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rufu's room るふの広がる部屋コミュの【49】[歴史] 後藤象二郎「我一人立つ」

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中国/北宋の蘇洵(老泉・1009〜1066)曰く、「一国は一人をもって興り、一人をもって亡ぶ。」
確かにインド植民地支配からの独立は、ガンジー一人の行動に始まり、明治維新の起爆剤となったのは、吉田松陰の「松下村塾」だ。

○慶応3年(1867)土佐藩の
後藤象二郎
http://www.bakusin.com/gotoh.html
は、公武合体論から意見を変え、長崎で坂本竜馬と会談した。
後藤にすれば龍馬は、師であり叔父の、龍馬にすれば後藤は、武一瑞山の敵だったが、両者は過去を振り切り手を握った。武一瑞山(勤王党の盟主)は、文久2年(1862)、藩主・山内豊範への進言を退けた吉田東洋の暗殺を指令した。
 尚、通称の半平太は、「月様、雨が・・・春雨じゃ、濡れて行こう」で有名な戯曲(大正7年)・月形半平太となった。又、龍馬とは遠縁にあたる。 帰国した後藤は、龍馬が提案した船中八策(大政奉還論)に基づき、前藩主の山内容堂に対し、最後の将軍・徳川慶喜に「大政奉還」させるよう進言する。又、龍馬の脱藩罪が特赦されたのも、後藤の働きによるもの。
 その後藤が、明治維新後、「どうも近頃は人物が居なくて・・」と嘆いた時、政治運動(篤志家の頭山満は「人物が居なければ、貴様が人物になれば良いではないか」と諭したという。

 「我一人立つ」の精神が道を開く。

二人・三人・百人・千人・万人・億人と・・・・・。


広宣前進! 折伏先進!

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