと思います。
>>Morrisさん
私もそう思います。むしろ他宗教を批判するのが当然だと思います。
問題は、批判理由や道理、その内容をよく精査することが必要だと思います。

その他、このチェック項目の不備はいくつもあります。

Y:教祖が神がかったり、啓示を受ける。or W:既存の宗教から、分派しておこる。

△これダウトです。この基準での判断はできません。実は日本の新宗教の多くが、
神がかりや啓示で発生したものです。これを「突然の天啓」などといいますが、
創始者周辺に宗教的な背景がなく、突然の天啓で興った宗教ほど危険性は高いです。
過去に社会的事件として報道されたものには、「神から啓示を受けた」として、
妻や子供など家族に霊がとり憑いているとして暴行や餓死、遺体を自宅にミイラ化、
多額の財産を献金した、など数多の事件があり、この手の話は枚挙に暇がありません。

また既に、キリスト教などもユダヤ教から始まった、と指摘されていますね。
一部?の真言宗では、最高儀式である灌頂を終えて大僧正になれば、
一宗派を開いてもよいとされる、というところもあるくらいです。

たとえばチェックするのなら、その宗教がどんな目的で始まったか(発生)、
その宗教がどんな過程を経て活動するようになったか(経緯)、
修行の内容と過程やその結果が第三者から見て問題がないか(過程)、
あるいは、創始者に宗教的な背景がどれほどあるか(背景)、
またその創始者の周辺や家族が、創始者の人格や性格をどう評価しているか(評価)、
あるいは創始者の親族がその宗教に入信しているかどうか、などなど・・・

これらを総合的かつ客観的に細かくチェックすることが大事です。
ですので、突然の天啓が正しくて分派が間違ったものだとするのは乱暴です。

したがって、発生やその過程を細かく検証しなければ、私は意味はないと考えます。
>>きゅーたろーさん

私が思っていたことを、簡潔明快に表現してくださいました。

全く同感です。
批判と比較 意味異なる 批判だけは良くないと思う…買い物でも比較して選び取る・・これは批判でない・・故に比較するのが学問の始まり・・比較研究の本は多くある…
>Morrisさん
ありがとうございます。表面的・宗教に無知な判断は危険で、避けたいと思いますね。

>浮浪旅人さん
「批評」と「比較」、たしかに似ているようで違います。
これは言葉自体の意味や用途が違うのですから、異なるのは当然です。

ただし、浮浪旅人さんはじめ多くの方々は、「批判」という言葉の捉え方が
違うように思います。あるいは「批判」に「貶す・謗る・非難する・悪く言う」などの
「誹謗中傷」的な、別個の意味を負荷して、「批判」自体を否定していませんか。

「批判」そのものを否定すれば、意味のない無限ループに陥ります。
それは宗教や人類の歴史を全否定することにもなりかねませんよ。

順序だてて説明させて頂きます。

広辞苑には
「比較」とは、くらべること、くらべあわせること。とあります。
「批判」とは、
1.批評し判定すること。
2.人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性を評価すること。
 否定的内容のものを言う場合が多い、云々・・・
 (世間的には、2つ目の用法が通例となっています)

批判という言葉が引っかかるのであれば、「否認」でも構いません。
たとえば、あるいは「カレーとシチュー、きょうはどっちにしようか・・・」、
献立に悩んだとします。そこで「少し前もカレーだったから今日はシチューにしよう」
と判断したとします。あるいは、買い物で野菜や魚の鮮度や値段を比較して選びます。
「あぁ、この魚は鮮度が悪いから、こっちがいいわね」と判断した時点で、
優れた方の魚を選びとっています。

取捨選択で選ばなかったシチューや魚は、評価に値しなかったから買わなかった、
ということになります。したがって広辞苑の字義に従えば、
選び取られなかった側は、その時点で既に「否認」、「否定」したことになります。
つまり「比較」した時点で、すでに人は何らかの批評を下し、その是非を多少なりとも
判断しているのです。この点は既に88で苦沙弥尼さんも指摘しておられます。

上記で述べた通り、各宗派の祖師方や釈尊も、自説の正当性を顕示するために
比較程度の差はあれ、多少なりとも批評・是非を判断しているのが事実です。
したがって日蓮のように激しく厳しく批判せずとも、多少なりとも評価するものです。

そこに、「腐す、謗る、非難する」などの意味を加えて批判する場合もありますが、
それ全体を一緒くたにして「批判」と捉えるであれば大きな誤りです。
多くの人はこの点を誤解して「批判は良くない」と「批判」します(これループです)。

人類は、劣った技術より優れた(と人類がひとまず考えた)技術を選んできました。
これは一種の取捨選択で、その是非を人類が評価してきたわけです。

また、これも上記で既に述べていますが、
批判することが問題ではなく、批判したその内容が真っ当なものかどうか、です。

この辺りをいま一度よくお考え頂いて、表面的な良し悪しに終始せず、
実りある判断基準の総意形成ができれば幸いです。
批判することが問題ではなく、批判したその内容が真っ当なものかどうか、です。ww?
レスに既に書込みしてるが…買い物でも…比較するでしょうと書込みしてます。同じ様なデジタルカメラA・B・C…
 批判したその内容が真っ当なものかどうか・・?真っ当・真っ当で無い何処で線付けてるの?…これこそ批判の原因。

 機械のABC…人により選び取り選択はお互いに異なるでしょう、形・重さ・其々の人の好みで購入するでしょう…。私はAを選んだとする・貴方はBを選ぶとする、各々選択は自由であり…A以外を選んでも批判した事になら無いでしょう。

 運命論を出したのも同じ意図…何事も運命と言い片付ける考え方を私は選ばない、人生は精進・努力を教えてる方を私は選択して後者を選び取るのが私の基本的な選択方法です他の人がどの道を選ぶのは自由…

 運命論を選ぶ人は、それに対して私が…口出す必要も無い…何事も運命だからと、あきらめてしまうより・・私は少しでも条件を良くしようと、精進・努力を私は因果律の方を私は選択して選び取る…これ以上は無駄なので止める…レスしない…他の問題思想出て来たときは良い質問あれば・・・レス入れる。
 貴方が…他のの説を選んでも・私を批判してると受け取りませんよ。

★他の宗教を批判をしない宗教なんてありえないでしょう… 本当?少し意味合い異なりますが既に二千年前に教えを…誹るような事し無いようにと中国で翻訳されてる言葉有りますよ、それを受けついたのでしょう…

 5百年前の古典にも他の宗派を誹らない様にと言う言葉も残されていますよ…八百年前頃の古典に各々の自由ですよと言う言葉が残されてる、取るも取らない事も自由ですよと書かれてる・故に★の言葉は正確とは思いませんが…これも古典の言葉と比較して考えられる。
>浮浪旅人さん

レスに困りますねぇ…。「批判」の意味を理解せず、私のレスをナナメ読みして
論点がズレたままで議論してもまったく噛み合いません。
いま一度、広辞苑での「批判」の意味を読み返してからレス頂けませんでしょうかね?

つまり、貴方に代表されるように多くの方々は「批判」の正確な意味を知らずに
「批判は良くない」というのは、無知から表面的な世間一般論のキレイ事で
モノを述べているに過ぎない、ということを私は申し上げています。

こんな論調を展開されてもまったく無意味なんですけどね…。
それでもまだしつこく同じ論調を展開されるのなら、私はこれ以上レスしません。

それから、私自身はTPOに合わせて、ここでは真面目にレスしていますが、
私を批判しないと仰る反面、

>批判することが問題ではなく、批判したその内容が真っ当なものかどうか、です。ww?

と、場を弁えず、敬意のない嘲笑を表わすようなレス文面(ww)で返されるあたり、
貴方の言動に相当な矛盾を感じます。残念ながらご自覚されておられないのでしょうね。
これでは議論以前の問題かと存じます。この件に関して拘るつもりはありませんが、
貴方の誠意ある態度と言動から、整合性のあるご回答を期待したいものです。

なお、貴方は宗教を批判しないのであれば、すべての宗教を是認する、
ということで宜しいのですね?したがって犯罪を犯したオウムや人民寺院なども
貴方は結果的に是認したということになりますが…。
なおこれは貴方の論法をそっくりそのまま返しただけで、決して極論ではありません。
その辺りもご自身でどのように整合性をご説明いただけるのでしょうか?
貴方はこれらは宗教ではないというかもしれませんが、それは道理として通りません。
カルトも宗教の(立派というとヘンですが)カテゴリに入りますので。

それから、500年前の古典文献などは以後その孫弟子たちがそっくりその旨を堅持し
守り通して一切否定せず「今も残って発展している」のですか?←ここ大事な部分です。

500年前の文献が何か、私は寡聞にして存じませんが、文献などを引用される場合は
ボヤかさず、できるだけ出典元を明らかにしていただけると助かります。
私含め多くの方々が検証できませんので。

それでは何卒よろしくお願いいたしますね。
はじめまして。流れを切ってしまうことになるかもしれませんが
議論にお邪魔させてくださいまし。

私個人が、全ての宗教の文献を読んだわけではないので
(いや、そんな人居ないとは思いますが・・・)
知識が偏ってるのはご容赦ください。

個人的には、きゅーたろーさんと同じようなスタンスになるでしょうが
他を批判しない宗教ってのは存在するんでしょうかね?
歴史的事実から言えば、そんな宗教は存在しないと思われます。
多くの宗教の場合、排他的になるのは当然だと思いますので
例えば、「キリスト教徒でもあるし、仏教徒でもある」
というのは、一般的には容認されません。
どの宗教も優位性を示すことによって、信者を獲得する
そこにお金が絡もうが、政治的意図があろうが、
とにかく、宗教ってのはそうやって存在してきました。
というか、全く批判しない宗教を良い宗教とするなら
いったいどの宗教が当てはまるのか、知りたいくらいです。
仏教の歴史2500年の間に全く批判が無かったか?
とんでもない!批判と論戦の連続です。
外部との対立は元より、内部での対立が多いですからね。

まぁこの辺りは、きゅーたろーさんと同じなので端折ります。

また
>>それから、500年前の古典文献などは以後その孫弟子たちがそっくりその旨を堅持し
>>守り通して一切否定せず「今も残って発展している」のですか?

これも大事な部分ですね。
文献の言葉をそっくりそのまま受け取って信じ込んだら
一発で真実を見失います。
E.H.カーの有名な言葉「まず歴史家を研究せよ」ではありませんが
文献を書いた人間の意図を汲み取らなければ行けません。

>>5百年前の古典にも他の宗派を誹らない様にと言う言葉
こういった言葉があるということは
「そう書かなければいけないほど、他の宗派を批判していた事実があった」
ということでしょうか?行き過ぎを止めたってことだと思いますが。
とは言え、漠然と500年前、700年前と言われても困りますので
きゅーたろーさんと同じく、出典元をお願いしたいです。
そうでないと、明確にわかりませんからね。

あとチェック表を用いて、この世界に数多と存在する宗教を
「ここに当てはまるから悪い」「当てはまらないから良い」
というのは無理があると思います。
項目の内容云々の前に、○か×かで分けられるほど
宗教の教義ってのは明確ですかね?

例えば、
4経典
W 誰が書いたかわからないもの。理論に一貫性がない。
誰が書いたか分からない文献を悪いとすると
この世界に存在する仏典とかは、丸ごと当てはまってしまいますな
もちろん、「釈尊が語ったことだ」と言えば救えそうですが
仏滅後何百年も後にできた大乗経典も当てはまるんですかね?
リスト作成者さんの基準がよくわかりませんが・・・

もちろん、何が良い宗教かってのは難しい問題だと思います。
私の友人が新興宗教に嵌った時(現在も嵌ってますが、連絡つかず)
その本人にとっては、その宗教は「良い宗教」でしたからね。

とりあえず私の意見は2点
・チェックリストで宗教を判断するのは難しいですよ
 ただし、「こういう事をしていたら悪い」という判断はできると思います。
とりあえず、しつこい勧誘と金銭の要求をされたら悪い宗教と思え!って感じですな

・批判しない宗教ってないでしょう
いくつもの宗教が何千年もの間、仲良く平和で来たのか?という疑問は
当然の如く起こると思うのですが・・・

>>きゅーたろーさん
ここからは個人的なレスですが、
「宗教を対概念を用いて判断するのは不可能」
と言うことについてはどうお考えでしょうか。
チェックリストにあるような
「A」「Aでない」と言ったような単純な概念で
宗教を判断するというのは、難しいと私は考えております
レス、もしくはメッセでも良いのでお考えをお聞かせ下さると幸いです。
あくまでも、私個人の好奇心ですので・・・お手数でなければ・・・
95…貴方は宗教を批判しないのであれば、すべての宗教を是認する、
ということで宜しいのですね?したがって犯罪を犯したオウムや人民寺院なども
貴方は結果的に是認したということになりますが…。95のレスwwwと笑いたくなると同時に語学力の無いと驚くばかり…
 味噌も糞も似てるからとて同一で無いには明らか…95の論法は…味噌も糞も食らうのかとレスしてるのと同じ…ププーフフー義務教育終えてたら判るレス書いてる積り…。

 これ以上レスしない積りでしたが…馬鹿らしいレスなので一言、文章の理解力無いと感じる…以前のレスにも書き込みしてるが…比較した上での1宗派の仏教徒ですよ…他の宗派の批判・誹謗は争いの元と教えられてる。

 すべての宗教を是認すると何処にも書かないよ…味噌と糞同線上に考えないよ、各々信教の自由だから他を批判する必要も無い…宗派の選択は、私がAを選んだからとて…他の宗派を批判して誹る積りは無い人間だから…当然他の宗派の教えに対して…体質的に受け付けない宗派有るけど…
>Kazukingさん
まったく同意します。さてご質問いただきました、

>「宗教を対概念を用いて判断するのは不可能」
>と言うことについてはどうお考えでしょうか。
これも仰るその通りです。宗教は二元論などで割り切れる単純な問題ではありません。
私は、対概念そのものが既に違う(本質を見失う)ように思います。
だからこそ大乗仏教では、煩悩即菩提、生死即涅槃などという
「不二法門」から対概念を超越することを提唱されたのではないでしょうか。


さてさて。何某のレスに関しましては、
そのやりとりを対比してご覧頂ければ、
他の方々もよくご理解頂けるかと信じております。
(子供にもわかるように説明させて頂きました。爆)

またメッセージなども直接頂きましたが、
どれも「議論にならない方とは関わらない方がよい」といったご意見ばかりでした。
(みなさんありがとうございました)
ですので、今後は何某のような、日本語の通じない読めない、また書けない、
礼儀を欠いたレスは、冷静な議論の妨げになるので、一切無視させて頂きます。
二元論の意味理解出来てないね…神と人間完全に1つに成れない立場であるから相対するから…二元論

煩悩即菩提、生死即涅槃〜即の意味も・仏教は成仏道だから…1つに成れる世界それを即と言う意味だよ…下手な逃げ口上は…意味無いよ
 煩悩即菩提、煩悩の氷解ければ、そのまま=即ー菩提の水と成る意味だよ…知らないの?
 生死即涅槃、生死の迷いの、そのまま=即ー悟りの涅槃の意味も知らなくて?レスしてるの?仏教の基本だよ
 此処には色々な宗派の人が来てるでしょう当然色々な考え出て来るのは当然の事、個人的にメッセ直接可笑しいじゃん…逃げ口上に見える、反論有れば直接此処に書き込めば…嘘の逃げ口上としか見えない。
>>[093]

>各宗派の祖師方や釈尊も、自説の正当性を顕示するために比較程度の差はあれ、多少なりとも批評・是非を判断しているのが事実です。したがって日蓮のように激しく厳しく批判せずとも、多少なりとも評価するものです。そこに「腐す、謗る、非難する」などの意味を加えて批判する場合もありますが、それ全体を一緒くたにして「批判」と捉えるのであれば大きな誤りです。


おっしゃる通りですね。
他者への批判あるいは検討ばかりでなく、私たちは自分を磨くためにも、過去や今日の自分について十分検討し、それを自ら批判して乗り越えてゆくという作業は、とても尊いものですね。
大切なことは、人々がお互いに真実を探究しようと話し合ううちに、自分と同じ意見でない人を、その意見の検討ではなく、人格批判あるいは人格攻撃の対象としてしまうような感情的逸脱はつつしむべきだということですね。
仏教にも他の宗教にも完全はないのだから、批判もあって当然だと思います。

大切な事は、一つの否定で全てを否定しない。指摘に対して聞く耳を持つ、指摘が誤りであれば正解を説明出来る様になる。

批判や対立は、真の正解が出せ相手に伝えられるまで続くもの。真の正解が出せ理解を得れるまで、優先される大切な事を抜きにしてはならない。

難しいことはわかりませんが、

たとえばお布施。

【今、命あることがありがたい、感謝の気持ちで自分のお金を役立ててほしい】とお布施出来る気持ちになれるのが宗教。

反対に

【目標○○円、お布施しないと不幸になるよ】と出させるのは宗教に見せかけた詐欺。、、

また、

【人の幸せを願える自分に近づける】のが宗教

【理想社会を築くために、自分たち以外を排除する、または自分たちの考えだけを他人に受け入れさせようとする】のは神に従がっているように見せかけて自己中心。

善意は宗教だからではなく、生命の根元にあるもの。それを、どの道を用いて使うかで善は悪にもなる。

理想社会を築くために、自分たち以外を排除する。それが、必要な時もあり正解でもある。

それをしないで築くのが仏教。しかし、仏教が築けるのも時と場合により。

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