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rufu's room るふの広がる部屋コミュの【50】[歴史]中岡慎太郎---龍馬との異体同心

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幕末の志士達の中、中岡慎太郎だけが
満面の笑みの写真を残している。

他にも、いかにも武士といった鬼気迫る写真も当然あるが、
この寒暖の差が中岡の政治力なのかもしれない。

1867年11月10日(慶応3年10月15日)、大政奉還成立。

その一ヶ月後の
1867年12月10日(慶応3年11月15日)、
中岡慎太郎は
坂本龍馬と共に京都の近江屋で幕府の見廻り組・佐々木只三郎らに
襲われ、非業の死を遂げた。
享年29歳。 龍馬は33歳だった。

中岡は、難にあいながらも2日ほど生き、駆けつけた同志に様々な言葉を残した。
例えば
「卑怯憎むべし、剛胆愛すべし」

↑これは、
「暗殺という卑怯は憎むべきだが、刺客の一人は帰り際、謡曲(鼻歌)を歌っていた、中々に肝が据わっている。」
 従って、
「龍馬と自分をやるなど、よほど剛強の男であろう。平素、幕府は腰抜けだと侮っていたが、思い切った事の出来る男もいるもんだ、早くやらねばこっちがやられるぞ!」

と「武力倒幕論」を死ぬまで捨てなかった。
勿論、盟友の龍馬は「無血革命」の維新を志向していた。

まさに両者は最期まで「異質で対極的」な思考であり続けたが、
世界に伍する国家建設の「共通目標」では
二人三脚の「同質」になれた。

その後の国家の質云々はともかく、異体同心が大きな力を発揮した。

*************************************************************

広宣流布へ向かって、法華講が益々、異体同心の大事を考えねばならない。

大聖人曰く
「日蓮が一類は、異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと
覚え候。」

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