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「実践の倫理」読み合わせコミュの第二章 平等とその意味するもの

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・平等の基礎
「人は全て平等」とは正確には何を意味しているのか。
道徳的人格を平等の基礎とする考えもあるが、これには問題もある。
平等についての最小限の原理は「さまざまな利益に対する平等な配慮」である。
最小限であるとはいえ、あまりに多くを要求することもある。

・平等と遺伝的多様性
人種間で生物学的な理由により平均知能指数が異なると仮定した場合でも、それは人種差別の根拠になり得ない。
誰かが劣悪な環境で能力を発揮できない状況を肯定できないし、また、それは個人の能力については何も述べていない。
さらに「平等の原理の基礎≠全ての人々が現実に持っている平等性」だからである。
性差についても同じことが言える。
心理的差の起源がなんであれ、社会的条件づけによりこの差は大きくも小さくもなるし、それは平均を考える時にのみ現れるものである。
「平等の原理の基礎≠全ての人々が現実に持っている平等性」は、性差についても言える。

・機会の平等から配慮の平等へ
子どもの育つ環境条件を等しくしても遺伝的特性に関する差違は現れる。
故に機会の均等は魅力ある理想ではない。
正しく平等な収入の配分が達成されないのは「高いIQに結びついた能力を遺伝的に受け継いだ人が、そうでない人に比べてより多くの収入を得る」からである。
これらの是正は困難だが、圧力をかけるにふさわしい国というのは(アメリカなど)存在する。
「上流階級」向きの職に多くの報酬を与えることはインセンティブとしてあまり意味がなく、財源の無駄遣いである。
不当な富の排除のためには私企業の廃止も視野に入るが、現実的に無理であろう。
一方、遺伝的に獲得した能力ではなく、努力と必要によって報酬を決めるべきという原理がより広く認められるように働きかけ得ることは現実的であり、かつ正しい。

・積極的是正措置
人種的性的平等の達成のためには、不利益を被っているグループに対して優遇措置を与えることが考えられる。
「利益に対する平等な配慮」という原理にしたがえば、被差別者の利益を軽視する差別は排除される。
社会的平等という全体的な目標の為には、法律・医療などの専門職に少数グループの人々が多く進出することは望ましい。
積極的是正処置(マイノリティーの大学入学優遇など)は平等原理に反しないし、マイノリティー以外の人々の権利を侵害しない。

・終わりにあたって──平等と障害
障害と提供されている職業などの間に関連がない場合、就職差別はされてはならない。
機会の均等だけでは不十分であり、積極的是正処置が講じられるべきである。
障害を持ちつつ人生を最高度に行きたいと願う人々には援助を与えるべきである。
「これから生まれてくる子供について障害のないことを選択するならば、その根拠は偏見だ」というのは、ここでの議論とは別物である。

コメント(4)

(月餅息子12歳)
医者と弁当の上にタンポポを乗せる仕事が同じ給料になってはいけないと思う。
医者になるにはたくさんのお金が掛かる。
もしもお金が無料になったとしても、とても努力をしなければ医者になれない。
給料が同じになったら、みんなタンポポ係のほうを選ぶ。
医者を目指す人が減ったら、みんな競争しなくなって良いお医者さんになれない。
(月餅息子中一)
アメリカの大学で、もしも自分が黒人で黒人枠によって入学できたとしたら、嬉しいけれどどこか後ろめたい。
逆に白人で、入試に落ちたら黒人枠の黒人を憎むと思う。
>>2についてなんですが。

以下は出典がはっきり思い出せませんが、町山智浩が言っていたことのように思います。
アメリカでアフリカ系の地位がなかなか高くならないのは、この黒人枠が一つの原因となっている、という話があるらしいのです。
この優遇措置が自尊心の形成に悪影響を及ぼしているというような意味のことだったように覚えています(曖昧で申し訳ありません)。

また、優遇されて高い地位についても、そのスキルを自分の出身のグループに還元せず、裕福な層のグループとして生活することを選びがちだと。
呉智英も、日本でも高い地位に就いた少数グループ出身者について同じようなことがある例を出して、社会的な矛盾として指摘していました。

だからといって、私が積極的優遇措置に反対かというと、むしろ逆なのですが。
ただ、一筋縄でいかない複雑さがあるなと。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5214194&page=1&id=55879912
第四章の3-9あたりで話されたことを、こちらで少し続けます。

くじょうさんがおっしゃっているように、近代に「人間が人間であること故の平等」を打ち立てたのは近代ヨーロッパです。
それは、最初、強大な王権に対抗するための貴族やブルジョワジーと密接な関係があったのですが、その論の性格上、結局奴隷解放の思想基盤にもなります。
奴隷がやたら多くなったことも平等主義も、どちらも産業革命に端を発しているのも興味深い。
産業革命周辺の科学と社会構造を促した、反王権、反教会権力というダイナミズムもヨーロッパ特有だと思います。
アジアだと、支配者の交代とそれに伴う(群県制度か中央集権かなど)という変化はあっても、とうとう身分制度そのものへの懐疑は生まれませんでした。

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