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システマティックに創作文芸コミュの元栗総合高校 文芸部・文学散歩クラブ・小説創作部・劇作部・ポエム部ストーリー

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元栗総合高校の生活科学科に通う元栗蔵舞(もとくり・くらぶ)は、高校で5つの部活をかけもちしていた。蔵舞は、ほのぼのとした部室での放課後を味わいつつ、部活動はきちんと精力的におこない、大学受験のための塾も通う高校生活を過ごしている。このトピックは、そんな元栗蔵舞の、1兆円出しても手に入れることができない(金では買えない)ような青春時代の日々を描写したトピックである。

2021.6.5

コメント(28)

元栗蔵舞は、苗字が学校名と同一のため、しばしば学園の運営の子息かと思われてしまうが、たまたま偶然にすぎない。

元栗総合高校は、元栗会社が運営している。多くの学校が掲げているようなきれいごとは掲げず、効率よく大学受験の学習をして生徒を大学に合格させるという方針に徹している一方で、部活などは生徒がいかに楽しむかということと全国大会で活躍することを両立させるために力を入れている。部活の顧問は、普通の教師に任せるのではなく、外部から専門家を雇っている。

元栗総合高校には、普通科・商業科・生活科学科の3つの学科がある。商業科は、どこの共学の商業科でもそうだが、7〜8割が女子生徒である。普通科は、商業科に合わせるように、入学時から女子生徒の割合が7割以上になるように調整している。元栗蔵舞が通う生活科学科はいわゆる家政科なので、9割以上が女子生徒である。
元栗蔵舞の自宅は、港区の慶応大学に隣接したところの一戸建てだった。やや高台の、両隣がマンションで、背後は慶応大学の塀のため、隣接している一戸建ての家はまったくなかった。近くにも一戸建ての家は他にないため、近所づきあいといったものがまったくない家である。
蔵舞の親は塗装業をしていたが、作業場の建物は数百メートル離れたJR田町駅のそばにあった。築30年近い鉄筋コンクリート4階建ての建物で、1階を作業場に使い、2階には台所や風呂や居間があり、3・4階は親戚が経営する会社の事務所として貸し出している。親戚は元栗という苗字の近い親戚で、貿易関連の会社を経営しているのだが、蔵舞の親の家業である塗装業とは何の関連もない。
親は朝食を食べると、すぐに作業場に向かい、夕食まで戻らない。父親だけでなく、母親も仕事の補助をしているので、夕方の6時頃まで自宅には戻らない。自営業なので、土曜とか日曜に仕事を休むわけでもない。
小学生や中学生の頃は、学校から帰ると、親が自宅に戻るまでは蔵舞と3つ下の弟の2人だけだった。同級生の友達がくることもあったが、小学校の高学年あたりから同級生の特定の女子ばかりが来るようになり、やがて男女の関係を持つようになった。
慶応大学に隣接した自宅は、鉄筋コンクリート3階建て、50坪ほどの敷地にあり、小さな庭もあった。庭には離れのようなプレハブ小屋も置かれて、父親が書斎として利用していた。
蔵舞の部屋は3階にあり、3階にはシャワーもある。1階に風呂はあるのだが、それとは別に3階にもシャワーがあるということである。トイレは各階にある。
小学校5〜6年の頃は、同級生女子数人と、日替わりで、学校が終わった後に蔵舞の部屋で男女の行為をしたが、行為の後にすぐにシャワーを浴びてから帰ることができるのは女子から好評だった。
土曜日、蔵舞の高校は午前授業がある。今日は親は夕方まで仕事で作業場に行っているため、自宅に帰ったところで昼食の用意などはない。授業が終わった後、ラーメン店へ行き味噌ラーメンのチャーハンセットを食べた。
元栗総合高校は相模原市にある。JR横浜線の淵野辺駅の南口から徒歩数分のところである。淵野辺駅は北口を起点とした場所にいくつもの大学や高校があるが、南口には元栗総合高校くらいしかない(1km以上離れた場所に短大があるが、相模大野からのバス便が多いので淵野辺から行く学生は少ない)。
高校よりも駅に近いところに、蔵舞の親が所有しているワンルームマンションがある。6畳ほどの、バブルの頃に林立した狭いワンルームで、築30年以上たっている。授業が終わった後、この部屋で友達と過ごすことはあるが、平日、週4回部活がある蔵舞は、部活のない金曜日くらいである。この場合の友達というのは、男どうしの友達である。数少ない生活科学科の男子どうし3人でしばしば一緒に行動する。3人とも彼女はいるので、そういう方面で足を引っ張り合うということはない。そもそも性格的に、どんな状況でも友達の足を引っ張ったりしないような3人だが。
月曜日 ポエム部
火曜日 文学散歩クラブ
水曜日 文芸部
木曜日 小説創作部

どの部活も、一応、午後4時からの活動(水曜日は午後3時)となっているが、授業が終わった直後から、ボツボツと部員は部室に集まり出して、3時半にはもう実質的に活動を開始している。
同じような内容の部活なので部室を共有しているかと思われがちだが、この4つの部はすべて違う部屋を部室として使っている。元栗総合高校運営側の部活重視方針が表れている。同じ部屋なら兼部している生徒も多かっただろうが、部屋が違うおかげか4つをすべて兼部しているのは蔵舞1人である。
今日は日曜日だが、蔵舞は、交際している同級生の女子生徒と会うこともないので、自宅で読書などで過ごすことにした。
文芸系の4つの部、どれも、自宅で読書も部活動の一環である。部活そのものは週に1回、1時間程度なので、半分くらいの時間はいわゆる部会、打ち合わせに使われる。部会の後、どのような方向で読書するかという方針を決めたところで部活の時間は終わりになってしまう。決めた方針に沿って各自自宅で読書し学習をするということである。

つまり、この4部活の「部室」は、メインの活動を行う場所ではなく、ミーティングルーム、計画室、部員の顔合わせ室なのである。部室には書棚があり本がズラリと並んでいるが、原則として持ち出して自宅で読むことになっている。自宅に持ち帰れない大型本は部室で読むしかないが、普段の部活の時間には読めないので、土曜日の午後や日曜日に来たときに読んでいる。

日曜日も、生徒は部室に来て過ごすことはできる。警備員室で鍵を借りて、部室に入ることはできるのだ。ただ、蔵舞は自宅から学校まで遠いので、めったに日曜日に部室を訪れないのである。
昨日、土曜日は午前中は授業があった。最近、親は土曜日もずっと作業場に行っているため自宅に帰っても昼食はなく、そもそも授業の後、淵野辺から自宅まで帰ると午後1時を過ぎてしまう。高校に入学した4月は土曜日に授業が終わった後自宅に帰って昼食を食べていたが、最近は授業が終わった後は、3で述べたマンションのそばの店で昼食を食べることが多くなった。

生活科学科の2人の男子生徒の友達も自宅に帰っても両親はいないので、きのうは授業が終わった後、淵野辺駅そばのラーメン店で昼食を食べた。蔵舞は味噌ラーメンの半チャーハンセットを食べた。

昼食の後、3人はマンションの狭い部屋で語り合った。蔵舞もそうだが、あとの2人も大学進学は絶対にするが、さほど高いレベルの大学を目指していないという点では一致していた。
元栗蔵舞は、今日は火曜日なので文学散歩クラブの活動を5時までおこなった後帰宅し、夕食を食べた後、7時頃に学研CAIスクールのような映像授業の塾へ向かった。
映像授業の塾は、自宅でも授業を受けられることを売りにしていることが多いが、蔵舞が通っている授業は、あえて教室へ行き、ビデオブースのようなところでパソコンで映像授業を見る方式である。
今日受講しているのは「高校生物」である。中学生の頃、理科については手を抜いていた蔵舞にとっては、いまひとつ理解できないことの連続だが、たとえ今はわからなくても、中学理科からやり直せば理解できるはずだと考え、授業の内容の1割程度しか理解できなくても授業を受けているのである。
わからないことに耐えながら映像授業を見続けるのは、辛く、不安でもある。いつか、この内容が理解できるときがくるのだろうかという不安である。眠くもなってくる。しかし、我慢して見続けるのである。

わからない高校物理の映像授業を見ながら、蔵舞はぼんやり考えていた。これから、家に帰ってどんな勉強をするか。今受けている生物の復習など意味はない。いつものように、ベッドに横になりながら日本史の参考書を読もう。そして午前零時前後に風呂に入り、その後、眠くなるまで国語(古典)の参考書を読もうと考えた。

蔵舞が授業を受けだしてから30分ほどたってから、最近、ここでよく見かける女子が入ってきた。制服からするとこの近くにある私立女子高の生徒だ。もう午後7時半である。夕食はどうしているのだろう。蔵舞のことは認識しているようだ。おそらく蔵舞に好意を持っている。しかし、蔵舞は、たとえあの女子生徒が自分に好意を持っていたところでどのように発展させればよいかはわからない。
蔵舞は、平日、自宅に帰って夕食を食べると夕寝をしてしまう日が続いていた。
映像授業の塾に行く日は夕寝は防げるが、授業の間は眠くてたまらない。
夕寝をすると午後11時頃起きる。風呂に入った後、日本史の参考書を読んだ。
初級レベルの日本史の参考書を、半月ほどで読み終えた。
ある平日、授業が終わった後、仲間の男子生徒と雑談をしていて、日本史の参考書(具体的にどの出版社のなんという参考書かタイトルを言った)を読み終えたと話したら、仲間のひとりが言った。

「毎日、寝る前に10ページ20ページ、少しずつ参考書を寝ながら読んでいるというのは、手ごたえはないかもしれないが、まちがいなく、元栗中年社員が言うところの『1兆円出しても手に入れることができない夢のような大学時代』に近づいているんだと思う」

蔵舞はうなずいた。「中年社員さんは、やりきった感とか、充実感は『落とし穴』なので気を付けろと言っていたね。200ページほどの参考書を半月かけて読んだけど、土・日の2日間でがんばって200ページ読んだらやりきった感、充実感は味わえたかもしれないが、半月かけて少しずつ読んだことは正しいと思っている」

仲間は言った。「なんでも締切にならないとやらない人は、短期間で無理をして充実感を味わうことを求めているのかもな」

「締切効果だ、などと自己正当化したりしてね」

「わざと締切ギリギリにやって無理をして脳内麻薬みたいなものを味わう。まさに悪循環。その場合のやりきった感とか充実感は、『有害な麻薬による快感』にすぎない」

「有害な麻薬による快感!まさにそうだな。短期間でがんばって無理をして充実感だの満足感だの感じるのは毒薬によるニセの快楽にすぎない。そもそも、『達成感』だの『征服感』だの、〇〇感には要注意だな」

「たしかに、そういった達成感だの充実感だの感じたいという欲求はなくもない。ただ、今回のように日本史の参考書を読むという、本来地道な作業を無理やり達成感の対象にするべきではない」

「達成感、満足感、充実感を求める心理的欲求を、最大限に役立つ方向で生かすべきだな」
「すぐにでもできる、短期間で完了させられる、ほんのわずかな時間でこなすことができる、そういったことをわざわざいつまでもやらずにギリギリの状況にしたあげく、結局やらずに過ごしたりしてきたのは、ギリギリにして『達成感・充実感・満足感』という『麻薬』を味わおうとしていたのではないかということに今日はじめて気づいたな。これまで気づかなかった」

「しかもギリギリにしたあげく、結局やらないことがほとんどだった。まあ、へたにギリギリちゃんとやりきってしまっていたら、まさに『麻薬中毒』になっていたかもしれないが」

「ギリギリにしようとするのは、『麻薬を求める心』だと認識した以上、今後は、余裕を持ち、日常生活のように、無理せず、少しずつ続ける。感覚的な満足感ではなく、実際に、どれほど済ませているかを見据える。まあとにかく、充実感など麻薬にすぎないと気づいただけでも大変な転換だったといえる」
「自己満足という四字熟語があるが、実は、満足感といえる感覚のかなりの部分が自己満足にすぎないのではないか」

土曜日の午後、ラーメン店で昼食を食べたあと蔵舞のマンションに集まった仲間のひとりが言った。

「そもそも、満足感や達成感を求めること自体、麻薬を求めるようなものだったのかもしれないな」

「冷静に結果を分析して、実際に結果を出せていることが判明したときに喜ぶべきだろう。・・・しかし、実際に達成したことと、達成感というのはけっこう繋がっていないことが多いのではないか。達成などしていないのに達成感を感じたり、なんら手ごたえもなくなにかをやったという感覚も少ないのに、実は達成しているなんてことは多いのでは」

「なんら手ごたえもなくなんの達成感もないが、達成させつつあるということをつかむことを意識するべきなのだろうね」
火曜日は文学散歩クラブである。元栗蔵舞は部活棟へ向かった。各部活動のための部室は、校舎内にもあるが、校舎とは別建物の部活棟に部室がある部も多い。

部活棟は三階建でエレベーターはない。各回10畳ほどの広さの部屋が15部屋ずつある。階段を上がるのが大変な三階は半分ほどの部屋が空き部屋だが、一階は空き部屋はなく、二階も空き部屋は二部屋のみである。

文学散歩クラブは二階だ。建物の両端と中央に上の階へ上がるための鉄階段がある。蔵舞は中央の階段を面倒くさそうに上った。文学散歩クラブは中央の階段と端の階段の中間あたりにあるのだ。
文学散歩クラブは1年生から3年生まで全学年の生徒が所属している。全部で8人の部員だが、男子生徒は蔵舞のみである。
顧問に連れられ(元栗総合高校では教師が顧問をするのではなく外部から雇った専任顧問である)、学校のそばの文学史跡へ向かった。
淵野辺のあたりはさほど文学史跡が多くはないので、今日のように実際に現地を訪れるのではなく、部室で東京都心部あたりの文学史跡についてインターネットで検索しながら、あるいはEテレあたりで放送された番組を録画して保存したものや、市販DVDなどを見ながら語り合ったりすることが多い。
今日は日曜日だが、元栗蔵舞は部活で学校に行くということもない。そもそも、蔵舞の加入している部活は、めったに日曜日に活動などない。自主活動と称して部室に入ることはできるが、港区に住んでいる蔵舞にとっては相模原まで日曜日に部室で過ごすためだけに・・・というのはめんどうなのである。

蔵舞は、昼頃に起きて、ああ、今週も日曜日はこんな感じか、と、一瞬いやな感じになるが、この前、同じ生活科学科の友達と淵野辺の部屋で語り合ったときに、日曜日に日本史の参考書を10ページ読んだだけでも意味があるのだと言っていたことを思い出し、なんとなく手ごたえがないとか、せっかくの日曜日にベッドで寝ながら参考書を読んでいるのかとか、そういった「感覚的」なものに騙されず、以前、リアル・アイクラブから聞いた「1日1ページ参考書を読んだだけでも意味がある、高校生の頃に1日1ページ参考書を読んでいたら俺の人生はまったく変わった、1兆円出しても手に入らない大学時代を手に入れることができた」という言葉もあわせて思い出し、日本史の参考書を手に取るのである。

蔵舞は、日本史の参考書を10ページ「以上」読んだ後、古文の参考書を書棚から取り出した。古文の参考書はいまひとつ読む気になれなかったが、今日は、なんとなく読む気が出たのである。
14で書いたが、以前の元栗蔵舞は日曜日に学校に行くということはなかった。
最近、ポエム部に所属している彼女が日曜日にも部室で会おうと言い出し、このところ、毎週日曜日に学校に行き、ポエム部の部室で過ごしている。
ポエム部の他の部員も数人来ていることが多い。ポエム部の部員は、なぜかこれまで詩作をしたことがない生徒が多く、元栗蔵舞もそのひとりである。

ポエム部の部室の本棚には、「H氏賞受賞詩集」「中原中也賞受賞詩集」「ノーベル文学賞受賞詩人の詩集」がずらりと並べられ、詩の書き方の本も並んでいる。

元栗蔵舞は日曜日に部室に行くと、これらの詩集や詩の書き方を読み、詩を書けるように学習をしている。

日曜日の午後3〜4時くらいになると、元栗蔵舞は彼女と3で述べた親が所有している淵野辺駅南口のマンションへ行き、「行為」をする。
4で書いたが月曜日はポエム部の活動日である。
日曜日の延長で、部会が終わった後(部会は20分程度で終わる)、午後5時くらいまでポエム部の本棚に並んでいる詩の賞の受賞詩集を読んだ。
読んでいた時間は1時間程度だが、これまでほとんど読んでいなかったことを考えると、「高校生のとき日本史の参考書を1日1ページでバラ色の大学生活理論」からすれば、1週間に1時間読み続ければかなりの知識を得られるだろう。1年で50時間である。詩集は文字数が少ないので数十冊は読めるだろう。1年で数十冊の詩集を読んでいる人間など、文学関係者でもなければほぼ皆無だろうと思われる。
元栗蔵舞は高校の普通科ではなく生活科学科に通っている。生活科学科は、以前は家政科といった名称だったが、どこの高校でもしだいに名称が変わってきている。

元栗蔵舞は学校の授業は真剣に受けているし、学校の教科書や教材も繰り返し読んでいるが、さらに、「管理栄養士」や「食生活アドバイザー」などの国家試験や検定試験のテキストも読んでいる。
これらのテキストはまさに、自宅で夜寝る際に読んでいる。読んでいるときに、「リアル・アイクラブは高校生の頃に夜寝る時に日本史の参考書を読むべきだった理論」を念頭に置いていることはいうまでもない。

管理栄養士は大学の栄養学科を卒業しないと受験資格は得られないが、まあ、高校生のうちから学習しておくのはよいだろう。食生活アドバイザーは、検定試験なので高校生の元栗蔵舞も受験できる。高校生なので大学受験の学習を優先させるべきだが、検定試験を受けるのも悪くはないだろう。
土曜日なので午前で授業が終わった後、同じ学科の友達とドトール・コーヒーで昼食を食べた後、しばらく雑談をした。
友達は帰宅したので蔵舞はひとりで親所有のマンションに行き、「日本史の学習」をした。
学研教育出版「高校日本史をひとつひとつわかりやすく。(古代〜近代へ)」を読んだ。10ページほど読んだとき、彼女からラインが来た。これからマンションに行くという。
わずか数分で彼女はやってきた。彼女も昼食を食べたばかりで、マンションについてから歯磨きをした。

蔵舞はこれまでソファで学研教育出版の日本史の参考書を読んでいたが、ソファはいわゆる「ソファーベッド」である。
ソファの背もたれを倒して「ベッド形態」に変えた。

「行為」が終わり、彼女がシャワーを浴び、続いて蔵舞も浴びた。背もたれを立ててソファ形態に戻し、しばらく2人はテレビを見ていたが、彼女は午後4時半頃に帰った。

彼女がマンションから出て行った後、蔵舞はテレビでしばらく「J:COM 相模原・大和」のオリジナル番組を見ていたが、大学受験の学習に戻ることにした。

日本史の参考書はすでに10ほどページ読んでいたし、ひとつの章の終わりまで読んで区切りが良かったので、英語の学習に移ることにした。

蔵舞は英語についてはようやく中学1年の1学期のレベルが終わるかどうかである。
蔵舞はあと数日で16歳である。普通の高校1年生なら、中学1年生の英語をいまさら勉強するのは・・・と抵抗を持ってしまうだろうが、蔵舞は、リアル・アイクラブが高校3年生にもなって三単現のSを知ったなどという事実を知っているし、リアル・アイクラブが繰り返し「たとえ高校3年生で中学1年生の英語からスタートしても、三流大学なら入れる」と言っていたので、15歳の終わりの現在、中学1年生の英語を学習していることに不安はないのである。
蔵舞は中学のときまで行っていたくもん式教室もやめ、高校に入ってからこの3か月は独学である。しかし、リアル・アイクラブから、大学受験の実際を聞いていて、世間一般で言われているような大学受験議論にまどわされずにすんでいるのは大きい。

蔵舞は、大学は三流大学でかまわないが、楽しく4年間を過ごすことができればかまわない、就職は公務員になればよいと思っている。リアル・アイクラブのおかげで、どんな四流五流の大学だろうが、資格試験スクールに通えば合格できるということを知っている。

むしろ、四流の大学なので、就職は公務員しかないと決めて1年生から資格試験スクールに通い、大学生活そのものはバラ色になるように楽しむことに力を注ぐべきだということもリアル・アイクラブから聞いて知っていた。

蔵舞は、リアル・アイクラブから教訓を聞かされたり、アドバイスを受けるだけでなく、逆に、15歳の高校1年生の目から見て、50代のリアル・アイクラブの現状について、率直な意見を求められる。蔵舞は、こういうことを言うのは厳しいかもしれないと思うことも含めて、思った意見をリアル・アイクラブに言っている。
リアル・アイクラブとこの前、都心の赤坂の喫茶店で話したときに言っていた内容が印象に残っている。

「中学を卒業した時点で、偏差値45程度。高校3年間あるといっても東大を狙うことは無理、早慶もまあ無理だろう。そう気づくべきだったのだ。中学3年の受験前時点で、まず、進学する高校をある程度楽しく過ごせそうなところにする。偏差値が低すぎて選択の範囲が限られたかもしれないが。そして、高校に入学した当初の時点で、自分は大学卒業後は公務員になるので、大学は三流大学でかまわない、ただし、4年間楽しく過ごせそうな三流大学を目標として、1年生のうちから無理なくほどほどの受験勉強をする。・・・このように、まさに現在の蔵舞君のような15歳のときに気づくべきだったのだ。まあ、蔵舞君はすでに、楽しく過ごせる高校を選んでいたが」

蔵舞がリアル・アイクラブと知り合ったのは高校に合格した中学3年生の終わり、この2月の下旬あたりである。
しかし、リアル・アイクラブと知り合わなかったら、東大だの早慶を目指して、1日に1分も学習せずに、昔のリアル・アイクラブのような失敗をしていたかもしれない。
高校入学の時点で偏差値40台後半程度だったことをきちんと認識し、三流大学を目指し地道に、ただし無謀ながんばりなどせずに淡々と、達成感だの充実感などといった錯覚にまどわされないようにしながら学習をする。リアル・アイクラブから繰り返し聞いて得た教訓である。

蔵舞は午後6時半現在、数時間前に抱き合った同級生の女子生徒の彼女の裸を思い出したりしながら、KADOKAWAの「ゼッタイわかる中学1年英語」を読んでいる。今日は昼食がやや遅かったので、夕食は午後8時くらいにするかと思っている。

高校生にもなって中学1年の参考書を読んでいる。偏差値70以上の進学校の生徒からすれば噴飯ものだろう。しかし、リアル・アイクラブからの教訓を得ている蔵舞は、自分にとってはこれが正しいのだと確信している。
蔵舞も、進学した高校はたまたまリアル・アイクラブがこういう高校に入るべきだと言っているような高校だったが、おそらく、中学英語もできないのに高校英語をやるような予備校に通ってしまったり、非常に無意味なことをしてしまっただろう(しかも金がかかる)。

夏休みあたりからは、学研CAI教室のような、映像スクールに通うことをリアル・アイクラブからはすすめられている。

もうすでに、リアル・アイクラブが題目のように唱えていた「初歩の日本史参考書を1日1ページ」などというレベルはとっくに超えている。そもそも、「1日1ページ」というのは、あまりにも多くの量をこなさればならないプレッシャーを避けるために考え出した、「もののたとえ」「極端な言葉」なのである。
蔵舞は、高校1年の終わりの現在、中学1年の英語参考書を読み続けている。高校入学直後は自宅で読む参考書はもっぱら日本史だったが、夏ごろから英語の参考書を読み出した。しばしば、中断してしまったので、中学1年の1学期レベルをいまだに読んでいるのである。

毎週土曜日の午後に会っているリアル・アイクラブからは、「高校2年を控えた現在に中学1年レベルをやっていてもまったく問題はない」と言われている。学研CAIスクールにはまだ通っていない。

リアル・アイクラブからは、部室で女子部員と触れ合うことが何よりも重要だと言われている。普通科のない、職業科しかない高校のため、女子生徒も進学しようと思っている者は少ないので、受験勉強のことなど考えていない。

英語や数学の成績が悪いため、この程度の学校なのに蔵舞の成績は中の上程度である。リアル・アイクラブからは、数学だの理科だのは、単位を取れればOKだと言われている。ただ、蔵舞は、特に数学は単位を取るのも厳しいレベルだった。受験勉強をしつつ、学校の単位を取る学習もしなければならない。1年生だったこの1年間は、かなりテストがきついことがあった。現在の蔵舞は、大学受験には結びつかないことも学習はしなければならないという立場である。
一応、元栗総合高校は普通科があるという当初の設定だったが、普通科がないという設定にするべきだと気づいたので、元栗総合高校は生活科学科・商業科のみの高校だ。情報処理科があってもいいかもしれない。

蔵舞が所属している文芸部には商業科の生徒ももちろんいる。科ごとに部活が分かれている高校などおそらくないだろう。蔵舞は商業科の生徒とも何度も男女の関係になった。現在は生活科学科の生徒だが、いつ変わるかはわからないといえる。
蔵舞は、昨日の土曜日、相模原の事業所でリアル・アイクラブと会った。蔵舞は、リアル・アイクラブに言った。
「以前議論で出た話題ですが、50代の皆さん(リアル・アイクラブや元栗中年社員のこと)は、普段生活を送っているとき、自分が11歳〜17歳だったらどう行動するかを意識するべきだという結論に達していました。自分はいま16歳ですが、たとえ社会人になってもこの感覚で過ごせばOKだというのは安心します」

「蔵舞君。社会人になっても・・・というか、むしろ、11歳〜17歳の頃の感覚で過ごしたら、
はるかにまともな人生・・・20代〜50代の人生が送れたよ。出世は放棄していたし、処分されなければいいという気持ちで過ごすべきだった。今後、小学生、中学生、高校生のつもりで残りのサラリーマン生活を送るよ」

「高校生ならどう考えるか。知りたくなったらぜひ自分に聞いてください」

「蔵舞君は元栗社員専用ホームページを見ることができるし、毎日の学校生活などを書き続けてもらいたい。現在、だいたい毎日書いてくれているが、実に面白い」
「高校生である自分から客観的に見ると、リアル・アイクラブさんは、出世は放棄しているし、処分されなければいいという考えてのらりくらりと過ごすということなので、特にこれ以上のことは言う必要がないかもしれませんが、普段の職場では必ずしもスムーズに物事が進んでいるとは言い難い。職場では努力するとかいった暑苦しいことを言いたいのではなく、そつなく要領よく過ごすことができるはずだと思われます」

「何かに気づけばすべて問題なくこなせるような気がしているが、現時点では思いつかないな。おそらく簡単なことなのだ。というか難しいことならできないから気づいても意味がない」
月曜日は祝日だったが、リアル・アイクラブはふたたび蔵舞と会った。
淵野辺ではなく、海老名で会った。田町オフィスの2人の元栗中年社員も随行した。
海老名のコージーコーナーで4人は語り合った。

「土曜日に蔵舞君から言われた言葉をかみしめました。そつなく要領よく過ごすことができるはずだ。のらりくらりと過ごすことができるはずだと十数年前に元クリリンから的確なアドバイスを受けましたが、いまひとつ実施しているとはいいがたい。そつなく要領よく過ごすことはできるはずなのです」

「そつなく要領よく過ごす生活は、遠いところではなく、目前、あと一歩という感じがする。しかし、あと一歩というところで何年あるいは10年以上足踏みしているのではないか」

「前夜だという予感はしている。かつて、芝園橋のバス停で、日曜日の夜、真っ暗闇の中でバスを待ちながら、絶望的な気分だった。今から考えれば、真っ暗闇という状況、日曜日の夜の憂鬱さとかがあったのだろうから、絶望的な気分は実際気分的なものにすぎなかったのだ。約20年ほど前だった。手話サークル関連も行かなくなり、結婚情報センターの活動もほぼ無くなり、もうどうにもならない感覚だった」

「もうなにかをする手がかりなどがまったくない、八方ふさがりの状態だと思っていた。当時はmixiもやっていなかった。あの頃を思い出すときは、日曜日の夜の芝園橋の真っ暗闇が真っ先に思い浮かぶ」

蔵舞が言った。
「リアル・アイクラブさんあのときも・・・まあ、当時は自分は生まれていなかったのに”あのとき”という表現をするのもなんですが・・・、まさに、『八方ふさがりだ、どうにもこうにもできない、何をしたらよいかわからない』という状態だった。・・・ところが、実際には、今考えると、まさにいくらでも可能性が広がっていた。今後15年間くらいで都心3区に部屋を入手することもできた。アーチェリーで県大会くらいに出ることもできた。アイドルヲタ活動を本格的にやることもできた。創作文芸センターとしての活動もできた。実に素晴らしい生活を送ることができた」

リアル・アイクラブは言った。
「蔵舞君に言われてハッとしました。2024年の現在、八方ふさがりでどうにもならないと思っているが、約20年前のあの日曜日の夜の芝園橋真っ暗闇の頃も、いくらでも明るい人生に転換させることができたのだ。数か月前、大学4回生を暗黒時代にしてしまったが実際は光り輝く数か月にできたということを論じたが、約20年前の芝園橋暗闇の頃もバラ色の私生活に変えることができたのだ」
海老名コージーコーナーでの会話は続く。

「地獄、暗黒として過ごしてしまった大学4回生の後半、実は、まるで夢のような、妄想でしかありえないほどの願望をすべてかなえる黄金・バラ色の半年間にすることができたはずだった。芝園橋の真っ暗闇のバス停に憂鬱な気分でたたずんでいた約20年前、今では決してできないような部屋を手に入れ、職場はともかく私生活は楽しく過ごせるように転換することができた」

「おそらく、八方ふさがりのどん詰まりだと思っている現在も、バラ色で楽しく過ごせるように転換できるはずなのだ。・・・ただ、思いつかない。思いつくためには・・・」

蔵舞が言った。
「大学4回生の頃、自分が実はバラ色の体験をできることに気づくためにはどのように思いつくべきだったか、20年前に夢のようなことを実現できるのだと気づくためにはどのように思いつくべきだったかを、当時の間違った考え方などを分析するべきでしょう」

元栗中年社員Aが答えた。
「大学4回生のときは、むしろ大学3回生のときからできたことだと考えるべきでしょう。当時のリアル・アイクラブ君は、Y・Mが一番良いと思っていたのだからY・Mと・・・とまず思うべきだった。さらに、この10年くらいで繰り返し考えた、棚ボタの原則、受け身の原則を貫くべきだった」

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