ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

連帯オール沖縄・東北北海道コミュの大江健三郎脱原発集会にて語る

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
作家大江健三郎氏は、2013年3月9日に明治公園で開かれた「つながろうフクシマ!さようなら原発大行動」で感動的なスピーチをなされました。
=====================
『なかったことにはさせない』         大江健三郎

 福島の大震災、原発事故の直後から一挙に高まった。「原発ゼロ」の声は、私が生まれてから老年のいままで、かつとあじわったことのない、統一された日本人の声でした。ほんの子どもの頃の超ナショナリズムの気運が、これと近かったか、と思うのみです。
 それがいま色褪せて来、勢いを失って来ているのじゃないか、という声は、まさにタメにするものです。今日、私らはその反証を大きく示しうるでしょう。それはフクシマが、日本人得意の慣用句、ナカッタコトニスルことは絶対にできないものであるからです。
 私は作家です。文学の側から、その証言をおつたえます。長崎の浦上の丘で原爆を体験して、今日にいたるまで優れた作品に描き続けてこられた、林京子さんの小説で、今月(
4月)号の『群像』に載っています。
 林京子さんの福島でなにが起こったか、起こり続けているか、の注意深い受けとめは、直接長崎の被爆につながっています。長崎の苦難をしっかり担った人が、福島の新しい被爆者の脇に立っているのです。福島の情況をつたえる国の役人が、テレビで子どもたちの「内部被曝」という言葉を使うのを聞いた。そして林さんは涙を流された。かれらは知っていたのだ、と。それからずっと引き起こす「内部被曝」。林さんの激しい思いの文章を引用します。
 《幾人のクラスメートが、被爆者たちが「内部被曝」のために「原爆症」を発症し、死んでいったか。原爆症の認定を得るために国に申請する。国は却下。被爆と原爆症の因果関係なし。または不明。ほとんどの友人たちが不明と却下されて、死んでいきました。被爆者たちの戦後の人生は、何だったのでしょう。》
 そうして林さんは福島の新しい被爆者の将来を深く憂えられるのですが、「フクシマ」が「ヒロシマ」「ナガサキ」を生き延びて来られた人たちと、はっきり結ばれている。それを見すえて、福島の戦後の人間の生き方を、私らみながどのようにこの国の将来に思い描くか、に集中していられます。とくに子どもたちのこととして。
 林さんは不屈の人ですが、それでも、あるいはそれゆえに、国が産業界が、また地方自治体が、そしてフクシマナドナカッタと言いかねない(フクシマハ終ワッタ、とはもういっています)そうした能天気な政治家が突っ走る東京の進み方に暗く沈み込まれます。
 ところが、その林さんが、昨年七月、代々木公園で脱原発の集会があるのをテレビで見つけられた。新幹線でひとり出かけられます。引用を続けます。
 《駅から公園までの短い距離のなかで、これほど素直で率直な、人々の「いのち」への思慕−おもいしたう、ことです−を 感じたことはありません。戦後六十数年の年月のなかで、人びとがとった最後の選択なのです。戦いを生き抜いたわたしたちのバトンは、若い人たちに確かに渡っている。感動でした。(中略)大地震から引きずってきた迷いも、まどわされる揺れも終わりです。浦上の丘でもらった命一つの謙虚なわたしに還って、代々木から新しい出発です。》
 広島、長崎での経験につないで、福島を見つめつつ、もう一度放射性物質で子どもらを殺させはしない、という意志に立つ希望を、私は林さんの声のまま自分のうちにしっかりと取り入れます。
 私のいま現在の決着は三つです。広島、長崎、そして福島をナカッタコトにしようとする連中と闘う。もう一台の原子炉も再稼働させぬ、そのために働く、そして、このデモコースを完走じゃない、完歩することです。しっかり歩きましょう!

===========================
 福島原発以後、まさに実践の最前線に立ち、民衆にスピーチする声を、私は彼を真実の知識人であると尊敬しています。学者や研究者でなく、自らの知識をもって困難な課題に取り組む存在、そのような言葉の本質における知識人として尊敬しています。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

連帯オール沖縄・東北北海道 更新情報

連帯オール沖縄・東北北海道のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング