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連帯オール沖縄・東北北海道コミュの水害ニモ負ケズ 前ヘ サラダ農園(浪江町)トルコギキョウ全滅 

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【東京新聞】転載

水害ニモ負ケズ 前ヘ サラダ農園(浪江町)トルコギキョウ全滅 

2015年10月6日


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 サラダ農園に行ってみた。東京電力福島第一原発から十数キロ。避難指示解除準備区域として今も宿泊を制限されている福島県浪江町の海岸部で、いちはやく農業を再開した農園だ。事業主体であるNPO法人Jinの川村博代表(59)は、花いっぱいのふるさとを創るのが夢。開園から二年半、事業は順調か−。
 除染のトラックやダンプカーが走り抜ける国道6号を行く。今は復興再生事務所として使われる浪江町役場の本庁舎が白くほこりにまみれて見える。横道に入ろうとすると警備員に止められて通行許可証と身分証明書の提示を求められた。ここから先はいまだオリの中。そんな区域にサラダ農園の農地と建物がある。
 出迎えてくれた川村さんは「ひどいことになりましたよ」と、いきなり顔をしかめた。
 茨城県で鬼怒川の堤防を決壊させた集中豪雨は、福島県沿岸地域にも被害をもたらした。川沿いにあるサラダ農園の畑は一メートルも冠水し、ビニールハウスの中で出荷を控えていたトルコギキョウ、リンドウなどの花は泥をかぶってほぼ全滅した。飼育していたウサギ、ニワトリも大半が溺死したという。
 それでも「まあ、次から次へと難題がやってきますね」と、あまりへこたれた様子がないのが、多分、この人の真骨頂だ。
 震災前、川村さんはこの場所で高齢者や障害者のデイサービスやリハビリの施設を運営していた。避難先の福島県郡山市などでもデイケアセンターを開設するなど福祉事業を続けたが、高齢者、障害者は慣れ親しんだ畑仕事をしたがった。
 彼らの力を生かそうと、二〇一二年四月に同県南相馬市に畑を借りた。野菜や果物を作って売る。「誰かに世話をしてもらうだけではなく、仕事をして自分のお金を稼ぐ。それが大事なんです」と筋金入りの福祉のプロは話す。
 翌年四月、浪江町への出入りが許可になると、元の事業所に隣接していた畑でもトマト、ナス、トウガラシなどの野菜を作り始めた。高齢者をバスに乗せて浪江町まで連れてきた。農作業を手伝ってもらうと「久しぶりに浪江で畑仕事ができた」と涙を流して喜んでくれた。そのとき「復興を担うのは、本当に帰還を望んでいる、彼らではないか」と確信したという。
 だが順風満帆では進まない。
大根の芽を見る川村博さん。「ここにはお金に代えられない価値がある。それをわかってほしい」と話す=いずれも福島県浪江町で
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 八月。福島第一原発3号機のがれき処理が始まった。とたんにトウガラシから基準値をわずかに上回る放射性物質が検出された。野菜の出荷は見送られ、ニワトリの餌になった。
 仕方なく考えたのが、人が口に入れることがない花きの栽培だった。ヒマワリ、チューリップ、菜の花などを植え、この土地でどんな花が育つのか実験を繰り返した。収益性の高いトルコギキョウやリンドウ、ストックなどの栽培に取り組み、昨年八月に、とうとう初めてのトルコギキョウを出荷した。浪江町の農作物が市場に出るのは約三年半ぶり。都会の大学生たちを呼び、花作りを体験してもらうプログラムも始めた。ビニールハウスも増やした。
 雲間から光が差したように思われた。そんな矢先に今回の水害に見舞われたのだ。次の出荷は十二月を待つことになる。
 だが、くじけている暇はない。浪江町は、一七年三月に帰還困難区域を除いた居住規制の解除を目標にしている。川村さんは、そのときのために準備をしておきたいと考えている。
 「比較的元気な高齢者は帰ってくるだろうが数は少ない。町が存続していくためには、新規の若い住民をいかに呼び込めるかにかかっている。そのためには魅力的な町にしなければ。農業で七百五十万円程度の年収を確保できるようにする。ハウスをたくさん作って、さあ、どうぞ使ってください、と貸し出すんだ。そして、花いっぱいの整然とした文化的な町にする。やることはいくらでもあります」 (福島特別支局長)

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