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rufu's room るふの広がる部屋コミュの【33】rufu's room//2009-07-31 [歴史] 男・鬼作左(おにさくざ)

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2009-07-31
[歴史] 男・鬼作左(おにさくざ)

本多 作左衛門 重次
(ほんだ さくざえもん しげつぐ)
(1529年〜1596年8月9日)


若き徳川家康を支えた名奉行、本多 作左衛門 重次
(ほんだ さくざえもん しげつぐ=以下、作左と呼ぶ)は、
家康よりも13歳年上で世情に通じていた。
しかし、気性が荒く、筋が通ったことには頭ごなしに事を処理していたため、
領民達は「鬼作左(おにさくざ)」と呼んだ。が、言葉は乱暴でも、情感を
通い合わせる慈愛が根底にあった=相手を決して潰さない。逃げ道を与える。

ある日、掟書(おきてがき)した高札が領内に掲げられた。
格調高く難しい文字が並んだ高札を見て、作左は言った。
「これでは領民達は読む気がしないだろう。堅い言葉と気取った物言い。
考えてみよ、百姓はイロハ文字すらまともにわからぬのだ。高札は立てりゃ
いいってもんじゃない。ここは一つワシに任せぬか。」

後日、作左は高札を立て替えた。イロハ文字だけの箇条書きで、
最後にはこうあった…。
「右にそむくと、作左が叱る」
回りくどい言葉が嫌いな、いかにも作左らしい高札だが、この言葉にこそ力がある。
そして、慈愛=「奉行」という圧力ではなく、「人間」作左が責任を持つ、という思いやり(逃げ道)が込められているように思う。

さて、日本一短い手紙、として有名な

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」

この一文は、作左が「長篠の戦い」の陣中から妻に宛てた手紙である。
この「お仙」は、まだ幼かった長男・仙千代のことである。

置き石のように簡潔な用件だけの手紙が、人の心を捉える様は、
正直一本槍の人生の大切さを物語っていよう。

私個人的には「徳川家康(山岡荘八著)」を通して見る作左が好きだ。
家康は作左に育てられたといっても過言ではないほどに、その影響力は
甚大だ。そして、命をかけて若き家康を守るその根性=相手が敵であれ
ばもちろんの事、同盟相手の織田信長、豊臣秀吉 相手にも決して屈せず
食ってかかる男らしさは、男として惚れ込むものがある。

信長でもなし得なかった「天下統一」、
秀吉でもなし得なかった「戦争のない国つくり(真の天下統一)」が、
ただ家康一人にできたのは、こういった家臣達に恵まれたことであろう。
作左の口癖「ワシは殿(家康)に惚れ込んだ!」


命をかけて惚れる=これが信(念)、信(頼)であり力でありましょう。

現代の国語辞典によると

しん・ずる【信ずる】
1 そのことを本当だと思う。疑わずに、そうだと思い込む。

 ↑とあるが、江戸時代までの日本は、
  「信ずる」といえば「惚れ込む」だった。
  それが、明治以降の西洋思想が入ってからは、とにかく心が弱い。
  「目に見える存在が本当だと思う」程度の精神になってしまった。

恋人と普通の友人と、どっちに命かけるか。
理屈無く惚れてる方に命をかけなかろうか?
「惚れる力」は大きい。どんなに遠くても、理屈無く会いたい!そばにたい!・・・
それが「渇仰」「恋慕」

大聖人様御在世中の信者はみな、老若男女関係なしに
大聖人様に「渇仰恋慕」していたことが、御書の中に随所にわかる。
そして、勿体なくも、大聖人様ご自身も、
南条時光や四条金吾、日妙聖人をはじめとする檀越へ、差別なく
大慈悲(恋慕)して下さっていたことが、御書に拝せられる。


参考までに本多作左衛門 重次は、
武田一門vs織田・徳川連合軍の戦において散逸した大石寺、重須の重宝
特に「二箇相承」をはじめとするの重宝の探索と返還
に関わっています。



参考)
・本多作左衛門「信念」を貫く男の生き方 (PHP文庫 )
・「徳川家康(26巻)」---山岡荘八著(各社)

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