ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

小説置き場(レイラの巣)コミュの【ファンタジー】もののけ達の夜 (3−2)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 夏休みの終わりに、ふるさとの町に戻った。
 縁側への障子と庭に続くガラス戸をいっぱいに開け、風を入れ替える。
 母が買い物に行っている間に拭き掃除をする。

 縁側に雑巾をかけていたら、人影が庭づたいに入ってきた。
「やあ」
「卓也…」
「玄関が開いていたから」
「父のお墓参りに来たの。母と。それに、秋冬物も持ち帰ろうかと思って」
「そうか」
 話す事も無くて、そのまま雑巾がけを続けた。卓也はなにも言わず、庭に立って見ている。
 汚れた雑巾をバケツでゆすいだら、卓也が手を伸ばし、バケツの取っ手をつかんだ。
「あ…」
「取り替えてきてやる。水」
 ぶっきらぼうに言って、汚れたバケツの水を庭にまくと、乱暴に靴を脱いで縁側に上がり、家の奥のお風呂場に向かった。
「ありがとう」その背中に声をかける。
 私が雑巾をゆすぎ、水が汚れると、無言で卓也がお風呂場に水を替えに行く。
 何回か繰りかえし、小さな家だ、すぐに拭く場所が無くなった。
「これで終わりだわ。ありがとう…」
 空のバケツを持って奥に行く卓也と一緒に、私も中に入る。
 私がお風呂場で雑巾をしぼり、バケツをぬぐう。
 入り口で立って見ていた卓也が、ふいに「じゃあ」と言って、私に背を向けた。
「待って」思わず声をかけた。卓也が振り返る。
「あ。…あの。お礼に、麦茶でも。さっき作ったから、きっともう冷えているわ」
 目が泳ぎ何かを考えている卓也。
「いや。いい。帰る」

 私の家の前の、道端に置いてあった自転車に乗って、畑の中の道を一心に走って行く。振り返らない。
 私は縁側に立ちそれを見ている。
 見えなくなっても部屋の中に入れない。私は何を考えているのだろう。

 さっき、お風呂場に向かう卓也の背中を見ていて思い出した。
 小さな頃の卓也が、走りながら服を脱ぎ、私の家のお風呂場に飛び込んだ。
「お風呂を借りるね〜。おばちゃん」
「卓ちゃん! まだ、水…」
 母の声が終わる前に卓也の叫び声が聞こえた。
「ひゃああああ!」
 叫び声が笑い声に変わり、ばしゃばしゃという水音が家中に響いた。
 炎天下で遊んでいた卓也が、我が家にお風呂を借りに来る。
 私の家のほうが近いからと言って、ひと夏に何回も水風呂に飛び込んでいた。

「ただいま〜。小夜ちゃん。助けて」母の声が私の思い出を断ち切る。
 どきりとして玄関に走って行く。
 玄関に母が座り込んでいて、手には野菜が入った袋がいくつもあった。
 顔見知りに会うたびに持って行けと渡されたという。
 母と顔を見合わせて笑った。

 形のきれいなトマトときゅうりを選んで、父の仏壇に供えた。
 合わせていた手を下ろし、振り返り、部屋の中を見渡す。
「喜んでいるみたいだね。お父さん」
 母も部屋を見渡して、答えた。
「そうね。そう思うわ。小夜ちゃん」 
 3月からだから、ほんの5ヶ月ここを離れていただけなのに。
 心の警戒心が解けている。母も私も。
 家の中に残る父の思い出を受け入れようとしている。

 夜、母の泣き声で目を覚ました。母は寝ながら泣いていた。
 布団から出た手をつかんだら、びっくりするほど強い力で握り返される。
「清二さん…清二さん」父の名前だ。
 苦しそうな顔。流れる涙。こんなふうに、苦しみを見せて泣く母を初めて見た。
 恋をする少女のように、失恋をした少女のように。両手で私の手を握り、母は眠りながら泣き続ける。

 土と太陽の匂いのする道を、重いダンボール箱を抱えて歩いていたら、自転車が停まった。
「卓也…」
「乗せろよ。箱」自転車の荷台を指差した。
「昨日、ご近所のかたにいただいたお野菜なの。
 とても持っては帰れないから、小包にしようと思って」
 卓也は無言のままうなずき、自転車の後ろに、器用にゴムのベルトで留めていく。
「今日、帰るのか」
「うん。お墓参りも済んだし」
 郵便局まで、自転車を押す卓也となにも話さないまま歩いた。

 手続きを終えて郵便局を出た私に、表で待っていた卓也は「じゃあ」そうひと言だけ言って自転車に乗って去って行った。
 卓也の後姿を見送って、もう一度決心する。
 もう、ここには住まない。ここでは母の心の傷はいえない。
 父の事を忘れた母と、いつかおだやかに暮らせるまで、私は東京で母を支えて生きていく。

 1時間に1本の電車に乗って東京に戻る。
 電車の窓の外、遠くなっていくふるさとの町を見送る。
 畑と田んぼの中の小さな無人踏切を越える。
 チリン…とお守りの鈴が鳴って、その踏み切りに卓也がいた。
 自転車を降りて、行き過ぎる電車を見ていた。
 目が合った。


 弾む声で母から電話が入る。
「これから行くのよ。小夜ちゃんひとりで大丈夫? お留守番」
「大丈夫よ。ひとりのお留守番なんて、しょっちゅうでしょ?
 それに、4月からは私も社会人だわ」
「ふふっ。でも夜遅くは初めてじゃなかった?」
「いいの、いいの。それより、楽しんできて。
 お母さんこそ初めてじゃない? 会社の慰労会に参加するの」

 じゃあね、と言い合って携帯を切った。
 母は慣れていくにつれて少しずつ勤務時間を延ばした。
 そして、1年ほど前に正社員になった。今年初めて年度末の慰労会に参加する。
 田舎の兼業農家の専業主婦だった母が、のびのびとフルタイムの社員をしている。
 知り合いが増え、世界を広げ、いきいきと新しい経験を私に話す。

 食事を終えてテレビの前で部屋の気配をさぐる。母と私の3年が満ちている。
 力を合わせ、寄り添って生きてきた。小さいがふたりだけの城。
 あと2ヶ月で私も高校を卒業し職業を持つ。
 私は母に仕事のグチをこぼすだろう。母が先輩として私を諭すだろう。
 今よりももっと、私と母は近づく。

 パジャマに着替え、TVを見ながら母を待って、そのままテーブルに寄りかかって眠ってしまった。
 携帯の呼び出し音で目を覚ます。母の携帯からだったが、相手は警察だった。
 詳しい話は無かったが、母が事故にあったらしい。
「すぐに来て欲しい」そう言って切れた。

 まだ10時前。でも、慰労会は9時ぐらいで終わると母は言っていた。
 なにがあったのだろう。
 近くの警察からはパトカーで病院に運ばれた。パトカーの中で説明を受ける。
 ホームからの転落。
 目撃者のかたが、酔っていたのかふらついていた、と証言したそうだ。
 飛び込んだのではなく滑り落ちた。だからほとんど体に傷は無い。
 けれど、入って来た電車の車体に頭を打って、脳と首に致命的な傷を負った。

 連れて行かれたのは、病室ではなく霊安室だった。
 病院に運ばれた時には、母はすでに心肺停止だった、と最後に警察のかたがつけ加える。
 その言葉を聞く前に、少しずつ悟っていた。でも聞きたくない。
 霊安室の中で「あなたの母親で間違いないですか?」とだけ聞かれる。
 何度も胸の中で『違います』と繰り返す。
 黙ったままうなずく。

 目を閉じた母の顔に、白い布がかけられる。

 誰かが部屋を出て行く。床に座り込んだ私のそばに誰かがひざをついて、腕を取る。
 振り払いたいと思うが、腕が動かない。

「大丈夫ですか?」と誰かが私に話しかける。私じゃない私がうなずく。
「お荷物をお渡ししますので、こちらに…」
 腕を引っ張られ、無理に立ち上がる。

 別の部屋で母のバックが渡される。
 携帯、化粧道具、…。渡される物を、ひとつひとつ母のバックに入れていく。
 何かの紙に署名し、拇印を押す。

 家に戻るパトカーが動き出してから、母を病院に置いてきた事に気がつく。
 後ろを振り返り、ドアを開けて外へ出ようとする。
 その私を誰かが、強い力で押さえつけた。
 胸に抱きとめられ、そこに母のような乳房を感じる。
 顔を上げ、私を抱きしめるその人が母と同じ年齢の女性と知る。
 何をしたらよいのか。何を感じたらよいのか。
 混乱したまま、その人の胸の中に顔を埋め、目を閉じる。
 そして、自分が声を上げて泣いている事に気がつく。

 家まで送られて、自動的に中に入った。
 玄関が閉められる音を背中に聞いて、ふたつ並んだ布団を見る。
 布団の側に、脱ぎ捨てられた私のパジャマがある。
 警察からの電話で、慌ててでかけるしたくをした自分の姿が幻のように浮かぶ。
 何年も前の事のようだ。

 パジャマを手に取った、までは覚えている。ひんやりとした布団の感触に、自分がパジャマに着替えた事、布団の中に入ろうとしている事に気がつく。
 周りを見渡す。母のバックも、脱いだ自分の服も散らかったままだ。
 でも、かたづける気にならない。そのまま手を伸ばし、明かりを消す。
 暗闇の中で、待つ。母の持ち物が動く事を。
 畳の上をすべるように動き、私を取り囲み、踊るように動く事を。
 母が戻ってくる事を。

 何度も短い眠りを繰り返し、少しずつ、暗闇が濃くなり、そして明るくなっていく。
 夜が明けていく。なぜ、夜は明けるのだろう。
 なぜ、世界は、時は、動いていくのだろう。
 なぜ、母の持ち物は動かないのだろう。

 人がひとり居なくなるだけで、煩雑な手続きが必要だった。
 翌日、朝のうちに警察が来た。
 一応不審死なので検死があるが、目撃者もいるので、比較的早く返されると話す。
 返される? 何が? あぁ、母が。抜け殻になった母が。

 民生委員が来る。小太りの、母と同じくらいの年令の女性。
 ころころとした笑い顔が似合いそうな彼女が、辛そうな顔で私を見る。
 同情なんか要らない。辛そうなその人の顔を見てそう思う。
 だが、決まり文句のような挨拶の言葉を彼女は口にしなかった。
 ただ事務的に、自分の役目を説明する。
 私が未成年なので、雑事に立ち会ってくれると言う。

 葬儀社が来る。
 説明しながらパンフレットを差し出し、葬儀の日までに決めておいてくれと言う。
 決める事はたくさんあった。パンフレットに書き込まれた無数の丸。丸の数だけ、私は決心をしなければならない。
 私の少し後ろに座った民生委員のおばさんの顔を見る。おばさんも私を見ている。
「はい」
 そう言ってパンフレットを受け取りながら、私の声はため息のようだと思う。
 もっとしっかりと返事をしなければ。これからは。

 高校の担任が教頭先生と来る。
 この先卒業まで休んだとしても、出席日数は足りている。卒業が取り消される事は無い。
 ゆっくりと、全ての用事を済ませるように。そう言って帰る。

 弁護士が来る。鉄道会社から、いずれ損害賠償請求があるだろうと言う。
 ただ、ラッシュアワーの時間ではなかった事、短時間で復旧ができた事、そして私が未成年な事、それやこれやでそれほど大きな金額にはならないだろうと言う。

 夜が来るたびに、私は母の持ち物が動く事を待っている。でも、動かない。
 けれど、部屋の中には母の気配が満ちている。
 母と私の、3年間の記憶が私に泣けと言う。

 母が戻って来た。眠るような、という表現があるけれど、その通りだと思う。
 目に見える傷は無かった。
 ふとんに寝ている母の手を両手で握り、母の顔を見る。母の左手に結婚指輪が光っている。
 抜き取って、母の鏡台の引き出しに入れた。
 父の結婚指輪を母はどうしたのだろう。父と一緒に燃えたのだろうか。
 母の胸に頭を乗せて、目を閉じた。
 毎日、あまりにいろいろな出来事が押し寄せてきて、涙は出なくなっていた。

 ただ、母の燃える音を聞いた時に、誰かに支えられて泣いた。

 損害賠償として請求された金額は母が入っていた保険で支払う事ができた。
 しかし、田舎の家と都会の部屋と、両方を私ひとりで維持する事はできない。
 私は母の記憶の全て持って、田舎に帰る事に決めた。

 卒業式にだけ出席をして、その日。
 卒業証書と母のお骨を持って、私はミニバンの助手席に乗った。
 いつのまにか増えたふたりの荷物。赤帽1台では無理だった。
 引越し業者を頼み、2トントラックが1台。ミニバンが1台。
 母の荷物をなにひとつ、私は捨てる事ができない。
 それは、父の物を捨てられなかった母の行為に似ている。
 母の荷物は全部、父の元に、母が戻りたかっただろう場所に、持って帰る。

 引越しの作業員のひとりが運転するミニバンで、トラックを追いかける。
 そのミニバンの助手席から、ゆきすぎていく東京の景色を見ながら思う。
 この3年は、母と私の東京での3年はなんだったのだろう。
 3年間、母は何を考えていたのだろう。

 東京に引越した最初の夏に『清二さん』、寝ながらそう父を呼び、少女のように泣いた母。
 私は母を支えていると思っていた。
 3年間、いえもっと長く、その事だけを考えていた。

 なのに私は傘を失った。
 どしゃぶりの雨の中で、私は傘も持たずに、立ちすくんでいる。
 母を支えていると思うその気持ちに、私は支えられていた。
 だから、母がいなくなっても、私は自由にはなれない。
 私には行く場所が無い。
 行きたいと思う場所と、行きたいと思う心が無ければ自由なんて無意味だ。
 今私がしている事は、ただ母を父の元に返す。それだけだ。
 そして、そのあと私はなにをしよう。
 内定が決まっていた会社には断りの連絡をした。
 私はひとりで、どう生きていこう。

 高いビルが姿を消し、建て売り住宅が目につくようになる。
 小さな空き地が広い畑に変わり、木々が目立つようになる。
 運転手がミニバンの窓を少し開け、外から春の澄んだ空気が入ってくる。
 地平線までと思えるほど畑が続くようになり、山が空を切り取る。

 ふるさとが近づくにつれて、心が少しずつほぐれていく。
『ほら』
 母に心の中で声をかける。
『もうすぐよ、お母さん。良かったね。もうすぐ、お父さんのそばに戻れるよ』

 家につき、真っ先に母のお骨を父の仏壇のある部屋に持っていく。
 用意してあったテーブルに置く。
 窓や雨戸を開け、空気を入れ替える。
 業者の人が荷物を降ろし始める。

 大きな冷蔵庫の隣に、東京で使っていた小さな冷蔵庫を並べる。
 大きな洗濯機の隣に、東京で使っていた小さな洗濯機を並べる。
 私は心の中で母と話し続ける。『おかしいわね。ねえ。お母さん』
 おかしいと思いながらも、そうするしかない自分に、父の品を捨てられなかった母を重ねる。
『母娘だね。お母さん』

 引越し業者が帰ってすぐに、隣のおばさんが煮物を持って現れた。
「食べて。作りすぎちゃったから…。
 大変だったわねえ、小夜ちゃん。元気を出してね」
 ありがたいと思いながらも、どんな顔をしていいかわからない。
 母の死も今回の帰郷も、誰にも伝えてはいない。
 父にも母にも、伝えなければならない親戚はいない。
 でも、明日には、私の帰郷を、町のほとんどの人が知っているだろう。

 なにも考えないようにして、荷物の整理をし続け、暗くなっておばさんの持って来た煮物で夕食をとる。
 父の仏壇と母のお骨が置かれた部屋に布団を敷き、疲れを感じつつ目を閉じる。
 眠れない。

 コトン…。

 部屋のすみで何かが音を立てた。

 コロン。パタリ…。コロコロ。カラン。

 顔を上げる。部屋のすみに置いた鏡台から、畳の上に母の化粧道具が落ちている。
 眉を書くペン。マスカラの細いケース。口紅。マニュキュアのビン。
 いつかと同じ。
 それらが、コロコロと転がり、立ち上がり、すべるように近づいてくる。
 私も布団から出て待つ。
 私を囲み、円を描いて踊るようにまわり、そして、ふいに動きを止める。
 動きを止め、ぱたりと畳の上に倒れ動かなくなる。

 立ち上がり、小走りで玄関に向かう。
 母の化粧道具が動いている間、外からの力を感じた。
 なにかが、誰かがいるはず。

 玄関のドアを開ける。
 立ち去ろうとする後ろ姿が見える。黒い学生服。短い髪。
 私がドアを開ける音で気がつき振り返る。
「卓也…」
 心のどこかで、やっぱり、と思う。
「卓也でしょ? 卓也なんでしょ? いつも、動かしていたのは」
 少し迷い、無言のまま卓也がうなずく。
「ひどい。子供の頃、どんなに怖かったか。それに今だって。辛いだけよ」

 本当は母の道具が動くのを待っていた。なのに、そんな事を言ってしまう。
 動かしたのは母じゃなかった。その事実が言わせた。
 驚くように目を見開き、卓也が答える。
「ごめん。そんなつもりじゃなかった」
 そのまま、ふたりで黙りこむ。

 なにを言ったら自分の心に一番正直なのかわからない。
 ただ、卓也が動かしていたという事を、なんの不思議も無く受け入れている自分に、心の奥で驚いている。
 ぽつりと卓也が言う。
「あした、来る」
 私は黙ったままうなずく。
「じゃあ」
 いつものようにそう言って、自転車に乗って帰る卓也の姿は、闇にまぎれてすぐに見えなくなった。
「あした…」
 3月。春とはいえ、パジャマひとつでは冷える。
 心の中で闇に消えていく卓也を思い出しながら家の中に戻る。
 東京に越してから3年たっている。あまり会う機会がなかった。
 私と同じだから18歳。子供っぽさが消えていた。

 布団に入り、家の中にある品々がざわめいていると感じる。
 私の気持ちと同じように。
                                                       …続く

 もののけ達の夜(3−3)はこちらから↓
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=56717401&comment_count=0&comm_id=4788856

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

小説置き場(レイラの巣) 更新情報

小説置き場(レイラの巣)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。