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集え!銀太郎エイジ!!コミュの「銀太郎」 その2 三菱ふそう編

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このトピでは、もう一方の銀太郎である、三菱ふそう車について語りましょう。

コメント(19)

「なまず」が全国的に有名となり、陰に隠れた感すらある三菱ふそう製「銀太郎」。管理人個人的には、「なまず」よりも「エアロスターK」の方が好みなのですが(藁

それはさておき、まずは「ひらめ」こと呉羽自動車工業製ボディを架装した、K−MP118Nをご紹介。
※それにしても「なまず」やら「ひらめ」やら、魚の名前がニックネームになるのが多いですねw

1枚目は、内野営業所内で撮影したG487−M。西小針線を中心に活躍していた当時のものです。この車両が新製されたころまでは、「銀太郎」の愛称はありませんでした。K−の車両は12台が内野、2台が万代の所属でした。

2枚目は東部に転属した後のG479−M。内野所属の頃に屋根を赤く塗られ、「赤バス」化しました。

3枚目はそのG479−Mが地方へ転属し、新交貸切バス五泉営業所へ移籍後の姿。赤く塗られた箇所は銀色に戻されたものの、屋根上のベンチレーターが撤去されて、すっきりとした姿になりました。仲間が佐渡へ渡る中、唯一本土に残ったのもこの車両でした。
> G969-Mさん
エアロスター試作形も毎日のように通学で使っておりました。
そう言えばこのタイプの車輌なんですが、赤屋根に塗り替えになったのはスケルトン車の中で、一番遅かったように記憶しております。平成5年初夏の頃まで、ごく一部が銀屋根のままだったと思います。
次はボディスタイルは同一ながら、排ガス規制の違いから形式がP−MP118Nとなった、G504−M以降のご紹介。この車両の特徴として、フィンガーコントロールトランスミッションの採用が上げられます。

1枚目は、原型のG524−M。万代営業所所属でした。その後万代営業所と山の下営業所が統合され新潟東部営業所となった際に、新潟中部営業所に運用ごと移籍しました。

2枚目は晩年のG521−M。内野営業所所属時代に赤屋根化し、その後に京ヶ瀬→新交貸切五泉と移りました。
この時G519〜521の3台が一緒に移籍したのですが、G479とは違って屋根はそのままでした。さらにG521のみ、なぜかベンチレーターが2つ残存していました。廃車になるまで、内野営業所当時の「西小針線快速停留所案内」が残っていました。

3枚目は寮車であるG520−Mのリアスタイル。このスタイルは京阪バスのエアロスターKなどにも採用されています。この試作エアロスターボディは実質エアロミディMMのストレッチボディであり、新潟交通のほか京都市交通局、日本交通、東京都交通局等で採用されました。
素人車両さん>
確かにこのタイプが赤屋根になったのは遅かったですね。塗り替えたのを始めて見た時の衝撃は、今でも色々な意味で忘れられませんwww

銀色に塗り替えられた車両を見たときも、なんとも言えない気分になってしまいました。

私も学生時代に良く乗っていたこともあり、身近な存在であることは確かですね。この後も画像貼り付けは続きますのでお楽しみに。
さて、昭和60年からはエアロスターKの量産型である、P−MP218Pが登場します。

1枚目はその第1号車である、G598−M。内野営業所で活躍した後、下山営業所に移籍するという意外な履歴を持っています。
このロットのみ運転席上にベンチレーターが設置されているという特徴があります。G605−Mは後者ボタンのチャイムの低音と高音の鳴り方がなぜか逆になっていて、良く覚えています。

2枚目は昭和61年製のG692−M。この年と次の年は5台ずつの増備となりました。ベンチレーターがついに無くなり、屋根がすっきりしたのはこの年から。まだ出入り口表示は幕式です。

3枚目は昭和62年式G779−M。内野営業所持ちの女池愛宕行きの幕は、このように「西跨線橋経由女池愛宕」となっているのが特徴。
車両の特徴としては、ついに出入り口表示がサボになったほか、ワンマン灯が無くなりました。都市新バス用として増備されたのは、これが最後となります。
昭和63年に増備された車両からは、バスロケーションシステムなどの装備を省略した車両が入ります。配置も今までの内野営業所集中から、万代と西部へ分散配置となりました。

1枚目はG881−MとG882−Mが仲良く2ショットとなった、偶然の1枚。万代にG880〜884、西部にG885〜888までが配置されましたが、万代営業所の車両は後に西部へ移動、このロット全てがつい最近まで同一所属となっていました。
共通の特徴としては、前年の車両に準じながらもバスロケーションシステムを省略したことがあげられます。さらに西部配置の車両は、市内線専用と割り切ったのか、デジタル運賃表まで省略されていました。
主に西循環線で運用されていましたが、万代の車両は郊外線でも使用され、横越線や急行村杉線で運用されていたのを確認しています。

2枚目は最後の「銀太郎」となる、平成元年式のG973−M。G965〜974まで全て内野営業所に配属されました。
前年同様バスロケレス車でしたが、後にG971−Mがバスカラーリングコンテストのデモカーとして、G965−Mが一般車両の補充として西小針線で運用される為、バスロケ設備が追加されました。
なお、補助幕で「大野」とあるのは、黒鳥線の幕を当時装備していなかった為。

3枚目は、初代と最終ロットの「銀太郎」と、その後継に当たる初代「赤バス」G1031−M。ふそうについては、ボディのフルモデルチェンジが長く行われず、U−になってもエアロスターKボディが継続生産されました。
雑談ネタを1枚。
新潟交通株主募集ポスターやチラシに写っている、一見何の変哲もないエアロスター。でも、よーくナンバーのところを見てみると・・・。

一部の方には有名なこの件、お問い合わせは一切しないようお願いします(笑)。
お世話様です。

ちょっと反則になりますが、ヒラメ試作エアロ。新潟交通の路線車両として、事業者も新潟交通と関係ありませんが、新発田で見ることができます。路上で見かけることも可能ですが、毎日?マニア席??に誰かが同乗してるので、単独での運転はほとんど見かけないと思います。
新潟交通と違い、明らかに尺が短いのでスケルトンボディとしては迫力に欠けてしまうかもしれません。

本命、新潟交通の試作エアロ。新発田にも所属してた時期がありましたね。旧7号線、濁川中学前で木崎経由新発田の幕を見たときは、それはびっくりしました。
最初は東部の新発田線運用だと思っていたのですが、平成8年に新発田中央高校の構内に入って行った時も驚きまくりでした。幕も新発田駅一本幕。
その当時、ついこの前なんて黒鳥経由内野の幕を見ていただけあって、まさか新発田にやってくるとは想像もしてませんでした。

P-MP218P初期エアロスター。管理人さんが貼られたG598-Mは、G599-Mと同時に下山から新発田に移籍したようですね。一度だけ木崎経由の幕を見かけました。最終的には加茂へ転属となり、そこで生涯を終えたようですが…?


雑談ネタのエアロスター。これには参りました。誰が考えたのでしょうね(笑)。




2008年3月。友人(非バス系)と佐渡に行ってきました。佐渡の日キャンペーンを利用したものです。

一泊二日の行程で、バスにもそこそこ乗っていながら、残念ながら本土から移籍した長尺エアロスターには一度も乗れませんでした。

しかしながら、佐和田バスステーションで見学させていただくことができたので、撮りまくったのは言うまでもありません。

最終日のジェットフォイル乗船直前、こんな行き先のエアロスターを見ることができました。

海府線直通、戸中(とちゅう)行き。

側面は辛うじて行き先はわかりますが、正面だけを見てもわかりにくいですね。本体路線のように、


相川経由 戸   中


本   線 戸  中
(海府線直通)

とかにすれば、まだわかると思いますがいかがでしょうか。

今では本体と同じように系統番号が割り振られるようになりましたが、馴染むまでには時間を要しそうですね(笑)。

※敢えて画像処理してません。
<video src="9855272:c8e3123d61c8036ddf57fbdf1680af00">
両津発戸中行きの発車シーンです。画像が粗いのはご了承ください。

それにしても、バスが発車合図を出してるのにまったく譲ろうとしないドライバーにはちょっと呆れました。


※おまけの画像を2枚。

本体では見かけない中型エアロミディです。H代トップナンバー車(新潟200)ですね。中型車の割には中引戸仕様のため、単独で見ると大型車のようにも見えます。

今では方向幕はLEDになっちゃいましたね。

こちらのトピにも先日の貸切乗車会での画像を。
以前ご紹介した画像にも登場した、G882最後の雄姿です。
佐渡のエアロスター H75ーMもLED方向幕になりましたわーい(嬉しい顔)前回と同様 運転中だったため撮影は出来ませんでしたが 撮影できましたらまたのせたいと思っていますウインク
エアロスターさん>
初代ノンステもLED化しましたか!!本土に残っている兄弟よりも都会っぽく見えるんでしょうね(笑)。撮影できましたら、ぜひ投稿お願いいたします。
H75-Mですが LED表示がない状態ですが撮影してきましたわーい(嬉しい顔)あと、前から気になっていたG1275-Mも撮影できましたわーい(嬉しい顔)
> エアロスターさん
初代ノンステ車のLED方向幕は本当に都会的ですよね。本体から子会社移籍された車の処遇は、佐渡は恵まれていますよね。
> 素人車輌さん
佐渡へ移籍した車輌が こんなに変わるなんて思ってもいませんでした。次は 表示されてる時に撮影してこようと思っていますウインク
こちらでは久々の投稿です。

新潟市内で北村いすゞなまずと同時に大活躍していたU-MP218P。今では全車が関連会社に移籍し、市内中心部に乗り入れるのは潟東のなまずG904-Iと同営業所のG1128-Mのみとなりました。

画像のG1121-Mは同僚がどんどん転属するなか、西部で最後まで唯一の長尺K型ボディとして残りましたがついに島流しになり、佐渡島内で本線を中心に今でもバリバリに動いてます。

何で残ってたのか、いつだったか西部営業所の運転士さんにお聞きした時、エンジンの調子がよくなかったらしく、廃車候補に上がってたそうです。

転属させるのも勿体ないってことで、そのまま西部で最後まで使う予定だったらしいですが、あの西大畑の急坂を余裕で走り抜けるパワフルからは廃車なんて全く考えられないくらいでした。

画像は西部時代のG1121-Mと、佐渡に転属して本線で活躍する姿です。昨年11月の日帰り強硬旅の最後でも乗りました。

そろそろMBMボディも島流しになるのでしょうか。去就が気になります(笑)
潟東のじょんのび館浦浜線で生涯を終えたG606。内野〜巻〜潟東でしたっけ? 個人的には左の白根営業所行きが気になります(笑)

確か昭和59年か60年の撮影だったと思いますが。

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