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連帯オール沖縄・東北北海道コミュの予研=感染研裁判闘争と晩年の「人類生存の思想」 ...1

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1  なぜ芝田進午氏は予研=感染研と闘ったのか

 芝田進午は、国立予防衛生研究所の移転強行と闘った。略称・予研は、名前を改めて国立感染症研究所(略称・感染研)となってからは。「予研=感染研」の危険なままの実験強行を差し止めする運動を展開し、裁判闘争として闘った。「予研=感染研裁判」とは以上のような経緯がある。予研は、住宅地で人口密集地、近くに早稲田大学などの文教施設もある東京都新宿区戸山に移転を強行した。当初芝田氏らは、住宅地に高度の実験施設をつくることに環境権の侵害として反対していた。書名を集め、意思を明確にし反対闘争を積み重ねてきた。機動隊を導入して、移転を強行する予研=感染研にしだいになぜそれほどまでに住民の意向を無視するのかを調べた芝田氏反対運動は、立地・実験差し止め訴訟の裁判をおこし、裁判闘争を柱に長期的な闘争を続けていった。地元の住民をはじめ、早稲田大学教職員組合や大学当局、多くの知識人、労働組合、住民団体などが支援を続けている。この予研=感染研裁判原告の会の代表として、一貫して反対運動の中心に立ってきたのが、法政大学、広島大学の教授を歴任した哲学者であり、社会学者である芝田進午氏である。この運動を芝田氏とともに担った武藤徹氏(数学者、芝田氏亡き後は裁判の会会長を引き継がれた)は、『国立感染研は安全か―バイオハザード裁判の予見するもの』(国立感染症研究所の安全性を考える会編著 緑風出版二〇一〇年初版)の中で「芝田進午という人」という小見出しで以下のように芝田氏の運動家としての様子を綴っている。

 予研=感染研裁判は、芝田進午なくしては考えられません。その厚い人脈が、この裁判を支えてきたからです。/予研=感染研裁判に関して言えば、「支援する会」で裁判を支え続けた浦田賢治は、芝田とともに東京唯物論研究会の再建に奔走した間柄であり、日本共産党副委員長として一貫してこの裁判にかかわってきた上田耕一郎もその一人です。/
予研の主任研究官でありながら、予研の危険性を歯に衣着せずに語った新井秀雄も、芝田の謙虚で穏和な人柄にうたれたといっています。戦う哲学者と、温顔とをつなぐものは何でしょうか。その秘密は、実は福沢諭吉の『学問のすすめ』にありました。福沢は、その中で「顔色容貌を快くして、一見、直ちに人に厭わるること無きを要す。・・・」と書いています。「以来、つとめて笑顔をたもち、ジョークを交えながら論争するようにしている。笑顔をたもつだけで、心に余裕がうまれ、頭の回転が速くなる」と芝田は書いています(『人生と思想』*櫻井注―芝田進午著青木書店一九八九年)。/残念ながら、芝田は、胆管がんのため、二〇〇一年三月一四日、地裁の判決を前に亡くなりました。奇しくも、マルクスの命日でした。
 
 なぜ芝田氏は、予研=感染研と闘ったのか。大きく二つに分けて言えよう。
戦後三大公害病と呼ばれた水俣病、富山カドミウム汚染によるイタイイタイ病,新潟水俣病。さらに四日市空気汚染コンビナート災害など。これらの公害病に関わる裁判では、すでに健康破壊等の被害が発生した後に被害者と遺族が加害企業・政府の責任と金銭的賠償を要求する訴訟となった。芝田氏は、予防は治療と賠償にまさるものと考え、公害裁判で肝要なことは「予防の法理」であり、それこそが公害裁判の本来の在り方にほかならないと力説する。ところが、予研=感染研当局の立場は、被害が判明すれば賠償するという「賠償の法理」であった。さらにこれまでの公害裁判は、「化学災害」(ケミカル
ハザード)であったが、一九七〇年代から人類は「バイオ時代」に突入し、「生物災害」(バイオハザード)の危険が警告されるようになってきた。
 生物災害を引き起こす病原体・遺伝子組み換え実験施設では組み替え微生物・生物産出毒素・DNA・寄生虫・有害昆虫などを保管・培養・実験しているので、バイオ施設が生物災害の源泉になる危険性が高い。バイオテクノロジーによって、未知の病原微生物が出現する可能性があり、その被害の範囲は、地域にとどまらず、全国民、全人類に拡大する危険がある。病原体と生物災害の間の因果性を論証することは、化学物質と化学災害
間の因果性に比べてはるかに困難である。それゆえ、生物災害に人類ができることは「予防の原則」を徹底させることである。
 感染研が強制移転した新宿区戸山は、感染研の周囲は住宅や学園、公共施設ばかりである。諸外国では、このような実験施設は周囲がきわめて人家とは離れた距離や空間を設定して建設・設置されている。まさに住民にとって、毎日が危険にさらされ続けている状態である。しかも感染研の周囲の住民のがん罹患率は高いことも立証されている。このような環境上重大な問題をはらむ予研=感染研に芝田氏らが裁判闘争にたちあがったのは理にかなっていると言えよう。
 もうひとつ重大な問題があきらかになった。
反対闘争を通じて、予研=感染研の体質そのものに七三一部隊との関連があることが徐々に明らかになっていった。七三一部隊の生き残り幹部が、歴代の予研の管理職を務めていた。敗戦は、日本の天皇制そのものの護持と引き替えに重要な国家主権に属する事柄をアメリカ占領軍GHQに引き渡した。そのひとつは、石井七三一部隊の生体実験に基づく化学兵器の重要機密と石井部隊そのものの存在の隠蔽である。また、広島や長崎に落とされた核兵器による被曝者をモルモット扱いしてなんら治療行為を施さずに観察分類の対象としてモルモット扱いしたアメリカ軍ABCCの実態調査も、被曝治療のためではなく、落下した核兵器の成果を効果的に核戦略に利用するために使われた。ABCCの日本側組織が、予研であったのだ。予研=感染研反対運動によって、戦前の軍事機密が、アメリカ軍の庇護のもとに歴史の水面下で維持され続け、ついに日本帝国主義的復活の現段階において、暴露された。

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