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集え!銀太郎エイジ!!コミュの「銀太郎」 その1 いすず編

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銀太郎はいすずシャーシと、ふそうシャーシの二種類のみ導入されました。ここでは、「なまず」などのいすず車について語りましょう。

コメント(8)

学生の時分って言うか、ほんのつい最近まで新潟市内線は「なまず」が第一線だったと云う印象が抜けません。
当時、古町あたりで新潟駅行きバスを待っていると、来たバスが「なまず」だと「またか」とばかりに乗り過ごした程でした。それが現在では、あの頃が懐かしい気持ちと、スケルトンボディーのバスも続々と引退を迎えていることが寂しい気持ちの両方があります。
素人車両さん>

お世話になっております。確かについ最近まで「なまず」が新潟市内を縦横無尽に走っていましたよね。しかし、消えるのが早く、あっという間に残存するのは2台のみになってしまいました。

2002年のワールドカップ輸送の為、大量の「なまず」が廃車を免れて残り、6月3日の予選シャトルバスでは大勢のサポーターを載せて駆け抜けていったことを思い出します(ちなみに輸送応援に借り出された友人の運転士は、その「なまず」のうち1台を運転していました)。

古町〜新潟駅方面ですと、市内線に「なまず」が来る確率が高く、特に中央循環線は担当していた南部・入船・西部・万代の4営業所全てが「なまず」中心で配車を組んでいたせいか、9割の確立で当たりました(笑)。
逆に意外な路線に「なまず」が来ると、反射的に乗ってしまうこともしばしばでして・・・。たとえば昭和大橋線や附船町線(入船)、小針十字路発新潟駅前行や有明線(西部)等。運用単位で珍しいものですと、万代営業所が担当していた女池線運用に、市内線仕様の「なまず」が1回だけ入ったのを覚えています。
> G969-Mさん
そう言えば学生の時分、朝のラッシュ時の新潟駅行きに、西小針線や有明線になまずが運用されていたのを毎日のように見ております。特に、朝の西小針線にはバスロケの設備が無い西部の車が入っていたと記憶しております。
それと、附船町線や昭和大橋線に、なまずが入っていたと云う話は初耳ですし、見たことがありません。
ただ、入船になまずの配置があったので、回送を兼ねたものか、あるいは他の車輌の代わりに入ったのかもしれないですね。
素人車両さん>
有明線や西小針線幕の新潟駅行きのうち、朝ラッシュ時限定で小針十字路や帝石前始発の便があったんですよ。その為、幕はその路線の一番短い定期路線のものを使用していました。たとえば小針十字路始発では新潟大学前始発、帝石前始発では五十嵐一の町始発というように。これらは全て西部の担当でして、モノコックのU30Nが入ったりしたもんですから、西小針線の完全冷房化率100パーセントを阻んでいたのは、実はこの運用だったりします(笑)。

話がそれましたが・・・、附船町線や昭和大橋線の運用は確かに入出庫運用を兼ねていたのかも知れません。沿線の某病院へ通院していた頃、たまに「なまず」が入っていました。
さて、こちらでも画像を貼り付けていきます。

とはいうものの、P−LV314Qのうち昭和60年式の車両画像はご用意できませんでしたので、昭和61年式からの量産型「なまず」の画像を。

1枚目はスタイルが確定した昭和61年式G659−I。試作型にあったフロントガーニッシュが無くなったほか、屋根上のベンチレーター廃止、後扉上下寸法拡大などが行われ、すっきりとしたスタイルになりました。しかしながら、車内では試作型とほぼ変わらない室内処理でした。なお、この年式からエアコントロールトランスミッション(ふそうで言うところのフィンガーコントロールトランスミッション)が採用されました。

2枚目はバスロケ設備が省略された、市内線専用の昭和62年式G767−I。
画像を撮影した当時は、西部営業所から内野営業所へ予備車として移籍した後。なんと移籍後約1年ほどで廃車されてしまいました。G744〜748・750〜774まで30台が大量導入されました。

3枚目は最終「なまず」、昭和63年式のG868−I。入船営業所に投入された5台のうちの1台。冷房ダクトが車内にはみ出さなくなったのはこのロット。
G860〜879、894〜910まで37台が投入されました。バスロケ設置で中部配置のG860〜864、入船配置のG868・869・899〜901
、南部営業所初の新製冷房車となったG902〜910など、特徴ある顔ぶれがそろっています。入船の5台はバスカード試験車両として整備され、廃車になるまでその証である「黄色○ステッカー」が出入り口付近の窓に貼り付けてありました。
ここまでは晩年の姿しか貼り付けておりませんので、まだまだ新車当時の「なまず」画像を1枚ご紹介。それが1枚目の南部営業所所属G903−I。まだボディのやれも無く、ピカピカです(笑)。中央循環線で主に使用されていましたが、もちろん女池線や弁天橋線、石山線や東明線にも入っていました。

昭和63年で北村製作所が大型バスボディ製造から撤退、平成元年式は富士重工7Eボディが採用されました。それが2枚目の画像にあるG958−Iなどの15台。
G950〜959が南部、G960〜964が西部に配属されました。
こちらの車両も気が付けば画像の車両が潟東に、G959が五泉にいる以外は廃車となってしまっています。
UD・ふそうに続いては、こちらでも貸切乗車会の画像をご紹介いたしましょう。
先日の乗車会では、改めて「なまず」人気の強さを見せ付けられました。
小回りの利くいすゞシャーシの良さが光る一面もありました。
まもなく「なまず」が引退するということで、少し思い出話なんかを。

私が高校生の頃、学校へはメジャーなJRではなくバス通学を選択してました。
通っていた学校が南部管内沿線だったこともあり、なまずに乗車する機会も多か
ったです。
検定帰りに中央循環に乗ったら、突然車内で歌いだした南部の名物運転手のEさん
にはびっくりしました。

なまずが多く配車されていた路線として、下山線や西循環線、中央循環線などが
ありましたが、その中でも中央循環線は、毎週土曜日にある理由から必ず乗って
いました。

そんなある日のこと、私と数人の友人でやって来たバスを見て「このバス、何か
魚みたいだよね?」「フナでもないし、ドジョウでもないし…」「…あ、なまず
じゃね?」「!!」…とまあ、そんな会話がきっかけで、当時「銀太郎」の一員と
して頑張っていた車両を、仲間内で「なまず」と呼び出したのでした。

それから数年後、とある有名なバスファンサイトの掲示板に「北村LVを【なま
ず】と呼んでます」という書き込みがされ、それがきっかけとなったのか、いつ
のまにやら「北村キュービック=なまず」という代名詞となり、全国にその名が
広がりました。

なまずに乗って印象に残っているのが、冬の五泉営業所管内大安寺線での出来
事。
友人である某ウテシに「乗りに行くよ」と前もって伝えたところ、「来るなら
防寒着を必ず着込んで来い」との返事が。なんの事やらさっぱりわからないま
ま、他の友人と五泉発新津行き(当時)の大安寺線に乗り込み、堤防沿いに出たと
ころ、ものすごい勢いで車内の暖気が逃げて行って、すきま風が吹き荒れるとい
うことがありました。途中の大安寺本村での時間調整で、自販機のホットコーヒ
ーに手が伸びたのは、言うまでもありません。某ウテシ曰く「なまずは季節を肌
で感じられるクルマ」だとか。

他にもいろいろあるのですが、今回はこれにて。
※画像の車両と上のエピソードは、関係ありません(笑

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