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悪いか?鉄道マニアで…コミュの国鉄時代の列車体系

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JRの国鉄時代を調べて見ると地方に行けば1時間1本なんていうのは普通だった位である。

コメント(283)

貨物列車のダイヤは、アメリカ辺りとは逆に、旅客列車の合間に走らせるようなダイヤだったのと、貨物列車にも、急行列車とかがありました。
東海道線(東京〜大船間)では、湘南電車が中央線では特別快速、常磐線では中電に相当するような列車で、横須賀線が中央線や常磐線では快速に相当するような列車だといえました。
京浜東北線は当然だけど、中央線や常磐線では緩行電車に相当していて、中央線は総武線緩行電車との直通運転(但し早朝・深夜を除く)、常磐線は帝都高速度交通営団千代田線との相互直通運転を実施していたのも特徴的だったといえます。
横須賀線は昭和55年から総武線快速との直通運転は横須賀線は貨物線であった品鶴線を利用して、東海道線との分離運転と、総武・東海道線の品川〜両国を地下化して実施しました。
大阪の新快速の運転開始は昭和45年からで、日中15分間隔(京都〜西明石)になったのは、昭和46年度で、その時は山陽新幹線岡山開業で、余剰になった急行型電車の中古を利用しました。
東西の管理教育の雄である、千葉・愛知をあげると国鉄時代の列車体系も似ていて、ローカルが1時間1本が基本であることから、千葉市近郊は地元のバス会社(京成・千葉内陸・千葉中央・小湊鐵道など)、愛知は名鉄が頻繁に運行していました。
>>[246]
おもに153系で運行され、「ブルーライナー」なる愛称がありましたね。それでもやはり新快速といえば117系に尽きます。
>>[248] 117系電車が登場した背景には、京阪・阪急との壮絶な戦いがあったからです。
>>[249]
当時の国鉄における料金不要列車としては破格のスペックでしたからね。京阪神快速のグリーン車が廃止される契機にもなりました。
>>[250] もう1つ京阪神快速のグリーン車廃止の目的は、横須賀線と総武線快速の直通運転の為(サロ113形)の車両捻出というのもありました。 
直通相手の横須賀線に合わせる為に、総武快速線にグリーン車を連結する必要があったからです。
当時の総武快速線は、津田沼・千葉行の他に、成田(成田線)、君津(内房線)、大原(外房線)まで直通運転していました。
当時の千葉県は成田空港や海水浴などの客が多くいました。
>>[251]
サロ113は成田空港の開業遅延もあって、京阪神や宇野線に転出していたものですね。前にも書きましたが、新製近郊型として唯一のフルリクライニングシート装備車でした。
>>[253] サロ113が京阪神快速や宇野線に転出したのは、湘南電車や横須賀線の座席定員不足です、結局そのことに懲りて製造されたのが、サロ110形1200番台で、これは特急で使われている、簡易リクライニングシートです。
>>[254]
着席確保の意味では、今のほぼ統一規格のダブルデッカータイプに象徴されていますね。90年代まで見られた特急・急行型の改造車も、定員不足ゆえに不評だったらしいです。要は定期利用者からの評価だけど。
>>[255] 東海道・横須賀線、総武線快速のグリーン車の客層は、会社の重役が定期券利用がメインだといえます。
だから定員の少ない特急・急行の余剰になったサロを使うのは不評だったのは、又当然だといえます。
国鉄の列車体系の特徴は、昼行(DAY)と夜行(NIGHT)の選好率によってダイヤが決められていたといえます。
夜行選好率は、昼行列車の所要時間が4時間30分の辺りで20%、7時間だと50%、9時間30分だと80%でした。
そうすると、昼行優等列車(新幹線を含む)の方がメインなのは、自ずと4時間までの辺りだといえました。
>>[258]
確かに新幹線網の整備が進むほど夜行列車の需要が細くなるのは必然的な流れでした。JRとしても長距離客は新幹線に押し込めたほうがいいからね。そんな合理性優先ではつまらないけど、やむを得ないのかな。
>>[259]
夜行列車がサンライズを除いて撤退して行きましたが、日本とよく似た事例をあげるとドイツです。
高速鉄道の整備、分割民営化、規制緩和の影響によって、夜行列車事業から撤退して行きました。
日本と近隣の韓国でも、フランスからの技術導入によるKTX(韓国高速鉄道システム)の整備の結果として、夜行列車が撤退して行きました。
日本・ドイツが分割民営化に至った背景には、やはりインフラ整備による莫大な投資による赤字だといえます。
特急列車の自由席は、元々からして飛び込みで乗る客層に対処する為に、設定されました。
(自由席主体の急行列車が格上げが横行した昭和50年代辺りから)。
L特急の由来は、自由席のある特急で、等間隔で発車する列車がその指定を受けました。
それが、周遊券などの廃止や対抗交通機関などの影響で座って行けるのが当たり前の時代になって、自由席を廃止する特急列車が増えて来ました。
令和の新たなトレンドは、国鉄の急行列車の時代から続いた自由席がなくなり、優等列車は全車指定席に変更するというものです。
特に上野駅発の夜行急行列車は、自由席に座る為に上野駅に何時間前から並んで待つ客も多かった上に、夜行急行列車に飛び乗りする通勤客も多かったから、相当車内検札にも手間が掛かっていたからです。
>>[263]
いわゆる無札乗車も座席車連結の夜行でよく耳にした問題ですね。飛び乗りしたい気持ちも解るけど、規則上のコストはきちんと負担するのが常識だと思います。
>>[265] こういった問題が多かった背景には、上野駅〜大宮駅間が東北本線と高崎線が線路を共用している関係から、普通列車が入り込める余地がない程、線路容量が限界一杯だったことがあげられます。
その為に、上野駅発の夜行急行列車の座席車はホームライナー代わりに利用する客層が多かったからです。
>>[266]
座れる通勤電車のパイオニアたる「ホームライナー大宮」の誕生は、そんな経緯も影響したのかな。特急の回送列車を使うだけなので簡単でしたが、国鉄のヒット作のひとつですよね。


上野駅は昭和53年10月改正の時から規格ダイヤが導入されました。
東北本線系統は00・03・30・33分が特急列車、06・36分急行列車。
上信越線系統は16・19・46・49分が特急列車、23・53分が急行列車。
17時〜18時が通勤列車優先時間帯。
常磐線系統は00分が特急列車、急行列車は発車時間マチマチといった所です。
上野駅発の優等列車は3分〜10分間隔という高頻度で運行されていたのが解るレベルだといえます。
その為に普通列車は上野駅で入線出来る余地が殆どなかったともいえます。
国鉄時代の夜行列車の存続意義はホテルの最終チェックインが深夜労働の関係から22時00分まで、ユースホステルは教育上の趣旨の関係から21時00分までだということからそれに間に合わない客層からのセーフティネットとしての機能があったといえます。
その他にも現地の終電からの乗継客の他に現地の初電への乗継客からの需要で成り立っていたともいえます。
関東と関西では快速に対する種別体系が違う。
関東の中央線が特別快速なのに対して関西の東海道・山陽線は新快速である。
関西にあって関東にないものは区間快速である。
中央線の特別快速に相当するのが常磐線の中電であるといえる。

山手線の外回りは品川駅を基準に時計回りなのに対して山手線の内回りは品川駅を基準に反時計回りである。
都営バスの営業所の管理番号の付け方はAナンバーである品川自動車営業所を基準に時計回りで順番を基本にして付けている。
山手線と京浜東北線の並走区間は田町〜田端が基本です。
国鉄時代は本社のある東京からして鉄道管理局が分かれていました。
東海道本線(東京〜横浜)、東北本線(秋葉原・馬喰町〜東京)は東京南鉄道管理局。
中央線(神田・秋葉原〜高尾)、山手線(大崎〜池袋)は東京西鉄道管理局。
東北本線(秋葉原〜大宮)、山手線(池袋〜田端)、常磐線(日暮里〜取手)、赤羽線(池袋〜赤羽)は東京北鉄道管理局。
総武本線(秋葉原〜千葉)は千葉鉄道管理局でした。
>>[275]
国鉄時代は、いわゆるお役所的な体質が進化を阻害していた面が多々ありました。民営化も功罪半ばですが、優秀なアイデアや技術が具現化されやすい事はメリットでしょうか。
話題的に合うかどうかわかりませんが大映ドラマ花嫁衣装は誰が着る(堀ちえみさん主演)で映像によく出てきた新幹線は上越新幹線200系です。
京浜東北線は大宮〜横浜の運転系統の通称で正式には大宮〜東京が東北本線、東京〜横浜が東海道本線の緩行線という位置付であるといえます。
>>[280]
実質的には根岸線も含めて京浜東北線というイメージですね。
国鉄時代の中央線は早朝・深夜は各駅停車の運転で、総武線各駅停車は御茶ノ水折り返しで快速が運行する時間帯は決まっていました。
その他に特別快速があり、停車駅は東京、神田、御茶ノ水、四ッ谷、新宿、中野、三鷹、立川と停車して立川〜高尾が各駅停車でした。
特別快速には103系などの冷房車が優先的に投入されていました。

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